(その1からの続き)
二輪はタイヤが路面と離れたら
基本的には転ぶ。ウイリーやジャ
ックナイフは別として。
立ちゴケという転倒は警察庁は走行
転倒とは分けて認識して研究してい
ます。
立ちゴケは路面とタイヤのトラク
ションの高低、有無は関係ない。
タイヤが接地状態でグリップして
いるのにバランスを崩して車体が
倒れる現象だからです。
「運転中」ではあるが「運行中」
にあたる「走行中」ではない。
ごく超低速のパタンという転倒は
車両が走行している限り、全て
「走りゴケ」です。
つまり、事故なんです。
現代は40数年前とは違って、自由
自在に乗って二輪の動き方を確かめ
られる練習場所があまりないのが
不幸だとは思います。
でも、「操作」という事に関しては
いくら一般的なライディングスクー
ルに行ったとしても上手くはな
らないと思う。教習所に準じた
安全指導しかしないのだとした
ら。
らないと思う。教習所に準じた
安全指導しかしないのだとした
ら。
どうせフットブレーキ踏めとか、
ブレーキ4本掛けとかでしょう?
ウイリーやったり、60キロで走行
してきてリアブレーキをロック
させて挙動を知って危険な事は
しないように避ける、とかの実践
的な事は教えないでしょう?
させて挙動を知って危険な事は
しないように避ける、とかの実践
的な事は教えないでしょう?
スタンディングを練習させたりと
かも。
参加者みんなに電車みたいな運転
を指導するだけで。
プロテクターをちゃんと着けて、
50ccや80ccのギア付きオートバイ
でダートや未舗装路を全開まで走
らせてあげて二輪車の動きの根本
的なところを知ってもらうとか
はやってない。
まだ、安全な許可得た駐車場とか
で8の字や60キロからの急制動等
をやらせてあげて二輪車の動きを
知る事をやるほうが役に立つ。
私はローティーンとハイティーン
の時にオフロードで散々練習しま
した。めちゃくちゃ役に立った。
あと、トライアルを訓練したのも
とても運転操作の原理を知るのに
役に立った。
もし、そうした「操作」「操縦」
について教えているスクールが
仮にあったとしたら、それは
めっけもんです。どんどんと
リサーチして行ったほうがいい
と思う。
仮にあったとしたら、それは
めっけもんです。どんどんと
リサーチして行ったほうがいい
と思う。
そこで嘘を教えているかどうかは
自分で判断するしかないけど。
小さなオートバイのほうが挙動が
よく判ります。
そして扱い易い。
自分が扱えるオートバイに乗って
上達して行くというのはセオリー
です。
排気量の小さな、車体も軽いオー
トバイで未舗装地面での練習。
これが一番オートバイの乗り方が
上手くなる方法です。
よく考えながら。
ちなみに私と高校のクラスメート
(のちの国際A級でマン島走った
奴)は1976年時点で二人ともハング
フォームをやってました。オフ訓練
でも。
当時ロードのコースでハングフォーム
をやっている人は国内レースでは
ごく一部しかいなかった。公道では
ハングフォームをやってた人は皆無
です。
同期に近い平さんでさえノービス
の転びの平だった頃はコースでも
極端なハングフォームではなかった。
私と同期の小沼賀代子も堀ヒロコ
さん(サンデーレーシング)も70
年代にはウイズだった。
ハングオンとかの単語はまだ存在
しておらず、私たちは「ソウ乗り」
と呼んでいた。
当時の誤った伝搬としては、ハング
フォームなどは必要ない、という
雑誌やわかったような事を言う
大人たちの言い回しでした。
タイヤの発達云々とは別に、同じ
旋回ならば同速度で車体が起きて
いるほうが駆動をかけられると
いう物理的に絶対に外せない事が
存在したのに、ハングフォームが
奇異なものだからとして否定する
連中が1976年時点では多かった。
ではなぜヤーノやケニーはやるの
よ、という事については合理的な
説明をする事を避けて、ただ否定。
コースでも公道でもハングフォーム
によって得られる物理特性は絶対
にあるのに、それをスルーしようと
躍起なのよね。1970年代は。
今もそういう意味不明な人がいたり
するけど。
なお、ハングフォームとイン側の
膝開きと膝すりは、三者ともすべて
リンクはしているけれど別理論です。
イン側の膝開きは1960年代のWGPで
すでに世界トップはやっていた。
あれはバランス取りのためです。
フルバンクでは腕の肘が下側を向い
て結果的に肘が開くのと同じ類。
バンク中ではインの肘を閉じると
バランス取りに不自然な不具合が
生じるから下を向ける=形として
はインの肘は開く。
オフでは外の肘も開く形になる。
カタチとしては。
私もクラスメートのそいつもオフ
ロードの小排気量車で両輪を同時
に滑らす事を覚えた。
