帝高陽之苗裔兮朕皇考曰伯庸━━『楚辞』離騒
かつて皆が朕と詔と璽の字を使った。
ハロー、ガイズ。
朕は聖典( と北欧神話( とポチタ好きのヒストール、よろしく。
これは『チェンソーマン』の刀剣が「敵」でナイフと包丁🔪が「味方」考察。
いくぞォ!
サムライソードは敵。早川アキは刀を使い、銃の魔人になる。闇の悪魔は和風鈴つき刀を使う。クァンシの刀剣は砕ける。マキマは刀っぽい剣を使う。マキマは寿命武器の剣を使おうとした。刃剣を使う天使と剣の武器人間は、マキマに支配される。刀剣側は最終的にデンジの敵になる。サムライソードはカッコいいしけども。
ナイフと包丁🔪はデンジの味方!(自信)
パワーはナイフ持つシーンがあった。パワーはデンジの味方。ただしデンジをすぐ殺そうとするし、デンジの血は「ワシのじゃ」!だからパワーは無許可でデンジの血を吸う。デンジは友達。
コベニはナイフというか包丁🔪使い。殺し屋ばあちゃんを殺してハイになる。コベニは身体能力が異常に高いが、臆病者なのでデンジを包丁で刺し殺そうとした。虐められがちだが図太い。デンジの普通観を変えた。スケベデンジに若干引いてる。
岸辺隊長。初対面のデンジを一日で20回も殺した。人権のないデビルハートの16歳はマイ玩具。おかげで強く賢いデンジがさらに強化された。蹴りはクァンシ仕込み。契約悪魔はナイフ、針、クァンシのことがすごく好き。
クァンシ。刀剣の他、ナイフも使える。サンタクロースを殺すまでデンジと共闘。サンタクロースを殺す前にデンジの首を刎ねた。嘘つき。同性愛者で中国でも日本でも魔人娘4人との5Pを楽しんでた。クァンシは岸辺にツンだったが、あまりに長く岸辺に好かれて少しデレた。クァンシの言動をよく見るとめちゃめちゃ岸辺を生かそうとしてる。
レゼ。たぶんデンジの初恋相手。ナイフでデンジののどと手首を斬ったけど、デンジにキスしてごめんねって言ってくれた。モルモットと呼ばれるロシア戦士だが、デンジのことが気になって余計な行動を取り、デンジと逃避行しようとした。再登場後はマキマに支配されデンジと会話していない。
うん。ナイフと包丁🔪はデンジの味方?(疑問)
各キャラが他の武器も使い、各キャラに色んな要素がある。ただ『チェンソーマン』なので、刀剣を主役にしないための仕掛けがたくさんある。タツキは『ファイアパンチ』の頃、『無限の住人』の女キャラに影響を受けすぎてた。サムライじゃなくてチェンソーの悪魔はすごくわかりにくい。なぜチェンソーを選んだんだ…!?
ただ「太陽を描かない」「刀を主役にしない」の大きな二つは、今までの日本漫画とは違うものを描くぞ!この漫画で漫画家をみんな殺す!!くらいの意気込みを感じさせる。北海道墓参りからはずっとぶっ飛んでた。84話がイカれてたのでよくわからない人も「チェンソーマン!チェンソーマン!」と叫ぶ群衆に飲み込まれていく。
アニメ化で『チェンソーマン』が大ヒットするのは目に見えてる。ただし、同時に規制や言いがかりもありそうだ。『ルックバック』の修正は改悪で完全な言いがかりだけども、理屈じゃない。時代を変える者は、あれこれ絡まれる。
『ルックバック』は『チェンソーマン』からの【明星】を背景を見て( と二度も訴える。
明星堂
伊勢神宮の鬼門除けの為に明星天子を祀り鎮護している。
明星は日、月、星、の三字よりなり三光天子とも称され
国土安穏智慧成就の仏神である。
「太陽を描かない」「刀が敵」「明星天子が明星天使( 」
この三つは伊勢神宮の太陽神を守る明星天子について考えさせる。
『チェンソーマン』はポチタがアサヒ、サントリー、札幌(巾+日+光)に関わる悪魔を食べて消している。マキマの「四騎士」と自宅の『失楽園』に絡む太陽の吸収者はアポロンだ。アポロンは元は太陽神ではなく、牧畜、音楽、遠矢の神として有名で、パリスを通じて英雄アキレウスを射殺したとされる。ゆえにこの絵でもアポロンは弓矢を番える。
『ヨハネの黙示録』はアポロン(Απόλλων)から一文字ちがいのアポリオン(Ἀπολλύων)がいる。アポリオンは遠矢の残滓があり、これら6つの絵ではみな矢を持っている。
ἔχουσιν ἐπ’ αὐτῶν βασιλέα τὸν ἄγγελον τῆς ἀβύσσου,
ὄνομα αὐτῷ Ἑβραϊστί Ἀβαδδών
καὶ ἐν τῇ Ἑλληνικῇ ὄνομα ἔχει Ἀπολλύων
イナゴの群れはアビスのエンジェルを王として持つ。
その名をヘブライ語でアバドンと言い、
ギリシャ語でアポリオンの名を持つ。
━━『ヨハネの黙示録』9章11節
イナゴ姿をした最上位天使セラフィム。タツキはデンジは天使、パワーも天使(能天使のことだ)と発言している。黙示録ではイナゴたちがアビスのエンジェルを王とするとあり、王の名をアバドン、アポリオンと記している。チェンソーマン=デンジはアポロン、アバドン(アポリオン)の役を持つ。
