民間人の犠牲も厭わず、ウクライナ侵攻を続けるプーチン氏。だが、そんな男を増長させてきた政治家が日本にもいた。甘い夢を見続けた元首相をはじめ、彼らは一体、どこまでプーチン氏に“媚び”を売っていたのか――。
▶︎安倍晋三「北方領土は返ってくる」を信じた“お花畑外交”
▶︎森喜朗礼賛語録「プーチンは義理堅い男」「昔の日本人」
▶︎岸田文雄超親露派鈴木貴子を副大臣にした「聞く力」
▶︎鳩山由紀夫「侵攻の原因はゼレンスキーの虐殺」だって
前年のロシアによるクリミア併合の記憶も新しかった、2015年5月22日。国会では、岸田文雄外相(当時)に対し、白いジャケット姿の女性議員が舌鋒鋭く詰め寄っていた。
「実効性のないロシアに対しての制裁というものは、やめたほうがいい。それが国益に資すると、私は思っております」
声の主は、民主党議員だった鈴木貴子氏。現在の岸田政権において、外務副大臣の要職に就く人物だ。
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世界に衝撃が走ったロシアによるウクライナ侵攻から約2週間。ロイター通信によれば、一般市民を含め3000人を超える死者が出ているが、プーチン大統領が戦争を止める気配はない。
「岸田首相は『こうした暴挙には高い代償を伴うことを示す』などと発言していますが、ロシア側からは欧米と比べ、与(くみ)しやすしと見られています。その要因が、貴子氏の存在。父である鈴木宗男参院議員譲りの“超親露派”にもかかわらず、ロシアを含む欧州局担当の外務副大臣に起用したのです」(自民党幹部)
実際、貴子氏の国会での言動を振り返ると、プーチン氏への“肩入れ”ぶりも目立つ。その手法は、「宗男氏も得意な」(同前)質問主意書の連発だ。
ロシアがクリミアに侵攻した14年3月。駐ウクライナ大使が「ロシアは世界の安保秩序を揺るがす」と述べたことに対し、貴子氏は以下のような質問主意書を提出している。
〈政府としては、現在のウクライナ政府には危険な民族排外主義的傾向があるとは認識していないということか〉
政府は「同国の現暫定内閣は、最高会議の承認を受けている」と回答したが、貴子氏はその後も2度、同じ趣旨の質問主意書を提出。一方で小誌が国会会議録を精査したところ、クリミアに侵攻したロシアの姿勢を問うような質問主意書は一枚も確認できなかった。
さらに、約1年後、当時の安倍晋三首相がプーチン氏の来日を模索していた15年3月には、こんな質問主意書を提出している。
〈プーチン大統領に来ていただきたいと思うなら、誠意をもって日程調整等すべきと考えるが、現段階でどうなっているのか。以上正直に答えられたい〉
プーチン氏への“誠意”を示せと説く貴子氏。そして、冒頭のように「制裁はやめたほうがいい」と岸田外相に強く訴えたのだ。
「駐日ウクライナ大使が、貴子氏に面会要請を放置されたなどとツイートしました。後に削除されましたが、ウクライナ側が不信感を抱く背景には、こうした経緯があったのでしょう」(外務省関係者)
そんな貴子氏を、自らもかつて国会で詰め寄られながら、岸田首相はなぜ副大臣に抜擢したのか。
「貴子氏の人事が俎上に乗った昨年10月の時点で、外相だったのは茂木敏充氏でした。茂木派に所属している貴子氏は外務副大臣としてロシアを担当することを熱望していると派内では見られており、茂木氏がその意向を汲んだ形です。9月末の総裁選で、岸田派以外で唯一派閥として支持を一本化したのは茂木派だった。首相は、茂木氏の要望を受け入れざるを得ませんでした」(政治部デスク)
もう一つは、父・宗男氏の存在だ。宗男氏は娘の副大臣就任直後、小誌に「もちろん、ロシアの担当だから」と強調していた。
「直前の衆院選で、自民党は、野党が強い北海道で大きな影響力を持つ宗男氏から支援を受け、議席を増やすことができました。首相としては、その恩に報いる必要もある。茂木氏、宗男氏への『聞く力』を発揮した結果、貴子氏を外務副大臣に据えることになったのです」(前出・デスク)
プーチンが開いた森氏の誕生会
北方領土問題を担当する沖縄北方担当相を務めた経験もある衛藤晟一参院議員はこう懸念を示す。
