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節約の心得まとめ ~お金に支配されず、お金を支配する生き方~

先日からセツヤクエストのキャンペーンにかこつけて、節約の心得というものを5箇条ほど提示させていただきました。

 

節約の心得① ~節約は「いくら削れたか」ではなく「どう使い切れるか」の勝負~

節約の心得② ~節約すべきはお金だけ?~

節約の心得③ ~節約の本当の敵は財布の紐の緩さにあらず~

節約の心得④ ~大は小を兼ねる~

節約の心得⑤ ~数字マジックにご注意を!~

 

当初の想定では5箇条1回で終わるはずが、結局ダラダラと1項目につき1回ずつ計5回もの連載になってしまったので、あまりお好みのテーマでなかった方には申し訳ありませんでした(でも、このブログではよくあること・・・?)。

 

なので、どうしようかすっごく悩んだのですが、やっぱりもっかいかけて、5箇条のまとめもさせてください(/ω\)

やっぱり5箇条バラバラに見るだけだと私の意図が伝わりにくいところもあるかと思うので。

 

  ◆ ◆ ◆

 

というわけで、まとめに入ります。

 

5箇条お読みになった方は何となくお感じになったかもしれませんが、私の言う「節約の心得」って、特に役に立ちそうな具体的な節約術を紹介するでもなく、節約を推奨するというよりも、むしろ「節約しすぎるな」という内容ばかりでしたよね。

 

特に心得①では直接「○○円貯まった/削れた」が一般的に節約の目的とされていることに異を唱えていますが、以前から天邪鬼な私はこのゴール設定に疑問を感じていました。

 

そう、この疑問こそが、今回の5箇条の根底に流れる思想なんです。

 

 

多く貯めたかどうかが節約の目的や上手さであるなら、それは結局、元収入が多い人や世帯が有利なだけです。

例えば、その日の食べるのも精一杯な低収入でカツカツで生活している人の横で、高収入なのに今まで散財が過ぎた人がちょっと贅沢品を我慢しただけで「○○円削れた!」と喜んでいる――残念ですけど、そんな悲しい光景は世の中にいっぱいあるはずです。

この場合、後者の高収入の方の方が「より多く貯めた」「より多く削れた」からといって上手く節約してると言えるでしょうか?

 

私は必ずしもそうではないと思うんです。

 

低収入の人だって、カツカツで貯金もできてなくても、すっごく工夫して食費を抑えるなどして、自分が欲しいものをその限られた収入の中でも最大限出来る限り手に入れているかもしれません。つまり、自分の収入を無駄なく有効活用しているかもしれません。

高収入の人も、その時はとりあえず支出を削って○○円の大金を貯めたとしても、喉元過ぎた時にまたそれを衝動的に散財したのであれば、元の木阿弥ですよね。

 

「貯めた」としても、結局はそれを「どう使ったか」が問われないと意味が無いんです。無駄遣いしなかったとしても、無駄貯めする人だっているからです。

 

そもそも、もし「節約」が「貯める」競争なら、ただ収入が高い人が有利な勝負です。無駄な支出を無くすより収入を上げる方が優先のゲームになります。

時間や労力や損他色んな物を犠牲に「お金」だけを稼ぐことを目指すゲームになります。

心得②でも書いた通り、それはなんか違うでしょう?

 

一方、「どう使ったか」という点に関してなら、貧富の差はありません。

その収入をどれだけ有効活用できたか、お金をコントロールできたか、という基準なら、あくまで豊かな人はその多くのお金の中で、貧しい人はその少ないお金の中での評価なので、豊かでも貧しくても変わりがないのです(お金が多い分、豊かな方の方こそ大変かもしれません)。

 

お金を自分の意図しないものに使ってしまっていないか、欲しくもなかったのについつい買ってしまってないか、気づかぬうちにお金をこぼしてしまってないか、特に先の計画もなく何となくお金を置きっぱなしにしてないか、そういう点が問われるのが私の思う「節約」です。

いくらお金を貯めようとも支出を省こうとも関係なく、ただ、自分のお金をちゃんと支配できているか、それを考えるのが「節約」なんです。

 

ダイエットがただ何kg減量したかの戦いでは無く、バランス良く食事を取り適度に運動をするといったカロリー――ひいては自分の身体の健康をどうコントロールするかの戦いであるように、節約もお金をいくら貯めるかの戦いではなく、お金――ひいては自分の幸せをどうコントロールするかの戦いなのです。

 

衝動に身をまかせ、無駄遣いしてお金が貯まらない人はもちろんお金をコントロールできていません。お金があるだけ使わされてしまうという意味では、お金に支配されてると言えます。

 

でも、逆に使うことに過度に怯えたり、支出を抑えることそのものに喜びや達成感を感じるようになるのだって、お金があるだけ貯めさせられてしまうという意味では、お金に支配されているのだと私は思います。

 

心得⑤で数字マジックの話をしましたが、節約となると多くの人が「○○円貯まった!」となってしまうのも、「お金の額面」という実体の無い数字が人の心を捕らえて離さないという点で、等しく魔法なのです。

 

 ◆ ◆ ◆

 

私がこのように「お金に支配されずにお金を支配する生き方」にこだわりを持つようになったきっかけには、実はある苦い経験があります。

 

私は昔詐欺の被害にあったんです。

 