『チェンソーマン』は色々と北欧神話から来ている。デンジに最強のフェンリルたる月の犬、マキマに太陽、ナユタの役に太陽の娘。それでデンジは月🌕と共に描かれ、マキマに犬扱いされる。公安上層部が全員消された後、日の丸🇯🇵はマキマと共に描かれ、作中唯一の「太陽」はマキマの乗る建物に。北欧神話は「巨人ユミル」「エルフ」「ダークエルフ」「ドワーフ」「魔法使いガンダルフ」など、近代ファンタジーの源流。北欧神話は太陽が女神でなく、神罰を受けた人間だ。オーディンが巨人ユミルを殺し、ユミルの頭蓋骨を天とし、天を支える東西北南の四ドワーフが太陽と月と星を造った。人間の女性は太陽を名乗ったため、神罰で太陽の馭者をやらされている。その太陽をフェンリルのスコルが追いかける。ラグナロクに最強のフェンリル、月の犬が太陽を呑み込む。ライトエルフは太陽より美しい。天の南端に太陽より輝かしいギムレーがある。北欧神話は太陽の地位が低い。
フェンリルが
アールヴレズル(太陽)を
とらえる前に
太陽は一人の娘を生む
神々の死せるとき
娘は母の軌道をめぐる
『ヴァフズルーズニルの歌』47 谷口幸男訳
この島々では『チェンソーマン』の後に続く者でなければ、本物のファンタジーを描けそうにない。ファンタジーは太陽神抜きのエルフやドワーフや魔法という世界観が背景だから。“日”本は、太陽神が主神で、太陽神の子孫という天皇制が継続し、十三なる明星天子が十三なる明星天使( とかぶりすぎる国だから。
藤本タツキは単に聖書、黙示録、カバラ、ギリシャ・ローマ神話、日本神話、仏教、ミルトンの『失楽園』、オーウェルの『1984年』、偽ディオニュシオス・アレオパギテスの『天上位階論』、漫画、自分の読切、アニメ、ゲーム、映画を混ぜただけじゃない。底にあるアィディアやエネルギーがケタ外れだ。
色んな要素を持ってる漫画家は大勢いるが、こんな組み立て方は誰もしなかった。いったい誰が
【電動ノコギリを振り回す少年】
【太陽が描がれず真夏に積雪する1997年の世界】
【第二次世界大戦やナチスや核兵器が消えた世界】
【銃の悪魔が明星天使( で伊勢神宮を守る明星天子( 】
【聖痕( ある悪魔の女性を愛で食べる】
を思いついてまとめられるだろうか?月刊ならともかく週刊誌で。11巻で。仮に自分が漫画家だったら嫉妬で狂うか筆を折りそうだ。
しかし藤本タツキの半身が「〜先生のファンです!!サインください!!」と言ってくるので漫画家はまた描くと。
漫画家が藤本タツキに「〜先生は漫画の天才です…!」と言われた日には腕をぶんぶん振り上げてスキップして踊り出して漫画を描いてしまうに違いない。
すでに『チェンソーマン』『ルックバック』はかなり評判になり、これからもっと評判になる。『チェンソーマン』はどちらかと言えば、『Fate/Grand Order』のように原典を探しやすいつくりになっている。「月の犬( 」ならホントにデンジが「犬」呼ばわりされ、満月と共に描かれ、太陽のごとき女性を【食べる】ように。早川アキが13年前「空虚」になった13話、「虚空蔵菩薩」は別名が「明星天子」、それは十三仏の十三番目で金星の菩薩、その日は金曜日だったと。それは映画的なつくりで、セラフィム( でもある。はっきり見せてるのに見えない、はっきりセリフにしてるのに聞こえない、はっきり感じられるのに感じさせない。ムスリムやクリスチャンやユダヤの著作では共通するセラフィムだが、国や民族を自分の一部と思う人には「見えず、聞こえず、感じられない」もの。グローバルやインターナショナルとはまた違う。セラフィムはクラシックの天上的な崇高さともまた異なる。密教や老荘や禅宗や雅や幽玄やあはれやいきからは永遠に認識できないもの。この記事に三度出てるからと言って、イナゴの絵を見つめても認識できやしない。そういうのをアダマンタイトと言うのだが、これがみんなのよく知る━━女の子たちみんなの憧れ━━に関わることなのに、誰も「見えず、聞こえず、感じられない」。これは『チェンソーマン』このタイトルそのものの話だ。デンジやポチタの話だ。アキと天使の話だ。この記事のタイトルにすら書いてある。別に難しい用語じゃない。読者みんな見た。でも、見えないだろ?本当に聖書を読む気になれば、誰でも見える。デンジやポチタが女の子たちみんなの憧れとどうつながるかわからないだろ?朕( はハッキリ言ってるのに、聞いていないのさ。
これは一神教から多神教の否定じゃないし、西洋や中東から日本を批判してるわけでもない。でも、何も「見えず、聞こえず、感じられない」。もちろんネットで検索すれば美術やゲームの画像は出てくるけども、何もわからない。2000年まったく朽ちない感じの情感ある言葉が使われてるのは変な感じだ。女の人が教会💒で結婚式を挙げたがるのはこれなんだろなあ。奈須きのこや吾峠呼世晴や藤田和日郎が決して知らないもの。タツキはまた描いてくれるだろう。朕( はそう信じてる。