日顕宗の「妄説:1」を破折する(その四) 連載4回
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:1」を破折する(その四)連載4回
妄説:1 日蓮正宗の正しい本尊について教えてください。
日蓮正宗の正しい本尊は、『日蓮正宗宗規』第三条に「本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大漫荼羅を帰命依止(きみょうえし)の本尊とする」と、明確に定められている「本門戒壇の大御本尊」です。
この大御本尊は、宗祖日蓮大聖人が『聖人御難事』に
「此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年大歳己卯なり、仏は四十余年(中略)余は二十七年なり」(新編 1396頁)と仰せのように、御本仏の出世の本懐(ほんがい)として顕わされました。
日興上人の『日興跡条々事』に
「日興が身に宛て給はるところの弘安二年の大御本尊は、日目に之れを相伝す」(新編 1883頁)
と仰せのように、この大御本尊は、日興上人、日目上人と唯授一人血脈付法の御歴代上人によって相伝されています。
日寛上人は
「就中(なかんずく)、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり」(富要 4-221頁)と説かれ、弘安二年十月十二日に御図顕の本門戒壇の大御本尊は、宗旨の根本となる本尊であると教示されています。
代々の御法主上人は、その相伝の権能(けんのう)のうえに本門戒壇の大御本尊の御内証を書写され、本宗僧俗に下付されるのです。
破折
8.「河辺メモ」が明らかにしたこと
「河辺メモ」は実に多くの事実を、我らの前に暴露した。
第一に、『日蓮正宗宗規』に「帰命依止の本尊とする」と定められた「本門戒壇の大御本尊」を、日顕が〝ニセ物〟と断じて誹謗したこと。
第二に、日顕が面授相承など受けていない「僭称者」、つまり〝ニセ法主〟であったこと。
大御本尊をお写しした日寛上人御書写の御本尊を、日顕が「ニセ本尊」と誹謗するわけは、ここにあった。
「ニセものは本物を厭(いと)うというが、要は、日顕自身が『偽法主』だったからこそ、本物の正しい御本尊までニセものと誹謗せざるをえなかっただけなのである」(故・渡辺慈済師)
大御本尊を「ニセ物」と言った不心得者が法主の座に就いた時から、宗門が授与するすべての本尊が「ニセ物」となってしまったのである。
一方、大御本尊を信受する創価学会は、大御本尊の力用を具する日寛上人御書写の御本尊を擁する、唯一の和合僧団となったのである。
さて、まだ釈然としないことが残っている。それは「河辺メモ」で日顕が言い放った言葉である。
「一、戒旦(かいだん)之御本尊之件
戒旦の御本尊のは偽物である。
種々方法の筆跡鑑定の結果解(わか)った。(以下略)」
9. 大御本尊の意義は不動
「河辺メモ」に記される日顕の誹謗の言から、大御本尊不信に陥って退転する者が現れた。だがそもそもが、〝何ゆえに信仰をするか〟の観点に立っていないから、日顕の妖言に目を奪われ、信心の目標を見失うのである。
日顕の過ちは、信仰と文献学とを、混在させたことにあった。信仰とは本来、自分の経験や知識を超えた存在(仏界)を信ずることにある。一方、文献学は諸科学の一部であり、自分の経験や知識に負うものである。両者の視座は、全く異なる。
日顕は、自らの文献学の才覚を恃むあまり、大御本尊をおのれの知識の下に取り込もうとして、その信仰上の意義を消し去ったために、三毒に濁った心が侮蔑の言葉となって出たのである。
御本尊の「本物」「偽物」の定義については、学会は〝信心優先〟であり、宗門のように〝権威ありき〟で決めることはない。
御本尊の鑑定については研究者によって出版されており、書店の棚にある。ただし、かかる書籍を手に取る人に断っておきたいことは、研究書とは著者の仮定を含むものであり、さらに宗門は御本尊を一切公表しないのであるから、決して証明されるものではない。あくまで信心を高めるための、参考として受け止めることを望みたい。
ともかくも、日顕の誹謗ごときで大御本尊の意義が変わるものでは決して無い。
10.熱原法難の顕彰
