雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

宝くじを買う人が情弱とは限らない

こんな記事があったんですけれど、

 

宝くじを買うのって情弱な人だけでしょ宝くじを買うのって情弱な人だけでしょ

 

読んでみて、ああもう、モヤモヤが止まりません。

 

この記事の主旨は大きく2つです。

 

①宝くじは換金率が超悪いので、こんなものでお金をゲットしようとするのは愚かな人間

②宝くじは運の要素しかないので、こんなものに頼るのは自分で人生を切り開く意志が薄弱な愚かな人間

 

この2点を併せて「宝くじを買う人は情弱(情報弱者)だ」と筆者は断じてらっしゃいます。

 

ええ、宝くじというものの換金率が悪いことと、運の要素が強いことは確かです。

ぶっちゃけ、私も宝くじを基本的に買わない人間で、その理由としてこの2点の影響が無いとは言えません。

 

ただ、私がこの記事を読んでモヤモヤが抑えきれないのは、ここまで人を情弱呼ばわりしておきながら、宝くじを評価するための「情報」の挙げ方が非常に偏っていることです。

宝くじの短所ばかりを挙げて責めてはいるのですが、長所についての「情報」の分析が全然なされてないのです。

何事も一長一短はあるものです。短所だけで議論するのはフェアな批判とは言えないでしょう。

 

というわけで、今回勝手ながら私なりに宝くじというシステムの特徴について情報を補足してみたいと思います。

 

期待値だけでは宝くじを評価できない

まず1点目の、宝くじは換金率が悪いので、お金稼ぎには向いていないというお話。

「お金」の運用を考えるにあたって、この換金率、すなわち期待値は確かに非常に大事な要素です。高ければ高いほどもちろん儲かりますし、低ければ低いほど損しやすくなります。宝くじにいたってはその期待値が購入費用の45%程度ということですから、とても分が良い勝負とは言えません。

しかしどれだけ重要だといっても、期待値が全てでは無いのです。

 

その最たる例が保険です。

生命保険、医療保険、火災保険、自動車保険などなど、世の中には様々な保険がありますが、これらに無縁で過ごして来られた方ってどれぐらいいらっしゃるでしょうか?

日本には全員参加の国民健康保険もありますから、まずそんな方はいないでしょう。

 

さて、この保険という商品、実は「宝くじ」と同じ仕組みなのです。

毎月払う保険料が「くじを買うお金」で、不幸なことが起こった時に支払われる保険金が「当選金」です。

つまり、保険とは、こう言ってはなんですが、「不幸な出来事」を「当たりクジ」とする「宝くじシステム」なんです。違うのは宝くじと違って参加者が「当たらないで欲しい」と願っていることぐらいでしょう。

 

実際、期待値だってマイナスです。

それは当然ですよね。間に入ってる保険会社の利益や必要経費などを途中で抜かなければならないのですから、プラス設定では保険会社が立ち行かなくなってしまいます。

 

では、期待値が低いからといって「保険に入るのは情弱」と言ってしまっていいでしょうか?

悪質な商品であればそういうこともあるかもしれませんが、一概に「保険=情弱」なんてことは言えませんよね。

 

その理由は、保険とは何のためにあるかを考えれば当然のことです。

 

保険は「期待値を追求するため」ではなく「リスクをコントロールするため」にあるからです。

 

期待値とリスク

期待値だけで宝くじを評価してしまった場合、抜け落ちる大きな情報の一つがこの「リスク」の情報です。

 

例えばここに1枚100円のクジが100枚あるとします。

これが、

 

①100枚どれも100円当たる

②1本だけ10000円当たって、99枚空クジ

③50本が20000円当たりクジで、残りの50本は-19800円の外れクジ

④1本が100000000円当たりクジで、残りの99本が-1010000円の外れクジ

 

どのパターンの配分であっても、期待値は100円で購入費用とトントンです。

じゃあ、クジとしての性質が4つとも同じかと言えば、まるで感触は違いますよね。

①なんて100円払って100円もらうだけの何をやってるか分からないクジですし、④なんて100円で1億円ゲットという一攫千金の夢はありますけれど何か罰金101万円の圧力も素晴らしいので買うのに勇気が要りますよね。正直言って、これらはもはや全く別物のクジと言えるでしょう。

 

結局、期待値というのはそのクジの「真ん中らへん」という基準点を示す情報でしかなく、そのクジの結果の「バラつき」についての情報が入っていないのです(それっぽく言い換えると、「平均だけ見て分布や分散を見ていない」ということになります)。

