嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第63話「あいちゃんの思惑と達也くんの出陣だゾ」

 雫のアクセスコードを使ってVIP会議室に足を踏み入れた達也たちは、警察から受信したマップデータをモニターに映し出した。東京湾沿いに広がる街を一望できるその地図は現在、海に面する一帯が危険区域を示す真っ赤な色に染まっており、そして現在進行形で内陸部へとみるみる拡大していく。

 

「ひっでぇな、こりゃ……」

「こんなに大勢、いったいどうやって……」

 

 レオ達が驚愕で顔をしかめる通り、侵攻速度から見て相当な規模の兵力が注ぎ込まれているのは間違いない。具体的な数値こそ分からないが、少なくとも数百人規模、それこそ600人~800人とされる大隊規模の兵員が投入されている、というのが達也の推測だ。

 達也のしかめ面は目立たない程度だったが、妹の深雪には不安で瞳を揺らすくらいには伝わってしまった。達也はその不安を和らげようと、彼女の頭を軽くポンポンと撫でる。

 

「想像以上に悪い状況ですね……」

「ここに留まっていたら、軍が来るより前に敵に捕捉されるかも」

「でも、交通機関は動いてないんでしょ? それでどうやって街から出るの?」

「海から出るのはどうだ? 沿岸警備隊が瑞穂(みずほ)埠頭に輸送船を向かわせてるってあるぞ」

「いや、それも望み薄だな。出動した船じゃ全員は収容できないだろうね」

 

 美月、雫、ほのか、レオ、幹比古の順でモニターの情報を基にあれこれと議論を交わしていく。幹比古の輸送船に対する意見には、近くで聞いていた達也も同意見だった。

 

「そうなると、やっぱりシェルターに避難するのが現実的だろうな。ここも頑丈に造られているとはいえ、建物自体を爆破されてはどうしようもない」

 

 達也の言う“シェルター”とは、会議場の最寄り駅に存在する地下シェルターのことだ。災害や空襲に備えたもので、会議場にいる全員が避難しても充分収容できるだけの広さがある。しかし今回のような陸上兵力、しかも魔法師による攻撃にどこまで耐えられるかは未知数だ。

 とはいえ先程達也が言った通り、このままここに留まるのが最も危険であることを考えると、素直にそちらに移動するのが得策だろう。

 

「そういえばこの会場って、そのシェルターと地下通路で繋がってるんですよね?」

「よし! だったら今すぐにでも――」

「いや、地下は止めた方が良い。地上を行こう」

 

 今にも駆け出しそうな顔で促すエリカに、達也が「待った」を掛けた。当然出鼻を挫かれたエリカは怪訝な顔を見せるが、即座に納得したように小さく何度も頷いていた。さすがは実戦魔法の名門だな、と達也は口に出さずに感心する。

 どうやら他の面々も地上から行くことへの反論は無いようなので、達也は自身の携帯端末を取り出して電話を掛け始めた。もちろんその相手は、一足早くホールへと向かったよねである。

 しかしながら、10コールほど経っても相手からの応答は無い。眉を寄せて電話を切る達也に、周りでそれを見ていた深雪達も首を傾げる。

 

「出ないのですか、お兄様?」

「そのようだ。まぁ良い、とりあえず向かおう。――それと、デモ機のデータを処分しておきたいんだが、構わないか?」

「だったら、達也くんはそっちに向かってよ。刑事さんにはアタシ達から伝えておくから」

「すまない、頼んだ」

 

 そんな遣り取りを経て全員が部屋を出て、達也(そして当然のように深雪も)とその他とで別方向へと走り出した。

 

 

 

 

「司波」

 

 デモ機が置かれているステージ裏へと向かう司波兄妹に、ずっしりと腹に響くような声が掛けられた。これほど重みのある声を出せる高校生など、達也も深雪も1人しか知らない。

 案の定、その声の主は十文字克人だった。鱗状に重なり合う小さなプレートで表面を覆ったボディアーマーを着用する彼の姿に、強力な魔法障壁を持つ彼ですらそうせざるを得ない事態の深刻さを感じ取る。

 

「ホールを出ていったと聞いたから、避難したものだと思ったが」

「自分達なりに情報を集めてから、念のためデモ機のデータが盗まれないよう消去に向かうところです」

「そうなのか。他の生徒や関係者は既に地下通路へ向かったぞ」

 

