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この作品「新月の夜なら」は「アサルトリリィ」「田中壱」等のタグがつけられた作品です。
新月の夜なら/時田只人の小説

新月の夜なら

6,048文字12分

お酒を飲んで楽しそうな壱と樟美の話。

いちくすというよりくすいちかもしれない。
ところであの世界お酒とか嗜好品どうなってるんでしょうね。

2022年1月24日 08:17
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 ――シャングリラ 幸せだって叫んでくれよ 意地っ張りな君の泣き顔 見せてくれよ
 
 お酒を飲んだ樟美があっぱらぱーのぱっぱらぱーになってしまったからわたしはどうしてこんなところにいるのだろうと思わず天を仰ぐ。白白と丸い街灯が寒風を透かしてまるで満月のようにわたしの目を焼くものだからその眩しさに目を逸らすと樟美が「みてみて壱っちゃんふぇありーすてっぷ」なんてほにゃほにゃ笑いながら両手を広げてくるくるまわっていた。かわいい。喉元までせりあがった感情はだけどアルコールに浸された胃と脳に遮られて言葉にならない。
 街灯がぽつりぽつり立つ路地にわたしたち以外の陰はまばらに散るだけで、ましてや許容量ぎりぎりのアルコールに脳を浸されてふらふらとしているのなんてわたしたちのほかにいない。みんな冷たい風に追い立てられるようにして足速に歩をすすめているからわたしもそれにならうことにする。良いこはとっくに帰る時間で、わたしたちも良いこだからいい加減に帰らないといけない。
 酩酊と泥酔のあいだくらいにいる樟美に「もうかえろう」と声をかける。樟美はさっといやそうな顔を一瞬だけ浮かべたけど「いっちゃんのおうちにとまるぅ」と甘えたような声を出した。いっちゃんのとこの近くがいいと樟美が言い出したときからそうなるのはわかっていたので一も二もなくわたしはうなずく。顔をよろこびで染めた樟美は糸が切れてしまったかのようにふらりとバランスを崩した。わたしはとっさに寄り添って、残った右手で彼女を支える。
「ほら、危ないからあんまりふらふらしないの」
「ふへへ、はぁい」
 肺の先までアルコールが染み渡ったかのような甘ったるい声に胸焼けしそうで、わたしはフレーメン反応をおこした猫のような顔をする。誰がネコか。だけどほんとうに樟美の吐く息はしこたま飲んだカクテルだかなんだかのせいで嫌な甘味に満ち満ちていて、まるで忘れ去られた果実のようにわたしを苛む。それでもわたしの胸元に顔をよせてすんすんと鼻をならす樟美の姿にそれ以上なにもできることが思い浮かばなくて、とにかく彼女を支えて突っ立っていた。
「いっちゃん」
「うん?」
「吐きそう」
「アッ」
「ぉうぇろ」
「ぎゃあ」
 胸元に顔を埋めたまま吐き出されたそれを回避する方法なんてわたしは持っていなくて、樟美の吐いたものがわたしの真黒いコートを濡らす。ああ、クリーニングに出さないといけない。樟美の背中をさすりながらぼんやりとそんなことを考えるだけ考える。そんな無意味なことを考えている間にもう一回樟美は吐いたらしかった。樟美のからだから吐き出されたものがわたしを包むコートにふりかかって染み渡っていく。だいじょうぶ? なんてたずねる間もなく樟美がべちゃりと顔をあげる。
「ふふ、いっちゃんのにおい……くさいね……」
 それはあなたのゲロの匂いよ。
 ハンカチで樟美のほおについたゲロを拭って、そのまま樟美の体を引きずるようにして自宅にむかう。ここから歩いても十分とかからない城塞みたいなタワーマンションの最上階がわたしの部屋だった。リリィとしての貯金とやたらに太い実家からの仕送りで与えられたわたしのすみか。樟美がひとりで住んでいる部屋は最寄駅からふたつみっつ行ったところにあるから彼女に乞われなくても当然泊まらせるつもりだった。亜羅椰がいたらテキトーに叩き出せばいい。あんなやつより樟美のほうが万倍大事だ。いつの間にか住み着いて同居人ヅラしているくせによその女のところにばかり泊まって帰ってきやしないばか女のことを頭の中でマンションから蹴り出す。そのイメージがなんとも愉快でゲロまみれなことも忘れてくすくすと笑った。勝手に笑い出したわたしを不思議なひとを見るかのように樟美が見上げてきたけれど、やがて彼女もつられたのか笑顔を浮かべた。短い間だけわたしたちは笑顔のまま向かい合う。アルコールにどろどろにとかされた思考がいい感じの多幸感をわたしたちにふらせてくれて、いまならなんでもできそうな万能感さえ満ちてくる。とにかくわたしたちの頭の中にはきっと明日なんてものは存在しなくて、ただただいまこの向き合った瞬間だけがあった。
