完全試合は春のセンバツでしか達成されていない。
最初は比叡山相手に超進学校・前橋の松本。
次戦ではこの大会の準優勝チーム福井商に滅多打ちを喰らう。
二人目は江ノ川相手に、金沢の中野が達成。
これも次戦ではPLに4-0で敗退。
この二人のみだ。
だが、夏、あと1死まで迫った投手がいるのだ。
1982年の第64回選手権大会に出場した佐賀商の右腕・新谷博。
初戦で対戦した木造(青森)を相手に味方打線が7点の大量援護。
試合が進むにつれ、注目は勝敗より、完全試合なるかどうかに移っていった。
しかしである。9回2死。2ボール1ストライクから投げた97球目は打者を直撃。
あと1人でまさかの死球となり、大偉業を逃した。
それでも続く打者を打ち取ってノーヒットノーランは達成。
偉業には違いないが、逃した魚は大きかった。
佐賀商は2回戦も東農大二(群馬)を破ったが、3回戦で津久見(大分)に敗退。
後輩が全国制覇を果たすのはそれから12年後、1994年の夏、激的な満塁ホームランで実力では上とみられていた鹿児島樟南に勝ち、九州決戦を制した。
新谷はヤクルトの2位指名を拒否。
駒澤大、日本生命を経て1991年ドラフト2位で西武入り。
くしくも後輩が全国制覇を果たした1994年に最優秀防御率のタイトルを獲得するなど、プロ通算54勝47敗14セーブの成績を残し、日本ハム移籍後の2001年に引退した。
引退後は日本ハムのコーチや女子日本代表監督などを経て、現在は西武ライオンズ・レディースの監督を務めている。
疑惑のセンバツ校 昭和編5
1986年センバツ
関東最後のイスに宇都宮南。
本大会では準優勝。
地区未勝利の岡山南が選抜。本大会はベスト4.
選考委員の目が素晴らしい。
関東から推薦されたのは20校。今回も出場枠4校を確保した。
まずは選考対象の絞り込みから。
関東大会ベスト8進出の8校が最終候補に残り、最初に優勝した拓大紅陵が文句なしで当選した。投攻守で一頭抜きん出ており、特に打力は関東で一番とも言われる。早くも総合力で出場校全国Aランクの称号を得た。
続いて準優勝の関東学園大付も順当に当選。大型右腕・霜田の力投と手堅い野球で選抜初出場を勝ち取った。
続いて4強進出で、速球派・浅川の好投が光った甲府商が3校目で当選。
最後の4校目には同じく4強の宇都宮南が有力と見られたが、コールド負けがマイナスとなりすんなり決定とはいかず。桐蔭学園と土浦日大を加えて論議を重ねることになった。
最終的に宇都宮南が神奈川1位の横浜商を降すなど打力があることと、1年生右腕の高村の成長を期待するということを理由に当選した。
補欠校は1位が桐蔭学園、2位が土浦日大になった。
中国からの推薦は15校。しばらく出場枠3校が続いていたが、今回は好投手が揃いレベルが高いという評判もあり、出場枠4校を確保した。
中国大会決勝で延長の激闘を演じた尾道商と防府商の2校は全く問題なく当選を決めた。
尾道商は木村、真治というタイプの違う投手を擁し、攻守のバランスも良く全国Aランクと高い評価。
防府商も打撃の迫力では負けていない。
3校目に当選したのは安定した防御率を誇る主戦・上田がいる広島工。
4校目のイスを争ったのが多々良学園と岡山南。共に尾道商に敗れたということで、その試合内容を比較。
地区大会未勝利ながら尾道商の打線を5回まで無安打に抑えた主戦投手・加百がいる岡山南が投手力を買われて最後の枠を獲得した。
補欠校は1位が多々良学園、2位が平田。
岡山1位の関西も選考に絡んでくると思われたが、最終候補には残らなかった。