「今のウクライナ侵攻は、ロシアのクリミア併合の延長線上にあるものです。クリミア併合の後にもそのような質問主意書を提出しているのは、おかしい。そういう人物を副大臣に起用するのは、日本の姿勢として問題だと思います。総理が注意をするのか、交代させるのか、一国のトップとしての姿勢をはっきり示さなければなりません」
だが、岸田首相だけではない。日露外交の歴史を紐解くと、数々の首相経験者がプーチン氏を増長させてきた事実が浮かび上がるのだ。その始まりは、プーチン氏が大統領に就任する直前の00年5月。時の首相は森喜朗氏だった。
「森氏も4月に首相になったばかりでしたが、特使としてロシアに派遣されていた鈴木宗男氏がプーチン氏に『首相として最初の訪問国をロシアにする』と売り込み、日程をセットしたのです」(政府関係者)
森氏は後に、初対面をこう振り返っている。
〈1日一緒に居て、夜はアイスホッケーを観戦したから、おそらく10時間以上会っていましたよ。それで何となく人間的に理解し合ったんです〉(「経済界」14年1月7日号)
同年7月には、沖縄サミット出席のためにプーチン氏が初来日する。だが、平壌経由で来日したプーチン氏は遅れて到着。遅刻に怒ったフランスのシラク大統領(当時)に、森氏が、
「彼は金正日の情報を我々に提供するために北朝鮮に寄ってきてくれたんだ」
と取りなす一幕もあった。
01年3月、森氏は首相退任前の最後の外遊でも訪露。帰国後に辞任することを伝えると、プーチン氏は悲しげにこう言ったという。
「本当はヨシと(日露の)問題を解決したかった」
以降も、森氏は“人間的に理解し合った”プーチン氏との交流を続けた。
「プーチン氏と会う時はたびたび、柔道五輪金メダリストの山下泰裕氏を同行させた。大学時代から柔道家として鳴らしたプーチン氏の師匠が山下氏を深く尊敬しており、山下氏を連れて行くとプーチン氏が喜ぶからです」(森氏の知人)
一方のプーチン氏も、17年に森氏をロシアに招き、誕生祝いのディナーを振舞ったことがある。
「プーチン氏は森氏を宿泊先のホテルに送り、同行していた森氏の娘さんにまで挨拶をする気配りを見せました」(同前)
長年の交流を経て、森氏はプーチン氏をこう“礼賛”するようになる。
〈義理堅い男なんだよ。(略)昔の日本人はこうだったな、って感じかな〉(産経新聞18年11月19日付)
森氏に過去の言動などについて見解を求めたが、
「政界を引退してすでに長期間経過しており、回答は控えさせていただきます」
そして――。
プーチン氏との人間関係を重視する“森路線”を継承し、北方領土問題の解決を目指したのが安倍氏だ。
「第二次安倍政権で、安倍氏が直接会談した回数が最も多かったのが、プーチン氏(21回)。ただロシアで10回、日本で2回と、安倍氏がロシアに馳せ参じる形が大半だった。政権のレガシーに北方領土問題を据えた安倍氏は、それほど返還交渉に前のめりだったのです」(前出・デスク)
第二次安倍政権の外交戦略を描いたのは、従来の外務省ではなく、今井尚哉(たかや)首相秘書官(当時)を始めとする経産省チーム。返還交渉も例外ではなかった。
「彼らは『ロシアと経済協力活動を行い、対話の機運を醸成すれば、北方領土は返ってくる』と考えていました。安倍氏もその“幻想”を信じていた。これまで外務省が交渉の原則としていた『四島一括返還』を翻し、『二島先行返還』を軸とした交渉へと舵を切っていくのです」(同前)
14年のクリミア併合以降、ロシアに厳しい姿勢を見せてきた米国は、首脳会談や安倍氏の訪露に難色を示していたが、安倍氏はそれを突っぱねてきた。外務省の元最高幹部が明かす。
「プーチン氏は米国の言いなりにならない安倍氏の姿勢を評価し、『シンゾー』と呼びかけるようになりました。16年9月に行われたウラジオストクでの首脳会談では、プーチン氏からのお土産として日本刀が贈られたことがあった。昭和天皇の即位の礼で用いられたものの、戦後、海外に流出していたものです。安倍氏はプーチン氏からの“返還”のメッセージと受け止めた。『こちらも土産をちゃんと考えないと。外務省には任せておけないな』と色めき立っていたのです」
