リーナが第一高校に来てから、今日で1週間。彼女はこの1週間の内に、全校生徒で彼女を知らない者はいないという存在にまでなった。
これまで第一高校でトップの美少女といえば、上級生も含めて満場一致で深雪のことを指していた。しかしリーナが編入したことで“女王”が“双璧”となった。深雪と共に行動する機会が多かったことも、その評価が広まっていった要因だろう。
しかしリーナがそれだけ話題を呼んでいるのは、その美しさだけが要因ではなかった。
「ミユキ、行くわよ」
「いつでもどうぞ、リーナ。しんちゃん、カウントお願い」
「ほいほーい」
3メートルの距離を開けて向かい合う深雪とリーナ、そして2人の横に立つしんのすけ。
深雪とリーナの間には、直径30センチほどの金属球が細いポールの上に乗っている。実習室には同じ器具がズラリと並んでいるのだが、クラスメイトの全員が手を止めて彼女達の様子を見守っていた。サファイアよりも蒼く輝く瞳に陽光に煌めく黄金の髪と、黒真珠よりも黒く澄んだ瞳と夜空よりも深い漆黒の髪というコントラストが織り成す魅惑の光景ではあるが、何も彼らはそれに見惚れているだけではなかった。
今回の実習の内容は、同時にCADを操作して中間地点に置かれた金属球を先に支配した方の勝ちという、魔法実習の中でもシンプルかつゲーム性の高いものだ。シンプルだからこそ、互いの単純な実力差が如実に表れる。
「それじゃ、行くゾー。3、2、1――」
しんのすけが“1”と口にすると同時に、深雪とリーナが据置型のCADのパネルに手をかざした。
「ゴー!」
最後の掛け声だけ深雪とリーナも声を揃え、その瞬間に深雪はパネルに指でそっと触れ、リーナは掌をパネルに叩きつけた。対照的な起動動作をする2人だったが、2人由来による眩いサイオンの光がほぼ同時に対象の金属球の座標に重なり合って爆ぜた。外部からの魔法的干渉を抑制する技能が未熟な生徒が、一斉にこめかみを押さえたり首を振ったりする。
しかしそれも一瞬のことで、サイオンの光が消えた次の瞬間、金属球はコロコロとリーナの方へと転がった。
「あーっ、また負けた!」
「フフッ、これで私が2つ勝ち越しね」
途端に悔しそうな表情を見せるリーナに、深雪はどこかホッとした笑みでそう声を掛けた。
周りの生徒が、一斉に感嘆の声を漏らした。それはアメリカからの留学生に勝利した深雪に対するものであると同時に、そんな彼女に真正面からぶつかって“たった2つの負け越し”で食らいつく留学生に対するものでもあった。
そもそも深雪は、先月から始まったこの実習で1回も負けたことが無かった。圧倒的な強さでクラスメイトを寄せ付けず、互いに実習の意味が無いと教官が認めざるを得ないほどである。それを聞きつけた新旧生徒会役員(プラス風紀委員長)が深雪に勝負を挑み、そして見事に返り討ちに遭ったという逸話まで存在する。
そんな深雪を相手に、留学生が互角の勝負を演じている。この事実だけでも、如何にリーナの魔法力が優れているか分かるだろう。
先の試合も深雪が勝ちこそしたが、それを見ていた誰もがスレスレでの勝利だと感じた。術式の発動はむしろリーナの方が早かったが、干渉力で深雪が上回っており、リーナの魔法が完成する前に制御を奪い取ったという流れであり、単純に力量で勝ったというよりも作戦勝ちの印象が強い内容だった。
「今のでは駄目ね。ミユキに勝つためにはもっと早く魔法を完成させるか、干渉されないほどのパワーで押し切らないと」
「あら、そう簡単にいくかしら?」
「余裕があるのも今の内だけよ、ミユキ! シンちゃん、カウントお願い!」
「ほーい」
その後、時間内に行われた勝負は4回でスコアは2対2。
今日の実習は、深雪が2つのリードを保ったまま逃げ切った。
