オーディエンスの言葉というものに毎回助けられている。
仕事の最中は自身の自身に対する厳しすぎる評価ゆえに、思考はつねにネガティブ。だけど、いざ放映されると案外高評価って事が多い。おかげで自分の仕事に対してのネガティブすぎる評価を和らげることが出来る。これが実にありがたい。
他人の意見に流されるといえば聞こえは悪いけど、そも自らが自らに課す評論がオーディエンスの感性より鋭く正確だなどと考える方が思い上がりなのだ。
とはいえ、研鑽した時間の差はどうしたって出る。意見を真に受けすぎてもいけない。
彼ら、彼女らの感性と自分の感性、技術をいい塩梅でブレンドしていけばいいのだ。
そう考えるくらいには、最近は前より少しだけ人の言葉に素直になれる。
要素を点と捉え、その点を線で繋いで面白い物語にする能力がある人を線が見える人と呼んでいる。勝ち筋ともいえるそれが見える人と見えない人では、演出能力に天地の差がでる。 ディレクターやコンテに介入するようなアニメーターはこの能力は必須。無いならそれらに手を出すべきではない。線が見えない人がディレクターをやって作品を腐らせるのを見る機会が多すぎる。
色んな作品の現場を経験してきて思ったことだけど、この能力がある人間はアニメ業界にそう多くない。
点として要素を彩る人間も大事だけど、線を見て面白い物語を紡ぐ能力はもっと大事。これがなければ点は烏合の衆にすぎない。
これからアニメ業界に来る人は点を彩る力とそれらを繋ぎ面白い物語を紡ぐ線の力も意識して育てると良いと思う。無双できるから。
#18について詳しく解説したい気持ちはあるけどそれについてはもう少し先で。
兎に角今回の仕事で脚本とシリーズ構成に非常に興味がわいた。映像化を強く意識した脚本術を磨きたいので、脚本込みの仕事をとってみようと思う。
良い物を作るぞーーー。
しかし暫くインプット期間を設ける。働き過ぎた。
その役職における優先的に気を配る順位ってのはやってみないと分からないものだなーと思った。
下部工程と上部工程を繋ぐ重要な要素に気を取られ過ぎて自分がいる工程ですべき最小単位の作業が疎かになり続けると失敗を招く。
下部と上部を繋ぐ要素も自分がいる工程ですべき最小単位の作業も両方同等に尊重しないと駄目だなーーー。学んだ。
何を表すかに気を取られ過ぎてどう表すかの点を失敗するというミスには気を付けないといかんね。
Mセリフってつえー、という事に気付いた。
内心の直接描写、人の気持ちの本人による言語化。ドストレートに文字通り気持ちが伝わる。
物語やビジュアルの程度、表現のスタイルによってあうあわんはあるだろうけど、日本のアニメにゃよく合う。ジャンプ漫画とかの文脈をくんだ作品なら
使わない手はないんだな。
まあ洋画じゃ見ないからそういう脚本と作品じゃあ使わない方向で丁寧に積み重ねるしかないんだろうけど、脚本と作品の文脈がそっちじゃなくて日本の漫画よりで、かつTVの尺で話数内にイベントてんこ盛りのとっちらかった脚本ならMセリフみてえな瞬間火力のたけえ技術を進んで使うべきなんかもしれん。
う~ん、書きたいこといっぱいあるけど今はまだ書けないな!駄目だ。
久しぶりのLO作業楽しい・・・。LOのコツをつかんだので猶更。
コツはさんざん技法書にのってる文章で目にしてきたはずなのに全くピンと
来てなかった。やっぱり俺は自分で車輪の再発見をし続けないと学べないタイプなんだな。
巨人の今井さんのアクション、話を一切阻害せずに熱く進んでいくの見ごたえがある。喋りながら戦闘ってアニメの醍醐味だなーと思う。
映像がすげー好きになってるってことに今更気が付いたけど、同時に2Dアニメっていう手段を制約と捉えざるを得ない映像的表現に挑戦したいという欲のせいで2Dアニメ業界にいることが超辛くなってきた。
目的が2Dアニメっていう手段に特化した映像づくりなら良かったんだろうけど、生憎そういうのには興味がないからタチが悪い・・・。