「ほら樟美もうちょっとだからがんばって」
「うぅん……いっちゃん……」
 うめく樟美をひときわ強く抱き寄せる。右手でよせた彼女の左側からとくとくと心臓の音が聞こえて、ぐずぐずになった脳みそが生きていることを実感させる。生きている。生きていることは良いことだと思う。特にこうしてアルコールにとけているときには。吐く息は白く、細く、微かで、あたたかく、甘ったるい。もう少しいいお酒を飲んだほうがいいのかもしれない。お金ならあるのだし。
 街の主要部にもほど近いわたしの住むマンションは雑然とした周りの中でぽつねんと隔絶して立つ。この時代には珍しく無意味に堅牢でごちゃごちゃした静脈認証だか網膜認証だかをひとつひとつ順番にこなしていってようやくエントランスを抜ける。滑るように上昇していくエレベータという箱の中で息を吐く。こうして樟美とふたり酔いつぶれる寸前まで飲み明かしてこの箱に運ばれるのも何度目だろう。あるいはここがわたしのすみかでなくてわたしたちの家であったならいまのこの状況もなにかが違っていたのかもしれないけれど、そんな未来はきっとなかったからわたしたちはこうして寄り添ってまるで天国に昇るかのように運ばれている。天の果てが天国であるというなら地上とその間はなんであるというのだろう。それは楽園だよとなにかが囁いた気がした。
 音もなく開いた扉のすきまから脱け出るようにエレベータをあとにして、自室の鍵を開ける。しんと静まった室内にひとの気配はなくて、どうやら亜羅椰は今日もどこかのよく知りもしない女のもとに行っているらしいと嘆息する。ばか女。
「ほら、樟美、ついたよ。コート脱がすよ」
 ゲロまみれになってしまった自分と樟美のコートをまとめて洗面台にぶち込んで、あとで軽く水で流すだけでもしようと脳内のやるべきことリストを更新する。ついでに給湯器の電源を入れて、浴槽にお湯をはる。十分か二十分くらい待てばいい。その前に顔だけでも洗ってもらおうかと樟美のほうを振り向いたら勝手知ったる幼馴染の部屋で樟美はふらふらとリヴィングに向かっていた。やたらふかふかしているソファにからだを沈める樟美に声をかけるために伸ばした腕がぐいとひかれて唇が重ねられる。
 口もすすがないでしたキスはめちゃくちゃゲロ臭かった。
「は」
 こちらの困惑も混乱もお構いなしに樟美はわたしの唇を求めるように貪ってくる。こじ開けるように侵入してきた樟美の舌がわたしの口腔を蹂躙して唇と歯と歯茎とほおとをなぞるように舐め上げてわたしの舌に触れる。絡めとるように行われる舌と舌の粘膜接触にわたしの肩がびくりと跳ねあがる。樟美の左手とわたしの右手は恋人同士がするように指と指を絡ませて繋がれて、わたしの体は樟美の右腕で抱かれるように抑えられているから逃げようにもそれ以上からだをはなすこともままならない。樟美による一方的なわたしのなかへの侵入は一方的に打ち切られる。あらく息をするわたしと澄ました顔をしてその榛色の瞳でわたしを見つめる樟美の唇の間を銀色の糸があっけなく結ぶ。
「突然、な――っ!」
 次の瞬間わたしは仰向けにされていて、馬乗りになった樟美に見下ろされていた。手早く着ていたものを脱がして上半身を下着一枚にしたわたしの姿を見て樟美が首を傾げる。
「いっちゃん、おっぱいおおきくなった?」
 言うに事欠いてそれかとわたしが口をぱくぱくさせている間に樟美はそれがひどくどうでもいいことであるかのように「まあいっか」と呟いてわたしのからだを包む最後の一枚を剥いで上半身だけ裸にする。樟美の両手が無造作にわたしの上半身を撫でていく。キスだけですっかりスイッチを入れられたわたしのからだはくすぐったいだけのそれも快楽に変換してわたし自身の脳を焼こうとしてくるから唇を強く噛んで声を抑える。その姿が樟美の裡のなにかを刺激したのか揉みしだいていた胸の先端に口付けてちゅうちゅうと吸い出した。