「あぁもう、悔しいわ! これでもステイツのハイスクールレベルでは負け知らずだったのに!」
「でも、リーナも凄いよ。選ばれて留学してくるくらいだから相当な実力者だとは思ってたけど、まさか深雪と互角に競うほどだとは思わなかったもの」
「そう言うホノカだって、精密制御は私よりも上じゃない。さすが魔法技術大国・日本よね」
昼休み、いつもの学生食堂にて。
達也と深雪達のグループにリーナが同席しているが、これは毎日というわけではない。魔法科高校ではかなり珍しい留学生、それも絶世の美少女となればあちこちからお誘いの声が掛かり、リーナも幅広く交流する留学生の流儀に従ってそれを了承していた。なのでこの1週間で達也たちと食事をしたのは初日だけであり、学食で顔を合わせるのも今回が2回目である。
「大人気ね、リーナ」
「ありがとう。皆さん良くしてくれて嬉しいわ」
エリカの褒め言葉に、リーナは照れたり謙遜することなくあっけらかんと答えた。民族性によるものとも考えられるし、あまり周囲の評価にこだわらない彼女の個性によるものとも考えられる。
ちなみに前回の学食での一件については、リーナとしんのすけによる説明が行われて以来、一度として蒸し返されることは無かった。もちろんあの説明で皆が納得しているわけもないのだが、リーナが話した通り明確な証拠が無ければ水掛け論に終始するのがオチだ。なので表面上はそのまま付き合いを続け、その裏で腹の探り合いが行われている状況となっている。
ちなみにそれに気づいていないのは、例によってしんのすけのみである。
「ところでリーナって、放課後は何をしてるの?」
「色々と見学させてもらってるわ。部活動を見させてもらったり、実際に参加させてもらったり」
「もちろん、私が同行してるわ。無用なトラブルは避けたいもの」
リーナの答えに、深雪が横から説明を入れた。彼女の言う“無用なトラブル”とは、おそらく新入生勧誘期間のときのようなものを指しているのだろう。
「とはいっても、どうせ部活に入れたとして大会には出られないんだろう?」
「もっと別の種類の下心がありそうなのよ。――軽体操部の見学をしていたときに、部活の人間ではない人達がうろちょろしていたから問い詰めたら、軽体操部のコスチュームを着たリーナの写真を撮って売り捌こうと思ってたらしいわ」
軽体操部とは重力や慣性を低下させて演技する魔法系競技であり、早い話がトランポリン無しでトランポリンの演技をするようなものだ。ちなみに九校戦の競技の“ミラージ・バット”は、軽体操の発展形の1つである。
心底軽蔑するような表情で溜息と共に吐き捨てる深雪だったが、絶世の美少女だとこのような仕草ですら絵になってしまう。全員が彼女の言動に気分を悪くすることなく、むしろ彼女に同調するように顔をしかめた。
「……写真部なんて、この学校にあったか?」
「美術部の写真チームですよ」
「でもリーナさんでしたら、確かに絵になりそうですね」
「売り捌くのはどうかと思うけどな」
「いやいや、そもそも写真を撮ること自体が駄目でしょうが」
エリカがそう言って、レオの頭を軽く叩いた。漫才のような遣り取りに、皆がアハハと笑い声をあげた。
しかしすぐに、深雪が表情を曇らせた。
「でも部活間でのリーナ争奪戦が気になってきたのよね……。今はまだ水面下での争いでしかないけれど、このまま放っておけば実害が出ることにもなりかねないわ」
「だったらいっそのこと、リーナを生徒会の臨時役員にするという手もあるのでは?」
「そうね……。あなたはどう思う?」
幹比古の提案に深雪は少しだけ思案し、リーナ本人へと話を振った。
リーナは少し考える素振りを見せ、フッと視線を向ける。
そこにいたのは、達也としんのすけだった。
「……そういえば2人って、風紀委員のメンバーなのよね?」