 克人の言葉に、達也は困惑を隠せなかった。「任せなさい」と豪語してホールへと向かったよねとは電話が繋がらず、こちらで情報を集めて避難ルートを考えている間に避難が開始されているのだから、話が違うと彼が思うのも当然だろう。

 一方克人は、その反応を別の理由によるものと勘違いした。

 

「地下通路だとまずいのか?」

「……まずいというほどではありませんが、地下通路は直通ではありませんから、他のグループと鉢合わせる可能性があります。場合によっては――」

「遭遇戦の可能性もある、ということだな。確かにその可能性は七草からも挙がっていた。だから沢木と服部らだけでなく、協会が派遣した魔法師も何人か同行してもらっているんだが」

 

 高校生とはいえ、各校の中でも腕利きで構成されている警備隊は実戦面でも相当な実力を有する。そのうえ(先程はホールにゲリラ兵を侵入させる失態を犯したものの)プロの魔法師も同行しているとなれば、現時点での遭遇戦への対策としては充分と言えるかもしれない。

 

「とにかく急ぐぞ」

 

 今は一刻を争う状況であり、状況を確認するにも足を止める余裕は無い。克人が短く呼び掛けて走り出すその言動に、達也たちの意向を認めてその手助けをするという意図を即座に読み取った司波兄妹は、今度は彼の後に続く形で廊下を駆け出した。

 そうしてステージ裏に向かう道中、達也が克人に問い掛ける。

 

「その避難者の中に、現役の刑事である女性の方はいませんでしたか?」

「あぁ、いたな。その刑事と七草とで話し合い、地下通路に避難することを決めたらしい」

「らしい、ということは、その場には十文字先輩はいなかったのですね?」

「あぁ、そうだ。俺は七草から地下通路を通ってシェルターに避難する旨を報告され、同時に遭遇戦に備えて戦力が欲しいと相談された」

 

 克人の返答に僅かに目を伏せて考え込む達也に、並走しながらそれを心配そうに眺める深雪。

 考えを纏めるためにももう少し時間が欲しかったが、その前にデモ機が放置されているステージ裏へと続く扉までやって来た。達也は頭を切り換えると、その扉を開けて中へと足を踏み入れた。

 

「あっ、達也くん」

 

 最初に声をあげて駆け寄ってきたのは、VIP会議室前で別れたエリカ達だった。おそらく彼女達がホールにやって来たときには既に避難が行われていたのだろう、何とも困り果てた様子で達也に助けを求める様子が印象的だった。

 しかし達也はそんな彼女達よりも、その避難グループに混ざらずデモ機を弄る鈴音と五十里、そしてその様子を見守る真由美・摩利・花音・桐原・紗耶香に気を取られていた。

 そしてそれは、克人も同じようだった。

 

「七草達は避難しなかったのか」

「リンちゃんや五十里くんが頑張ってるのに、私達だけ先に逃げ出すわけにはいかないでしょ?」

「ここは僕達がやっておくから、司波くんは控え室の機器を頼めるかな?」

「できれば他校の分もお願いね」

「こっちが終わったらアタシ達も控え室に向かう。今後の方針を決めよう」

 

 真由美が当然のようにそう答え、反論する暇も無く五十里・花音・摩利からの依頼を受けた達也は、仕方なく踵を返して控え室へと向かった。

 そして達也の隣にいた克人も「避難が遅れた者がいないか確認する」と言い残し、同じくその場を去っていった。

 

 

 

 

 デモ機のデータを処分する方法として達也が採用したのは、分解魔法によって情報を記録したパターンを分解してストレージを空にする、というものだ。普通にデモ機を弄るよりも圧倒的に早い時間でデータを削除できるが、分解魔法自体が機密事項なので事情を知らない者に作業を見られたくないのが達也の本音である。

 なので彼は、作業を手伝いたいというエリカ達の申し出を断った。もう少し食い下がられるかと思ったが、魔法師が秘密にしている術式を尋ねるのはマナー違反だという認識が浸透しているためか、彼女達もあっさりと引き下がった。

 その代わりというわけではないだろうが、達也が最後の部屋での作業を終えてドアを開けると、その前にエリカ達が並んで待ち構えていた。盗み見ようとすれば達也が気づかないはずが無いのでその心配は無用だが、それでも一斉にこちらへと視線を向ける様子は達也でも身構える光景だ。

