【壱】The Last Start

第一章 軛を断ち切った日

第1話 白い雪と赤い女

 月乃深桜つきのみおという名前を前にしてそれが男である、と断じることは難しいだろう。無論、字面と意味が噛み合わない、そもそも言語として破綻しているおかしな名前が散見される現代では比較的まともな名前ではあるけれど、それらを含めこの名前をつけられた当事者である彼にとっては、はっきり言ってうんざりさせられるネーミングセンスであると言わざるを得なかった。

 彼は生まれつき男性ホルモンが少なく、成長過程においてもその影響が強く出るクラインフェルター症候群という染色体異常が原因で発生する病を抱えていた。性自認は男だし、生物学的にも男だ。けれど彼の名前と容姿を見た者は、大半が実際の性別を言い当てられなかった。

 それを理由にしていいのかどうかはわからないが、けれど女のような名前と容姿でありながら男として振る舞う彼を面白おかしくからかうやつらはいて、そしてそれは日を追うごとにエスカレート。セクハラをはじめ暴力や恐喝、強請りなどに発展。立派な犯罪が成立する事態になり、それでもなおいじめという言葉で誤魔化される年齢である彼は、泣き寝入りするように不登校になった。

 小学校四年生の頃から本格化したいじめは、ほぼ同じ面々が同じ中学に上がるというシステムのせいで中学生になっても続き、そしてさらに悪化。レイプ未遂にまで発展した事件をきっかけに、深桜は中学一年の夏休み以降中学には行ってない。それからもう半年。冬休みも終わり、一月の下旬になっていた。

「深桜、いい加減学校に行きなさい」

 母親の声。優しさのかけらもない、プリセットされた音声を再生するゲームの世界のNPCのような、冷たささえもない無機質なそれ。母にとって大切なのは世間体だ。ほかの、いわゆるママ友というコミュニティのカーストにおいて頂点に立つためなら手段を問わない。医大に入った優秀な兄と、大手の病院で外科医をしている旦那が自慢の、彼女自身はせいぜい容姿に恵まれている程度の女だ。

「じゃあ、僕のいじめの話を聞いてくれてもいいんじゃないの。僕が脱がされて、襲われたことを認めたらどうなの」

 ドアの外でため息が聞こえた。

「あのね、いじめなんてあんたが弱いからそう思うだけで、あんなこと世間じゃ当たり前なのよ。っていうか、それこそ男の子同士ならそういうおふざけなんてよくするでしょう」

「じゃあ僕の病気についても、当たり前ってこと? どうして僕をこんな見た目にしたのさ。そもそも僕は、本当にあんたたちの子供なの?」

「こら深桜、母さんを困らせるな。お前は医学的には男だろう。自信を持てばいいんだ。堂々としていろ」

 今度は色魔の父のお出ましか。知っているんだよ、病院の看護婦とラブホに入っていくところを見たんだから。お前は男根でしか物事を考えられない。知った口をきくな。

「そんなに学校が嫌なら出ていけ。俺は甘えたやつが嫌いだ。学生の本分を全うしないようなやつに食わせる飯なんてない」

 その一言で、深桜の中で何かが切れた。


 ──もういい。こいつらは人間じゃない。宇宙人かなんかだ。到底ヒトの心も言葉も理解できやしない。


 荷物をまとめてボストンバッグとリュックに詰めて、防寒着に着替える。音楽プレーヤーとイヤホンをポケットに突っ込んで、鍵を開けて部屋を出る。

「お金が貯まったら今までの養育費を持ってくる。さようなら」

 後ろから何か聞こえた。何を言っているのかなんて知らない。宇宙人の難解な言語など、理解できない。

 深桜は自分の靴を履いて外に出た。一月二十六日の火曜日。真冬の夜は随分と冷え込み、土地柄雪が降ることが多い裡辺りへん地方では今日も雪が降っている。

 心のどこかで両親が止めに来るかとも期待していたがそんなことはなかった。深桜は位置を追跡されたくないので、さっさと家を離れると近所の川に携帯端末エレフォンを投げ捨てる。不法投棄、という立派な犯罪だ。これでめでたく自分もワルである。

 そのまま回り道をして川とは真逆へ。南へ向かう。理由なんてないが、とにかくこの町にいたくなかった。

 最初の頃は自分の病気を理解しておらず、そして小さいうちは男女ともに「可愛い子ですね」で済む。けれど十歳になってもまだ「可愛い子ですね」と言われるともやもやするし、まして「娘さんですか?」などと言われると子供ながらに殺意を抱いた。

