ハロー、ガイズ。
我は聖書( と神話( とマキマ好きのヒストール、よろしくね。
『チェンソーマン』の黒瀬と天童および皮の悪魔側のプチ考察とおまけ。これは銃の悪魔やマキマ考察の前記事を小分けしたもの。グロ表現と本誌90話までのネタバレ注意。
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皮の悪魔を理解するには、銃の悪魔戦でマキマチームに(死体として)いる黒瀬と天童から理解する必要がある。マキマチームは「はじまりの罪」だ。
チェンソーマンの心臓を欲しがる銃の悪魔、闇の悪魔、蛇の悪魔はルシファーの一部。チェンソーマンが食べて消した悪魔(おそらく「子供の精神を壊すとある星の光」)の影響で「明けの明星( 」としての姿を失い、バラバラになり弱体化している。本体に戻るためにチェンソーの心臓が必要。彼らは合体して復活したい。
○マキマ━━「支配の悪魔」「罪の悪魔」と契約中。罪は意趣返しのクセがある。
銃の悪魔、闇の悪魔、蛇の悪魔、プリンシ(蜘蛛の悪魔)つながり。『失楽園』で【罪】はサタン(ルシファー)の娘で、【罪】の前身はギリシャ神話の女神アテナ。アテナは父ゼウスの頭から武装して生まれた女神。罪は父サタンの頭から武装して生まれた天上的な美しさ持つ女神(『失楽園』2巻756-760)。
罪の悪魔は、父サタン(ルシファー)と喧嘩中。父の分体( (闇)と娘は「高いところ(宇宙、高い神社)、罪人、信心、闇(見えない)」を好む。闇父と罪娘は攻撃方法が同じ。穴を穿つ。視線で血管破壊。ねじる。狙った箇所だけ斬る。刀的な剣を使う。受けた攻撃を返す。
○黒瀬は「アダム」役。天童は「イヴ」役。
○未来の悪魔は「善悪の知識の木」役。
黒瀬と天童が「善悪の知識の木」までアキを導く。
○沢渡アカネと特殊契約する蛇の悪魔は「毒蛇( 」役。
イヴとアダムを唆( し、食べてはいけない「善悪の知識の木」の実を食べさせた毒蛇( 。サタン(ルシファー)の分体( の一つ。
○蜘蛛の悪魔は「はじまり(ἀρχή( )」役と「アラクネー(ἀράχνη)」役。
天使九位階のプリンシパリティは誤訳に基づく。原意は「はじまり(ἀρχή( )」。アルケニーは女神アテナによって蜘蛛に変えられた者。
○早川アキはアークエンジェル役。
○天使はそのままエンジェル役。
二人は大天使✕天使(そのまま)!
こんな風に、銃の悪魔戦のマキマチームは「はじまりの罪」に関わるメンバーズと要素。はじまり(プリンシ)、罪(マキマ)、罰とアダムとイヴ(黒瀬と天童)、善悪の知識の木(未来の悪魔)、毒蛇(蛇の悪魔)、天使(アキ、天使)。銃の悪魔戦でマキマ側が勝つのは、「はじまりの罪」に対する復讐( と、本来は父ゼウスに勝つ運命を背負って生まれるはずだったアテナの要素(罪の悪魔)のためだ。
黒瀬と天童は二人セットで「罰の悪魔」と契約してる。罰の悪魔がいて、罪の悪魔がいないわけがない。マキマの自宅に『失楽園』のサタンの絵があり、見開きでマキマとその絵が重なるのに、『失楽園』の要素がないことはあり得ない。サタンの娘【罪】と“罪を償う時が来たんだよ”を結びつけるなと言う方が無理だ。そして罪と罰、二人セットで罰ならアダムとイヴはかたい。
そして「皮の悪魔」。アダムとイヴは知識の実(※「知恵の実」は誤用)を食べた後、裸でいるのが恥ずかしくなり、葉っぱを身に着けた━━というくだりは有名。
創世記
( / 03章 21節神々
( である主は、アダムと女に輝く( 皮の衣をメイクし着せた。
その後、神々( である主は、アダムとイヴを園から外に「送り( (戻すという行為を必ず含むヘブライ語)」、主は二人に「皮」を着せる。黒瀬と天童は皮の悪魔の契約者たちにあの世に「送られる」が、銃の悪魔戦で「戻る」。死体だけど!
