第7話 鬼の舞踏会

 そのままの足で車を走らせる友季。助手席にセラが移り、後ろに深桜、空間を置いて瑞奈が座っていた。

 深桜は静かに、黙って音楽を聴いていた。密閉式の有線イヤホンをはめている。無線イヤホンのようにバッテリーを気にする必要がないし、電磁波で音が途絶えることもないのでこっちの方が好みだ。深桜の耳朶を打ち、流れているのは同人活動がメインだったものの、最近メジャーデビューした女性シンガーソングライター『MIMIMI』のオルタナティブ・ロック。自身のうつ病経験、自殺をもとにしたどこか暗い曲調と歌詞の歌は、聴いていて落ち着くし、共感を抱く。心のどこかで以前読んだ彼女の実体験などから、やはりシンパシーを感じているのかもしれない。MIMIMIもまたいわゆる毒親を持ち、日常的に殴られていたという。中学を出てすぐに家を飛び出し、それから十年でメジャーデビュー。インタビューでは「私に両親なんていませんよ」と笑っていたが、深桜にはそれが憎悪に歪む鬼の顔に見えていた。

 音漏れしないようにしており、外からの音が聞こえていた。街頭のモニターは中学校で起きたテロと海外の組織を結びつけている奇妙な陰謀論者を『専門家』と称しており、その的を射ることはおろか誤射をして猛獣を怒らせるような持論は、もはやピン芸人の漫才だ。見出しには『裡辺地方、東西内戦の二の舞か』などと銘打たれている。深桜はイヤホンを外した。

「僕、中学サボってたから知らないんだけど……東西内戦って、あれは結局何だったの?」

「えっとね、それは──」

「この国がただの秋津国だった頃に起きた内戦。もうずっと前だ。西暦二〇三一年に東秋津産業連盟皇国と、西秋津正当皇族血統皇国に別れて、同じ民族同士で殺し合いを……戦争をしたのさ。今、中部地方がどうして立ち入り禁止の封鎖区画になっているのかわかる人」

 少し恨めしげに瑞奈が答えた。

「正当血統がいくつかの原発を意図的に臨界させ、爆発させたから」

「そう。つまり、核汚染されたんだ。内政不干渉といって、通常国内の内戦に海外が首を突っ込むことはない。だが、意見は言える。国際社会からの激しい弾劾、そして『抗議』という名目の経済制裁によって西皇国は追い詰められ、『人道的支援』として送り込まれてきた義勇兵を前に降伏し、今の秋津皇国ができたんだ。現在この国に多くの海外の血が見られるのはこの名残だね。義勇兵とは名ばかりで、実際は移住を目的にした難民も多かったんだ」

「ちなみに、裡辺地方は東皇国についていたんですか?」

 瑞奈が言う。

「ううん、中立だった。だから未だにその中立性が強くて、皇国政府はこっちにはあまり干渉してこないの。正確には、関わりたくないのかもね。偉い人たちは私たち妖怪の存在を知ってるし、その扱いの面倒もわかっているから」

「ですが気をつけておいてください。宮内庁直轄の組織に、退魔局というものがあるらしいので。平安の時代より続く陰陽師が、その末裔が退魔師として働いているそうです」

 セラが釘を刺すようにそう言った。深桜は深く、今の忠告を心に刻む。

「最も彼らは、九尾の狐とかそういうのが暴れない限りは無視さ。それこそ、冥王よりも恐ろしいものが顕現しない限り口出ししない。それが暗黙の掟だ。それに大体にして血族に誇りを持つあいつらが自分らの血統に響かない仕事はしないし、そもそもが西にいたやつだから、中部以東の政治には興味がない」

 ずっと昔、殺生石が割れたことがある。表向きには風化現象としてかたがついたようだが、この数日で深桜はあれが新しい九尾の発生であることを学んでいた。

「新たな九尾は内戦時代に西皇国の兵器として使役され、中部の原発自爆から二ヶ月後に激しい空爆によって死んだとされています。受肉したが故に、通常火器が通るようになってしまったのだ、ということですね。つまり我々と同じ、命を持った現世の生物となったわけです。退魔師にとって、あれは都合のいい箔をつける機会でして、だからこそそれがフイにされたことを根に持っているんです」

「そんなことがあったんだな。九尾復活は、てっきり弱体化してるところを仕留められたのかと思ってた」

「弱体化してたんだよ、深桜くん。だから使役できたの。本来の力があったら、そんなことなんて絶対にできない。全盛期の九尾は一時期男に狂ってたから簡単に仕留められただけなんだよ。もし色狂いじゃなかったら、多分、今頃この星に人間はいなかったと思う」

