休むという経験値
2022/03/12
高校2年生の時に参加したオーディションでグランプリを獲得。
それがきっかけで熊本から東京へ。
「人が多いって感じました。渋谷とかあの電車に乗って学校に行ってたんですけど、その電車通学っていうのも初めてで。満員電車ってのも初めてだし、なんかすごいもうあの降りて乗り換えて行ったりとかする間も人が多くて前に進めないみたいな。ホームシックをやっぱりすごいなりましたね。親と離れて暮らすのももちろん初めてだし、友達もあの今までの友達が近くにいないし、すごいもうあの毎日毎日電話しておしゃべりしていました」
森高が挑んだオーディションは
映画デビューとコマーシャル、そして歌手デビューが約束されていた。
「最初のお仕事は映画、いきなり演技もしたことない私が演技をしなきゃいけないって言う大変でした。演技はセリフやっても熊本弁がなかなか抜けなくて、もういっつも怒られて。分で言ってるつもりなのに全然伝わらなくて」
そして「NEW SEASON」という曲で歌手デビュー。
「歌が得意だったかって言うと私歌はあんまり得意じゃなかったですよね。楽器の方がすごく好きで、歌はあんまり親とかにもまあまあまあだねみたいなそんな感じだったので、親が一番びっくりしてるかもしれないですね」
そして、初ライブをきっかけに音楽の方にウエイトを置くようになる。
二十歳の時、南沙織のカバー曲「17才」で注目を浴びるようになる。
「今思えば、ほとんど休みがなかったですし。記憶があんまりないと言うか、細かい記憶はもうなんかないですね。あれがあったからこそ、今でもちょっと歌ってられるのかなっていうふうには思います」
テレビにライブに、本当に忙しい日々を過ごす中で
26歳の時に顎関節症になり活動をセーブする。
「休むっていうかもう本当にあの口が開かなくなってしまって、やっぱり2時間歌うってことが無理だったので、直してからやるしかないので、治療しながら進めていくって感じでしたね。でも、そこで初めて長期間の休みが取れたりとかも出来て、初めて友達と海外旅行に行けたりとか、ここでちょっとゆっくりのんびりしてそういうときにもなんか経験、色んな経験して詞とかも書けるかなと」
森高千里にとって20代とは
「20代が一番、仕事的にも忙しかったですし、プライベートの部分でもうなんかいろんな経験をしたし、いろんなことを考えさせられる濃い20代っていうか、濃い年代だったですかね、はい」
それがきっかけで熊本から東京へ。
「人が多いって感じました。渋谷とかあの電車に乗って学校に行ってたんですけど、その電車通学っていうのも初めてで。満員電車ってのも初めてだし、なんかすごいもうあの降りて乗り換えて行ったりとかする間も人が多くて前に進めないみたいな。ホームシックをやっぱりすごいなりましたね。親と離れて暮らすのももちろん初めてだし、友達もあの今までの友達が近くにいないし、すごいもうあの毎日毎日電話しておしゃべりしていました」
森高が挑んだオーディションは
映画デビューとコマーシャル、そして歌手デビューが約束されていた。
「最初のお仕事は映画、いきなり演技もしたことない私が演技をしなきゃいけないって言う大変でした。演技はセリフやっても熊本弁がなかなか抜けなくて、もういっつも怒られて。分で言ってるつもりなのに全然伝わらなくて」
そして「NEW SEASON」という曲で歌手デビュー。
「歌が得意だったかって言うと私歌はあんまり得意じゃなかったですよね。楽器の方がすごく好きで、歌はあんまり親とかにもまあまあまあだねみたいなそんな感じだったので、親が一番びっくりしてるかもしれないですね」
そして、初ライブをきっかけに音楽の方にウエイトを置くようになる。
二十歳の時、南沙織のカバー曲「17才」で注目を浴びるようになる。
「今思えば、ほとんど休みがなかったですし。記憶があんまりないと言うか、細かい記憶はもうなんかないですね。あれがあったからこそ、今でもちょっと歌ってられるのかなっていうふうには思います」
テレビにライブに、本当に忙しい日々を過ごす中で
26歳の時に顎関節症になり活動をセーブする。
「休むっていうかもう本当にあの口が開かなくなってしまって、やっぱり2時間歌うってことが無理だったので、直してからやるしかないので、治療しながら進めていくって感じでしたね。でも、そこで初めて長期間の休みが取れたりとかも出来て、初めて友達と海外旅行に行けたりとか、ここでちょっとゆっくりのんびりしてそういうときにもなんか経験、色んな経験して詞とかも書けるかなと」
森高千里にとって20代とは
「20代が一番、仕事的にも忙しかったですし、プライベートの部分でもうなんかいろんな経験をしたし、いろんなことを考えさせられる濃い20代っていうか、濃い年代だったですかね、はい」