なんでも挑戦してみること。
己の中の何かが
目覚めることがありますよ!
なんでも
挑戦してみること。
己の中の何かが
目覚めることが
ありますよ!
文芸書編集部 副編集長
眞田 尚子
1999年に入社後、Myojo編集部に配属され、数多くの人気タレントを担当。2011年、社内異動により青年マンガ誌「ジャンプ改」(現在、休刊)の創刊メンバーとして甲斐谷忍氏、増田こうすけ氏を担当。2014年、小説すばる編集部に異動となり、現在は文芸書編集部副編集長をつとめる。
※メッセージは2018年12月時点の内容です。
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1999年~2011年
「Myojo」
多くの人に出会い、学んだMyojo編集部時代
入社時の志望は青年マンガ、それから文芸にも興味がありました。当時は新人研修期間に2週間の現場研修があって、私は文芸編集部でお世話になったんです。そのときの編集部の方々に大変親切にしていただいて、憧れの作家さんに会わせていただけたんです。五木寛之さんや椎名誠さんやたくさんの先生方にお目にかかって……。「楽しいな。文芸いいな~」って単純に思いましたね。でも、実際の配属はMyojo編集部。当時テレビはほとんど見ていなかったし、好きな芸能人は立川談志師匠だし、やっていけるのかな、ってとにかく不安でした。
初めのころは、向いていないな~と落ち込むことの連続でした。取材先でもタレントさんにどのタイミングで話しかけたらいいか、どんな質問をしたらいいのかわからないし。逆にタレントさんに気を遣われて「お互い新人同士、頑張ろうな」って励ましてもらったこともあるほど(笑)。
でも「Myojo」で取材するタレントさんは中高生が多いし、自分も若かったから同じ目線で話ができたので、慣れるにしたがい楽しくなってきましたね。マンガの話で盛り上がったり、取材では一緒に富士山に登ったり、菜の花畑で柔道技をかけられたり(笑)、いろんな思い出があります。振り返れば、青春期だったなと思います。
Myojo時代にものすごくたくさんの人、タレントさんやマネージャーさん、TV局の方などにお会いして、仕事をするなかで学んだことがあります。それは、どんなときもフラットに、ニコニコ明るくしゃべっていれば、他人は自分のことを「簡単に好きにもならなければ、嫌いにもならない」ということ。普通はどっちでもないんです。だから、ちょっとしたことでクヨクヨする必要はない。そう思えるようになってからは、どんな方にお会いするのも怖くなくなりました。あとは一生分の美男美女に会いましたね(笑)。眼福の限りでした。
「Myojo」の取材でタレントさんと富士登山。タレントさんは見事、頂上まで登りましたが、私は8合目で断念。ツラそうに登っているところをカメラマンさんが上から激写。
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2011年~2014年
「ジャンプ改」
女性たったひとりの、青年マンガ誌編集部員に!
2010年の終わりごろ、ちょうど「ガールズジャンプ」という増刊が出たんですね。それをつくっている第4編集部(青年マンガ誌グループ)の部長が、元のMyojo編集長だったんです。たまたま久しぶりにお話をする機会があり「『ガールズジャンプ』が創刊するなら、私も行きたいな~」とは言ったのですが……。まさに、ひょうたんから駒で、2011年の6月、のちにジャンプ改編集部となる新雑誌準備室へと異動になりました。
「ジャンプ改」時代の担当作品。増田こうすけさんの『神々と人々の日々 ギリシャ神話劇場』。
もともとマンガは大好きでしたし、12年間いた芸能誌を離れて心機一転、「新しい分野で頑張ろう!」と意気込んでスタートを切りましたが、最初は「何もできない」状態でしたね。編集部には女性社員は自分ひとりでしたし、周りにも気を遣わせたと思います。でもマンガは面白かったですよ。担当させていただいた甲斐谷忍さん、増田こうすけさん、斉木久美子さん、大好きでした。でも思いがけず「ジャンプ改」は3年ほどで休刊になってしまって。正直、まだまだマンガ編集の仕事を勉強したかった思いもありました。
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2014年~現在
文芸編集部
新しいスタートには幸運が埋まっていた!
「ジャンプ改」の後は、「小説すばる」に異動しました。もともと文芸に憧れはありましたが驚きのほうが大きかったです。同時に「また一から、全然わからないことを始めるのか」という思いもよぎりました。でも運がよいことに、異動後すぐに担当した中村理聖さんが『砂漠の青がとける夜』で小説すばる新人賞を受賞したので、その取材対応や単行本化などで、どんどん仕事のスケジュールが埋まっていったんですね。わからないなりにも周りの方に色々教えてもらいながらそうした仕事をこなして、さらに翌年は渡辺優さん『ラメルノエリキサ』、翌々年は青羽悠さんの『星に願いを、そして手を。』と担当作の受賞が続きました。それで「あ、これは頑張らなくては!」という気構えになりました。
文芸では若い作家だけでなく、浅田次郎先生、夢枕獏先生などずっといち読者として愛読していた方々も担当させていただいてます。文芸とマンガは、どちらも対作家の仕事ですが、大きく違う点があります。それは、文芸では他社編集者との関係性も生じてくるということ。ひとりの作家さんに対して出版各社に担当編集者がいらして、みんなで一緒に食事をしたり、旅行にいったりするんです。その関係性が独特かつ勉強になることの連続で、とても楽しいですね(笑)。
4年間在籍した小説すばる編集部から、現在は単行本をつくる文芸書編集部にいます。同じ文芸畑ですが、これまた全然違って、まさに勉強中です。いまはしばらく腰を落ち着けて、文芸書をいっぱい吸収しつくしたいですね。来年1月には私にとって文芸書での第一作目となる青崎有吾さんの作品が刊行になるのでなお一層頑張りたいと思っています。
入社してからこれまでを振り返ってみると、それぞれの部署での経験は、自分では絶対に選び取ることのできない貴重なことの連続だったと思います。Myojoは自分にとって青春期で、やっぱり特別な時期でした。その後も新しい部署でいろんなことを見て、考えて、新しいことを教えていただけて、やっぱり楽しい。私の会社人生は、いまのところ、どこを切っても楽しいしかないんです。
2016年に小説すばる新人賞に輝いた青羽悠『星に願いを、そして手を。』。高校生作家の鮮烈なデビューは話題になりメディア取材が殺到。