歴代総理が頼ったロシア通・鈴木宗男が語る 日本のメディアが伝えない「プーチンの素顔」「ゼレンスキーの怠慢」

宗男が吠える(前編)
田原 総一朗, 鈴木 宗男 プロフィール

鈴木 そう言って涙をポトッと落としたところ、背もたれ椅子に座っていたプーチン大統領が前かがみに姿勢を変え、テーブルに手をついて真剣に話を聞いてくれたのです。

そこで私は「日本では4月29日からゴールデンウィークという長期の休みがある。次期総理はこの時期にロシアを訪問したい」と切り出したところ、プーチンさんが自ら手帳を出して「4月29日に、サンクトペテルブルクで世界アイスホッケー選手権がある。私がホストだ。そこに次期森総理をご招待しよう」と言って即座に日程を決めてくれました。このときあらためて「この人は人情家だな」と感激したものです。

ゼレンスキー大統領の不作為と怠慢

田原 2月24日、プーチン大統領のロシアがウクライナに軍事侵攻しました。なぜこんなバカなことをやったんですか。

鈴木 私はもちろん軍事力による侵攻はあってはならんと思います。ただし、ここに至るまでの経緯をしっかり踏まえなければいけません。

ゼレンスキー大統領 Photo by GettyImagesゼレンスキー大統領 Photo by GettyImages

田原 どんな経緯か教えてください。

鈴木 2019年5月、ゼレンスキーがウクライナの大統領になってからおかしくなったのです。ウクライナ東部で、親ロシア派の武装勢力とウクライナ軍による軍事紛争が起きていました。2014年9月のミンスク合意によって、ロシアとウクライナは和平合意を結びます。

田原 ミンスクとはベラルーシの首都ですね。

鈴木 それでもまだ紛争が治まらなかったため、プーチン大統領とウクライナのポロシェンコ大統領が、2015年2月に2回目のミンスク合意を結びました。ところが2019年5月にゼレンスキーが大統領に就任すると「ミンスク合意なんてオレの時代に作ったものではない」「オレはオレの考えでやる」と言い始めたのです。

大統領就任直後は75%もの支持率を誇っていたのに、彼は政治経験がない素人ですから、翌年には支持率は30%台まで落ちてしまいました。

田原 2021年の支持率なんて、わずか17%です。

鈴木 政権への求心力を回復したいがゆえに、ゼレンスキーはNATO(北大西洋条約機構)の軍事同盟に加入したいとか、さまざまな行動を起こしました。
 

 

田原 東西冷戦時代、ウクライナは完全にソ連領でした。そのウクライナがロシアと袂を分かってNATOに加盟すれば、ロシアは大変な危機感を覚えます。

鈴木 ウクライナ戦争を考えるにあたり、ベルリンの壁崩壊(1989年11月9日)と統一ドイツの誕生(1990年10月3日)、ソ連邦解体(1991年12月25日)の30年を振り返らなければいけません。統一ドイツができたとき、ドイツのコール首相はソ連のゴルバチョフ大統領に「西ドイツが東ドイツと統一しても、NATOの東方拡大はこれ以上やらない」と約束しています。アメリカのベイカー国務長官もゴルバチョフに「NATOの東方拡大はない」と約束しました。

ゼレンスキーがその約束を破ってNATOに加盟すれば、ロシアにとっては自分の庭先までNATO軍が迫り、銃口を向けられているようなものです。ウクライナは旧ソ連の中では一番裕福な国でした。小麦はよく穫れるし、ヨーロッパで一番大きいザポリージャ原子力発電所もある。宇宙基地もありますし、戦略上極めて大事な場所なのです。

田原 バイデンもNATO諸国も「まさかプーチンが軍事介入なんてしないだろう」とロシアをバカにしていたんじゃないですか。

鈴木 ウクライナ侵攻の3日前にフランスのマキロン大統領とドイツのショルツ首相が会談を申し入れましたが、ゼレンスキーは返事をせず3日間放置しました。彼がようやく「会談の席につこう」と連絡したのは、侵攻の日の朝です。もちろんロシアの軍事侵攻は許されることではありませんよ。でも戦争を未然にストップできなかったのは、話し合いを無視したゼレンスキーにも問題があると思います。

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