日顕宗の「妄説:1」を破折する(その三) 連載3回
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:1」を破折する(その三)連載3回
妄説:1 日蓮正宗の正しい本尊について教えてください。
日蓮正宗の正しい本尊は、『日蓮正宗宗規』第三条に「本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大漫荼羅を帰命依止(きみょうえし)の本尊とする」と、明確に定められている「本門戒壇の大御本尊」です。
この大御本尊は、宗祖日蓮大聖人が『聖人御難事』に
「此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年大歳己卯なり、仏は四十余年(中略)余は二十七年なり」(新編 1396頁)と仰せのように、御本仏の出世の本懐(ほんがい)として顕わされました。
日興上人の『日興跡条々事』に
「日興が身に宛て給はるところの弘安二年の大御本尊は、日目に之れを相伝す」(新編 1883頁)
と仰せのように、この大御本尊は、日興上人、日目上人と唯授一人血脈付法の御歴代上人によって相伝されています。
日寛上人は
「就中(なかんずく)、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり」(富要 4-221頁)と説かれ、弘安二年十月十二日に御図顕の本門戒壇の大御本尊は、宗旨の根本となる本尊であると教示されています。
代々の御法主上人は、その相伝の権能(けんのう)のうえに本門戒壇の大御本尊の御内証を書写され、本宗僧俗に下付されるのです。
破折:
6.日顕「御指南」の虚偽
日顕は河辺慈篤の口を封じることに成功し、「御指南」なる文書を発表した。それまで、シアトル事件をはじめとして、どんな問題にも日顕自身が書いたコメントが宗内に通達されたことはなかった、と言われるが、どれだけ日顕が安堵したかが伺える。
「いわゆる河辺メモは、客観的な言旨を極めて自己の主観的な形に書き変えた慈篤房の記録ミスである。則ち主として創価学会の存在によって生じた日蓮正宗に対する種々の批判中の一環として、御本尊と血脈等に関する疑難悪口があることの内容について、ある時に慈篤房と客観的な話しをしたような記憶は存する。しかし、学会で発表したあのメモのような諸件についての主張をしたことは断じてないのである」
(「日顕上人御指南」平成十一年九月十八日)
では、大石寺にある日禅授与の本尊と、大御本尊とを照合して「疑難悪口」する者とは、一体誰のことか、その説明はされていない。 さらに、メモ中の「Gは話にならない」にも、一切触れていない。
こんな日顕の言い訳など、児戯に等しい。それが真っ赤な嘘であることを示す、重要証言がある。
メモにある「日禅授与の本尊」について、宗内で最もよく知る立場にあるのは、他ならぬ日顕である。昭和四十五年三月二十五日、この御本尊が、法道院から大石寺に納められるときに立ち会い、検分をしたのが、このとき教学部長の日顕であった。
メモの当時、富士学林図書館長で史料の専門家であった故・山口範道師の証言によると、この時すでに、日顕は日禅授与の本尊の大判のカラー写真を所持していたという。これで大御本尊の筆跡との照合も可能になる。
山口範道師は、宗内にあって長年、古文書も含め、御本尊の研究に勤しんできた人物であり、こう証言した。
「河辺メモが記された昭和五十三年当時、宗内で、御本尊を鑑定できるのは日顕猊下だけだ。猊下はずっと前から御本尊の鑑定を専門にやってきているんだ」
(「法主詐称」憂宗護法同盟著 2003年7月16日初版)
この通り「筆跡鑑定の結果解った云云」などと言う人間が、日顕の外に誰がいるものか。なお宗門は後日、このように言う。
① 「大御本尊を疑難した者は、正信会の僧である」と。
しかし、二体の御本尊の照合を思いつき、実際に鑑定できる者など、正信会に走った僧でそれが可能な者は、誰一人いない。
② 「G(猊下)を非難した者は、活動家僧侶である」と。
これも、活動家僧侶の言説など拾ってきたところで、日顕が先師日達法主を批判したことを、打ち消すことはできない。
