上方演芸殿堂入りのゼンジー北京がコロナ禍でセミリタイア宣言「今後はボランティアで慰問を」

大阪府公館で表彰され、成瀬國晴氏のイラストをプレゼントされたマジシャンのゼンジー北京
大阪府公館で表彰され、成瀬國晴氏のイラストをプレゼントされたマジシャンのゼンジー北京

 大阪府から「第24回上方演芸の殿堂入り」の名人に選ばれたマジシャンのゼンジー北京(81)が9日、府公館での表彰式に出席した。

 上方演芸の発展と振興に大きな役割を果たし、広く府民から愛し親しまれ、後進の目標となる芸人に贈られる栄誉。マジシャンが選ばれたのは史上初めてで「まさか、こういう賞をいただけるとは思ってもいなかったのでビックリしました。ありがたい」とゼンジー。殿堂入り部会長代理のイラストレーター・成瀬國晴氏(85)は「奇術+話芸。『タネも仕掛けもアルヨ』とお客様の懐の中に飛び込んで、一緒に楽しむ芸。タネを見せながら楽しませる奇術を、ポピュラーでフラットな形にした」と選出の理由を説明した。

 1958年にゼンジー中村に弟子入りして手品師デビュー。チャイナ服を着て「~アルヨ」と片言の日本語を操る中国人をイメージした芸風とコミカルマジックで人気を博した。大阪育ちだが出身は広島で「生まれは中国(地方)の広島」のギャグも。84年に上方お笑い大賞金賞を受賞した。

 ゼンジーは独自の芸風開発当時を「マジックはBGMに乗せてやるもので、手品でしゃべる人間はいなかった。みんなと変わらないことをやっていると、お金ももらえない。でも、しゃべるのは得意じゃない。ごまかして始めたのが片言の日本語。口から出まかせでしたが、喜んでいただいたし、いろんなギャグもできた。お客さんの裏をかいてダマすのが楽しみでした」と振り返った。

 しかし、傘寿(80歳)を迎えた昨年からコロナ禍で舞台出演は激減。「ほとんど仕事がなくなり、『これはいい機会や』と、いったん仕事を置きました。80までやったら、もうええなあという部分も多少ある。いい一つの区切り。今後はボランティアとして慰問に行ったりして楽しみたい」と話す一方で「呼ばれたらプロとして段取り付けて、皆さんの前でお披露目することもあるかも」。所属事務所は「引退ではありません」としており、セミリタイアの形になるようだ。

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