第3話 罪には罰を

 明くる日の朝、目を覚ました深桜は見慣れない天井に戸惑っていた。

「あれ……」

 自分の部屋じゃない。……ああ、いや。

「そうだった。縁を切るんだったな」

 眠ったのがいつなのか、どれくらい寝ていたのか覚えていないが、二十六日の夜に家出してオカルト探偵に助けられたのだ。そして深桜はそこで表向きには親戚の家で手伝いをするという名目で働くことになっていた。

 車で寝落ちしていたのかもしれない。ここはどこかの一室で、自分はソファで眠っていた。余裕で横になれる大きさの灰色のソファで、分厚いダブルの毛布と羽毛布団がかけられていた。それを退けると、多分友季が着替えさせたのか男物のズボンとニットを着ていた。女に裸を見られることは、十三歳らしい羞恥心が働くが……仕方がないことだったと割り切っておく。

 ソファから出て時計を見ると午前六時。デジタルカレンダーは一月三十日の土曜日を示していた。数日もの間眠っていたようで、びっくりした。昏睡といった方がいいかもしれない。

 長い前髪をヘアピンで止め、左目だけ露わにする。女っぽいと自覚しているが、邪視を見られるのはまずいのだ。それに、兄がよく言い聞かせてくれたのは「男ってのは髪の量じゃなくてハートで決まる。俺の大好きなハリウッドスターの言葉だ」という文句。その俳優は随分と前に死去したが、数々の名作映画に名を刻み、主にアクション映画やサスペンスなどで活躍していたらしい。世界一ツイてない男、という役で知られているし、あの刑事アクションは深桜も大好きだった。

 部屋にあった鏡で自分を見て、見た目ではなくハートを鍛えよう、と言い聞かせる。バシバシと強めに顔を叩いて、カーテンを開けた。空はまだ暗いが、ここがどこかの雑居ビルであることと、近くに海があることがわかった。深桜は法泉県の北東にある山川市で暮らしていたが、北にある内陸部で生活していた。繁華街からさらに南というと、隣接している燦月さんげつ市に近いのだろうか。

「神代さん、……所長に聞けばわかるかな」

 車の中で神代友季は「役所と警察に連絡して……」などとぼやいていた。多分、深桜の身柄を法的に保護できるよう手筈しているのだろう。

 部屋には段差がないが玄関があって、そこに靴があった。兄からもらったお下がりのショートブーツだ。それを履いて外に出る。廊下は静かで、ホテルのようにも見えた。通路の左右に合計して八つの部屋。ネームプレートがあるのは四つで、残る二つはプレートがない。最奥の突き当たりには『デバッグルーム』というものが打たれており、よくわからないので無視して反対へ。そうして階段を降りて、下へ行くと……。

「話のわからんやつだな。君の息子は性犯罪を受けたんだと言っている。それも過去に二回だ。もっと詳しく言えば、中学では暴行、恐喝、脅迫、そして強姦未遂までされてる。だから私が警察を通して役所に行き、身柄を預かることにしているんだ。だから正規の手続きで私が未成年後見人になったということだ! 再三話ただろう! ……あ? 裁判にしたければ勝手にしろ! そっちが解任されることは明らかだがな! 二度と親の真似事をするな!」

 ガン、と強く、今時珍しい固定電話の受話器を友季は置いた。それから「全く、これだから遊び半分で子供を作る馬鹿は嫌いなんだ」と口汚く吐き捨てる。

「今の、誰?」

「おっと、びっくりした。……お前の両親だ。弁護士を通した和解で私が君の後見人になったが難癖をつけてきてね。一応まだあっちに親権があるのは確かだが、法的には私が現在の深桜の保護者だ。とはいえ、実際は雇用の関係だがね。そうだ、お前にサインしてもらいたい書類がいくつかある。役所に出さないと面倒でね」

「当てようか。お金をゆすられたんだろ」

「まあね。お父上の病院は経営が傾いてるし、つい先日の週刊誌には外科医が不倫か、なんて見出しが出る始末。母の方は身の丈に合わないブランド物を買うためにカード決済をしていたが、返済が追いついていない。だから子供を奪った慰謝料がどうだとか……。これだから嫌になるんだよ、最近の大人ってのは」

 本当に探偵だ、と思った。あらゆる面で相手の不利を調べ上げている手腕。そしてそれを上手く使い、深桜の後見人の座を正規の手続きで手に入れたのだろう。事実として、あの両親が親にふさわしくないことは確かで、その証拠は深桜が持っているボイスレコーダーに刻まれていた。夜な夜な聞こえてくる夫婦喧嘩にそのような旨を示唆、または明確な形にした声があり、それを録音しておいたのだ。

 深桜はそのボイスレコーダーを、友季が眠る彼から見つけて内容を確認したのだろうと察した。だから裁判になれば不利だ、と言い切ったのである。

「警察に知り合いがいるって話、本当だったんだな」

「まあね。ここの法泉県警トップの山内忠久やまうちただひさ警視監は私の遠縁だが、親族でね。そういうコネがあって色々助けてもらっている。こっちの、オカルトの事情にも通じているからある程度の融通は利くんだ。だから私と争うだけ自滅していくだけなんだがね。体罰だけが家庭内暴力じゃないし、中学生であったとしても君への行いは立派な犯罪。少年法によって裁かれるべきことだ」

