第2章 鬼が微笑んだ日
第5話 玉子
「──この事件の犯人と見られる人物は現在も行方不明です。唯一の生き残りである人物の意識は戻らず、詳しい状況などは不明です。ただ、強姦された形跡から犯人が男性であることがわかっています。捨てられていた銃火器などは海外から持ち込まれた脱獄銃であることが捜査関係者への取材で明らかになっており、指紋は該当するデータがないため、現在は犯人の特定につながる情報がないようです。また、監視カメラは全て機能を停止しており、電子的な攻撃によってあらかじめシステムがダウンしていたとセキュリティ会社は説明しており、目撃者の証言では犯行が行われていた間、物音も何もしなかったとのことです。
全校生徒及び教員含め二七〇名以上が死亡し、行方不明となった県立棚田樹中学校でのテロから六日、現在も捜査は難航しています。県警は捜査本部を山川市に設置し、地元の民間警察組織と連携をとりながら、この恐ろしいテロ事件の真相を追っています。秋津皇国陸軍裡辺方面隊からは声明は出ていませんが、海軍の艦艇が出航、そして空軍基地からは早期警戒機が発進したとの情報もあります。龍霞寵共和国、そしてタイタン合衆国、スヴァローグ連邦、及びオセアニア海洋連合はこの事件とテロ組織の背後関係を指摘しているとのことです。
では犯罪心理学の専門家、法泉
車窓から降り積もる雪を掻き分ける若者が見えた。屋根の上には大人がいて、なにか言いながら下の青年に指差している。ある家出は、ピックで氷柱を落としていた。頭に落ちてきたら、頭の方が割れるような氷柱。東北地方、さらにその上にある遠呂智道、また裡辺地方では常識である。特に裡辺は
この理由は気象学的にも地質学的にも不明。いつしか学者も「現状では調べようがない」と事実上匙を投げた。今ならこれが、怪奇現象だと理解できる。
画面には専門家である大学教授が犯罪心理を語っていた。ネットのコメント欄では現役のプロファイラーが「また変なこと言ってて草」などとタグをつけて笑っている。
深桜はそのニュースを友季が買ってくれたエレフォンで見ていた。得られるものがないのでテレビアプリをスワイプ。ボヤイターというSNSを閉じ、それからパスワードつきの動画ファイルを再生。
銃撃を繰り返す兄、ナイフで生徒を殺す姿。人は復讐に取り憑かれると、ここまで変わるのか。人相は随分と悪くなり、頼もしく微笑んでくれていた爽やかな、それこそ男でありながらも惚れ惚れとするような兄の面影はどこにもない。
「監視カメラの映像は、こっちの業界が封鎖している。インターネットもだ。もっとも、ネットの徹底管理システムはとっくの昔に出来上がっているわけで、少なくともこの芽黎の時代にネットの匿名性と自由なんてまるでないがね」
「ディストピアってことですね。国民識別番号カードもそれでしょうし」
「そう。シビリアンナンバーカード……シビリアンカード。こういった管理システムの構築などは世界中で進められている。計画的なテロの抑止になるからだ。もっとも、衝動的な犯罪は止まらないし、頭の良い者なら抜け道を見つけられる、穴だらけの抑止システムだがね。真に自由なのが犯罪者だけっていう素晴らしい世界さ。おかげで私たちは毎日美味い飯を食えるし、暖かい風呂に入って、ぐっすり眠れる」
「嫌な世の中ですね。他人の不幸がないと人は幸せになれないんですから」
神代探偵事務所での、おかしな意味ではない、そのままの意味合いで永久就職を決めた日から深桜は上司に対しては敬語を徹底していた。兄を止める──それは素人の自分でも、それこそ友季やセラの力を借りても困難であることは目に見えていた。兄の報酬から考えれば、曰く付きの家系の子供を預かるだけでも三〇〇〇万鈴円の報酬が必要である。秋津皇国では男女ともに、大卒であれば企業にもよるが、平均した生涯年収は三億八〇〇〇万鈴円とされている。高卒になるとそれは下がり、大体三億前後だ。企業によっては死ぬまでに四億は余裕で稼げる。
保護だけで三〇〇〇万。それを踏まえて、素人のガキを保護し、さまざまな手続きを経て後見人になり社会的にも保護者である女性が、未成年を働かせている──当然だが中学生、仮に通っていなくとも十五歳で、かつ三月三十一日を超えていない場合は未成年の就労は認められない。これは違反すれば立派な犯罪である。さらに無罪で更生施設行きとはいえ友季はあの事件の主犯で、そこを加味した場合の刑事罰はとても軽くは済まないだろう。そうしたリスクと、テロを引き起こした兄と関わり、止められずテロに走らせた彼女は、現在県警トップという盾こそあるが、それがあっても最悪終身刑、もしくは死刑だ。この国では以前のように犯罪者に甘くない。死刑は速やかに進められる。
こうした物事を考えれば、報酬など深桜が死ぬまで働いても払えまい。けれど、その危険を全て知った上で友季は深桜を雇い、依頼を請け負った。これほどまでに立派な大人を敬わずにいたら、深桜の中で定めている様々な線引きが全て壊れる気がしていた。
「所長、本当にすみません……それから、ありがとうございます」
「いいさ。お前の家庭環境はお前の責任じゃないし、天花くんを焚き付けるような真似をしたのは私だ。私にも責任がある。私が……、私は天花くんの気持ちがわかる。姉を殺した甥を、その心臓に包丁を突き立てたのは私だったから」