期待値が同じ100円でも、結果が高くもなったり低くもなったりするのか、更に出費がかさむ場合があるのか、それとも値段の幅は限られていてだいたい結果は安定しているのか、クジの「バラつき」の設計によってこれが大きく変わって来るのです。そして、それはクジの性質を大きく変える大事な「情報」です。

 

これは何も難しい話ではありません。

私たちも日常で使いますよね、「ハイリスク・ハイリターン」って言葉。

まさにこのことなんですよ。

 

例えば、①のクジは「ノーリスク・ノーリターン」ですが、④のクジは「ハイリスク・ハイリターン」というように、私たちはそうやって無意識のうちに普段から評価しています。これは私たちが自然に「バラつき」を感じ取っているからです。

 

そして、期待値だけで宝くじを見るのは、まさにこの「リターン」だけ見て、「リスク」を見ないことに他なりません。

このような「バラつき」を見ない議論でクジの性格を語るには片手落ちなのです。

 

では、リスクの視点で「宝くじ」を見てみると、どうでしょう。

 

ええ、「ノーリスク」なんですよ。

 

なぜなら、一般的な「宝くじ」の設計は②に近く、マイナスのクジはありません。

ですから、「リターン(当選金)」は当たったり当たらなかったりで幅がありますけれど、「リスク(出費)」は「300円×買った枚数」で固定されています。

つまり、宝くじというのは何枚買うかを自分で考えれば、リスクが容易にコントロールできるシステムなのです。もはやバラつきがないので「リスク」というより「コスト」と言ってもいいでしょう。それも、1枚300円で(一応)6億円が狙えるのですから額面だけ見れば非常に低コストと言えます。

これは大きな長所です。

 

保険もまた「リスクコントロール」が長所のシステムです。

保険のシステムを用いれば、いつ起こるか分からない不幸な出来事における「バラつきの多いリスク」を保険金で中和することによって、「リスク」を毎月の保険料という「コスト」に置き換え自身でコントロールできるようになるのです。

仕組みは非常に「宝くじ」と似てますよね。

 

このように、保険は「リスクコントロールするためのシステム」と言えます。

そして、宝くじは保険よりもよりリターンをギンギンに研ぎ澄ますことによって、「ローリスクで一攫千金を狙うことができるシステム」となっているのです。

 

一見「そんなのたいしたことない」と思われるかもしれませんが、これは案外貴重な「特徴」なんです。

 

一攫千金にはリスクが付き物

億単位の金額の一攫千金を狙いたいだけなら、宝くじ以外にも手段はあるにはあります。

 

例えば、株の信用取引とかオプション取引とかFX取引とか。

全財産を費やし、あちこちで借金もしてきて、全力レバレッジをかけて一発勝負!・・・とやれば上がるか下がるか5分5分の世界なので、色々手数料等々もありますから5割に満たないまでもそれに近い確率で一攫千金が狙えます。

 

が。

 

読みを間違えれば5割超えの確率で、一瞬で「マイナス何億円」も夢じゃありません。

 

これが、このやり方の恐ろしいところです。

 

期待値ベースでみると、それでも株やFX取引などの方が宝くじよりおそらく良いでしょう。

ただ、その一方で莫大な「リスク」も抱え込むのがこの手法の特徴で、まさに「ハイリスク・ハイリターン」です。

こんな風に、クジ以外で一攫千金を狙う手法は非常に「リスク」が高いケースが多いんですね。(もしくは、カジノなんかのように参加費用「コスト」そのものがえらく高くつくかですけれど、それだと一攫千金という感じとは違ってきますから本末転倒です)

 

ちなみに、宝くじの対抗馬になる競馬や競艇などの公営競技は期待値は良いようなのですけれど、億単位の配当金は出ないようなので、「宝くじ」に対し「一攫千金感」で劣ってしまいます。

一応競技結果を使うサッカークジtotoなどでは億単位の当選可能性がありますが、これらの換金率は結局「宝くじ」と同じぐらいだそうで、運要素の強さから言ってももはやこれらも「宝くじ」ですよね(なお、競馬のWIN5や競艇のチャリロトは換金率が良いようなのですが、当選金に税金がかかるようなのでどれぐらいお得かはややこしい話のようです)。

 

このように他の一攫千金の手段と比べると、宝くじの「ローリスク(及び低コスト)で(億単位の)一攫千金を狙うことができる」というのは、なんだかんだで非常に際立った特徴と言えることがお分かりいただけると思います。

 

高額のコストを払えるような資金は無いし、リスクは取りたくないけれど、一攫千金を狙いたいという人にとって、「宝くじ」というのは唯一無二の選択肢とさえ言えるのです。

他に、こんなに低コスト、低リスクで大金の夢を追えるものはどこにもないのですから。

 