河辺自身をして常々、「ワシのメモはテープレコーダーと同じくらい正確だ」と言わしめている当人が、このメモのみ「話の前後を抜いて記録してしまい(中略)」とのミスを犯したと言うのは、不自然である。
漆黒であっても法主が白だと言えば、白でなければならないのが、宗門である。法主次第で、宗門はどのようにも変わる。大御本尊を信ずることのできない人間が法主になった瞬間に、宗門は正法の命脈を失い、邪教に堕ちたのである。
南条兵衛七郎殿御書(一四九七㌻)にいわく、
「大悪魔は貴き僧となり父母・兄弟等につきて人の後世をば障るなり」
7.僭称法主・日顕を支えた男
「さらに衝撃的なのが、平成四年、『C作戦』の内容が発覚した直後の教師講習会の折の河辺の発言である。
こういう時の河辺は、必ずといっていいほど日顕のつまらない講義をサボつて大講堂のロビーに下り、タバコを一服している僧侶数人を相手に説教をたれる。その日も三浦接道(宮城・広安寺)らを前に一席ぶった。その中で河辺は、耳を疑うようなことを口走ったというのだ。
『アレ(=日顕)は除歴しなきゃならん。六十七世はいないんだ!』
日顕の裏の裏まで知り尽くした河辺の発言だけに、『除歴しなきゃならん』『六十七世はいないんだ!』との言はずっしりと重い。
今、改めて問いたい。『六十七世』を詐称する阿部日顕とは、いったい何者なのか、と」(前出「法主詐称」)
六十六世日達法主が急死し、実際に相承を受けた者はいないのであり、日蓮正宗は「唯授一人の血脈相承」を標榜する上から、僧侶による大聖人の法嗣は根絶した。よって、在家である創価学会の信心の血脈だけが現世に遺されたのである。
すなわち、日顕は〝六十七世〟を騙(かた)るニセ法主に過ぎない。帰命依止の対境たる大御本尊を〝ニセ物〟と誹謗したのも、ニセ法主の故である。このことを最もよく知る男が、河辺慈篤であった。日顕が六十七世を名乗る資格など無い証拠を握っていたゆえに、二度にわたって日顕と対峙し、そのつど念願の都心の住職の地位を勝ち取って来た。
しかし、河辺の優越感も長くは続かなかった。平成十四年九月二十日、河辺は心臓発作のため新宿区内の病院に入院。同年十一月十日逝去、享年七十二歳。新宿・大願寺住職に赴任してわずか三年の後であった。
(続く)
妄説:1 日蓮正宗の正しい本尊について教えてください。
日蓮正宗の正しい本尊は、『日蓮正宗宗規』第三条に「本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大漫荼羅を帰命依止(きみょうえし)の本尊とする」と、明確に定められている「本門戒壇の大御本尊」です。
この大御本尊は、宗祖日蓮大聖人が『聖人御難事』に
「此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年大歳己卯なり、仏は四十余年(中略)余は二十七年なり」(新編 1396頁)と仰せのように、御本仏の出世の本懐(ほんがい)として顕わされました。
日興上人の『日興跡条々事』に
「日興が身に宛て給はるところの弘安二年の大御本尊は、日目に之れを相伝す」(新編 1883頁)
と仰せのように、この大御本尊は、日興上人、日目上人と唯授一人血脈付法の御歴代上人によって相伝されています。
日寛上人は
「就中(なかんずく)、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり」(富要 4-221頁)と説かれ、弘安二年十月十二日に御図顕の本門戒壇の大御本尊は、宗旨の根本となる本尊であると教示されています。
代々の御法主上人は、その相伝の権能(けんのう)のうえに本門戒壇の大御本尊の御内証を書写され、本宗僧俗に下付されるのです。
破折:
6.日顕「御指南」の虚偽
日顕は河辺慈篤の口を封じることに成功し、「御指南」なる文書を発表した。それまで、シアトル事件をはじめとして、どんな問題にも日顕自身が書いたコメントが宗内に通達されたことはなかった、と言われるが、どれだけ日顕が安堵したかが伺える。
「いわゆる河辺メモは、客観的な言旨を極めて自己の主観的な形に書き変えた慈篤房の記録ミスである。則ち主として創価学会の存在によって生じた日蓮正宗に対する種々の批判中の一環として、御本尊と血脈等に関する疑難悪口があることの内容について、ある時に慈篤房と客観的な話しをしたような記憶は存する。しかし、学会で発表したあのメモのような諸件についての主張をしたことは断じてないのである」