 実際、大昔の最初の九尾はいくつもの国を滅ぼしている。男を手玉に取り、時には自らがその強大な力を振るって。ある伝説では、九尾の怒りを買ったばかりに国土の九割が消し飛んだ、という噂まである。

 車は山川市へ。そして忌々しい棚田樹町に入る。

「私には居づらいねえ。なんというか、無垢な少年を寝取った、みたいに思われていそうだから」

「そんなことしたんですか、所長さん。……み、深桜くんと、その……」

「するわけないだろう。二度も三度も勾留されてちゃ気が狂うよ。あんなの拷問でしかない」

 深桜は久しぶりの故郷を見たが、特別郷愁を感じることはない。強いて言えば忌避感、それから憎しみが大きく湧き上がる。雪がどけられた道をいき、友季が可能な限り中学に近づいた。封鎖された前で、警察が必死に遺族を止めている。息子を返して、娘はどこ、お姉ちゃんは? 弟はまだ生てるのよ! 現実を認めたくない人々の嘆き。あれらは全て兄が引き起こしたもので、兄の怨嗟が伝染したものだ。

「僕は、」

 車の中で、深桜は汚い本音を漏らす。

「正直、すっきりしてる。久しぶりに、お気に入りの画像とかで抜いた後みたいに。だってあいつらが……ああして悲鳴をあげている姿を見ていて嬉しいとか、胸が空くとか……そういう心理で、僕をいじめてたんだろ。それで、みんな知ってて黙ってた。だって、最高のショーをタダで見れるんだから」

 その言葉に友季は一人の大人として、一人の咎女とがびととして複雑な思いを抱きつつも、けれどそれに共感し、理解している自分が心に大きく居座るのも自覚していた。その気持ちはよくわかる。ぬいぐるみに宿った霊が、「お前の家族を代償に、お前に都合のいい役を演じさせてやろう」──そう言って、実質一挙両得の形で両親と自分と姉の子供を殺してくれたのだから。もっとも一人だけ、姉を殺した甥は自分が殺したが。あの狂った世界を、歪んだ鳥籠を壊したのは自分で、そしてものが壊れる瞬間というのは、往々にして楽しいものだ。

 深桜は昏い目を向ける。髪に隠れた右目が、今どのようになっているのかを窺い知ることはできない。けれども放たれる霊気が闇を帯びていた。彼にもともと宿る、日継の闇。彼にはそれが、よりいっとう強く出ている……いや、凝縮されている。

 友季は知っている。まだ言っていない真実。

「蠱毒の壺、というのを知っているかい」

 セラが少し反応を伺って、誰も知らない様子なのを察すると、息を吸ってそれから口を開いた。車は中学校を離れる。

「同一の壺の中に虫や蛇を入れ、共食いをさせると、最後に残ったものに強力な呪いが宿る……というものですね」

「そう。日継家はそれによって多くの兄弟姉妹を代々殺しあわせていた。君のお母さんは形こそ変わっていたが、姉妹で相食むような日々の末に今を勝ち取っている。君のお兄さんは知ってか知らずか、男らしく成長し……いや。とにかくそうやって、君の家は強い力を持ったんだ」

 震える──恐怖と、自らの血への嫌悪で──深桜の手を瑞奈が包み込む。

「僕の……この目は、治りますか」

「その望みは持たない方がいい、とだけ言っておく。恐らくはくり抜いても再生し、また宿る。試したんだろう」

「ええ」

 深桜は去年自分を襲った男を無意識に呪った際、自己嫌悪で右目をナイフで抉った。激痛に耐え、のたうち回りながら痛みで気絶して、翌朝なぜか視界がまだ広いので鏡を見ると、傷痕だけは確かにあるのに右の目玉はそこに居座っていたのだ。床には潰れて、水分が抜けて白濁した目が落ちていたので、あれは夢でもなんでもないはずだ。

「君の両手には随分リストカットのあとがある。普通、利き手に刃物を持つから傷は偏るのだがね。君は、傷の治りが随分と早いようだ。その傷、普通なら余裕で失血死する深さだ」

 無自覚にコートで手首を隠して、手袋を深く嵌めた。未だにやめられない、やめるべき行い。夜な夜なナイフを手に、手首を切り裂く。その痛みはもうほとんど慣れている。そもそも深桜は学校で殴られ、蹴られていく中で、痛みを遮断してしまう方法を知らないうちに会得していた。