幸い、人生左右されるような大きな額ではなかったのですが、やっぱりショックで、いまだに思い出すと泣きたくなります。

しかも、私ときたらお金騙し取られたのにしばらく気づいてなかったんですから、もう呆れるやら恥ずかしいやらです。

大分経ってから、ようやくどうもおかしいと気づいた時に、ほんと血の気がひいたのを覚えています。多分鏡を見たら真っ青だったことでしょう。

 

感じたのは詐欺師に対する怒りよりも、どちらかというと自分に対する怒りでした。

 

なぜ気づかなかったのか。

なぜ信じたのか。

なぜ自分のお金を人の言葉に簡単に託したのか。

 

詐欺って、とにかく悔しいんですよね。

悔しすぎて、自分が恥ずかしすぎて、誰にも言えないんですよ。

高齢者を狙ったオレオレ詐欺が最近では有名ですが、被害者の方々は怒りに震えるというより、やっぱり悔し涙を流すんだそうです。

被害はお金の損失より、プライドの傷の方が大きいとさえ言います。

 

オレオレ詐欺もそうですけれど、第三者からみたらなんであんなのに騙されるんだって思いますよね。

でも本人も、後から見れば何であんなのに騙されたんだろう、って思うものなんですよ。

私も、何であんなのに騙されたんだ、ってずっと引きずってます。

 

でも多分、人間ってそんな「何でそんなのに」に簡単に騙されるものなんだと思います。

 

詐欺は、被害者の欲望や恐怖や義務感などを誘って釣ります。

「これ欲しい」「それしたい」「そんなの嫌」「やんなきゃだめか」そんな風に感情を動揺させて、冷静さを奪います。

そこに肩書きや良さそうな人当たりやそれっぽいデータや権威などを装備した信頼感のある詐欺師が現れればイチコロなんですよ。

 

詐欺にあって私が最も悔やんだのは、そんな風に感情に踊らされて自分のお金の支配をあっさりと手放したことでした。

金額の多寡ではなく、何も考えず自分のお金を他人の手に委ねたことが許せなかったのです。

 

それ以来、私は自分のお金の行方は自分で決めるよう心がけるようになりました。

 

誰かが「これを買ったほうがいい」とか「こうした方がいい」とか「こうしなさい」と言うから使うあるいは貯めるのではなくて、自分が「これが欲しい」「こうしたい」「あれのために貯める」と自分でちゃんと考えて下した結論に基づいてお金をコントロールするようにしています。

 

もちろん、私の心は弱いので、まだまだ「衝動買い」や「使いためらい」も多く、上手く動けているとは思えないのですが、少しずつお金が自分のものになる感覚が得られてきた気がします。

 

詐欺にあってよかったことがあるとすれば、この感覚を得られたことでしょう。

 

 ◆ ◆ ◆

 

節約も、だから、そういうことじゃないかって思ったんです。

 

節約も「これ欲しい」「それしたい」「そんなの嫌」「やんなきゃだめか」、そんな冷静さを奪う感情と向き合うものです。

 

感情に踊らされた挙句、出費がかさんで欲しいものも買えない――節約とはそんなお金に支配される生き方から脱出するための戦いだったはずです。

 

それがいつしか、何かに怯えて貯めることに必死で、欲しい物も買えなくなってるなら、あるいはお金以外のものが犠牲になっているなら、それもやっぱりお金に支配されてる生き方でしかないのではないでしょうか。

 

そうではなくて、お金を無駄に使い過ぎないのはもちろんのこと、時間や労力などお金以外のものも大事にして、気付かないうちにこぼれてるお金がないか注意して、目先の小さな利益にとらわれず、数字のマジックにも騙されない、ゲームの点数のようにお金を貯めるのではない、出来る限り自分のお金を自分のやりたいことに最適配分する、そんな風にお金を支配する生き方が、節約という戦いの目指すものだったはずです。

 

あくまで、そのゴールは貯金の多寡などの数字のように客観的に分かるものではなく、自分にしか分からないものなのです。

 

どう生きたいか、何を幸せに感じるかが人それぞれ違うのですから、うまくお金を支配できているかはは本人にしか分からないのです。

 

だから、もし節約をしていて「○○円貯まった!」ってことそのものに達成感を感じるようになったら気を引き締めないといけません。

 

それはまさしく、あなたのお金をあなたではなく、「貯金額」という数字が支配しようとしていることに他ならないのですから。

 

まさに、「数字」があなたの大切なお金をだまし取っている瞬間なのですから。

 

 

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P.S.

ええと、まとまったかどうか、かなーり怪しいのですけど、ちょっと心残りだったところをもう少し解説しておきましたー。


それにしても、数字って怖いんですよ。

 

頭がいい子を見つけるのにテストの点数というものが発明されたら、たちまちテストの点が高い子こそが頭がいい子ということになってしまう。

テストという装置にも精度上の限界がある上に、「頭がいい子⇨テストの点数がいい」は「テストの点数がいい⇨頭がいい子」にはならないのにね(逆は必ずしも真ならず)。

世の中、こんなのばっかりですよね。

 

だから、節約もほんと油断するとあっさり「貯まった額」に支配されちゃうんです。何かもっと大きな目標があったはずなのに、しれっとゴールに居座られちゃう。

 

人間、さらっと詐欺られちゃうんです、悲しいけれど。