第3章 決意した日

第10話 それぞれの鬼

「お前らがこのことを知ったら何をしでかすかくらい分かってた。少なくとも友季とはそれくらいの付き合いだからな」

「フラれたことをまだ根に持ってるのか」

「うっせえ。……こっちこい」

 そこはアクアヴィットの店だった。治が案内したのはその地下室で、彼が廊下を進んで最奥の鉄扉を広げる。

 元々この国は地下にシェルターなどを築くことに向かない。施工方法、昇降手段、コスト的な問題と防災面のシステム管理、そして地上との出入り口や、土地の管理人との折衝だ。あらゆる点で、主にコストと法整備が理由で大深度地下都市構想は中々実行されなかった。けれど東西内戦で用いられた地表貫通型バンカーバスター爆弾の脅威から逃れるには、とにかく深い穴を掘るしかない、という結論に至ったのだ。

 裡辺地方がいち早く地下都市計画を実行し、国内はおろか世界に先駆け大深度地下都市ジオフロントを完成させた理由は、政府と裏社会の密接な協力関係という何とも皮肉なものが関わりを持っていた。

「それにしても、弟分が随分可愛くなったな。なんて呼べばいいんだ」

「今まで通りでいい」

「そうか。死ぬんじゃねーぞ」

 ばんっ、とライトアップされる室内。そこには拳銃から無反動砲に至るまで、大量の火器が並んでいた。

「社長の商品だ。出世払いでいいから好きなだけ持って行けってよ」

「へえ、神経質なやつだと思っていたがここまでとはね。当然脱獄銃なんだろう?」

「当たり前だ。屠平組、知ってんだろ。今屠平ファイナンスっていう金融会社やってる闇金だ。つってもな、裏から簡単に足を洗える組織なんてねえんだよ。これがその証拠だ」

 治は適当に手にしたショットガンを手に、それを深桜に渡す。

「知らねえだろ、お前。うちはその屠平組の下請けだったんだ。今は出資者が屠平ファイナンス。そして俺らの社長は、屠平組元組長。友季に助けられて、あの人は義理通すために手を貸してるんだ。俺もそのクチだ。……悪い、一人語りに付き合わせた。安心しろ、俺だって馬鹿じゃねえ。手は打ってある」

 深桜はその散弾銃を確かめた。

 秋津製のモデルだが細部が異なる。派生品だろうか。ボックスマガジン式のセミオートで、深桜はマガジンを抜いてチャージングハンドルを引く。サイトを覗き込んで、妙なガタつきがないかどうかをチェック。

「いい状態だと思う。だけど僕に銃はいらないよ。手榴弾の類、あと刀ってある?」

「ああ。待ってろ。瑞奈、手伝ってくれ」

「うん」

 深桜は手にしていた銃を友季に渡した。彼女はそれを受け取り、脇の弾薬箱からショットシェルをマガジンに入れ始める。

「お前たち鬼は、下手な銃は却って邪魔だからな」

 身近に鬼が二人いるからこその発言だろう。事実、セラは銃器で戦うより殴り合いの方が遥かに強い。そして恐らくは、今の深桜も。

「お前、刀なんて趣味いつ持った。バーチャルでもよくその訓練をしていたが」

「趣味自体は元々。天花が刀好きで、よく博物館に行ってたんだ。あの人、普段あんまり喋らないのに刀のことになると凄く熱くなるんだよ」

「そっか。男の子はそういうの好きだろうし、彼女・・っていうのは自然と彼氏・・の趣味に興味を持つからな」

 裡辺刀剣展覧会は年に一度行われるイベントだ。江戸の後期──幕末の新々刀、明治時代の現代刀が裡辺で作られた。当然だ、この土地は江戸後期に入ってすぐ形成された。本来なら、少なくとも活火山が噴火して間も無く人が立ち入ることなど不可能だが──有毒ガスなどもそうだし、いつまた噴火するともしれない上、そもそも生命が生きていく上で適さない環境だからだ──、陸地が形成されてわずか二年でこの裡辺には豊かな自然が芽吹き、多くの命が息づいていたと文献に記されている。その理由は恐らく、全国のナメラスジから集められた力が発露したが故のものだ。

 そう、この土地自体が一つの命で、一つの人外である。

 まるでその人外を育むために人間にとって多くの魅力がある資源を内包し、そしてそれを見せつけて開拓を進めさせたというのが、友季による見解だった。あらゆる怪奇現象は人間から生まれる。だからこそその悪意を助長し、魅力的に思わせる異様な魅力をこの土地は発揮しているのである。

「刀っていうと、あんまいいのがねえ。数打ちだ」

「大丈夫。見せてくれ」

 治が鞘に収まったそれを手渡してきた。深桜はそれを受け取る。

 無地の地鉄。浅い反りに、一定ではない波紋。数打ちとはいえ、それでも刀工が打った本物の刀。美しくも恐ろしい、真剣の刃物だ。振るえばたちどころに首を落とす、そういう代物である。

「ありがとう」

「いや」

 治は友季にショットシェルのベルトなどを手渡す。

「つけてもらえるかな」

「ちっ」

 渋々という顔でベルトなどをつけてやる治。されるがままの友季を、そして好きに触れる治をセラが明らかな怒りが滲んだ顔で睨んでいた。

「深桜くん、これ」

「ありがとう」

 瑞奈から受け取ったベルトを腰に巻き、手渡される手榴弾をセットしていく。呪詛弾が装填された予備マガジン、ナイフ、サバイバルキットなど。当然だが怪奇探偵関係者が持つ、例の護符が封入された関係者手帳も。これさえあれば、未成年就労ではなく、未成年でありながらその業界に、怪奇現象のせいで関わらざるを得ない者としてみなされるようになる。つまり、開け胡麻の通行手形だ。