「傷の治りも、造血能力も呪いだ、と?」

「恐らくね。君が最も望む死を、君の呪いが弾いているんだ」

「でしょうね。首をつったとき都合よく兄が助けてくれたのも、それが理由かもしれません。僕は、いつになったら死ねるのでしょうか」

「さあね。それは私にもわからないよ」

 車は深桜の家に。月乃、という表札。家は神経質な母にはありえないほどその外観が汚れ、窓などが割れてそのままだ。

「待っていたければいてくれ。野暮用だから」

「ついていきますよ。僕の問題ですから」

 結局、全員で向かった。セラは友季の護衛として、瑞奈は深桜の護衛として。二人とも──セラは友季よりも強いし、瑞奈も恐らくは深桜より強いのだろう。

「月乃さん、ご在宅でしょうか。神代です。息子さんを引き取るにあたり、こちらからの誠意をお持ちしました」

 返事はない。深桜は自分の家だから、平然と玄関のドアを開ける。両親にしてはありえないが、鍵は開いていた。

「母さん、父さん、いるんだろ。言った通り、僕の今までの養育費を持ってきた」

 リビングのスライドドアがあいた。そこには包丁を握り、アルコールで澱んだ目をした母がいた。

「なに? 深桜、学校、行かなきゃ」

「そうだね。……母さん、父さんは?」

「取調、だって。天花が、行方不明、だから。あんたは……なにしにきたの」

「家を出て行くときに言っただろ。今までの養育費を払うって。それを持ってきた」

 友季は車のトランクから持ってきたケースを置いて開いた。

「ここに、彼の後見人になった上で、その責任と経済能力の証明として二〇〇〇万鈴円をご用意いたしました。一応、私の弁護士が査定した金額ですので、これで充分であると思われます。ご納得いただけますか?」

「たっ、足りないわ! 倍よ! 四〇〇〇ッ、四〇〇〇万寄越せ!」

 金の亡者め。友季は顔には出さず、吐き捨てる。そして、息子を随分と安く見ているんだと失望した。普通の親なら、それこそこれが二〇〇〇億でも後見人の権利を譲らないだろう。自分が腹を痛めて産んだ子供だ。どんなものを差し出されようと、まともな親なら手放さない。

「セラ」

 無言で出ていくセラ。物音がして、彼女はもう一つケースを持ってきた。母は包丁を捨ててケースに飛びついて開く。中身の追加の二〇〇〇万を見て、狂ったように笑い始めた。

「では、これにて失礼します」

 深桜はその生き物を見て、汚らわしい、とはっきり嫌悪した。その嫌悪が強く滲む右目が熱を帯び、ふわりと前髪がおどる。母が異様な気配に顔を上げて、そして見てしまった。深桜の右目を、その、紫紺の邪視を。

「閉ざすは我が心、閉ざすは我が世界。閉門せよ、鬼打牆」

 隣の瑞奈が咄嗟に結界を展開。そして、直後──。


「あっ──────、ぎ、ぎぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいぁぁぁぁああああああああああああああッ!!」


 頭を抱えて母が絶叫した。糞尿をぼたぼた漏らしてその場で跳ね回り、悲鳴を上げながら笑い、そしてそれは抱腹絶倒へ変わる。

「あなタタタタタタタタ、うまレたワ、カワイいオと……ひぅ、ぃいいいいいいいいい!! いやっ、いやぁあああああ!! 化け物っ、化け物ぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!」

 深桜はだろうな、と思った。普通だ。抱きしめた我が子の性別が、その両方なのだから。

 母の脳内にはこれまでの出来事が一瞬で流し込まれていた。隅から隅まで、全て。そして次々畳み掛けられるように、天花の本音、深桜の本音、そして旦那の本音が聞こえてくる。

「嫌ァァァッァッァッァッァッッッッッァアアアアアアアア! 許して! 許して! 許してよぉおおおおおおおおおおおお!! 出ていかないで、天花ぁあああああ! ァぁああああ、ああ、あ……深桜、嫌、待って、お母さんが悪かったから、お願い……あなたも、許して……離婚だなんて、そんなこと……」

 震え、ボロボロと涙を流す母。そしてその百面相は醜い怒りへ変化した。

「お前が息子をたぶらかしたのか!!」

 人間ではありえない速度による接近。友季は突き出された殺意剥き出しの貫手をはっしと左手で掴む。

「保護しただけだ」

「殺してやる!! 天花と深桜を返せ!」

「断る」

「死ね!! 死んで償え!」

「断る」

 バキバキと音を立てて母だったものが化け物へ姿を変えた。瑞奈がさりげなく前に出て深桜をさがらせ、セラが拳を握る。友季が母の手をそのまま掴んで勢いを流しつつ、廊下へ投げ飛ばす。