「うん、そうだゾ」
「部活や生徒会も気になるけど、生徒による自治活動ってのも面白そうだわ。今日の放課後、見学させてもらっても良いかしら?」
その提案に、達也は少しだけ迷いを見せた。確かに今日は2人共当番の日だが、どうにも厄介事の匂いがして仕方がない。特にリーナとしんのすけが“共犯者”のような関係を構築している今となっては。
「別に良いゾ。花音ちゃんだったら、多分OKするだろうし」
すると(それを裏付けるように、というわけではないだろうが)しんのすけが二つ返事で了承してしまった。
達也は誰にも聞かれないように、こっそりと溜息を吐いた。
* * *
風紀委員のメンバーは普段からCADの携帯が許可されているが、達也が学校内でそれを使う場面は意外とそんなに無い。CADは元々四系統魔法の補助として開発された道具であり、特に無系統魔法でサイオンを飛ばすような単純な魔法ならばCADが無くてもさほど不自由は無い。
それでも達也が風紀委員での活動で必ずCADを身につけているのは、生徒に対する示威的効果を期待してのものだ。実際のところ牽制効果は馬鹿にできないものであり、4月の頃ならいざ知らず、達也の知名度が上がっていくにつれて(特に九校戦以降)達也の取り締まりに反発するような生徒はみるみる減っていった。
「タツヤ、CADを2つもつけてるの?」
「色々と理由があってな」
本部に寄ってCADを装着するときに、達也とリーナがこのような短い会話を交わした。すっかり見慣れたものとなったことだが、何も知らない者からしたらやはり奇異に見えるだろう。彼女は多少気になった様子だったが特に追及することなく、3人は学内の見回りを開始した。
部活動をしているグラウンドや実習室や実験室などを、時折説明を入れながら回っていく。もしこれが達也とリーナの2人きりだったら達也も多少の気まずさを感じていたかもしれないが、しんのすけが間に入ることでコミュニケーションは円滑に行われた。彼のそういうところは、達也も素直に賞賛している部分である。
「リーナちゃんの通ってる学校って、風紀委員みたいなのって無いの?」
「えっ!? えっと、そのぅ……」
「……1年生の内は、そういうのに疎くても仕方ないんじゃないか?」
「そう! その通りなの、タツヤ! それで1年生の頃からこういう活動に参加するこの学校のノウハウをもっと知りたくてね!」
しかし、なぜだろうか。口裏を合わせているはずのしんのすけによって、リーナが度々窮地に立たされているように達也は思えた。本当に彼はリーナの秘密を守る気があるのだろうか。そして彼女も彼女で、いくら
しかも彼女の場合、しんのすけと会話しながらこちらに探りを入れる気配がまるで隠し切れていない。本人は誤魔化しているつもりなのだろうが、達也からしたら気づいているのを逆にこちらが誤魔化すレベルである。
さらに同じ気配で挙げると、話題の留学生を連れ歩いているせいで道行く生徒達からの視線がなかなかに痛かった。こちらは留学生を前にみっともない姿を見せられないと考えていたのか、実力行使に及ぶような者がいなかったことが救いである。
そんなわけで、結局のところ達也は気まずさを覚えながら見回りをする羽目になっていた。
そうして実験室が並ぶ特殊棟の端、裏庭に降りる階段の踊り場でリーナがふいに足を止めた。
「おっ、どうしたのリーナちゃん? 休憩する?」
「いいえ、大丈夫よ」
しんのすけの提案を、リーナは若干ぎこちない笑みを浮かべて断った。
そして何かを逡巡するような仕草を見せたが、やがて達也へと向き直る。
「ねぇ、達也って
「そうだけど?」
正面切って言われたのは随分と久し振りだな、と達也は何だか懐かしむ心地になっていた。