 

「もう終わったのか、さすがだな達也」

「それにしても達也くん、結局あの刑事は何だったの? 自分に任せろって言っておきながら、電話は繋がらないわ先に避難するわ……」

 

 レオの労いの言葉もそこそこに、エリカが不機嫌を露わにした顔でよねへの不満を口にした。おそらく心の中でずっと燻っていて、早く自分にぶつけたくて仕方なかったのだろう、と達也は口元が緩むのを抑えるのにそれなりに苦労した。

 

「エリカ達が行ったときには、もう中の人達は避難していたのか?」

「全員ではなかったけど、ほとんど終わってたから止められなかったわ。多分、アタシ達がホールを出てすぐに避難経路を決めたんだと思う。七草先輩に確認したらそんな感じだったから」

 

 どうやらホール内に残っていた人々の避難誘導を指揮したのは真由美らしい。彼女はあくまで高校生でしかなく、その場には審査員の学者や教師もいたのだが、そのルックスと魔法実績による知名度の高さ、そして何より“七草”の名が持つ力の大きさが考慮された結果だろう。

 

「成程。だとしたら、あの刑事がホールに着いたときには既に話が動いていて、今更取り消せる状態ではなかったとも考えられるな」

「まぁ、確かにそうかもしれないけど、それでも電話くらい出ても良くない? あの場だけでの口約束なのは分かるけど、それでも一応電話はしたんだからさ」

 

 口を尖らせて文句を言うエリカに、達也も同情的な笑みを浮かべた。自分達が集めた情報を伝えようと急いで走ってきたのに無駄骨だったとなれば、確かに文句の1つも言いたくなるだろう。

 慰めの一言でも掛けてやるか、と達也が口を開きかけ、

 

「でもまぁ、僕も少し気に掛かるところはあるよ」

「……どういう意味だ、幹比古?」

「七草先輩に聞いたんだけど、僕達と会話した酢乙女あいって子が避難誘導に凄く協力的だったんだって。地下通路での遭遇戦の可能性も元々は彼女からの助言で気づいたものだし、七草先輩の指示で動くのが不満だったVIPの人達を自ら進んで説得していたみたい」

「えっ、そうなの!? アタシらが情報収集してるのを知ってたんだから、それを待ってからにしてくれって七草先輩に言ってくれても良いじゃない!」

「七草先輩も独自に情報を集めてて、それを彼女にも教えたみたい。だから情報に関してはそれで事足りた、ってことじゃない?」

「だったらアタシ達にもそれを教えろってのよ! あぁもう、これだからお嬢様ってヤツは!」

 

 不満を爆発させるエリカに、他の面々も苦笑いでこそあるが反論の言葉は無かった。もっともエリカ自身も、世間一般の基準に照らせば充分に“お嬢様”といえるのだが。

 そして幹比古の話を聞いた達也は、エリカみたいな不満こそ無かったが、あいに対しての不信感は()()()()。避難誘導に関する情報を達也たちに伝えなかったのは明らかに意図的であり、もしかしたらよねが電話に出なかったのも彼女の差し金による可能性があるからだ。

 

「そういやしんのすけとコージローも見ねぇけど、酢乙女あいと一緒に避難したのか?」

「ボーちゃん達も一緒だったし、多分そっちに付き添ったんだろうね。しんのすけくんとしても、知り合いが無事に避難できるか不安だろうし」

「まさかとは思うけどさ、しんちゃんと一緒に避難したいから邪魔なアタシ達を遠ざけた、とか無いわよね?」

「それはさすがに……無い、とは思うけどなぁ」

 

 エリカの言葉を否定しようとするレオだったが、その口振りは何ともフワフワしたものだった。達也もその可能性を考え、正直なところ充分に有り得る話だと思えてしまっている。

 

「おっ、どうやら終わったみたいだな」

 

 と、どうやら作業が終わったらしい摩利達がこちらにやって来たことで、エリカ達との会話は中断された。

 

「さて、これからどうするか、だが」

 

 摩利が口火を切り、真由美が自身の手に入れた情報を皆に伝える。その内容は少し前にあいに伝えたそれとほぼ同じであり、敵の狙いが魔法協会支部のメインデータバンクだと推測されること、沿岸防衛隊の輸送船は避難者と比べて充分な大きさではないことも変わりない。