安倍氏がスルーした“警告”
16年12月にはプーチン氏が、安倍氏の地元・山口県を訪問。返還交渉に関する具体的な報道も相次ぎ、期待感は一気に高まった。
しかし、当時の官邸関係者はこう証言する。
「プーチン氏は首脳会談が始まると、まず30分ほどかけて細かな投資案件の話をします。『日本の〇〇社とロシアの△△社が協力することになった』とか『▲▲のプロジェクトが最終決定した』と。北方領土や平和条約について持ち出すのは、安倍氏ばかりでした。プーチン氏は日本から“カネ”を引っ張ることしか考えていなかったのです」
KGB出身のプーチン氏が最も信頼する“4人組”の一人、パトルシェフ安全保障会議書記。彼のカウンターパートは、元外務次官の谷内(やち)正太郎国家安全保障局長(当時)だった。
谷内氏は幾度も、
「パトルシェフは全くやる気がありません」
と“警告”したものの、当の安倍氏は、
「プーチンは『やる』と言うんだけどね」
と、取り合おうとしなかったという。
後に谷内氏は周囲にこう溜め息を漏らしている。
「プーチンは基本的にKGBのスパイ。スパイって人たらしだから。信頼できると思わせるために、相手が喜ぶようなことを言う。安倍さんにもそうだった。ロシアは島を返す気なんて微塵もない。結果的には足元を見られただけだった」
19年9月、ウラジオストクで開催された東方経済フォーラムで「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている」と呼び掛けた安倍氏。だが、翌日に開かれた日露首脳会談で、プーチン氏は冷たくこう告げた。
「日本は2島が返ってくるかもしれないが、ロシアが得るものは何もない」
プーチン氏に義理と人情が通用すると信じた“お花畑外交”はあえなく失敗に終わったのだった。
「安倍氏は最近、核共有論などを饒舌に語っていますが、反面、領土交渉のスタート位置を『2島返還』に後退させた責任に言及しようとしません」(政治部記者)
甘言や土産など、心の襞に触れるプーチン氏の戦略に搦め捕られ、“媚び”を売ることとなった首相たち。
さらに、もう一人――。
〈ウクライナのゼレンスキー大統領は自国のドネツク、ルガンスクに住む親露派住民を「テロリストだから絶対に会わない」として虐殺までしてきたことを悔い改めるべきだ。なぜならそれがプーチンのウクライナ侵攻の一つの原因だから〉
ロシア軍がウクライナの首都・キエフのテレビ塔を攻撃するなど緊迫した情勢が続いていた3月1日。ツイッターでこう呟いたのは、鳩山由紀夫元首相だ。
「鳩山氏の祖父・一郎氏は56年、首相として日ソ共同宣言に署名しました。それもあり、鳩山氏にはロシアに特別な思い入れがあります。15年にはロシア併合後のクリミア半島を訪問。後に『平和で、人々の表情が生き生きとしていた』と感想を語り、顰蹙を買いました」(前出・デスク)
ウクライナ侵攻直前の2月10日には、ガルージン駐日ロシア大使が、翌日に誕生日を迎える鳩山氏を訪問するなどロシアとの親密さが際立つ。だが、件のツイートは、プーチン氏の立場を代弁するかのようだ。
本人に尋ねたところ、
「ツイートが炎上しているのは理解しています。ただ、戦争を終わらせるためには、戦争の原因を理解することも必要です。実際にウクライナ東部では、国連の推計で1万4000人が殺されている。ツイッターで書いた内容は、外務省で欧亜局長をされたこともある東郷和彦氏から聞きました」
しかし、鳩山氏と東郷氏の対談動画を見ると、ゼレンスキー氏が親露派住民を「テロリストだから会わない」と言っていると説明しているが、「虐殺」したとは語っていない。この地域ではウクライナ軍と親露派の抗争で14年以降に1万4000人が死亡したと推定されているが、「虐殺」の根拠は見当たらないのだ。
「鳩山氏といえども、首相経験者。その発言は影響力が大きい。不正確な情報を発信することで、プーチン氏を利することになりかねません」(前出・デスク)
時の首相らがプーチン氏の本質を見抜けず、横暴に目を瞑ってきた結果が、今日の事態を招いてしまったのだった。
source : 週刊文春 2022年3月17日号





