釣りとレースと学生ウンド。
共通するものは何か。
寝不足である。
レースは完全プライベーターの場合は特
に。
ゴルフも朝は早いが、プライベーターの
ロードレースは、今はどうか知らないが
1970年代は、夜中まで整備して、仮眠を
取ってから丑三つ時を過ぎたあたりに都内
を出る。
高校の時には四輪免許が無いので、チーム
から借りていた原付や自分のバイクで前の
日(大抵半ドンの土曜の午後)にオフィスに
行く。そして仕上げてトランポに積んで、
仮眠を取る。寝るのはトランポの中か、
ショップ近くのチームメイトの実家。
車を運転してもらうのは先輩かオーナー
なので、眠ってはいけない。それがルール
だった。きつい。筑波は比較的近いのだ
が、富士や鈴鹿はきつかった。
学生になってからは、サテライトではなく
私設チームなのでゆるゆるで、ふんごー
とトランポの中で眠らせてもらい、仲間
やのちのかみさんがトランポのハンドル
握ってた。
釣りは本格的に本腰入れては渓流での毛鉤
釣りしかやらないが、やはり朝が早い。
というか、レースと同じく夜中に出る。
内水面の漁業規則では夜が明けてからで
ないと竿出し禁止だが、夜明けの朝まず
めという時間帯を狙うので、やはり夜中
に家を出る。サーキットと同じく大抵は
釣り場までは何時間かかかるので。
学生ウンドは、単に乗っかりでデモに出る
のと違い、仕掛け人たる活動家であった
ならば常に睡眠不足がつきまとう。ズボラ
な「寝たきり学生」では活動家はできな
い。スット、カットなどのムスケルだけ
でなく、フラクの戦術会議含めてやる事
が沢山あり過ぎるからだ。
そして仮眠を取って部隊を指揮して各拠点
アジトからデモに行く。ゲリラ戦ではない
表の合法カンパニアでは部隊を引率して行
く。現地現場での任務は明確で、役割は
決められている。闘争の一般参加者では
なく、活動家はそれ。緻密にあらゆるケー
スを想定しての方針が細かく決まってい
る。突発的なハネ上がりは無い。なので、
必然的に活動家の活動は共同共謀正犯を
構成する。デモは街頭でも日共代々木あ
たりの提灯デモなどやらない肉弾戦とな
るし、三里塚現地ではゲリラ戦にもなる。
まして原闘を任務とすると、現地駐留の
セクト団結小屋住み込みでの専従となる。
もうこうなるとウンド参加者などではな
く本職の革命家(セクトの戦線員ではなく
党員や準党員、同盟員等)となってしまう
のだが、セクトの本看板は誰にでも背負
わせない。血盟が必要だからだ。人選こ
そ命で、同志は同志を決して裏切らない
し、裏切りは万死に値する。セクトシンパ
やただのデモ参加者やウンドをちょろっと
かじっただけの「大衆」部分とセクトは
てんで別物なのだ。でないとできない。
なぜならば、最終的には国家権力と対決
するのだから。平和を唱えながらも、対
権力二重構造を構築して国体を掌握する
権力闘争をするのが革命党であり革命家
だからだ。当然、常に生死の狭間に身を
置く自覚なくば、セクトに属してウンド
などはできない。ただの学費問題や労働
問題や平和運動や人権運動や反差別運転
などの社会運動とは異なるメルクをもって
いる。最終的には内乱から内戦を起こし、
暴力で暴力装置と対峙してそれに打ち勝
ち、権力を掌握するのが革命だからだ。
明治「維新」のようなもん。
明治「維新」を歴史上の過去の出来事と
してではなく、現代事案としてタイムリー
に実行するのを目指すのが日本の戦後革命
運動だった。日本の真左翼は1955年に日共
代々木とは袂を別った。日共が日本革命の
路線を捨てたソ連スターリニストの出先
でしかないことが判明したからだ。
なので、年代累計で何百万人といた日本
の真左翼は全員が「反ソ」「反日共」で
あったのである。日本の真左翼は世界史の
中で初めて既存の共産党と敵対した左翼と
なり、それは「新左翼」と呼ばれた。
日共は新左翼の事を自分たちに敵対する
からと「帝国主義者のスパイ」と断定して
排撃、攻撃対象とした。新左翼はソ連の
裏切られた革命を指弾したトロツキーに
感銘を受けていたので、日共は新左翼を
トロツキストとレッテルを貼り、徹底的
に排撃した。
(東大全共闘に襲撃をしかける日共と
それを防衛する新左翼混成部隊。68年)
とにかく、学生ウンドを本腰入れてやる
と、睡眠不足が365日つきまとう。
レース、釣り、学生ウンド。
これらは寝不足がつきまとう。
ただ、何に命をかけるか、なのだが、
ウンドとレースには常に死の影がつきま
とう。そこにはある種の共通点がある。
しかし、決定的に違う事もある。
革命運動は死ぬ事もある、として捉えて
いないと本気ではやれない。暴力のぶつ
かり合いだし、対権力の渦中では暗殺も
される。
しかし、レースは死ぬ事を前提としてやっ
てはならないのだ。危険ではあれ、スポー
ツであるのだから。
そして、釣りの場合、私は完全に趣味だ。
ウンドやレースは趣味ではできない。
単純に危険過ぎるから。
でも、釣りは趣味である。
また、普段乗りのオートバイも完全に趣味
である。公道の二輪は危ないが、レースで
の危険とは別な要素の危険であり、それは
回避の努力もできる。
ただ、釣りであろうと、海と山には危険
が伴う。
釣り堀ではないからだ。
闘争については、自身の中では違和感は
一切存しなかった。
源平の頃には白旗に与し、その後は稲村ヶ
崎に三千騎で駆けつけ、赤坂・千早城攻
めでは寄せ手で奮迅し、百年戦争の内戦
時にも戦国戦乱の中にあって争闘の職業
的な担い手だった。
徳川家が治めた時代の最後には、子孫の
好き嫌いとは関係なく倒幕軍として転戦
し、昭和の十五年戦争では中支と南洋に
職業として任じた。
一千年の果てより、時代の中で、常に
「たたかい」と共に我が血脈はあった。
命を賭して成さんとする事に何ら違和感
は無かった。
だが、死を避けて、そうした事と無縁に
ただ生きる事のほうがずっと難しい。
しかし、それを選択したほうが、一般的
には幸せだろう。
そして、「決死」よりも、生き抜く事の
ほうがずっと重要だ。
たとえ、刀を捨ててでも。