 

「状況は聞いてもらった通りだ。シェルターがどの程度余裕があるか分からないが、船を頼れない以上そちらに向かうのが現実的だと思うのだが、どうだろう?」

 

 全体を見渡しての摩利の言葉に、その場にいた者達は次々と賛同を示すように頷いていた。

 レオ達1年生の視線は、達也に集中していた。

 そんな彼らに対して、達也は――まったく別の方を向いていた。

 

「お兄様!?」「達也くん!?」

 

 深雪と真由美の驚く声にも応えず、達也はホルスターからCADを抜いてそれを壁に向けた。

 

 

 *         *         *

 

 

『国際会議場突入部隊から定時連絡無し。――状況を開始しろ』

「了解」

 

 トラックの運転手は、その通信を合図に行動を開始した。

 道路規格が向上したことにより、トラックなどの業務運搬用の車両はより一層の大型化が実現した。このトラックもその恩恵を受けたものであり、高さ4メートル、幅3メートルと元々大型なうえに、何層もの装甲板を取りつけたことで総重量は30トンという規格外である。

 しかしそれは、荷物を運ぶという目的で改造されたものではない。そもそも荷物の運搬に装甲板は必要無い。

 その男は国際会議場を視界に捉えると、文字通り“まっすぐ”建物へとトラックを走らせていく。みるみる近づいていく会議場に、男はそれでもスピードを緩める気配は無く、それどころかアクセルを踏んでエンジンを吹かしながらスピードを上げた。

 あと数秒ほどで、男の乗ったトラックは会議場の壁に激突するだろう。男はにやりと獰猛な笑みを浮かべた。

 

 しかし次の瞬間、男の乗っていたトラックが消失した。

 

「――――!」

 

 トラックが一瞬の内に金属と樹脂の塵と化し、走っていたトラックの慣性に従って運転手(だった男)が空中に放り出された。

 男はそのままの勢いで地面を転がって壁に激突、金属と樹脂の塵もその勢いで壁を叩いたが、表面に細かい傷を作っただけで内部にダメージは無かった。

 

 

 *         *         *

 

 

「……今、のは?」

 

 知覚系魔法“マルチスコープ”によって壁の向こう側の景色を見ていた真由美は、建物に突っ込もうとしていたトラックが突然塵となって消え失せた光景を目の当たりにし、呆然とした表情を浮かべていた。その視線は自然と、トラックが向かってきていた方向へまっすぐCADを突きつけていた達也へと向けられる。

 そんな彼女の反応を受け、魔法科高校の生徒達も恐る恐るといった感じで達也に目を向ける。達也は舌打ちをしたい気分になったが、幸いというか、それどころでは無くなった。

 

「まだ攻撃は続いているわ!」

 

 真由美が叫んだ通り、今度は小型のミサイルが数発こちらに向かっていた。どうやら敵側は、ここに残っている自分達を危険勢力と判断したらしい。意識の一部で他人事のように冷静な思考を展開する傍ら、それとは別の部分でミサイルを迎撃する魔法を編み上げていく。

 しかし今回は、達也が手を出す必要は無かった。情報体次元(イデア)に直接アクセスして視界を拡大していた達也の目には、逃げ遅れた者がいないか会場周辺を見回っていた克人がミサイルに対処しようと動いているのが見えた。

 

 しかし達也が必要無いと判断したのは、克人が対処してくれるからではなかった。

 克人が障壁魔法を展開する直前、ミサイルが空中で突然爆発した。横合いから打ち込まれたソニックブームによるものであり、このような芸当ができるのは国防軍の中でも特殊な兵器に限られる。案の定、会場のすぐ傍にスーパー・ソニック・ランチャーがあった。

 それを確認した達也と真由美が、拡張していた視界を元に戻したそのとき、

 

「お待たせ」

 

 部屋の外から突然声を掛けられ、その場にいた全員がそちらへと顔を向けた。

 そしてそこに立っていた軍服姿の藤林に、達也は覚悟を決めるように秘かに表情を引き締め、残りのメンバーは軍の関係者が突然現れたことにただただ驚いていた。特に彼女と旧知の仲らしい真由美など「えっ? えっ?」と驚きで言葉を紡げなくなっている有様だ。