大御本尊が究竟の本尊とされるゆえんは、まさしく添書にある「本門戒旦(壇)」の意義にあるが、さらには「弘安二年十月十二日」の、熱原法難の顕彰にある。
願主は「弥四郎国重」であるが、古来その人物は不明である。しかし姓不明な在家となれば、百姓である。堀日亨上人の「熱原法難史」には「弥四郎国重と云ふのは神四郎の旧名ではなかろうか」とある。
権力者の拷問に屈せずに最後まで退転せず、不自惜身命の信心を貫いた熱原法華衆こそは、まさに全信徒が礼拝すべき『戒壇の御本尊』の願主に相応しい。
伯耆殿等御返事(一四五六㌻)にいわく、
「大体此の趣(おもむき)を以て書き上ぐ可きか、但し熱原の百姓等安堵(あんど)せしめば日秀等別に問注(もんちゅう)有る可からざるか、大進房・弥藤次入道等の狼藉の事に至つては源(みなもと)は行智の勧めに依りて殺害刄傷(せつがいにんじょう)する所なり、若し又起請文(きしょうもん)に及ぶ可き云云の事之を申さば全く書く可からず、其の故は人に殺害刄傷せられたる上・重ねて起請文を書き失を守るは古今未曾有の沙汰なり、其の上行智の所行・書かしむる如くならば身を容(い)るる処なく行う可きの罪・方無きか、穴賢(あなかしこ)穴賢、此の旨を存じ問注の時・強強(つよづよ)と之を申さば定めて上聞に及ぶ可きか、又行智・証人立て申さば彼等の人人行智と同意して百姓等が田畠数十苅(か)り取る由・之を申せ、若し又証文を出さば謀書(ぼうしょ)の由之を申せ、事事証人の起請文を用ゆべからず、但し現証の殺害刄傷而已(のみ)、若し其の義に背く者は日蓮の門家に非ず日蓮の門家に非ず候、恐恐。
弘安二年十月十二日 日 蓮 在 御 判
伯 耆 殿
日 秀
日 弁 等 下」
(大体この趣旨によって書き上げるべきであろう。ただし熱原の百姓等が安心できるようになったならば、日秀等は別に問注する必要はないであろう。大進房や弥藤次入道等の狼藉のことについては、その根源は行智の勧めによって殺害刄傷(にんじょう)したことにある。もしまた起請文を書くべきである等と言われても、決して書いてはならない。その理由は、人に殺害刄傷せられた上に、こちらが重ねて起請文を書いて相手の罪を守るなどは昔から今までかつてない事件である。そのうえ、行智の行いが申状に書かれてあるとおりならば、身を置くところもなく、処断すべき罪も方法もないであろう。この旨をしかと心得て問注の時、強盛にこのことを主張するならば、必ず上聞に達するであろう。また行智が証人を立てて申し立てをするならば、その証人達の同類が行智と同意して百姓等の田畠数十を苅り取った者であることを言いなさい。もしまた、証文を出すならば、偽書であると言いなさい。悉く証人の起請文を用いてはならない。ただし現証の殺害刄傷のみは言いきりなさい。もしこの義に背く者は日蓮の門家ではない。日蓮の門家ではない。恐恐。〈以下略〉)
本抄は、弘安二年(一二七九年)十月十二日、身延においてしたためられ、当時、不当に捕えられた熱原の農民信徒二十人を救うため鎌倉におられた日興上人と日秀、日弁に対して種々指示を与えられた御状であり、日興上人の写本が北山本門寺に現存する。
冒頭に「大体此の趣を以て書き上ぐ可きか」と述べられており、日興上人の草案に大聖人が加筆添削されたうえに前半を書き加えられた滝泉寺申状に添えて送られたことがうかがえる。
取り調べにおいて、「念仏を称えるという起請文を書けば罪を許してやる」という威嚇があったと考えられ、被害者側が謝って起請文を書くなどということは、いまだかつて聞いたことがないとされ、断じて書いてはならないと仰せになっている。
しかし、この三日後の十月十五日には、熱原の三烈士、神四郎、弥五郎、弥六郎の三人は斬首され、他十七人は追放刑に処された。
この御書の日付こそは、『戒壇の御本尊』に刻まれた日である。すなわち熱原法難を永遠に顕彰する意義であり、また大聖人の死身弘法の御精神をも刻むものである。
11.後加された「相伝」の語
宗門に引用された御文を整理しておきたい。日興上人の『日興跡条々事』について、宗門は次のように言う。
「日興が身に宛て給はるところの弘安二年の大御本尊は、日目に之れを相伝す」
しかし「相伝」の字は、後加で重ね字されたものであり、正しくは「日目に之を授与す」である。委細は、日亨上人の「富士日興上人詳伝」(上)(聖教文庫 P161~163)にある。