車を運転する友季は、二月五日金曜日の燦月市を走っていた。
『法泉県山川市、棚田樹町の県立棚田樹中学校の犯人の名前は月乃天花。あなたのお兄さん。Mより』。その匿名の垂れ込みは、この動画を受け取った今朝には既に来ていた。解析不能な暗号コードによる高度な通信であり、短い文面と場所の指定があったデータは時間経過で完全消滅。それを例のデバッグルームで、そこに雇うというよりは居候させているクラッカーの悪友から聞いた友季は「電子メールに次元式の呪術をかけてるわけか」と感心していた。そして「あいつの仕業だな」と苦笑いし、デバッグルームを出るとかち合った深桜に「今日の訓練は中止。そろそろ現場に慣れようか」と言いながら分厚い茶封筒を用意していた。
「あのメール、僕に心当たりがあります。多分、女子で、……行方不明ということになっているはずの生き残りです」
「名前は?」
「
車が指定された場所の近隣に停まった。そこは燦月市の北端にある、
「なるほど、その子もこっちの事情を少しわかっているらしい。座標でわかっていたが、偶然とは思えないな。深桜、ほら」
指定されていた店の看板の裏には、怪奇探偵のマークの札があった。スリットの黒目の瞳に、上に三つ、下に四つの三角形。そこは『アクアヴィット』という名前の店で、どうやら喫茶店のようだ。アクアヴィットとはジャガイモを使った蒸留酒で、確かラテン語で命の水を意味していたと思う。なるほど確かに、コーヒーや紅茶といったものを出す店なら、アクアヴィットという名前は最適と言えよう。
「ここ、探偵……なんですか?」
雑居ビルの一階が喫茶店ならまだわかる。だが二階建てのここはどう見ても探偵事務所などないのだ。二階はどう見ても居住スペース。大きく造られた二階建ての民家をリフォームし、一階を喫茶店にしたという方が妥当であった。
「こういうふうにごまかす場合もある。一般の客はこの護符の力で寄り付かない。来るのは依頼人か、人外だ」
「黒字が出る営業ではなさそうですが」
「喫茶店だけならまず赤字だろうね」
友季は物おじせず扉を開けた。深桜、そしてセラが続く。さりげない仕草で、コートを払うふりをしてセラは周囲を見た。尾行はない。
「いらっしゃいませ。お相手でしたら、奥の窓際、ええ、あちらでお待ちです」
応対するのは口だけしかない男。
「おいこら
「おっと、すみません。それから私は
「だから玉子つってんだ。お前はあっちの女性の話聞いてやれ。困ってるぞ、あいつ」それからこう付け加える。「いつ自殺してもおかしくねえくらい鬼がでけえ。頼むぞ。……すまんな、お客人。ま、ここに来て平気な顔してる時点で堅気じゃねえわな。……って、おいマジか。もう来たのかよ」
玉子さんという人物を叱った若い従業員が呆れた顔をした。
一九〇センチ近い、筋肉質で金髪な、どう見ても鉄砲玉ともいうべき男だ。けれど極悪ヅラではない。なんというか任侠モノの、姐御! と慕う可愛い下っ端……という感じか。そして頭には大層可愛がられるタイプの新入りである。ただ、いかついことに変わりはない。男らしい顔立ちで野生的。印象としては肉食獣だろうか。それも、食物連鎖的には上の方の。イメージとしてはトラとかオオカミ……その辺だ。同じ肉を食う生き物でも、キツネやタヌキとは全然違う。
「来るなら前もって一言言えって言ってんだろ、友季」
「そんな昔のことは忘れた。それに今日は共同で仕事しようってわけじゃない。お前ならわかるだろう、あのメール送ったのはお前以外にあり得ない」
「ちっ。オーダーは?」
「いつもの。あと深桜、お前は」
メニューを若い男が、意外にも丁寧に渡してきた。
「まだすくねーけど、ごめんな。一応厨房には俺以外にもいるし、調理師免許はちゃんと持ってるからいいんだけどよ。ああ、衛生面も問題ない。うちは創業以来食中毒なんて出てねえんだ」
「そもそもの母数が少ないだけだと思うが」
「黙れ」
深桜は少ないと言いつつも、しっかりと並ぶラインナップに目を移す。
「迷いますね」
「そうだな、おすすめはこれだ、チーズケーキ。お前、その骨格とか歩き方からして絶対男だろうけど、美形だから安くしてやるよ。どうだ?」
「じゃあチーズケーキと、カフェオレをホットで」
「あいよ。おら、さっさといけ友季。セラ、砂糖の管理頼むぞ。俺のせいにされたらたまったもんじゃねえ」
「お任せを」
ウエイターの制服が似合わない青年が去っていく。玉子と呼ばれた男は、人当たりの良さそうな顔を
「やっぱり、瑞奈さんだったんだ」
奥の窓際にいたのは見るからに根暗そうな少女。冬物のもこっとしたニットに、分厚い生地のズボン。野暮ったいファッションで、喫茶店の隅で本を読むというどこからどう見てもインドアなアニオタ──という感じであった。読んでいるのがライトノベルであることもそれに拍車をかける。黒いマスクは今もしていて、彼女の前には飲み物も食べ物もない。頼んでいないのだろう。人に見られるのが嫌な部分は、誰にだってある。一度彼女があまりにも顔を見せないものだから、無理矢理にマスクを外そうとした男子がいて……。ああ、そうだ。あのとき深桜は兄の影響で見ていた映画の後押しもあり、ヒーローのつもりでそいつを止めたのだっけか。
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