どれだけ理性的で高い知性を持つ優秀な人が集まったとしても、集団ではその才覚を発揮することが難しくなります。集団はどうしても生物本来の獣性が強く表れる本能的なものに変貌しがちです。だからこそそれを避けて能率的に運営するための組織論が様々な媒体で謳われています。
なぜ集団は知性を喪失しがちであるのか、その対策は無いのか、少しばかり考えてみましょう。
集団的知性
集団的知性とは集団そのものに知性や精神があるように見えることを指します。社会学や計算機科学では一般的に用いられる考え方です。SFでもハイブマインドや集合精神のように集団的知性を取り扱うことがあります。映画マトリックスのエージェント辺りがイメージとして分かりやすいでしょうか。また個体群やコロニーが一つの個体であるかのように振舞う社会的昆虫の集団を超個体と呼びますが、これも一種の集団的知性に該当するでしょう。
人間はそれぞれの個性が特徴的であることから、ハイブマインドや超個体のように個の知性を無視するような集団を作り維持することは困難と言えます。過去にカンボジアでクメール・ルージュが行った原始共産主義は集合精神を現実に産み出そうとする壮大な社会実験だったと言えるかもしれません。それは当然ながら失敗しましたが。よって人間の作り出す社会集団では、個々の知性を保持し、むしろそれを十全に活用することで優れた集団的知性を発揮するのが良いとされます。
しかしながら冒頭で記述したように、人間の社会集団はともすれば本能的な獣性に支配されたものと成り果て、知性を喪失した行動や決断を取るようになります。その原因は主に心理的な面と論理的な面から語られています。
集団心理・群集心理
個々ではそれぞれ異なる心理や精神を持っている人々が、集団になると何らかの要因による心的な相互作用が働くことにより様々な感情や観念が同一方向に収束していくことを集団心理や群集心理と言います。普段は大人しい人々がイベントやスポーツの観戦でまるで暴徒のように乱雑な行いをしたり、集団から心理的影響を受けて個人であれば絶対にしないような行動を取ってしまうようなことが無数の事例としてあります。
原因は明確ではありませんが、病気に感染する様に類似しているとした公衆衛生学的なアプローチ、類似した心理・関心・志向を持つ人々が共通の刺激を受けることで潜在的傾向が顕在化して同質化しているのだという心理学的アプローチなどで説明が試みられています。他にも、ある集団が形成された際にはその内部で適用される社会規範が都度発生し、その規範に従わない行動を抑制禁止する社会的圧力(同調圧力)が働くために群衆行動が均質化するのだという社会学的アプローチも語られています。
どの理屈が正しいかというよりも、それぞれが正しく相互に発生していると考えるのが適切だと思われます。
集団思考・集団浅慮
集団で何か決めごとをする際、構成員の知性レベルが高い場合においても不合理な意思決定が行われることを集団思考や集団浅慮と言います。なぜ欠陥のある合意がなされるかは集団心理と同様に研究がされており、リーダーシップや規範意識、多様性の欠如が挙げられています。
リーダーシップの欠如は適切なファシリテーションが行われていない状態を意味します。公平な発言が許されず誰かしら立場の強い人が発言した内容に賛同せざるを得ないような合議では意思決定の精査が適切に行われることなど望むべくもありません。
規範意識の欠如はそれぞれの意見を精査するための手続きが曖昧であったり存在しない場合を指します。正しい情報や根拠、エビデンスを取り扱う規範意識が無ければ偏見に基づいて誤った意思決定がなされることになります。
多様性の欠如は構成員のアイデンティティや背景が均質化している場合です。これは分かりやすく、同じような人が集まっても同じような意見しか出ず、より適切な代替案が出されることはありません。
集団的知性を維持することは可能か
集団心理と集団思考はどちらも無意識に集団からの影響を受けて個々の知性が発揮されず集団的知性が喪失することを説明したものですが、集団心理は心理面、集団思考は論理面における錯誤を説明しています。
論理面における集団思考は研究が進んでおり回避の余地がありそうです。要は原因とされるものを避ければ良いのですから、集団が意思決定をする際の合議では適切なリーダーシップを持つ人がファシリテーターとして進行し、意思決定のルールを適切に定めてそれを守り、異なる背景を持つ多様な人々に参加してもらい公平な発言権を与えれば良いということです。そうすることで個々の知性が適切に発揮されて集団的知性が喪失することを防げるでしょう。
難しいのは集団心理です。心理面での原因を追究するのは難しく、恐らくは複合的な要因によるものであるため回避することも容易ではありません。また人々の心理や精神を抑制すること自体難易度が高く、それによって個々の知性を発揮する機会を損なう可能性すらあります。心理の問題ですので、集団への参加者個々人が集団心理を意識し、それに呑まれないよう努力する以外は無いのかもしれません。