 苛立ち、焦燥、やるせなさ。言葉にできない、赤いようで黒い感情が心に渦を巻く。

 手袋くらいすればよかった、とかじかんだ手を握って思う。それから痛恨のミスに気づいた。財布を忘れた。……もっとも、残金は五〇〇鈴円りんえんにも満たないので、ほとんど誤差だが。

「どうしようかな。最悪、どっかの馬鹿に体を売るしかないのかな」

 想像しただけで気持ち悪くなってきて、やめた。中学校の多目的トイレに連れ込まれ、上級生の澱んだ目を向けられた恐怖が蘇る。その場には女子生徒もいた。嘲笑うように、そして女子である自分よりも綺麗な深桜への、どろりとした嫉妬の目。それであの女が主犯だと確信した。

 見た目はどうあれ自分は男で、恋愛対象は女だ。同性愛を悪くいうつもりはないが、であれば異性愛を咎められる謂れだってないはずだ。

 やがて繁華街にたどり着いた。柱に括り付けられているボードの電子時計は午後十一時ちょうどを示している。中学生がこんな時間に一人なら補導待ったなし。コンビニで寒さを凌ぐことを諦めて、とにかく風を防げる場所はないかと視線を巡らす。

 心のどこかでおかしな男に声をかけられたら、という恐怖があった。実際、過去に深夜徘徊をしていた際にそんなことがあって警察沙汰になっている。都合二回、深桜は性犯罪の被害に遭っていた。故に自然と風を避けられることと視線を誤魔化せる場所が目的になり、深桜は寒さでほとんど感覚がない手をジャンパーのポケットに入れて、適当な路地に入った。

 汚らしい、芽黎がれい二十二年現代らしい路地だ。ダストボックスの脇にもゴミ袋が散乱しているし、けれど袋にあるだけマシで、空き缶やカップ麺の容器、コンビニ弁当の器がそのまま捨てられている。深桜は適当な地べたに座って壁に背をもたせかけ、マフラーに顔を埋めてあらゆる苦痛を切り離そうとした。

 小さい頃から自分が周りと違うことを認識していた。その理由は繰り返し病院と役所に連れて行かれたことが理由だ。次第にクラインフェルター症候群という言葉を覚えて、その意味を知ったのは小学校三年生の頃。男女の差が分かりやすく出てくる頃になっても女っぽいままの自分を不自然に思い、容姿が似ていない兄に聞いた。噛み砕いた言葉で自分の病気とその症状を聞き、そして絶望した。

 間をおかずいじめが起きて、今に至る。両親はお互いにハリボテの評価で結婚して、兄にも自分にも愛など向けていない。兄が医学を志したのは、苦しむ弟を……深桜を救うためだった。兄はそれを「父の背中を追っている」と言われることが大嫌いで、家を出て行った。それについて母は都合よく「早くも独り立ちした立派な息子」という出鱈目で糊塗して誤魔化している。弟としては怒りと呆れがあって、はっきり言って自分もそうだという自覚があるものの、両親はどこかが人間としておかしいのだ。

「おっ、こんなとこにいいメスガキいるじゃん」

 突然声をかけられ、深桜はハッとした。漂うアルコール臭。多分、高校生。未成年飲酒なんてさして珍しくはない。世間的には犯罪でも、インターネットを覗けば未成年の飲酒、喫煙、無免許運転など日常茶飯事。証拠になるような写真や動画はあちこちにある。テレビで報道される大半の少年犯罪は氷山の一角だ。

