勘合
かんごう
中国、明(みん)が諸外国との通交において、正式の朝貢船に所持を義務づけた渡航証明書。江戸時代以降、勘合符ともよんだが、当時の記録には単に「勘合」とのみ記されている。明政府が海賊や倭寇(わこう)を取り締まり、私貿易を禁止するために発行したもので、1383年に暹羅(シャム)、占城(チャンパ)、真臘(カンボジア)に交付したのが最初。日本には1404年(応永11)に来日した明使によってもたらされた。勘合は一種の合わせ札で、日本との間では、国名「日本」の2字を分け、日字と本字についてそれぞれ一号から百号まで番号を付した各100道(100通)の勘合がつくられた。同時に、それを検査するための原簿として日字号勘合底簿2扇、本字号勘合底簿2扇もつくられた。このうち本字号勘合100道と日字号勘合底簿1扇が日本に交付され、その他は明に置かれた。遣明船は1船ごとに本字号勘合をもって入明し、寧波(ニンポー)と北京(ペキン)で底簿と照合されて検査を受けた。逆に明船は日字号勘合を携帯して来日する定めであった。『戊子入明記(ぼしにゅうみんき)』という記録より推定すれば、「本字壹號」と印した紙の、文字の中央から左半分を勘合とし、右半分を底簿に綴(つづ)ったものとみられる。勘合の大きさは縦約82センチメートル、横約36センチメートル。明皇帝の代替りごとに発行され、旧勘合は明に返された。
[池上裕子]
『田中健夫著『対外関係と文化交流』(1982・思文閣出版)』
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勘合
かんごう
明国が外国との貿易で海賊船や密貿易を防ぐために作製し,シャムをはじめ日本などに与えた割符 (わりふ)
日本の場合,「日本」を2字に分け,紙に「日字壱号」から「日字百号」,「本字壱号」から「本字百号」まで各100道(通)を墨印で押し,それぞれ中央から折半して一方を勘合,他を綴って勘合底簿とした。日本には本字勘合と日字底簿があり,日本からの貿易船は本字勘合を携帯して明の底簿と照合し合致すれば正式なものと認められた。同様に明からの船は日字勘合を持参し日本で底簿と照合する。明の改元のたびごとに100通ずつ新旧交換された。
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かん‐ごう ‥ガフ【勘合】
〘名〙
① (━する) 調べ合わせること。照合すること。
※三代格‐一二・貞観五年(863)九月二五日「太政官符召二朝集使一為レ例勘合」
② 室町時代、対明貿易(勘合貿易)で、正式の遣
使船であることを証明し、同時に船数を制限するために明が発行した渡航許可証。当時日本のほかに、アジア諸国に対して発行された。明船の携行する日字勘合と遣明船が携行する本字勘合の紙券があった。勘合紙。勘合符。
※
蔭凉軒日録‐長祿三年(1459)八月二〇日「故勘合之事。伊勢守白
レ之伺
レ之」
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かん‐ごう〔‐ガフ〕【勘合】
[名](スル)
1 照らし合わせて真偽を確かめること。また、よく考え合わせること。「原本と勘合する」
2 明代の中国で、正式の使船の証として外国に与えた割符。日明間では「日本」の2文字を分け、明船は「日」字を日本船は「本」字を持参し、相手国の底簿と照合した。勘合符。
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
世界大百科事典内の勘合の言及
【勘合符】より
…〈勘合〉の俗称。勘合の本来の意味は〈かんがえあわせること〉であり,中国では軍事,外国交通,銭糧の収支,官吏の公務出張などの証明の割符(わりふ)のことをいった。…
【勘合貿易】より
…日本の遣明船によっておこなわれた日明間の貿易に対する俗称。一般には,勘合(勘合符)を用いておこなわれた貿易と解されているが,勘合は船舶の渡航証明書ではあるけれども貿易の許可証ではなく,勘合貿易という用語は日明間の貿易の実体を正しくいいあらわしたものとはいえない。むしろ,勘合を所持した勘合船の貿易とか,遣明船の貿易とか表現する方が適当であろう。…
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