「セラ、除霊だ。鬼の顕現と判断する」

「はい」

 直後、弾丸のようにセラが飛び込む。右の正拳突きが繰り出され、化け物の正中線、そのみぞおちへ食い込む。運動エネルギーの可視化とも言える衝撃波が家全体を揺らし、そして周りの壁が捲れて床が陥没。化け物はそれでも踏ん張り、異様に長く大きな腕を力任せに薙ぎ払う。

 セラは左腕でブロック。しかし甘く見ていた。とてつもない威力でセラは跳ね飛ばされてリビングへの壁に激突。それを粉砕して広間に転がる。首が反対を向いていた。

「ウゥゥウウウウウ……かじろ、ゆきぃぃいいいいい……!」

「なんだよ。お前が招いたことだろう、現実を認めろ。お前の行いが招いた、当然の末路だ」

「かじろ、かじ、かじ、かじ、かじぃいいいいいいいいいいいいいいいい!!」

 次々灯る青白い鬼火。友季は舌打ちし、拳銃をドロー。素早く狙い、発砲。放たれた対怨霊・対怨鬼えんき用の呪詛弾が鬼火を霧散させていく。深桜は激しい現場に言葉を失いつつも、自分も呪詛弾が装填されている拳銃を抜いていた。

「セラ、私の可愛い、私の鬼の子。あとでいっしょに風呂に入ろうか」

「はい、母上・・

 セラの首はまだ反対を向いていた。その状態で立ち上がり、その状態で踏み込む。ぐりんっ、と首が回って前を向いて、赤い目が鬼を──心に宿る怨みの鬼が顕現した母へ向けられた。振り抜いた蹴りが爆圧めいた勢いを生みながら化け物を蹴り飛ばす。天井と屋根をぶち抜いて、自由落下。風呂場に落ちたそれはうめき声を漏らす。

「瑞奈も、いい判断だった。悪くない。……仕上げだ。セラ、一本ならいいぞ」

「わかりました、所長」

 ビキビキと音を立てて裂けるセラの額。右に一本、真っ黒なグラファイトのような、赤い脈が走る角が生えた。

「お覚悟を」

 放たれる凄まじい霊気。そして、化け物が恨みでくらんだ目をしてこちらへ接近。セラは、右の拳を押し出すため引く。

「正しい拳。それが正拳です」

 認識できたのはそこまで。

 轟音。

 ……だったはずだ。気づけば深桜は玄関から吹き飛ばされており、結界の縁で擬似的な夜空を見ていた。はっとして顔を上げると、そこには家がない。家の敷地ならあった。ただし、それはクレーターになって抉れている。

「目が覚めたね。二分の気絶からおはよう。気分は?」

「特には、変わりないです。あの、なにが……」

「大丈夫、お母さんは死んでない。目を覚ますかどうかはわからないがね。邪視とは自分と向き合わせる呪いだから、その自分自身を認められない限り呪いは解けない。最悪またああした生き霊になるケースもあるが……そのときはそのときだ。よかったよ、偽札で」

 セラが無言で深桜の手を掴み、引っ張り起こす。

「手荒な真似でしたが、すみません。所長を失うわけにはいかないので。……それから瑞奈さんも、咄嗟の結界術に感謝します。依代もなくこれだけの規模の結界を即座に出せるのは、有望な術師と言えるでしょう。深桜様に続き優秀な人材を確保できてよかったですね、所長」

「ああ。さっさと退散しよう。瑞奈くん、解いてもらえるかな」

「わかりました。開くは我が心、開くは我が世界。開門せよ、鬼打牆」

 すう、と闇が消え、もとの日中の空。当然、都合よく吹っ飛んだ家が直るわけがない。素早く車に乗ってその場をさった。ややあって、サイレンの音。友季は苦笑いしながら鳴ったエレフォン手に電話する。

「うん。私さ。あー、そうだね。不発弾が爆発したことにでもしておくといいんじゃないかな。うん。じゃあ」

 恐らく県警トップの人物との会話だろう。

 深桜はあそこまで醜く変貌したのが呪いのせいなのか、それとも母自身の本音が具現だったのかわからない。ただ、確かなのは……。金への執着だけは、本物だったと言うことだった。

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