モブ11もいつも通り自分のパートはコンテ改修から。原型は残さず、シーンでやるべきことだけを頭に入れて描き直し。勿論上部セクションの許可は得ている。勝手な行動ではない。
字コンテでアイデアを出す所からシーンの管理を始めて、担当シーンに関しては完全に自分のコントロール下に置いた(「撃たないんですか?」というセリフは勿論、FPSのアイデアが出てから発生したもの。つまり脚本にも介入したことになる。アニメーターは単なる演者ではなくカメラワークなどにも携わる。ならば、自身の上部工程にあるセクションへの感性も磨かなければいけない。下部工程にも。他のセリフに関しては、より自然に聞こえる言葉を選び直していたりする。ついでに言うけど、脚本ひいてはストーリー構成から映像の演出は始まってるんだから、手を出すのは当然のことだ)。とはいっても土上いつきと監督の驚くほど的確なアドバイスでシーン後半部分である桜威の鉄棒で殴る所からのまとまりは一人ではあれほどスマートにならなかった。元々はもう少し大げさな攻撃(テルの攻撃の破片を受け取るというバトンのアイデアは自分のものだが、その規模の話)にしていて、それではテルの岩石落としと印象がかぶってしまうという監督のアドバイスを受けて小規模な攻撃でまとめてはどうかというアイデアを土上が出してくれた。
それをもとにブラッシュアップして完成形に至る。やはり自分の場合、アクションをコンテで想像しきるのは不可能で、シーンを管理していく中で徐々に正解を見つけていく、成長させていくような方法をとるのがベストなんだなと思った。中にはとんでもない時間と情報の管理をコンテのような作業段階からイメージ出来る人間もいるのだろうけど、そんなの俺には無理。結局は自分で描いたコンテすらも原型をとどめない。大まかな時間の指標程度にはなっているけど。結論として俺のパートみたいな構成をコンテ段階からバッチリ決めていくのはたぶん無理。レイアウト描きながらシーン管理しつつけしたりたしたり引いたりして答えを探さなきゃいけない。そんなのコンテマンがやってる暇はテレビアニメにおいて無いし、アクションアニメーターのやる気を削ぐだけ。
ここからは苦労話。
コンテの前に書いた字コンテでほぼやることが決まっていたけど、それらのノルマを達成するために決められた秒数の中でどうカットを刻んでいくかで苦心した。
兎に角尺が無かったので、字コンテで書いたことを描くためには数フレームも無駄に出来ない構成をしなきゃいけなくて辛かった。
エアコン全く効かないなーって思ってたんだけど、フィルタの掃除したことなくてなんとなく面倒なイメージだけをもったままずっと放置してた。
けどちょっと気が向いてやってみたら簡単なんてレベルじゃないくらいサっと掃除出来て、かつ綺麗にしただけでエアコンが新品同然の効きになってめちゃくちゃ快適・・・。
ものすごく単純なことだけど、やってみるかやってみないかでしり込みしてやらないを選ぶとものすごく損をするんだなって思った。
行動力は多くの悩みを吹っ飛ばす一番いいパワーだ。
漫画の大コマとか太文字セリフ的なことをアニメでも意識したいな。
ブラックミラーだいたいの話が好きになれないのなんでかなーと思ってた。
だいたいの話がキャラクターを好きだと思わせるような作りに意図的にしていないからなんだな。設定された環境に人格が抗えないっていうオチが人間の弱さ見続ける構図だから楽しい気分にならねえ・・・。
環境に人格があらがって勝利する成長物語が好きだ。これは完全に好き嫌いの話・・・。技の話ではない・・・。
オチが見えるって意味では人格が勝利するハッピーエンドも環境が人格に現状維持を選ばせるエンドも両方一緒やな。
原画やら演出やら脚本やらシナリオ構成やら、縦の構造で上から降りてくる感じになってるけど、これに断絶を起こした瞬間チームではなくなるなと思った。横の広がりだけだと1セクションだけ強いみたいなちぐはぐな作品になる。なので全セクションに縦のつながりを維持させた現場をつくっていきてえなーー。この縦のつながりがぶったぎられすぎててどうにもならねえってことが多い。これは悪だぞ。