 深桜は既に覚悟していた。姦姦蛇螺──人喰いの大蛇と戦った巫女、その下半身を喰われてもなお抵抗し、大蛇の提案で村人から四肢を奪われ飲まれた巫女の、その怨念が宿った鬼と戦うことを。それこそ現世に現れた冥王とも言える強大な怪異であり、その脅威は九尾ほどではないにしろ、大きなものと言える。

 恐らく風間周子の家系は、あの巫女の血縁にあるのだろう。故にどこかで姦姦蛇螺と関わり、魅入られた。本来なら無視していい程度のそれは、兄を乗っ取っていた怨禍の精液によって覚醒を促された。

 そもそもの原因、その因果を加速させたのは他ならない深桜だ。あの二人を、自分の曖昧な生き方と中途半端な美貌が呪ったのだ。

「僕は変わってみせる。……変えるんだ。僕の物語を。僕が望む形に」

 女として生きることを望んでいたのは、他ならない自分だ。

 鬼は現れなかったのではない。常に、常に自分と向き合っていたのだ。男でありたいというものへの固執こそがその鬼を否定し続けている証拠で、だからこそその本音を認めるのが怖くて性的なものを恐れた。邪視であるからというのはもちろん、どうにもならない己の渇望、それを突きつけられるのがどうしようもなく怖かった。

 とっくに気づいていた。ずっと疑問だった。なぜ自分が女っぽいのか。完全に男であれば、そんな悩みはない。女であろうと欲すれば、そうなれてしまうどちらでもない自分が嫌いで、殊更に男だ男だと言い聞かせていた。

 兄を、その思いを受け入れられなかったのも、素直に好きだといえなかったのも、実家という牢獄から飛び出して兄の元へ行かなかったのも全部、自分の力不足ゆえだ。

 もう、過ちは犯さない。

 今度こそ素直に思いを告げ、受け入れる。


 たとえそれが、許されざる罪であったとしても。


 仲間たちの準備が整った。友季がさりげなく治に微笑んで、彼はシッシッ、と手を払う。そうして一階に戻ると、口しかない玉子さんが微笑んだ。

「誠に勝手ながら、お膳立てをさせていただきました。きっと、助けになるかと」

「なるほど、それが治の打った手、というわけか。悪いね、玉子くん」

「玉子ではなく玉川です。……送迎いたします。それが、私の役目ですので」

 バンに乗り込み、後ろから「馬鹿野郎、俺の車だぞ!!」という治の怒号を無視する玉子さん。その顔は美男子を形成し、眼鏡をかけたスーツの彼は誰がどう見ても非の打ち所がない青年であった。

「よかったのかい? 治、あいつ狼の血が強い雷獣だから自分のものを取られると怒るぞ」

「平気ですよ。家族が使う分には、本気で怒りません。それに」

 ぐにゅ、と玉子さんの顔が変わる。そしてそのスタイルも。

「私には性別がございませんので、当然男性の恋人にもなれます」

「なるほどね」

 絶世の美女になった玉子さんは眼鏡の位置を直し、車を走らせた。

 瑞奈は義理の兄に、玉子さんと関係を持つ治には特別嫌悪などなかった。けれど玉子さんの容姿は嫌いだった。今のあの女性の顔は。……ああ、いや。それをきっと望んだ義理の兄も……嫌いだ。

 あの人には元々、婚約者がいた。けれど、婚姻届を提出して家に帰ったその日、押し入った強盗に強姦されて殺された。風呂場で見つかった溺死体は、死後犯されたと見做された。彼はその日から変わった。何もかもが狂った。……瑞奈の姉を殺した犯人は未だ不明。治が情報屋をしているのも、危険な元極道と関わり持ったのもそれが理由だ。全て、愛する人の仇討ちである。

 だから瑞奈も、──いや、妹だからこそ、姉を奪った犯人を許せない。あの事件のせいで、瑞奈自身の家庭もひどく荒れていた。そしてその姉を冒涜するように、姉の容姿を望む義理の兄も、それに応じる玉子さんにも、嫌悪を抱いた。

 そうとも。世界は簡単に壊れる。誰かの悪意が少し牙を向くだけで、あっけなく盤石だと思っていたそれは崩れ去る。些細な口喧嘩、誤解、出来心──それが、唐突に終わりの始まりThe Last Startとなる。

 友季の元に駆け込んできたあの青年を、彼女は救おうとした。愛する者を奪われる苦痛はよくわかるから。自分も姉を犯され、奪われた怒りはそれを晴らしたはずの今も消えない。復讐はまだ、完遂していない・・・・・・・のもそうだが、きっと仇を討っても、多少は前に向くことはできても完全にその怨みは消えないのだ。

 それは友季自身の鬼であるセラも同じだ。彼女もまた母と同じ、自らの親を傷つけた真の仇を殺すために戦っている。恐らくは、フェイも。

 深桜だけではない。天花だけではない。大勢が怨みを持ち、鬼を心に宿す。

 ──だからこそ、その鬼を退治するのではなく、受け入れねばならないのだ。それは他ならない、自分自身が作り上げた、自分の本性なのだから。

 そして受け入れるからこそ、常にその鬼と接していかねばならないのだ。うらみつらみ、それがかたちを成す、その自分を。

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