「A組のみんなと制服が違うからなんでだろうと思ったから、ミユキに訊いてみたの。そしたらミユキ、もの凄く不機嫌そうな顔で教えてくれたわ。――二科生って、その、一科生の人と比べて、実力で劣るって意味なのよね? でもホノカの話だと、タツヤは一高でもトップクラスの実力者だって聞いたわ」
「…………」
達也が無言で話の続きを促すと、リーナは意を決したように再び口を開いた。
「タツヤは、なんで劣等生の振りをしてるの? 劣等生の振りをしているのに、どうして簡単に実力を見せちゃうの? タツヤのやってることは凄くチグハグで、なんでそういうことをするのか分からないわ」
成程そういうことか、と達也はリーナの言いたいことを知って微笑を浮かべた。
「フリなんてしてないよ、本当に俺は劣等生なんだ。実技試験で評価されるのは、国際基準と同じく“速度”と“規模”と“強度”の3つだ。だが実戦の評価はそれだけでは決まらない。肉体の能力なども勝敗を分ける重要な要素だからな」
「実技の成績は悪いけど喧嘩は凄く強い、ってのが達也くんですからな」
達也の説明を受け継ぐ形でそう言うしんのすけに、達也は思わずフッと笑みを漏らした。実技では3位以下を大きく引き離して深雪の次点に付けている彼からしたら、ほとんどの生徒が『実技の成績は悪い』になるだろうに。
一方リーナは、達也の説明に一応は納得したようだ。
その代わり、別の質問が達也にぶつけられる。
「……タツヤは、もっと別の場所に行きたいって思ったことは無いの?」
「別の場所?」
「そう、自分の実力が正当に評価される場所。私の国でも国際基準が主流だけど、そうじゃない所だっていっぱいあるわ。ステイツは自由の国で、多様性の国でもあるもの。たった1つの物差しに合わないからってだけで補欠扱いされるくらいなら、もっと自分の実力を評価してくれる所に行きたいとは思わないの?」
リーナの質問は、言外に自分の国へ達也を招待する旨が含まれていた。
思いがけない提案に、達也はどう返事しようか頭を巡らし、
「達也くんが凄いのは、オラ達がよく知ってるゾ」
「――――へっ?」
思いがけないタイミングで横から割り込んできたしんのすけに、リーナが、そしてそれ以上に達也が驚きを露わにした。
「達也くんは勉強が凄くできて、オラが質問するといつもすぐに答えを教えてくれるんだゾ。それにCADにも凄く詳しくて、オラが使ってるヤツは達也くんがメンテナンスしてくれているんだゾ。初めて見た魔法もすぐに見破って解説してくれるし、深雪ちゃんとかほのかちゃんとか女の子にもモテモテなんだゾ」
「へ、へぇ、そうなの……」
「オラ達1年生だけじゃなくて、達也くんを知ってる色んな人が凄い凄いって褒めてるゾ。――学校の成績がどれだけ悪くても、オラ達には関係無いゾ」
しんのすけの話を聞いて、リーナは達也へと視線を向けてニッコリと笑みを浮かべた。
もっともそれは、多分にからかいの意を含んだものだったが。
「あらあら、ここだって充分に“自分の実力を評価してくれる所”だったってわけね。ごめんなさいねタツヤ、余計な気を回しちゃって」
「…………」
やはり今のしんのすけは、自分にとって敵だ。
達也は自分の胸に湧き上がる気恥ずかしさに蓋をして、そんなことを考えていた。
* * *
「お帰りなさい、リーナ」
「シルヴィ、先に帰っていたんですか」
「もう夜ですよ?」
リーナが生活拠点であるマンションの部屋に帰ると、補佐役兼同居人のシルヴィア准尉が待ち構えていたように玄関で出迎えた。色々と寄り道していたリーナは返された言葉に小さく苦笑し、荷物を片手に制服姿のままダイニングへと移動する。
すると、
「ミア、来ていたんですね」
「は、はい、お邪魔しております、少佐」
若い女性がリビングのソファーから立ち上がり、緊張した面持ちでリーナを出迎えた。