いろんな事が見えました。
私の中で不明瞭だった事を教えて
貰ったのは私をすごく目にかけて
くださった三井晃さんと三原嗣厚
さんとヤマハ系の某チームオーナー
でした。
幻のヤマハ50ccワークス2気筒
レーサーを私が毎日磨いていた
頃。
そして、なによりも80年代に入っ
てからの「乗り方」の師匠は柳沢
雄造さんでした。
特にYUさんだけは飛びぬけていた。
仙人みたいだった。二輪の虫。
私の高校時代のチーム監督も言わ
ないような「やめちめぇ」てのを
ちょっとでもショボい事をやって
たら即言うし。酔っていつものよう
に炬燵で寝ながらもシラフの時にも。
岩男さんが死んじゃった時には酒瓶
かかえて泣きながら雄造さんは寝て
しまった。
店に行った時、ちょっとでも私の
街乗りの2ストの排気管出口が手で
触って湿っていたら雄造さんは即
「(乗るの)やめちめぇ」です(笑)。
そして、フレームについての事を
いろいろ教えてもらった。てんで
20代前半にはサッパリ本当の内実
が分かってなかったけど。
特に「よじれと旋回性の関係」に
ついて。
ユーさんはロータックスのような
エンジンでフレームを作ってレー
サーを完成させるのが夢だった。
そのためにやむなくチャンバー屋を
やって資金を稼いでいた。
その夢も叶わぬまま、ユーさん自身
が不摂生から若死にしちまったけど。
雄造さんにいろいろ目の鱗を取って
もらったら、私は公道では一切転ば
なくなりました。コースではまだ
転んでいたけど、公道では全く転ば
ない。物理的なカラクリが解った
からです。武術のお師匠様みたいで
怖い人だった。
とにかく、未舗装路で小さい車で
何がどうなのかを覚える。
これに尽きます。
コースでは散々ぱら転んでもいい
のだろうけど、公道では絶対に
転んではいけません。「事故」だ
から、それ。
てからの「乗り方」の師匠は柳沢
雄造さんでした。
特にYUさんだけは飛びぬけていた。
仙人みたいだった。二輪の虫。
私の高校時代のチーム監督も言わ
ないような「やめちめぇ」てのを
ちょっとでもショボい事をやって
たら即言うし。酔っていつものよう
に炬燵で寝ながらもシラフの時にも。
岩男さんが死んじゃった時には酒瓶
かかえて泣きながら雄造さんは寝て
しまった。
店に行った時、ちょっとでも私の
街乗りの2ストの排気管出口が手で
触って湿っていたら雄造さんは即
「(乗るの)やめちめぇ」です(笑)。
そして、フレームについての事を
いろいろ教えてもらった。てんで
20代前半にはサッパリ本当の内実
が分かってなかったけど。
特に「よじれと旋回性の関係」に
ついて。
ユーさんはロータックスのような
エンジンでフレームを作ってレー
サーを完成させるのが夢だった。
そのためにやむなくチャンバー屋を
やって資金を稼いでいた。
その夢も叶わぬまま、ユーさん自身
が不摂生から若死にしちまったけど。
雄造さんにいろいろ目の鱗を取って
もらったら、私は公道では一切転ば
なくなりました。コースではまだ
転んでいたけど、公道では全く転ば
ない。物理的なカラクリが解った
からです。武術のお師匠様みたいで
怖い人だった。
とにかく、未舗装路で小さい車で
何がどうなのかを覚える。
これに尽きます。
コースでは散々ぱら転んでもいい
のだろうけど、公道では絶対に
転んではいけません。「事故」だ
から、それ。
Uターンについても物理的なカラ
クリをまず小さなオートバイで
よく理解して、それからオンロー
ドでもその「正しい理解」を実践
すれば、公道で危険なヘマはやら
ないと思います。
まずは心が無垢になる事。
そこからです。
目にこびりついた厚いウロコを落
とすのは。
私は指導者でも何でもない。
ただの二輪乗り。
でも、長年全く転ばないし、立ち
ゴケは一度もやった事がない。
日本刀での抜刀納刀で瞬速抜刀や
納刀でも一度も手を切った事がな
いように。
それは、「正しい理論と動きの
理屈」についてほんの少し理解を
深めているからだけの事です。
しかし、結果は事実としてついて
来ている。
そんな二輪の乗り屋が自分の経験
を背景に物を言ってるだけです。
を背景に物を言ってるだけです。
そこんとこ、ヨロシク。
私をやみくもに非難する前に、自分
自身が安全運転を。
ご自身の無事故の事実の積み重ねの
実行が歩行者や通行車両等の他者
への危険を遠ざけます。
への危険を遠ざけます。
それが望み。
公道を走る二輪では転ばない事。
四輪車も二輪車も事故を起こさない
事。
転倒は、たとえ立ちゴケでも「事故」
であると心得ましょう。
事故ではない、よくある事、など
と甘い捉え方だと、そのうちまず
取り返しのつかない大事故を起こし
かねません。
緒を締めて、グッドライドを。
二輪の楽しみは安全確保から。