時間という資産

さて、株などの資産運用も、前項のような極端に「リスキー」なやり方をせず、なるべく堅実に運用すれば、良い期待値のままいつかは大きなお金に育てることができるかもしれません。

もしくは元記事の筆者が言われる通り、仕事に役に立つ情報など「自己投資」をして、それが成功すれば結果的にやっぱり大金を手にできるかもしれません。

 

それなら期待値も高くてリスクも低いので良いように思えます。

でも、これらが宝くじに決定的に劣ってしまう要素があるのです。

 

それは、そう、「時間」なんです。

 

堅実な資産運用も、自己投資も、どうしても大成するのに時間がかかってしまいます。何年、いや何十年かかることだってあるでしょう。あくまで、気の長いお話です。

一方で、宝くじはすぐに結果が出ます。1,2ヶ月もすれば当選金がもらえます。短期決戦です。

 

で、この時間の差というのはバカになりません。

 

分かりやすい話、今1億円もらえるのと、50年後に1億円もらえるというのでは、同じ1億円もらえるといっても全然価値が同じではありませんよね。

下手すると死んでしまってそもそも受け取れないかもしれませんし、受け取ってももう年老いてしまっていてそれを使う元気も欲望も無いかもしれません。

やっぱり欲を言えば、同じ大金を手に入れるにしても、今元気で買いたいもの使いたいことがいっぱい思いつくうちに受け取りたい、それが多くの人にとって本音ではないでしょうか。

 

そう、人にとって時間というのはお金と同じか、それ以上に大事な資産です。

そんな大切な「時間」がかかるかどうかというのは、期待値だけでは量れない非常に大事な要素です。

にもかかわらず、「短時間」という大事な長所を抜きに、宝くじを自己投資と比較するのはとても乱暴な議論と言えるでしょう。

 

 リターン、リスク、レート、タイム

まとめますと、宝くじを始めとしたお金獲得手段を評価するのに大事な要素は大きく4点あることが分かります。

 

①リターン

どれだけ大きな金額が狙えるかという要素です。

ここでは期待値ではなく、予想最高獲得金額と出費額の比のニュアンスになります(確率要素は次のリスクやレートに含めるため)。レバレッジに近い感じですね。

100円で1億円狙えるシステムならハイリターンですが、9999万円で1億円狙える程度なら比が小さいのでローリターン扱いです。

当然リターンは大きければ大きいほど良いことになります。

 

②リスク

大きな支出を払う可能性があるのか、固定された出費(コスト)ですむのかという要素です。

損失のバラつきの有無と言ってもいいでしょう。

宝くじのように払った金額までで損失が止まるのか、FX取引のようにどこまでも損する可能性があるのか。

同じ損失期待値なら、当然バラつきが無く安定している方がうれしいことになります。

 

③レート

当選確率です。(probabilityの方が本当はそれっぽいかもですが)

リターンがいくら大きくても、この「レート」当選確率が低ければ、期待値は下がってしまいます。

当然レートも大きければ大きいほど良いことになります。

 

④タイム

その名の通り、時間です。

短期間で賞金を獲得できるのか、長期かかるのか、ですね。

同じ金額をもらえるなら、出来る限り短期間の方が良いことになります。

 

 

ぶっちゃけ、ちょっと要素のニュアンスが綺麗に分かれてないところもあるのですが「ハイリスク・ハイリターン」の言い方のニュアンスを元にすると実用上はこんなところかと思います。

 

以上の要素を用いて、宝くじ等々を評価するとこうなります(赤は長所青は短所)。

 

・宝くじハイリターンローリスクとてもローレートショートタイム

 

・競馬:ややハイリターンローリスクややローレートショートタイム

 

・ハイレバFX勝負ハイリターンハイリスク・一応ミドルレート・ショートタイム

 

・堅実な資産運用:ミドルリターン・ミドルリスク・ややハイレートロングタイム

 

・お給料:ややローリターンローリスクハイレートロングタイム

 

・自己投資:リターン不明・ローリスク・レート不明・ロングタイム

 

細かい裁量は私の独断と偏見ですけれど、だいたいこんな感じかと思います。

 

細かいところは大目に見ていただくとして、とにもかくにも、この一覧で私が言いたいことは「全部の要素に優れた手段なんて無い」ということなんです。

 

要は、ローリスクで確実に短時間で大金が手に入る――そんなものは無いってことです。

 

せいぜいそれが実現できるのは、「打ち出の小槌」ぐらいなものです。

だから、どれかの要素を取れば、どれかの要素を諦めるしかありません。あるいはどの要素もバランスよく平凡な程度で納得するしかありません。

 