「座ってください、ミア。シルヴィ、お茶をお願いします」
「ミルクティーで良いですね? ミアもお代わり如何ですか?」
「あっ、はい、いただきます」
リーナの気遣いとシルヴィアの問い掛けに、ミアは恐縮した様子で頭を下げた。
彼女の名は、ミカエラ・ホンゴウ。リーナと同じ日系アメリカ人だが、外見は少し肌が浅黒いくらいでほとんど日本人と区別がつかない。
彼女はリーナ達よりも一足早く日本に送り込まれた諜報員の1人だが、本職のスパイではない。彼女の本職は放出系魔法を研究する国防総省所属の魔法研究者であり、11月に行われたブラックホール実験にも参加していた才媛だ。結果が芳しくなかったダラスの実験に代わる“対消滅ではない質量のエネルギー変換”の糸口を求めて、今回の任務に志願したのである。
多くの魔法研究者と同じく彼女自身も魔法師であり、今月から共同研究の名目で来日した偽学生とは別口で、先月初めからマクシミリアン・デバイス日本支社のセールス・エンジニア“本郷未亜”として魔法大学に潜り込んでいる。ちなみに住まいは、リーナの隣の部屋である。
「何か分かりましたか?」
「公的なデータベースを洗い直してますが、今のところはまだ新しい情報は何も」
「そうすぐに結果が出るものでもないですしね。――ミアはどうですか?」
「こちらもまだ、これといって……。すみません」
お茶のおかげで若干落ち着いたように見えたミアが、再び緊張で縮こまってそう答えた。
ここまで過度に緊張されるのはリーナとしても不本意だが、研究者と戦闘員という違いはあるとはいえ、相手はミドルティーンながらUSNAの魔法師のトップに君臨する“シリウス”だ。これでも最初の頃よりは随分と改善した方だ、とリーナはむりやり自分を納得させた。
「リーナは如何です? 少しはターゲットと親しくなりましたか?」
「少しは親しくなった、と思います」
「そうですか、それは何よりです。――もっとも、野原しんのすけの方とは随分と親しくなったようですが」
シルヴィアがそう言ってリーナが持っていた荷物に視線を遣ると、彼女はまるで勉強をサボって遊んでいたのがバレた子供のように、気まずそうな顔でピクリと肩を跳ねさせた。
その荷物は店のロゴが印字された買い物袋であり、日本全国にチェーン展開するホビーショップのものだった。映像コンテンツは今やオンデマンド配信が主流で物理ディスクはほとんど見掛けなくなったが、フィギュアやプラモデルなどは今でも現役で販売されており、その手のマニアも多数存在する。
「……例によって、アクション仮面ですか?」
「はい! 見てください、この造形美! このバランス! この躍動感! マントが風にはためく一瞬を切り取ったこのフォルムなんて、まさしく葛飾北斎の“冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏”が如き芸術品ですよ! これほどまでの一品が平然と棚に並んでいるなんて、日本人のサブカルチャーに対するこだわりにはただただ敬服するのみです!」
「分かりました、とりあえず落ち着いてください。ミアが驚いてますよ」
頬を上気させて目をキラキラさせて熱弁するリーナに、シルヴィアが呆れを隠す素振りもせず溜息を吐き、ミアは初めて見るシリウスの姿に唖然としている。
そしてリーナはそんな2人を見て、恥ずかしそうにすごすごとソファーに座り直した。
「……まぁ、野原しんのすけと敵対するよりはずっと良いですし、ターゲットとの外堀を埋めるという意味でも有用でしょう。やはり“秘密”を共有するというのは、仲を深める重要なエッセンスとなるのですね」
「シルヴィ」
「分かっていますよ、リーナ。無理に訊こうとはしませんから」