「ぁっ!」
「ふふっ……きもちいい?」
 わたしの反応に気を良くしたように樟美は榛色を笑みの形に歪める。樟美はなにかを求めるかのようにさっきよりも強く先端に吸い付いて甘く噛みついてくる。それすらも甘美な刺激となってわたしのからだから余裕を奪う。ぞくぞくとした感覚が背中を這い回り下腹部に熱として集まっていく。ふと、樟美が吸い付いていた胸から顔をはなしてどこか不思議そうに口をひらく。
「おっぱい、でないね」
「あ、たりまえ、でしょ……!」
「あたりまえ……そっか、そう、だね……」
 ぽつりと樟美はそれだけつぶやくと首を伸ばして中空を見つめ出した。吸い付いている間もわたしのからだを弄っていた腕の動きも止まって、ただぼんやりとしている。その姿に中途半端に高められた熱がからだの裡をじくじくと焼いているからどうして止めるのかとそう問おうとしたときに間の抜けたチャイムが鳴って湯はりが終わったことを告げる。樟美はすっとわたしのからだのうえから降りると小さく伸びをして小首を傾げた。
「つづきはお風呂入ってからにしよ?」
「えっ、いや、でも」
「だって……いっちゃん、くさいし……」
 だからそれはあなたのゲロ!
 樟美によって脱ぎ捨てられた服を回収して興味をすっかりなくしてしまったかのようにぺたぺたと脱衣所に向かう樟美の後ろをついていく。洗濯物をまとめているかごにそれらを放り込んで、洗面所に投げ込まれたままのコートをすっかり忘れていたことに気がつく。もういっそ捨ててしまったほうが楽かもしれない。樟美にもどうするか訊かないと……。そんなことを思いながら顔をあげる。鏡に憔悴しきったわたしの姿が無様に映っていた。そのとき突然なにもかもが嫌になってわたしはそこに映る自分の姿がどうしようもなく許せなくなってしまって思わず鏡を殴り割ってしまいそうになった。こんなところに鏡があること自体が憤りの対象だった。鏡に映る自分の姿は三年前リリィであったときにはたしかにあったものが欠損した残滓としかいいようがないなにかだった。ただその鏡を覗き込むたびに己の裡に満ちる焦燥に似た感情だけがいまのわたしを生かしているものかもしれないということもまた理解していて、だから鏡は取り外されることも殴り割られることもなくそこにある。
「いっちゃん」
 そう声をかけてくるひとはこの場に当然樟美以外いないはずで、だからわたしは無防備に振り返って「は……」と薄く息と声のあいだのような音をもらす。明るいところで見る樟美のからだはひどくきれいだった。きれいで、完全で、完璧で、なにもかもがそろっていた。滑らかな膚の稜線を腰まで届く銀色の髪が流れていた。その先、脚と脚の間にはたしかな茂みがあった。穏やかな丸みを帯びたからだの線は少女らしかったあのころからすっかり変わってしまっていた。神の子は神の子であるが故に贔屓でもされたかのようにその肢体においても完全だった。欠けたるものがないその姿は満ちた月のようにきれいで、わたしはその事実にどうしようもなく打ちのめされてしまってその場に崩れ落ちそうになる。だけど崩れ落ちることさえできないわたしは樟美のからだが完全であるが故に樟美がなくしてしまったものを思って心臓がきゅうと絞めあげられる錯覚を抱く。それを苦しみと呼ぶにはひどく傲慢だった。
 樟美の両手がわたしの残った右手をとる。ぐいと手を引いてその榛色でわたしを見つめてくる。
「はやくお風呂、はいろう?」
 浴室はひとりで使うには広すぎるくらいの大きさがあってふたり一緒に入ることができる。住み慣れたはずのすみかのそんな造りも忘れてしまっていたわたしは樟美の提案にぼうと呆けてしまって頷くことさえできない。「はいろう?」もう一度樟美が首を傾げてそう誘ってきて、そこでわたしは「うん」と幼い返事をする。のろのろと服を脱いでそれでようやくわたしは全裸になる。樟美はわたしの姿を見てちいさくうなずいたらしかった。ふわりと微笑んだその笑顔にわたしは何度も何度も救われている。
 救われている。
 救われている。
 何度も。


