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組織が願望に基づいて計画を立てることの危険

 当ブログでは【目標】と【願望】を明確に分類して、混同してはいけないと幾度か記事にしています。目標とは具体的で確実に達成できるものを指し、願望とは方法が曖昧で達成できるかが不確実なものを指します。  ビジネスフレームワークとしてよく用いられているギャップ分析、現状と「あるべき姿」のギャップが課題だというものがありますが、あるべき姿に到達できるかどうかは具体的で合理的な手段が明確でない限りは誰にも分かりません。重要なのは方法の有無であり、方法が無い限りあるべき姿はただの願望に過ぎないということです。

 あるべき姿の問題については過去にも記事を書いています。

 今回は良い目標設定の方法ではなく、願望に基づいて行動計画を立てることの危険性について深掘りして書いてみましょう。

 主題とするのは組織運営における願望の弊害で、個人の願望に関しては述べません。個人であればどのようなやり方を用いるのも何らかの賭けに出るのもまさに個人の自由です。しかし組織が構成員の人生を賭けて達成できるかも分からないギャンブルのような願望に突き進むのは多くの場合不幸な結果を生むことになりますので、厳に戒めるべきだと考えます。

方向性が定まらない

 目標の設定は目的→方針→方法→目標の順で行うものです。方法が先にあって初めて具体的で確実に達成できる目標を立てることができます。

 方法を定めず願望に基づいて立てられた計画では、個々の構成員は暗中模索となりやるべきことが定まらなくなってしまいます。そうなっては組織の方針に沿った行動が取れず、目的にコミットすることができません。また個人の行動だけでなく組織運営においても同様です。方法が明確でなければ適切な予算配分も人員配置も期待できません。

 簡単に言ってしまえば、「売上高前年比110%を達成しろ!やり方はお前らが考えろ!」みたいなものは目標とは言えないということです。ガムシャラにアポイントを増やしても結果に繋がらなかった、いざ大型案件に着手しても人員が足りずに上手く回せなかった、というように、結果が出るかどうかは運否天賦になってしまいます。

プランBが存在しない

 プランB(Plan B)とは英語圏でよく使われる表現で、次善策やリカバリープラン、代替案やバックアッププランというような意味です。最初のA案の次だからB案、ということですね。

 行動の結果によって次の行動も当然変わりますが、結果が運否天賦となる願望に基づいた行動を取っている場合、行動の結果が出るまでは次の計画を立てることができません。どんな結果に終わるかが見えないのでプランBが立たないのです。そしてプランBが無ければ行動が失敗した時にフォローすることができなくなります。

 よって願望に基づいて計画を立てる組織では、半期を過ぎても当初の願望通りに計画が進んでおらず、慌てて思い付きのプランBを必死に計画せざるを得なくなるようなことが頻繁に起こります。もちろんそのような取って付けたプランBが上手くいくかは運否天賦です。

 そもそも方法を定めるというのはプランBも立てるということです。プランBが無い時点ですでに目標設定は崩壊していると言えます。

偽装・不正が蔓延る

 目標とは具体的で確実に達成できるものですので、適切に目標が設定されていれば着地点も明確です。対して願望によって立てた計画が達成できるかは運否天賦なので運によっては達成できない場合があります。その際に起こり得る最も恐れるべき弊害は成果の偽装や不正です。方法が明確ではないということは、どんな方法も取り得てしまうことに他なりません。

 近年日本を騒がせた製造業の検査不正、東芝のチャレンジ、スルガ銀行の不正融資、海外であればVWの排出ガス不正、歴史的事例で言えば中国の大躍進政策などが良い事例で、方法も決まっていない、達成できるかも分からない願望の必達を上から掲げられてしまうと、下には偽装や不正を行うインセンティブが発生してしまいます。

 誰だって降格や叱責などの処罰を受けたくはありませんし、あわよくば出世や昇給をしたいものです。そのためには偽装や不正を行っても良いと考える人が必ず現れます。その隙を生んでしまうのは弱い心の責任などではなく、そもそもの計画が適切でないことが原因です。できないものは本来どうしたってできないのです。それを無理に達成するよう求めれば後は偽装や不正に頼る他無くなってしまいます。

まとめ

 組織運営は堅実に、そして確実に達成できることだけをひたむきに成すべきです。一足飛びに高みを目指すのではなく、実績を積み上げていくことで階段を登るように歩みを進めなければいけません。飛びたいのであれば少なくとも蝋の翼ではなくライト兄弟のような翼を拵えるべきです。

 もちろん組織の運営者が大きな願望を語るのは良いでしょう。理想をないがしろにすべきではないのも事実です。しかし理想に殉じて現実を疎かにし、付き従う仲間の人生をギャンブルの種銭にするような愚行は戒めるべきです。願望で組織を運営するのはまさしく運否天賦のギャンブルなのです。理想を語るだけであれば誰でもできます。現実に落胆することだってそうです。理想を語り、それでも現実から目を逸らさずに行動することこそが最も難しく、しかし最も秀逸な行いなのです。

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  • 珈琲好きの忘れん坊 (id:external-storage-area)

    櫻木ゆめの (id:yumenoko)さん
    コメントありがとうございます。

    徹底した現場・現物・現実に根差した犯人追跡をするのが仕事である警察官の仕事柄、理想論では仕事が回らないのでしょうね、確かに登場人物はみんな現実論者ばかりです。
    彼らにあるのは理想やモチベーションのような精神的なものではなく、愚痴っても気が乗らなくても身体がしんどくてもやるべきことを為すという徹底した「プロ意識」と言えそうです。なんとも実にカッコいいです。退官式に出るということは最後までやり切るということですし、まさにプロです。
    ハコヅメのキャラクターからは社会的・ビジネス的な価値観を感じます。作者が漫画家一筋ではなく警察官生活での社会経験があるからですかね。若い社会人には難しいビジネス書を読むよりもハコヅメをぜひ読んでもらいたいです。

  • 櫻木ゆめの (id:yumenoko)

    >現実から目を逸らさずに行動することこそが最も難しく、しかし最も秀逸な行いなのです。

    ということは『ハコヅメ』は理想郷なんですねえ。
    あの世界には上昇志向のヒラメや、理想論を語る人はあまりいないですもん。
    むしろ「頭いいならこんな仕事すんじゃねえ(宮原)」「呪いは忘れて(横井)」みたいに、現実を受け入れつつ、でも仕事には前向きという素敵空間。
    おキャリア様も二人ほど出てきましたが、両名尊大なところもなく、ちょっと抜けていて人間味ありましたね。
    源部長の「この先、身体ボロボロになっているかもだけど、退官式には一緒に出るぞ」くらいの目標がいいのかも。ハコヅメはビジネス論の手引きとしても秀逸です^^