 しかし、姿を現したのは彼女だけではなかった。同じ国防陸軍の軍服に身を纏い、少佐の階級章をつけた壮年の男性がやって来たことで、達也の表情に浮かぶ緊張感が増していく。

 そんな彼の前まで男性はまっすぐ歩いていき、手を後ろに組んで立ち止まった。

 

「――特尉、情報規制は一時的に解除されています」

 

 彼の隣に立つ藤林の言葉に、達也は姿勢を正して男性に対して敬礼で応えた。その姿を深雪以外の全員が、ちょうど部屋にやって来た克人も含めて驚きを隠せず見つめている。

 達也の敬礼に同じく敬礼で返す男性は、克人の姿を目に留めてそちらへと向き直った。

 

「国防陸軍少佐、風間玄信(はるのぶ)です。訳あって、所属についてはご勘弁願いたい」

「貴官が、あの風間少佐でいらっしゃいましたか。師族会議十文字家代表代理、十文字克人です」

 

 魔法師の世界における公的な肩書きを克人が名乗ったことで、今が“そういった場”であることを悟った周りの面々が緊張で表情を強張らせ、その遣り取りを見守る。

 

「藤林、状況を説明してさしあげろ」

「はい。我が軍は現在、保土ヶ谷駐留部隊が侵攻軍と交戦中。また、鶴見と藤沢より各1個大隊が当地に急行中。魔法協会関東支部も独自に義勇軍を編成し、自衛行動に入っています」

「ご苦労。――さて、特尉」

 

 呼称と共に、風間が顔を達也へと向けた。

 

「現下の特殊な状況を鑑み、別任務で保土ヶ谷に出勤中だった我が隊も防衛に加わるよう命令が下った。国防軍特務規定により、貴官にも出動を命じる。――国防軍は皆さんに対し、特尉の地位について守秘義務を要求する。本件は国家機密保護法に基づく措置であることをご理解されたい」

 

 後半の台詞は、揃って口を開きかけた真由美や摩利に対する牽制だった。厳めしい単語や重々しい口調よりも、その視線の力でもって2人は抵抗を断念する。

 と、部屋に新たな人物がやって来た。風間と同じく軍服に身を包む人物・真田繁留(しげる)大尉が、口を閉ざしたままの達也へと呼び掛ける。

 

「特尉、君の考案したムーバル・スーツをトレーラーに準備してあります。急ぎましょう」

「分かりました。――すまない、聞いての通りだ。みんなは先輩方と一緒に避難してくれ」

「特尉、皆さんには我々がお供します」

「宜しくお願いします、少尉」

 

 藤林に一礼し、達也は部屋を出ていく風間の後に続いた。怒濤の展開についていけないのか、達也を視線で追うものの誰も声を掛けられずにいる。

 その背中に声を掛けることができたのは、彼女だけだった。

 

「――お兄様、お待ちくださいっ!」

 

 張り詰めた声で呼び掛ける深雪に、達也は足を止めて視線で風間に問い掛け、風間は頷きを返して先行した。

 踵を返してこちらを見つめる達也の目の前にまで、深雪が歩み寄る。その瞳の奥に覚悟と決意を感じ取った達也は、姫君に跪く騎士のように片膝を突いた。

 深雪が達也の頬に手を添え、まぶたを閉ざした彼の顔を上へ、つまり自分へと向ける。

 

 そして深雪は、彼の額に優しく口づけた。

 名残惜しそうに唇を離し、彼から少しも目を離さずにゆっくりと後ずさる。

 

 すると次の瞬間、彼の体が眩い光に包まれた。

 皆が思わず目を逸らすその光は、物理的なものではなく魔法の根源と呼ばれる粒子だった。普通では考えられないほどに活性化したサイオンが、達也の体を包み込むように吹き荒れている。やがてその光が収まった後も、サイオンは彼の周囲で静かに渦巻いている。

 

「ご存分に」

「ああ、征ってくる」

 

 スカートを摘んで優雅に膝を折る深雪に、達也は力強く返事をした。

 万感を込めた妹の眼差しに見送られ、達也は戦場となった横浜の街へ出陣した。

 

 

 *         *         *

 

 