「いっちゃん、やっぱりおっぱい大きくなった?」
「……しらない」
 入浴を終えたわたしたちは身支度を整えてベッドに潜り込んでいる。亜羅椰が買ってきたばかみたいなサイズのベッドはふたり寄り添って眠ってもすこし持て余すくらい大きいけれど、わたしたちはふたりぴったりとくっつくようにして横になる。樟美はわたしの右腕を枕にするようにしていて、そうされるとわたしはもうそれ以上なにもできなってしまうのだけどそれもまあいいかと思う。交わりを終えた樟美の膚はうっすらと汗ばんでいて、それがどこか吸いつくように心地いい。
「いっちゃんはあしたも朝から学校?」
「ううん、明日はお昼から」
「じゃあ少しだけゆっくりできるね」
「ええ、そうね」
「うん……」
 樟美の目はここではないどこかをとらえるようで、あたたかな体温が樟美の眠気を伝えてきていた。
「樟美、ねむたいの?」
「うん……」
「じゃあ、おやすみなさい、樟美」
「……おやすみ、いっちゃん」
 樟美はとろとろと瞳を閉じて、やがてすぅすぅと寝息をもらす。その眠りが穏やかであればいいと願う。電灯の落された真っ暗闇の中そんなことだけをわたしはしている。
 わたしもまた眠りに沈もうとしたとき、不意に、閉じられた樟美の眦から、じわりじわりと涙がにじみだしてくる。まるで枯れ果てた大地への恵みのように実を結んだそれはありえない光を反射して輝いたかのように見える。やがて小さな一粒の祈りのような雫は一瞬だけ球を形作るとすぅと流星のように樟美のかんばせの稜線をなでる。ひとつ、ふたつ、みっつ。流れ落ちた流星はわたしの右腕に落ちて存在しない生命へ捧げられる。ただ受け止めることだけを役目とした右腕だけではその涙を指先で拭うことさえできなかった。あたたかな雫。それはどこに向けられた祈りであるのだろう。愛は祈りだ、言葉でなくても。
 いつになったら痛みは癒えるのだろう。わからない。わからないけれど。
 ああ、でも、その涙を拭えなくても、わたしは生きている。
 生きている。
 生きているのだ!
 わたしたちは、たしかに!
「――くすみ」
 またひとつ、じわじわと大きくなっていった雫が自らの大きさにたえきれなくなって流れ落ちようとする。
 ふと思い立ち、それをわたしは舌先でそっとすくいとる。
 それは、ひどく味のしない、透明なしずくだった。
 

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