と、ここまでが、前記事の焼き直し的なもの。おまけが本編なアダム話をしてみよう。
《漫画から離れた本格的な近現代( アダム話》
創世記
( / 05章 02節神々
( は男性と女性をクリエイトした。彼らがクリエイトされた日、神々( は彼らを祝福して、アダムと呼んだ。
聖書の基本的な誤解を説いておくと、アダムは彼らだ( 。元の文では、アダム、男性、女性は三者別々に分けられている。男性と女性を合わせてアダムと呼ぶ。これは原文で、意見や解釈ではない。
創世記
( / 01章 27節神々はアダムを自分のイメージの中にクリエイトした。神々のイメージの中にこれをクリエイトし、男性と女性をクリエイトし、彼らをクリエイトした。
ヘブライ語原文では「神」ではなくほとんどが「神々(単数形扱い)」。神々だから一人称が「我々」。神々だから自分に似せて、アダム、男性、女性、彼らをクリエイトした。アダムと男性と女性を別々にクリエイトしたという表現だけでなく、「彼らをクリエイトした」と最後にある。聖書原文はアダム、男性、男、女性、女という五つの単語がある。これらはイエス・キリストが結婚や離婚を語る際に引用するので、クリスチャンに必要不可欠な知識のはずだが、誰も知らない。
また、救世主の意で使われる「人の子」は「アダムの子」。アダムを「男性」「男」だと勘違いし、根本的に違う「男性/男」「女性/女」を混同すれば聖書の全てがわからなくなる。なお、流通している日本語訳聖書では「男性」は「男」、「女性」は「女」とごちゃまぜに訳されている。
日本人は近現代史の「アダム」(王権の否定)と「王と臣民(帝王と大臣と国民)」を廃止した120ヶ邦( を知らない。「国( (國)」という字が皇帝への忖度とも知らない。日本人はアダムを知らないために「天皇と大臣と国民」という不平等な階級用語に無自覚だ。アダムという王権の否定と200年以上の人間同等の流れ( を知っていれば、欧米に兄、姉、先輩、教皇、大統領、大臣、長官、社長などの偉そうな語はないと誰でもわかる(そもそもこれらの変な翻訳がない)。欧米に「兄さん」「姉さん」「先輩」「国民」などいないし、「大統領選」など存在しないし、「ローマ教皇の来訪」はありえない。知識や教養ではなく、現代日本語の翻訳用語は全文字誤訳だらけで、最低限の常識を学べない。
タツキは最高の漫画家で聖書に明るいが、それでも「兄弟姉妹」「先輩後輩」「大統領」「国民」などの世界にない階級用語を使わざるを得ない。アダムを『エヴァンゲリオン』で表現する庵野秀明もアダムの初歩的な意と役割を知らない。我( が聖書を推すのは、聖書がないと200年以上の近現代史の流れと一般常識を知ることさえできないから。無宗教、まあまあ、なあなあでは最低限の一般常識すら身につかない。漫画、アニメ、ゲーム、小説、洋ドラ、洋画の娯楽方面から「欧米には兄弟姉妹や先輩後輩や国民や大統領がいない」「世界120ヶ邦( は国( ではない」ことを広める必要がある。もちろん学校や報道でも。
神でなく神々( 、アダムは男でなく男性と女性の彼ら。キリストは「アダムの子」。アダムを知るとは、兄弟姉妹と天皇と大臣と国民なき人間同等の邦々( を知ることだ。
アダムは大事。