旺文社日本史事典 三訂版「日明貿易」の解説
日明貿易
にちみんぼうえき
明国の倭寇禁圧要求と室町幕府の貿易の利益追求が背景。1401年足利義満の朝貢使派遣で始まり,'04年より朝貢勘合船形式となる。義持のとき一時中絶('11〜31)したが,'32年義教 (よしのり) が再開,1547年に終わる。輸出品は刀剣・硫黄・銅など,輸入品は銅銭,のち生糸・絹織物など。明文化移植に貢献した。
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室町時代に行われた勘合貿易の慣習的な呼称。日本と明国との貿易の意。
[編集部]
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…広島県東部,瀬戸内海に面した港湾商業都市。1870年(明治3)久保,十四日(とよひ),土堂の3町が合体して尾道町となり,98年県下で2番目に市制を施行する。人口9万3756(1995)。市域の大部分は標高100~300mの丘陵性山地であるが,市街地は幅300mの尾道水道に面して東西に細長い。尾道の名も,町並みが海に迫る〈山の尾〉のすそをはう〈道〉に由来する。尾道の生命は港であり,歴史もそこから始まる。…
…応永末年に渋川氏が没落すると,大内氏と少弐氏の間で博多支配をめぐる激しい抗争が続いた。15世紀中期には博多は大内教弘によって掌握され,大内氏はここを拠点として日明貿易にのりだした。15世紀後半から16世紀前半にかけて,博多は大内氏の遣明船派遣の拠点となった。…
…中国,朝鮮,琉球,東南アジア等,海外への窓口であった博多には商人群が形成され,しだいに外国との貿易に従事して,東アジアを舞台に活躍した。日明貿易においては,足利義満に明への通交を勧め,みずからも初回の遣明副使となった肥富(こいつみ)は博多商人とされているし,大内氏の勘合貿易を担ったのは,奥堂氏,神屋氏,河上氏,小田氏といった博多商人であった。神屋寿禎は大陸から先進的な銀の精錬技術を輸入し,石見銀山の開発に利用したといわれている。…
※「日明貿易」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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