宗門は、〝〇〇の一つ覚え〟で、「相伝」の文字さえ持ち出せば〝勝ち〟とでも考えているのであろうが、返って馬脚を現わしている。
12.大御本尊は〝不自惜身命の御精神〟
前述の通り大御本尊は、大聖人の〝不自惜身命の御精神〟そのものである。従って大御本尊を格護する宗門は、大聖人の御事績に倣い、平時には広宣流布の陣頭指揮を執り、諸難あるときには、法に殉じる覚悟をもって臨むべきであった。
しかしながら、宗門は大御本尊を〝権威の象徴〟に祀り上げただけであったゆえに、教勢は全く振るわず、何百年もの間、細々と命脈を保つのみであった。
如説修行抄(五〇三㌻)にいわく、
「鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪(もっけ)なり、権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや」
(鷄(にわとり)が暁に鳴くのは当然のことであるが、宵に鳴くのは物怪(もっけ)である。権教と実教との立て分けが乱れているときに、法華経の敵を折伏しないで、世間を離れ山林の中にとじこもって摂受を修行するのは、まさしく法華経修行の時を失った物怪ではないか」
さらに宗門は戦時中に軍部に迎合し、様々な謗法を重ねたあげく、本山は炎上、管長は焼死。追い打ちをかけるように、戦後の農地改革で大部分の寺領を没収されて、経営基盤を失い飢餓地獄に近い様相を現出した。厳しい因果律の果報である。
最後には、大御本尊を誹謗した日顕が相承を僭称し、猊座に就いたことをもって、法脈は滅尽、そして宗門のすべての御本尊から、大御本尊の功徳が消失したのである。日顕が今更必死に弁解しようとも悪あがきであり、宗門の一切が残滓となったのである。
大御本尊の御功徳は、ひとり学会授与の御本尊に顕現される。それは何よりも、大御本尊には熱原法難の不自惜身命の精神が祈念されているのであり、戦時中の軍部政府の大弾圧の際、難を恐れる宗門を尻目に、死身弘法の姿をもって最後まで大聖人の法灯を守った、牧口会長の不退の精神と感応し合うゆえである。
牧口会長以来の、師弟不二の精神を基盤とする学会は、正に大御本尊有縁の衆生と言うべきであり、地涌の義をもって現出した、唯一の和合僧団なのである。
(了)
妄説:1 日蓮正宗の正しい本尊について教えてください。
日蓮正宗の正しい本尊は、『日蓮正宗宗規』第三条に「本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大漫荼羅を帰命依止(きみょうえし)の本尊とする」と、明確に定められている「本門戒壇の大御本尊」です。
この大御本尊は、宗祖日蓮大聖人が『聖人御難事』に
「此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年大歳己卯なり、仏は四十余年(中略)余は二十七年なり」(新編 1396頁)と仰せのように、御本仏の出世の本懐(ほんがい)として顕わされました。
日興上人の『日興跡条々事』に
「日興が身に宛て給はるところの弘安二年の大御本尊は、日目に之れを相伝す」(新編 1883頁)
と仰せのように、この大御本尊は、日興上人、日目上人と唯授一人血脈付法の御歴代上人によって相伝されています。
日寛上人は
「就中(なかんずく)、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり」(富要 4-221頁)と説かれ、弘安二年十月十二日に御図顕の本門戒壇の大御本尊は、宗旨の根本となる本尊であると教示されています。
代々の御法主上人は、その相伝の権能(けんのう)のうえに本門戒壇の大御本尊の御内証を書写され、本宗僧俗に下付されるのです。
破折
8.「河辺メモ」が明らかにしたこと
「河辺メモ」は実に多くの事実を、我らの前に暴露した。
第一に、『日蓮正宗宗規』に「帰命依止の本尊とする」と定められた「本門戒壇の大御本尊」を、日顕が〝ニセ物〟と断じて誹謗したこと。
第二に、日顕が面授相承など受けていない「僭称者」、つまり〝ニセ法主〟であったこと。
大御本尊をお写しした日寛上人御書写の御本尊を、日顕が「ニセ本尊」と誹謗するわけは、ここにあった。
「ニセものは本物を厭(いと)うというが、要は、日顕自身が『偽法主』だったからこそ、本物の正しい御本尊までニセものと誹謗せざるをえなかっただけなのである」(故・渡辺慈済師)