(「日顕上人御指南」平成十一年九月十八日)
では、大石寺にある日禅授与の本尊と、大御本尊とを照合して「疑難悪口」する者とは、一体誰のことか、その説明はされていない。 さらに、メモ中の「Gは話にならない」にも、一切触れていない。
こんな日顕の言い訳など、児戯に等しい。それが真っ赤な嘘であることを示す、重要証言がある。
メモにある「日禅授与の本尊」について、宗内で最もよく知る立場にあるのは、他ならぬ日顕である。昭和四十五年三月二十五日、この御本尊が、法道院から大石寺に納められるときに立ち会い、検分をしたのが、このとき教学部長の日顕であった。
メモの当時、富士学林図書館長で史料の専門家であった故・山口範道師の証言によると、この時すでに、日顕は日禅授与の本尊の大判のカラー写真を所持していたという。これで大御本尊の筆跡との照合も可能になる。
山口範道師は、宗内にあって長年、古文書も含め、御本尊の研究に勤しんできた人物であり、こう証言した。
「河辺メモが記された昭和五十三年当時、宗内で、御本尊を鑑定できるのは日顕猊下だけだ。猊下はずっと前から御本尊の鑑定を専門にやってきているんだ」
(「法主詐称」憂宗護法同盟著 2003年7月16日初版)
この通り「筆跡鑑定の結果解った云云」などと言う人間が、日顕の外に誰がいるものか。なお宗門は後日、このように言う。
① 「大御本尊を疑難した者は、正信会の僧である」と。
しかし、二体の御本尊の照合を思いつき、実際に鑑定できる者など、正信会に走った僧でそれが可能な者は、誰一人いない。
② 「G(猊下)を非難した者は、活動家僧侶である」と。
これも、活動家僧侶の言説など拾ってきたところで、日顕が先師日達法主を批判したことを、打ち消すことはできない。
河辺自身をして常々、「ワシのメモはテープレコーダーと同じくらい正確だ」と言わしめている当人が、このメモのみ「話の前後を抜いて記録してしまい(中略)」とのミスを犯したと言うのは、不自然である。
漆黒であっても法主が白だと言えば、白でなければならないのが、宗門である。法主次第で、宗門はどのようにも変わる。大御本尊を信ずることのできない人間が法主になった瞬間に、宗門は正法の命脈を失い、邪教に堕ちたのである。
南条兵衛七郎殿御書(一四九七㌻)にいわく、
「大悪魔は貴き僧となり父母・兄弟等につきて人の後世をば障るなり」
7.僭称法主・日顕を支えた男
「さらに衝撃的なのが、平成四年、『C作戦』の内容が発覚した直後の教師講習会の折の河辺の発言である。
こういう時の河辺は、必ずといっていいほど日顕のつまらない講義をサボつて大講堂のロビーに下り、タバコを一服している僧侶数人を相手に説教をたれる。その日も三浦接道(宮城・広安寺)らを前に一席ぶった。その中で河辺は、耳を疑うようなことを口走ったというのだ。
『アレ(=日顕)は除歴しなきゃならん。六十七世はいないんだ!』
日顕の裏の裏まで知り尽くした河辺の発言だけに、『除歴しなきゃならん』『六十七世はいないんだ!』との言はずっしりと重い。
今、改めて問いたい。『六十七世』を詐称する阿部日顕とは、いったい何者なのか、と」(前出「法主詐称」)
六十六世日達法主が急死し、実際に相承を受けた者はいないのであり、日蓮正宗は「唯授一人の血脈相承」を標榜する上から、僧侶による大聖人の法嗣は根絶した。よって、在家である創価学会の信心の血脈だけが現世に遺されたのである。
すなわち、日顕は〝六十七世〟を騙(かた)るニセ法主に過ぎない。帰命依止の対境たる大御本尊を〝ニセ物〟と誹謗したのも、ニセ法主の故である。このことを最もよく知る男が、河辺慈篤であった。日顕が六十七世を名乗る資格など無い証拠を握っていたゆえに、二度にわたって日顕と対峙し、そのつど念願の都心の住職の地位を勝ち取って来た。
しかし、河辺の優越感も長くは続かなかった。平成十四年九月二十日、河辺は心臓発作のため新宿区内の病院に入院。同年十一月十日逝去、享年七十二歳。新宿・大願寺住職に赴任してわずか三年の後であった。
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