「よーし、お前らここラブホな。おら、利用料一人五千鈴円な」

「ははっ、この子に払うの?」

「いーから押さえろって」

 伸びてきた腕に掴まれて、深桜は慌てて振り解こうとする。

「やめろ! 僕は男だ!」

「おー可愛いじゃん。なに? 今ってそういうアニメキャラがブームなの? 君いくつ? まさか小学生とか?」

 力が強い。気の早い一人は既にベルトを緩めている。まずい、まずい、と深桜は恐怖を抱く。

「うわっ、ちょー可愛いじゃんその涙目。最高だわ。おい誰か動画撮れよ」

「売れるって、コレ」「取り分寄越せよな」「ってかこの子まじ可愛いわ。ぜってーヤリマンだろ」「緩そーだな、まあいいけど」

「やめろ! 離せっ、ふざけるな!」

 ジャンパーを脱がされ、履いていたジーンズのベルトに手がかけられた瞬間、今まさに男根をいじっていた少年が吹っ飛んだ。

 放物線を描いて深桜を飛び越え、反対側に落ちる。白目を剥いて痙攣しており、蹴られた男根がグロテスクに潰れていた。少年たちは酔っ払った顔を後ろに向ける。

「見たとこ十七かそこらか? 高校生なら社会のルールくらいわかるんじゃないのかな」

 そこにいたのはミディアムヘアの癖っぽい金髪の女。背が高く、身に纏う赤いトレンチコートが様になっていた。どう見ても真っ当な人間ではない。マフィアの女ボスという表現が最も近いのだ。

「んだよババア。すっこんでろ」

 女は煙草を咥えて、そして滲むようにしてその存在を主張していた銀髪の少女が、セミロングの髪を風にさらしつつ女の煙草に火をつけた。銀髪の少女はカラーコンタクトでもしているのか、目が赤い。


「忠告も警告もしたぞ。最後通告だ。失せろ」


 ドスの利いた声。低く唸るような、恐ろしいものだ。

「やってみろや」「俺らは屠平組とびょうぐみの組員でもあるんだぞ」「お前もそこのガキも便器にしてやんよ」

「人間相手は専門外だが……まあいい。死なない程度にわからせてやれ」

「はい」

 ナイフを抜いた少年たちがにじり寄る中、銀髪の少女が動いた。

 急加速からの正拳突きで一人が地面と水平に飛んでいき、遠くのフェンスに激突。間をおかずに隣の男へ肘が叩きつけられ、脇腹に食い込んだ一撃で彼は壁に叩きつけられて昏倒。残った二人のうち一人が奇声をあげて切りかかるも、少女は手の甲でナイフを逸らして股間を蹴り潰す。

 一瞬で仲間を失った少年は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。

「屠平組ならしってるさ。組長と顔見知りだから。彼らは未成年の組員なんて持ってないし、そもそも名前を変えて今は金融会社になってるよ。まあ、極道の名を騙った代償がこの程度でよかったな」

「ふっ、ふざけんな! こんなの、ぼっ、暴力事件だろうが! 訴えてやる!」

「好きにしろ。法泉ほうせん県警にも知り合いはいるし、私のお抱えの顧問弁護士は裁判大国タイタン合衆国で数々の実績を勝ち取った敏腕だ」

 少女が少年の胸ぐらを掴み上げ、片手で持ち上げた。

「なっ、なんだよ!」

「まだ反省の言葉を聞いていません」

「ふざけんなよ! 加害者に謝るなんてどうかしてるだろ!」

「私にではなく、彼への謝罪です」

 突然のことで呆然としている深桜は、ようやくたった今起きたことを処理し、現実に帰ってきた。

「強姦未遂。未遂とはいえ立派な犯罪だ。私らを訴える前に、まずは自分たちが訴えられた時のことを考えたらどうだ。言っておくが、この国の刑事裁判の有罪判決はほぼ一〇〇パーセントだぞ」

「あ、ぁ……な、なあ……ごめん、謝る。なんでもする。許してくれ」

 深桜は吊り下げられたまま許しを乞う少年を見て、首を横に振った。

「少年法を盾にろくな罰が下らないのが実情ですよね」

「そうだね。強制わいせつの少年犯罪は六ヶ月以上、十年以下の懲役だ。君が望む罰じゃないだろう」

「ええ。僕は最大限の恩赦で終身刑だと思ってます」

「ざけんなてめぇっ! 下手に出てれば図にのりやがって! このクソアマ、おろせ! 殺してやる!」

 怒鳴り声は路地を越え、外にも響いた。偶然、不運か幸運か、巡回中の警官が気づいて駆けつけてくる。

「そこのお前ら、何してる!」

「セラ」

「はい」

 セラと呼ばれた銀髪の少女の目が、赤色からブラウンに変わったのを深桜ははっきりと見た。

「たっ、助けてくれ! こいつら俺らを殺そうとしたんだ!」

 少年がそう叫んだ。周りの惨状を見て、そして無線通信。赤いコートの女はため息をついて、それから深桜に言った。

「黙秘していろ。いいな。悪いようにはしない」

 深桜は黙って頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る