やはり“秘密”のこととなるとガードは固いか、とシルヴィアは素直に引き下がった。
とはいえ、彼女にも譲れない点はある。
「リーナ、分かっていると思いますが、我々は任務のためにこの国に来たのです。――それだけは、忘れないでくださいね」
「はい、もちろんです。私はスターズ総隊長、アンジー・シリウスなのですから」
まっすぐな目で言い放つリーナに、シルヴィアは安心したように微笑んだ。
そしてその隣で、ミアが居心地悪そうに縮こまっていた。
* * *
日付が変わる頃、都心の路上には車の姿は無く、代わりに若者の騒ぎ声で溢れていた。
自動運転・個別輸送のキャビネットは24時間運行しており、地下に張り巡らされた
そんな馬鹿騒ぎの街の真ん中で、トレーナーにジャンパーという真冬とは思えない軽装で歩くレオの姿があった。その足取りは“どこか目的地を定めて進む”というよりも“宛ても無くフラフラとさ迷う”といった不確かなものだった。
レオは現在、彼が持つ悪癖である“放浪”を行っていた。彼は時々、深夜が近づくにつれて、思いつくままにフラフラと歩きたくなる衝動に駆られることがある。今日みたいに都心を歩くこともあれば、郊外にまで足を運ぶときもあるし、時には山奥にまで入り込むこともある。
レオはこれを、自身の遺伝子に刻まれた本能だと思っていた。
彼の祖父は、世界で最初に遺伝子操作による魔法師調整技術を実用化したドイツの最初期に開発された“
ブルク・フォルゲは肉体の耐久性向上に重きを置かれた調整体だ。“魔法を使える超人兵士”を目指し、人間より遥かに頑丈な大型哺乳類を参考にした遺伝子改造を施された。その無理な遺伝子操作によって第1世代の多くが幼少期に死亡し、成長後も大半が発狂して死んだ。
レオはその明るい性格からは想像もつかないが、いつか自分も同じように狂ってしまうのではないか、という恐怖を抱えていた。そこで小さな衝動をこまめに解放することにより、大きな衝動に心が押し潰されて壊れるのを先延ばしにしようと思い、こうして深夜に放浪するようになった。自由に生きて天寿を全うした祖父の姿が、彼をそうさせたのだろう。
そのような事情により、今日彼が渋谷にやって来たのはまったくの偶然だった。
「あれっ? エリカの兄貴の警部さん?」
擦れ違った相手がたまたま顔見知りだったために、何となく声を掛けた。レオにとっては、その程度の認識でしかなかった。
しかし次の瞬間、主に若者が
「君、ちょっと一緒に来てくれ」
「えっと、稲垣さんだっけ? 何スか急に」
「いいから」
今にも舌打ちしそうな表情でレオの手首を掴んできた稲垣に、レオは何が何だか分からないまま引っ張られるようについていった。レオの力なら簡単に振り解くこともできたが、彼の切迫した雰囲気がそれを躊躇わせた。そしてレオが元々声を掛けた人物・千葉寿和は、そんなレオの後ろにぴったりと貼りついて移動する。
レオが連れ込まれたのは、路地奥にある小さな酒場。看板には“BAR”と書かれているが、横文字にする必要性を感じない居酒屋だった。カウンターの奥でグラスを磨いていた主人に軽く声を掛け、突き当たりの階段を昇っていく。
辿り着いたのは、小さな丸テーブルに4脚の椅子を置いただけでいっぱいになるほどに狭い部屋だった。ご丁寧に入口には宇宙船にあるようなハッチまで備えつけられ、3人が部屋に入ったところで稲垣が両手を使ってハンドルを回し、機密性の高い扉をしっかりとロックした。
「西城くん、だったね。ちゃんと気配は消していたつもりだったんだけど、よく分かったね」
「……ひょっとして、捜査の邪魔しちまいました?」
「いやいや、そういうわけじゃないよ。気配を消していたのは、無意味なトラブルを避けるためさ。深夜のここは、何かと警察が目の敵にされるからね」
「あぁ、確かにそんな感じッスね」