大御本尊を「ニセ物」と言った不心得者が法主の座に就いた時から、宗門が授与するすべての本尊が「ニセ物」となってしまったのである。
一方、大御本尊を信受する創価学会は、大御本尊の力用を具する日寛上人御書写の御本尊を擁する、唯一の和合僧団となったのである。
さて、まだ釈然としないことが残っている。それは「河辺メモ」で日顕が言い放った言葉である。
「一、戒旦(かいだん)之御本尊之件
戒旦の御本尊のは偽物である。
種々方法の筆跡鑑定の結果解(わか)った。(以下略)」
9. 大御本尊の意義は不動
「河辺メモ」に記される日顕の誹謗の言から、大御本尊不信に陥って退転する者が現れた。だがそもそもが、〝何ゆえに信仰をするか〟の観点に立っていないから、日顕の妖言に目を奪われ、信心の目標を見失うのである。
日顕の過ちは、信仰と文献学とを、混在させたことにあった。信仰とは本来、自分の経験や知識を超えた存在(仏界)を信ずることにある。一方、文献学は諸科学の一部であり、自分の経験や知識に負うものである。両者の視座は、全く異なる。
日顕は、自らの文献学の才覚を恃むあまり、大御本尊をおのれの知識の下に取り込もうとして、その信仰上の意義を消し去ったために、三毒に濁った心が侮蔑の言葉となって出たのである。
御本尊の「本物」「偽物」の定義については、学会は〝信心優先〟であり、宗門のように〝権威ありき〟で決めることはない。
御本尊の鑑定については研究者によって出版されており、書店の棚にある。ただし、かかる書籍を手に取る人に断っておきたいことは、研究書とは著者の仮定を含むものであり、さらに宗門は御本尊を一切公表しないのであるから、決して証明されるものではない。あくまで信心を高めるための、参考として受け止めることを望みたい。
ともかくも、日顕の誹謗ごときで大御本尊の意義が変わるものでは決して無い。
10.熱原法難の顕彰
大御本尊が究竟の本尊とされるゆえんは、まさしく添書にある「本門戒旦(壇)」の意義にあるが、さらには「弘安二年十月十二日」の、熱原法難の顕彰にある。
願主は「弥四郎国重」であるが、古来その人物は不明である。しかし姓不明な在家となれば、百姓である。堀日亨上人の「熱原法難史」には「弥四郎国重と云ふのは神四郎の旧名ではなかろうか」とある。
権力者の拷問に屈せずに最後まで退転せず、不自惜身命の信心を貫いた熱原法華衆こそは、まさに全信徒が礼拝すべき『戒壇の御本尊』の願主に相応しい。
伯耆殿等御返事(一四五六㌻)にいわく、
「大体此の趣(おもむき)を以て書き上ぐ可きか、但し熱原の百姓等安堵(あんど)せしめば日秀等別に問注(もんちゅう)有る可からざるか、大進房・弥藤次入道等の狼藉の事に至つては源(みなもと)は行智の勧めに依りて殺害刄傷(せつがいにんじょう)する所なり、若し又起請文(きしょうもん)に及ぶ可き云云の事之を申さば全く書く可からず、其の故は人に殺害刄傷せられたる上・重ねて起請文を書き失を守るは古今未曾有の沙汰なり、其の上行智の所行・書かしむる如くならば身を容(い)るる処なく行う可きの罪・方無きか、穴賢(あなかしこ)穴賢、此の旨を存じ問注の時・強強(つよづよ)と之を申さば定めて上聞に及ぶ可きか、又行智・証人立て申さば彼等の人人行智と同意して百姓等が田畠数十苅(か)り取る由・之を申せ、若し又証文を出さば謀書(ぼうしょ)の由之を申せ、事事証人の起請文を用ゆべからず、但し現証の殺害刄傷而已(のみ)、若し其の義に背く者は日蓮の門家に非ず日蓮の門家に非ず候、恐恐。
弘安二年十月十二日 日 蓮 在 御 判
伯 耆 殿
日 秀
日 弁 等 下」
(大体この趣旨によって書き上げるべきであろう。ただし熱原の百姓等が安心できるようになったならば、日秀等は別に問注する必要はないであろう。大進房や弥藤次入道等の狼藉のことについては、その根源は行智の勧めによって殺害刄傷(にんじょう)したことにある。もしまた起請文を書くべきである等と言われても、決して書いてはならない。その理由は、人に殺害刄傷せられた上に、こちらが重ねて起請文を書いて相手の罪を守るなどは昔から今までかつてない事件である。そのうえ、行智の行いが申状に書かれてあるとおりならば、身を置くところもなく、処断すべき罪も方法もないであろう。この旨をしかと心得て問注の時、強盛にこのことを主張するならば、必ず上聞に達するであろう。また行智が証人を立てて申し立てをするならば、その証人達の同類が行智と同意して百姓等の田畠数十を苅り取った者であることを言いなさい。もしまた、証文を出すならば、偽書であると言いなさい。悉く証人の起請文を用いてはならない。ただし現証の殺害刄傷のみは言いきりなさい。もしこの義に背く者は日蓮の門家ではない。日蓮の門家ではない。恐恐。〈以下略〉)