どの要素も全部重要です。だから、どれを選ぶのも自由ですし、どれを重視するのかも個人個人の個性です。それを他人から非難されるいわれはありません。

 

宝くじにチャレンジする人は「リターン」と「リスク」と「タイム」を重視して、その代わりに「レート」をかなり犠牲にしただけの話です。

それは一つの選択であって、何にも恥ずかしいことではありません。

 

それを笑う人は、ただ「レート重視」な好みを持っているだけであって、その分、間違いなく「リターン」と「リスク」と「タイム」のどれかを犠牲にしているのです。ただの価値観の違いでしかなく、別に偉くも何ともありません。

 

人事を尽くして天命を待つ

さて、冒頭②の「宝くじは運要素だけで――」についての話は、文章が長くなってきたのでちゃちゃっと簡単に書きますね・・・。

 

まず運要素以外の努力の要素も盛り込もうとすると、どうしても「タイム」が犠牲になるというのが一つ。宝くじを考えなしに買う代わりに他の何かに努力や時間を費やしているならそれはそれでいいのではないでしょうか。

 

あと、ちょっと哲学的な話になりますが、自分で努力したり選択したりしていると思っていても、それは本当に「努力」なのか「自由意思」なのかどうか分からないというのがあります。

 

「努力できるのも才能で、その才能を運良く持って生まれて来た人が努力できるだけ」という説や、「脳も物理法則に従うのだから、脳の原子や分子の状態によって次の瞬間考えることは自動的に決まっているはず。私たちが勝手に自由意思を持ってると思い込んでるだけで本当は自由意思なんて無い」という説を聞くと、けっこう悩ましくないでしょうか?

 

もちろんこんなのは結論は容易に出ない議論なのですけれど、ただ、ここで言いたいのは「努力してるかどうかなんて、本人にも把握が難しいのに、他人からとやかく言ってもしょうがない」ということです。

 

宝くじを買ってる人だって、傾向と対策をして、番号を選んだり、買う店を選んだり「努力」をしてる方は多くいるでしょう。

それを他人の目線で笑うことができるのかどうか、それが競馬新聞にチェックを付けるのとどこが違うのか、勉強をしたり仕事の腕を磨いたりするのと本当に違うものなのか、実はけっこう難しい話なのです。

 

⇓なお、過去記事でこのテーマで話を書いています。

 

なぜ人は努力するのか - 雪見、月見、花見。なぜ人は努力するのか - 雪見、月見、花見。

「あなたは努力が足りない」とか、「私は大変に努力したので、成功できました」とか、そんな自分や他人の努力を量るような言葉たち。人の努力の量をさげすんだり、自分の努...

 

 

そう、私たちの人生において、結局どこまでが運で、どこまでが自分の努力なのか選択なのか、意外と不確実です。

そして、結果が良かった場合においても、努力が実ったからのか、それとも努力とは関係なかったのか、もしくは努力はむしろマイナスだったのか、それもけっこう判別は難しいんですよね、実は。

 

でも、本人なりに努力してみるしかない――人ってそういうものなんでしょう。

 

 

 

「人事を尽くして天命を待つ」と言います。

 

結局私たちは「天命」から逃れることはできないですし、そして「人事を尽くしたかどうか」は本人たち自身のみに問いかけられていることで、人がアレコレ言うことではないのだと思います。

 

 

 

 

<参考記事>

図録▽賭事・ギャンブルゲームの控除率(テラ銭の割合)

 

 

 

 

P.S.

ああ、やっぱり結局長くなっちゃいました・・・すみません(´・ω・`)

 

今回の記事ではあくまでマネーゲームとして宝くじを分析しましたが、宝くじを買うこと自体がワクワクして楽しいという娯楽性や、収益が公的資金に充てられるという公益性などの面も合わせると更にややこしくなります。

 

そもそも「宝くじって割がいいよね!」って思って宝くじを買ってる人ばかりなら元記事の主張も一理あると思いますけれど、そんな人ついぞ見たことはありません。

宝くじ買うのは、「割が悪いのは分かってるけど・・・やっぱ大金の夢を見たい」って人がほとんどのような気がします。

そこに「割が悪いよ」ってガミガミ言うことにどこまで意味があるのか、私には微妙に思えるのです。

 

また、宝くじに別に人生を賭けようというのではなく小さな趣味として何気なく買ってる人ばかりでしょうに、「自分で人生を切り開かなきゃ」と言うのもちょっと暑苦しすぎるような気がしてなりません。