納得したように深く頷くレオの態度は、若者よりも警察の方にシンパシーを抱いていることを示していた。それを見た稲垣が、この部屋に来てからずっと鋭くしていた目つきを幾分か和らげる。
「それにしても、こんな時間にこんな場所をうろつくなんて、魔法師とはいえ随分と危ないんじゃないかい?」
「こんな時間ってのは言い訳できないスけど、ここに来たのはたまたまですよ。そんな気分だったってだけで、いつも来てるわけじゃないです」
「ふーん。最後にここに来たのはいつ頃だい?」
「えーっと……、大晦日も確かここだったかな?」
「2週間ほど前か……。じゃあ、都内の繁華街で奇妙な事件が起こってるのは知ってるかな?」
寿和が口にした話題は現時点で報道規制が掛かっているものだったが、稲垣は止めようとはしなかった。どうせ数時間後には“スクープ”として知れ渡ることになるのだから。
「奇妙な事件? それこそ、毎日起こってるんじゃないですか? ――っていうか、警部さんって横浜の担当じゃなかったっけ?」
「俺達は警察省所属なんだ。日本全国をあちこち異動してるよ。というわけで、今は都内の連続変死事件を捜査中だ」
軽く口にした言葉であったが、レオはそれを聞き逃さなかった。
「……“変死”? 猟奇殺人ってことッスか? しかも連続で?」
「……西城くん、やっぱり君は賢いね」
寿和は目をギラリと光らせ、稲垣に目配せした。
すると彼は無言で携帯端末を取り出し、画像ファイルをレオに見せた。スライド形式に切り替わっていくそれに、さすがのレオも息を呑んだ。
「最新の犠牲者は3日前、場所は道玄坂上の公園だ。死亡推定時刻は、午前1時から2時の間」
「こんな都会の真ん中でか?」
「昼間だったらそうだろうけど、夜は何が起こってもおかしくないよ、この街ではね。――そこで訊きたいんだけど、妙な奴に心当たりは無いかい? 噂に聞いたってだけでも良いんだけど」
「夜中にここを
「それが分かれば苦労しないんだが……」
寿和は考え込むように視線を逸らし、そしてすぐにレオへと戻した。
「さっき見せた変死体だが……、死因は7人全員が衰弱死で、かすり傷以上の外傷は無し」
「外傷が無いってことは、毒か?」
「ところが薬物反応は陰性、おまけに傷は無いくせに体内の血液が1割ほど失われている」
「……成程、確かに“変死”だ。猟奇殺人というより、怪奇現象だな」
「随分とオカルトじみてるけど、残念ながら全てリアルの出来事だ。――さて、こういうオカルトじみた真似をしでかしそうな奴らに心当たりは無いかな? 特に最近余所から流れてきた連中で、妙な噂が立っているような連中とか」
質問される前からレオは腕を組んで唸り声をあげるが、やがて諦めて腕を解いた。
「悪いけど心当たりが無いッスわ。ダチから情報仕入れてきますよ」
「いやいや、そこまですることはないよ。ここからは警察の仕事だし、下手なことして目をつけられないとも限らない」
「でも警部さんが夜の渋谷で聞き込みって、かなり難しいんじゃねぇの?」
「…………」
レオの指摘は、寿和達にも重々分かっていることだった。でなければ、知り合いというだけで捜査情報をペラペラ喋ったりはしない。
「危険なことに首を突っ込むつもりも無いッスよ。これでも鼻は利く方なんで」
「……そうかい? それじゃあ」
「警部!」
さすがにこれ以上はまずいと思った稲垣が声をあげるが、寿和はそれを無視して懐から名刺を取り出した。
「何かあったら、ここにメールしてくれ。キーの手入力は最初だけで、2回目からは自動的に更新されるから」
「厳重ッスね。んじゃ、何か分かったら知らせるんで」
レオはそう言って立ち上がると、稲垣が両手を使って閉めた機密ロックのハンドルを片手で軽々と回して部屋を出ていった。