 会場から地下通路を通ってシェルターへ避難しようとしているのは、第一高校の生徒や職員、そして複数の学者や観覧客を含めた総勢60名以上にも達する大規模なグループだった。襲撃を受けたのが第一高校の発表直後だったこともあり、応援の生徒数もピークに達していたのである。

 地下通路といっても洞窟のような薄汚い場所ではなく、しっかりと整備されているため幅は広く、非常灯も備えつけられているため明るい。しかしそれは、余計な遮蔽物が無く視界も明るいために身を隠す場所が無いということにもなる。元々自然災害や空襲に対する避難ルートとして作られたので、通路内で戦闘することを想定していないのである。

 

 そんな地下通路を60名以上の大所帯を引き連れて歩くのは、魔法協会が派遣したプロの魔法師、生徒有志で結成された会場警備隊のメンバー、そして千葉県警所属の刑事と名乗る女性だった。その中には克人より同行を命じられた沢木や服部の姿もあり、曲がり角などで視界が遮られる度に動きを止めて安全を慎重に確認しながらゆっくりと進んでいく。

 魔法師は不死身ではない。切られれば血を流すし、撃たれれば当然死ぬこともある。そうしたリスクに対する恐怖と戦いながら、彼らは非戦闘員を守るために我が身を盾にしていた。

 そして現在、彼らは緊張感の中に困惑を綯い交ぜにした複雑な表情で、目の前の光景をつぶさに観察していた。

 

「服部、この状況をどう見る?」

「……眠っている、ように見えるが」

 

 生真面目な性格である服部にしては珍しい返事だったが、生憎と沢木はそれを冗談だと笑うことはできなかった。

 ハイネックのセーターにジャンパーにカーゴパンツという、ホール内へと襲撃したゲリラ兵と同じ服装。戦闘する場所を想定してかハンドガンやコンバットナイフといった近接戦向けの武器を携えたその男達は、おそらくここを通る避難者を待ち構えていたと考えて間違いないだろう。

 しかしその男達が、ことごとく眠りについていた。彼らはホールから直接地下に避難したので分からないが、まさしく会場の正面入口で起こっていた現象とまったく同じことがここで繰り広げられていた。

 とはいえ沢木も服部も、そして集団の矢面に立っていた他の魔法師達も、奴らがここで眠っている理由にまるで心当たりが無かった。つまりそれは自分達にも降り掛かる危険のあるトラップである可能性も否めず、こうして少ない材料からその安全性を見極めるのに時間が掛かっていた。

 

「ねぇボーちゃん、後どれくらい掛かりそうかしら?」

「分からない。けど、いつまでもここに留まるわけにいかないから、それほど時間は掛からないと思う」

 

 そうして予期せぬ理由で足止めを食らっていたグループの中に、あいとボーの姿があった。

 あいは地下通路の床にそのまま腰を下ろして壁に寄り掛かるという、普段の彼女ならば考えられない格好で疲労が溜まった体を休めている。一方ボーはまだ体力に余裕があるのか、彼女の隣で立った状態で壁に寄り掛かっていた。そうして軽く目を閉じながら両腕を組む姿は、何かを考え込んでいるようにも見える。

 

「今になって考えてみれば、別に私は他の皆さんに付き合ってシェルターに避難する必要は無いのよね。自前でヘリ呼べるし」

「それを実際にやっちゃったら、かなりの顰蹙(ひんしゅく)を買うと思う」

「他の皆さんも乗せられるだけのヘリを呼んだら、あるいは……?」

「全員が飛び立つまでの間、ヘリが攻撃されないように誰かが守る必要がある。かなりの負担」

「……まぁ、取り残された人を助けるならまだしも、これだけの人数を、しかも九校分も用意するのは現実的ではないわね。敵からも集中的に狙われるでしょうし」

 

 大きな溜息を吐いて、あいは自身の考えを退けた。どのみち手遅れである以上は詮無い話であるが、こういった会話でもして気を紛らわさないとやってられない気分だった。

 そうして今度は、ボーとは反対側に腰を下ろすサキへと視線を向けた。彼女は背中を丸めて膝を抱え込み顔を伏せているため、傍目にはその表情を窺い知ることはできない。

 

「…………」

 

 あいは彼女を一瞥するのみで声を掛けることはせず、再びその顔を正面へと戻した。

 彼女の口から、ぽつりと「しん様……」と声が漏れた。


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