『私の人生の物語』という映画──神代友季の実体験に基づくあの作品では、姉妹は学校に通っていなかった。あの話の描写が、真実を隠しているとはいえそれでも事実に近い物であるとすれば、友季は更生施設にいた数年で必死に勉強していた。そこから出て行くまでの苦悩は、当事者にしかわからないが……友季はあの後も血反吐を吐くような努力をして、今の仕事をしているのだろう。

 深桜は指示をもらいながら書類にサインし、恐らく友季が受け取ったのだろう深桜の実印を捺していく。

「そう、あとはここにフルネームで。読めればいいから、そんなかしこまった字じゃなくていい」

 しっかりと記載された文字を見て、友季はその書類を返送用の封筒に入れて糊で貼り付ける。

「さて、嫌な話は一旦置いておくよ。まずは現状を整理しようか。ちょっと長くなるが……」

 友季は執務机から離れて電子ボードを持ってくる。そこにタッチペンで画面を操作し、裡辺地方四県の地図を表示した。

「古くから妖をはじめとする存在が通る道が、この秋津皇国にはあったんだ。それらはナメラスジと呼ばれていて、しかし大昔の異端の学者はこういう文献を残していた。『その道をゆく人外は、どこへ行き着くのか』とね。そして江戸時代後期、東北地方の東で原因不明の火山噴火が起きた。その際生じた陸地がこの裡辺地方だ」

「所長は、ナメラスジの終着点がここだといいたいのか?」

「その通りだ。程度の差こそあれ、世界中に様々な怪奇現象がある。けれどこの地域はそれらとは比較にならない規模の怪奇現象が、それこそ頻繁に起こるという有様。さらには本来失敗に終わる程度の力量でも降霊術、呪術が成功するケースまである。私のひとりかくれんぼがそれだ」彼女は一呼吸置いて、「大抵、探偵なんてのは迷子の猫探しや不倫現場の証拠確認っていうのが業務だが、この裡辺地方における探偵は大半がオカルト絡みでね。警察内部にも、少なくとも上にはこの事情を知る者がある程度いる」

 地図上にバツ印が表示された。それはかなりの量で、画面を赤いバツが支配する。それから皮肉げに、友季はタッチペンで地図全体に大きくバツを打った。

「この地域に安全はほとんどない。君も知ってるだろうが、裡辺はとにかく治安が悪い。オカルトのみならず、ヤクザ、海外マフィア、それらがかなりいる。この国では二十年ほど前から自衛用のピストルを家庭で保管することが許されているが、多くの家には銃なんてない。けれどここらは秋津皇国トップの保有率で、首都東京の比率を大きく超えているんだ。おまけに埋め込まれたチップを改ざんする、いわゆる脱獄状態の銃も多い」

 家庭が保有する拳銃には必ず管理チップが埋め込まれていた。それが家の敷地から出ると警察に自動で連絡が出て行く代物で、発砲した際の時間などはコンマ秒単位で記録される。けれどそのチップの追跡機能を欺瞞するクラッカーが存在し、彼らが行う改造で脱獄した銃が世に広まり、そしてその脱獄銃は数えきれないほど裏で取引されていた。最悪なのは海外から様々な脱獄銃が持ち込まれていることなどだ。

 ここでの治安など、期待しない方がいい。深桜のように強姦が未遂で終わるのはまだ幸せだ。大勢が泣き寝入りしているが、レイプされた男女はかなりいる。男が男にというケースはもちろん、女が襲うこともある。同意を伴わない、もしくは判断能力を奪った上での行いは枚挙にいとまがない。

「その陰の気があまりにも強い結果、多くの怪奇が発生するんだ。これらの現象は君に聞かせた通り、人間の負のエネルギーから発生する。だから治安が悪い土地には奇妙なフォークロアが多いんだ。そこで我々のような怪奇専門探偵がいて、稼ぎもいい、という感じだね。このビルの看板にも護符が貼ってあって、自然とオカルトで悩む人が注意を引くようにしてある。同業他社も同じくだ」

 画面にその護符が浮かんだ。それは、目玉のようなものがぎょろりとしているもので、黒目はスリット。眼窩の周りのふちに、七つの三角。上に三つ、下に四つ。

「この絵が描いてある護符を見かけたら、間違いなく同業だ。そしてこれは、末端に至るまで裡辺の警官が知っているもので、これを見せればあら不思議、開けごまという具合に事件捜査に乗っかれる。もっとも、職権乱用で怪奇案件以外の現場を土足で荒らしていると営業停止なんて命令も出るけど」

 それはそうだ。警察からしてみれば所轄を土足で踏み荒らされるような物である。誰だって、野生の動物だって自分の縄張りに見ず知らずの生き物が入ってきたら追い出そうとするし、自尊心が傷つくだろう。