本抄は、弘安二年(一二七九年)十月十二日、身延においてしたためられ、当時、不当に捕えられた熱原の農民信徒二十人を救うため鎌倉におられた日興上人と日秀、日弁に対して種々指示を与えられた御状であり、日興上人の写本が北山本門寺に現存する。
冒頭に「大体此の趣を以て書き上ぐ可きか」と述べられており、日興上人の草案に大聖人が加筆添削されたうえに前半を書き加えられた滝泉寺申状に添えて送られたことがうかがえる。
取り調べにおいて、「念仏を称えるという起請文を書けば罪を許してやる」という威嚇があったと考えられ、被害者側が謝って起請文を書くなどということは、いまだかつて聞いたことがないとされ、断じて書いてはならないと仰せになっている。
しかし、この三日後の十月十五日には、熱原の三烈士、神四郎、弥五郎、弥六郎の三人は斬首され、他十七人は追放刑に処された。
この御書の日付こそは、『戒壇の御本尊』に刻まれた日である。すなわち熱原法難を永遠に顕彰する意義であり、また大聖人の死身弘法の御精神をも刻むものである。
11.後加された「相伝」の語
宗門に引用された御文を整理しておきたい。日興上人の『日興跡条々事』について、宗門は次のように言う。
「日興が身に宛て給はるところの弘安二年の大御本尊は、日目に之れを相伝す」
しかし「相伝」の字は、後加で重ね字されたものであり、正しくは「日目に之を授与す」である。委細は、日亨上人の「富士日興上人詳伝」(上)(聖教文庫 P161~163)にある。
宗門は、〝〇〇の一つ覚え〟で、「相伝」の文字さえ持ち出せば〝勝ち〟とでも考えているのであろうが、返って馬脚を現わしている。
12.大御本尊は〝不自惜身命の御精神〟
前述の通り大御本尊は、大聖人の〝不自惜身命の御精神〟そのものである。従って大御本尊を格護する宗門は、大聖人の御事績に倣い、平時には広宣流布の陣頭指揮を執り、諸難あるときには、法に殉じる覚悟をもって臨むべきであった。
しかしながら、宗門は大御本尊を〝権威の象徴〟に祀り上げただけであったゆえに、教勢は全く振るわず、何百年もの間、細々と命脈を保つのみであった。
如説修行抄(五〇三㌻)にいわく、
「鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪(もっけ)なり、権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや」
(鷄(にわとり)が暁に鳴くのは当然のことであるが、宵に鳴くのは物怪(もっけ)である。権教と実教との立て分けが乱れているときに、法華経の敵を折伏しないで、世間を離れ山林の中にとじこもって摂受を修行するのは、まさしく法華経修行の時を失った物怪ではないか」
さらに宗門は戦時中に軍部に迎合し、様々な謗法を重ねたあげく、本山は炎上、管長は焼死。追い打ちをかけるように、戦後の農地改革で大部分の寺領を没収されて、経営基盤を失い飢餓地獄に近い様相を現出した。厳しい因果律の果報である。
最後には、大御本尊を誹謗した日顕が相承を僭称し、猊座に就いたことをもって、法脈は滅尽、そして宗門のすべての御本尊から、大御本尊の功徳が消失したのである。日顕が今更必死に弁解しようとも悪あがきであり、宗門の一切が残滓となったのである。
大御本尊の御功徳は、ひとり学会授与の御本尊に顕現される。それは何よりも、大御本尊には熱原法難の不自惜身命の精神が祈念されているのであり、戦時中の軍部政府の大弾圧の際、難を恐れる宗門を尻目に、死身弘法の姿をもって最後まで大聖人の法灯を守った、牧口会長の不退の精神と感応し合うゆえである。
牧口会長以来の、師弟不二の精神を基盤とする学会は、正に大御本尊有縁の衆生と言うべきであり、地涌の義をもって現出した、唯一の和合僧団なのである。
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