「続いて、それを踏まえた上でお前の保護依頼の経緯を話そうか。あっちに」

 友季が応接用のソファセットを指差した。そのソファで座ってゲームをしていたセラが電源を落とし、ゲーム機を傍らに退けて「飲み物を用意します、所長」といってキッチンへ。友季は礼をいい、それから座った。深桜は対面に座り、暖房の効いた事務所に流れるテレビニュースを何気なく見た。

「続いての特集は、廃墟から帰ってこないまま二年が経過した高校生失踪事件についてです。本日をもって丸二年。当時の状況を振り返りつつ、こちらの見出しから──」

「あれも怪奇なんだろ?」

「十中八九そうだろうね。そもそも廃墟への無断侵入自体が建造物侵入、住居不法侵入、仮にそうでなくとも軽犯罪に問われる。秋津の刑事裁判の有罪率は九十九.九パーセント。未成年だろうとダメなものはダメだ。地縛霊の類いかな。肉片でも見つかればいい方だろうね」

 かつて罪を犯したからこそ、その罰の重みを理解している。その上で彼女は、自らを犯し、虐待した両親を未だに憎んでいるのだ。それこそ、それ自体が新たな怨霊になる可能性を理解しつつも。

「こちらを。所長は甘くしないと飲めませんので……ですが砂糖は二つまでです。また健康診断で引っかかりますよ」

「血糖値は今は安定してる。あくまで予備軍だったことがあっただけで──」

「言い訳はなしです。深桜様はご自由に。ですが、若いうちから気をつけておくべきであると忠告します」

「わかった」

 深桜は角砂糖を一つ、ミルクを少し注いで差し出されたブラックをカフェオレにした。友季は渋々二つまで砂糖を入れて、ミルクを入れる。セラがじっと見ていて、それからすぐ角砂糖の入れ物を持っていった。

「ちなみに前はどれくらい入れてた?」

「限界飽和量には達していなかったはずだ」

 スケールがデカすぎて意味がわからない。聞くんじゃなかった。

「つまらないな、別のチャンネルは……」

「続きましてこちら! 先日不倫が発覚した外科医、月乃武範たけのり氏のコーナーです! こちらの写真、はっきりと顔が写っています。これについて山川市の大槻病院には連日記者が詰めかける事態になっており、警察が出動する騒ぎにまでなっています。近所の方の話では、夫婦喧嘩による怒鳴り声が聞こえてくる、という証言も……」

「まあ、僕は相応の罰だと思う」

「だろうね。だから早く深桜の後見人になっておいたんだ。いいかい、何か変なやつがついてきてたら記者だ。お前は頭が回るから潜り抜ける返事をできるかもしれないが、なるべく穏当に済ませるんだ。我々はもちろん、お兄さんについても黙っておくように。今は親戚といる、そっとしておいてほしい、みたいなキャラを演じてくれ」

「そうだね。……学生の本分ってことを父さんは言ったけど、父さんは旦那としての本分なんて守ってなかったんだな」

「付け加えると、お母様の方も遊んでいたみたいだ。ちょっときついけど、知っておくべきだろうから伝えておく」

 薄々、察することはできた。

「お前は──」「──僕は母さんの不倫相手の子供、ってことか?」

「……ああ。DNA鑑定を、お前の父はしていたようでね。うちの優秀な事務員がデータを漁ってそのファイルを見つけたんだ。父親は特定できていないが、秋津人ではない。多分深桜が親に似ていない要因は、それじゃないかな」

 深桜の髪は黒いが、これは地毛ではなく染めたものだ。元々はくすんだ灰色である。既に頭頂部には灰色の毛が見えており、染粉も効果を失っている。安物の染め液なので、当然だ。箱にも「しっかり洗えば数日で落ちます」と書いてあった。

 父は不倫を知って、息子の容姿もあって母と不仲になったのだろうか。いずれにせよ、もうどうでもいいことだ。

「ちなみに、どこの人?」

「西洋人。多分……スカンジナビア共和国連合じゃないかな」

「北欧ってことか……。まあ、面食いの母さんが、大して容姿がいいわけでもない父さんで満足するとは思えないけどさ」

 テレビを何度か切り替え、友季は「ネットの方がもっと早く調べられることだろうに」と呆れ、動画モードへ。そうして、アクションものの映画を流し始めた。筋肉モリモリの男が銃を担ぐ画面から本編再生を選択する。

「この俳優はもともとボディビルダーだったんだ。もうずっと前に亡くなられているが、映画史に名を刻んだスターだよ」

「僕はスキンヘッドの刑事役の人が好きだった。世界一……」

「ツイてない男。ビル、空港とか……とんでもない活躍をしてたね。ああ、あの頃はまだ髪の毛はあったけど。……あとは私は運び屋の映画も好きだ。やはりスキンヘッドで、クールな運転手。昔の映画は本当に名作揃いだ。サメ映画も……まあ、時代が追いついてないだけだろうが、面白いと思う」

 ある時期、サメ映画が流行っていたのだがあまりにも行き過ぎてしまい、とうとう頭が百個のサメだとか、宇宙から来たサメだとかわけがわからないものまで多数あったらしい。

「話がそれたが……。君のお兄さんが依頼してきた経緯について話そうか」

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