2011年3月11日、あの日から今日で10年が経過しました。
ぼくは生まれも育ちも宮城県仙台市でして、当時も仙台に住んでいて、被災をしました。
その体験を今回は記させて頂きます。
その頃は大学生で、演劇部の会計監査をしてもらうために大学にいました。場所は仙台駅の割と近くです。
なんの前触れもなく、唐突に大きな揺れ。
立ってることも精一杯。周りの物も倒れていきます。
何が起きたのか分かりませんでした。
揺れはおさまり、とにかく冷静になるよう努める。
用事自体は既に住んでいたのでとにかくまずは家に帰ろうと外に出ると、辺りの道路は歪み、ひび割れ、信号も全て止まっていました。
そしてその状況も相まって何より怖かったのが仙台駅の方から大きな煙が立ち上っていたこと。
終わった。と思いました。
すぐに親に連絡をしました。がすでに回線はパンク。
連絡は取れません。
そもそもスマートフォンを持ってる人がそんなにおらず、多くの人がガラケーです。(当時のスマホはアプリなどを使わなくても半日ちょいでバッテリー切れになっていたくらいの性能です。)
とにかくまずは家に帰ることにしました。家までは歩いても15分程度の距離です。
道中には、車はそのまま止まっている車もあれば、ゆっくり進行している車もありました。なにしろ信号が止まっています。運転も慎重になりますね。普段の一時停止地点等での車の挙動以上にみんなが慎重に運転していたように感じました。
その帰路の中では、倒壊している建物はあまりなかったです。
※後で知りましたが、柱が折れていたり屋根がずれたりとか言う家は大量にあったそうです。そして何段階かに倒壊度合いの判定が多くの家に入り、至る所で修繕工事がなされました。工事における助成金も実は家によってはけっこうありました。
無事帰宅し、我が家は無事でした。部屋中いろんなものが散乱していましたが、家族も怪我一つなく無事。(この時母親が揺れてすぐに大きなテーブルの下に潜り込んだそうで、それを見ていた飼い犬が少しの揺れでもすぐさまテーブルの下に潜り込むようになりました。)
我が家の被害はほぼほぼ、2ヶ月の停電のみで済みました。水道は無事で、ガスは3日ほど止まりましたがそれくらいでした。ですがここで驚愕なポイント。
津波による死亡者数が最も多かった海岸までなんと車で約20分で行けてしまう距離なんです。それにも関わらずこの程度の被害ですんだのです。
高い位置にあるだけでこうも被害が異なる。
本当に場所によって被害状況というものは予測できないものなのです。
スーパーもコンビニも、飲食店なんてもってのほか、店なんてどこもやっていません。
そこで困るのが食料がないこと。買いに行くこともできない。そしてガソリンスタンドもやっていません。つまり車も不用意に使えない。
※東京や都会の方は考えづらいかもしれませんが、田舎にいけばいくほど車と言うものは生活必需品です。車が使えなくなることで生活が成り立たなくなるという人はものすごくたくさんいます。
そしてその生活でぼくは素敵だなと思ったことがあります。
強盗に関してです。
驚きました。
やることが何もありませんから、散歩とかしちゃうんですよね。(夜は本当に驚くほど夜空が綺麗でした。仙台くらいの都会度合とは言えど、それでも痛感する程の星の綺麗さでした。)
でもどこの家もどこの店も、荒らされた形跡がまったくなかったんです。(地域によってはあった場所もさすがにあるようですが。)
食べ物が手に入らないんだからコンビニのガラス割って侵入してとかやる人普通にいそうじゃないですか。うちの周りではそういうことが全くなかったんですよね。
そんなこんなで、そんな生活の中でめちゃくちゃ役に立っていたツールが一つあります。先ほども書いたものです。
ズバリ、Twitterです。
当時のTwitterは「発信する」「今を知る」という意味合いが強かったです。故に今のように意味のないツイートをする人もあんまりいなかったですし、割と最先端な人がユーザーにも多かったため、有益な情報がたくさん出回っていたんです。(当然ライオンがーみたいなガセネタを流す人も中にはいましたが。)
Twitterでいまやっているお店の情報を確認して、そこに並びに行く。そんな感じです。あとは昔ながらの人づての情報です。とにかく情報が大事でした。
ガソリンスタンドが営業したとなると、しばらくの期間は数キロの車の列ができていました。ガソリンも入荷してもすぐになくなります。つまりその新鮮な情報でその日のうちにそのガソリンスタンドで給油しなければ次いつどこで入荷されるかさえもわからないのです。
本当に。全ては情報。
なのでぼくが大きな地震がある度に言っていることがあるのですが、これがどうにも浸透しない。
影響力のある人に言ってほしい限りです本当に。
なにかと言いますと、
「みなさん大丈夫でしたか?」というツイート
これです。こういう類の意味のないツイートです。特に、フォロワー数の多い人がやるとさらに厳しい。
たったいま散々書いた通り、何よりも情報が大事なんです。
個人個人の安否確認としてならもちろん良いことです。ですがこのツイートの場合は誰が得するんですか。全体を考えると損しかない。
リプをくれるのは当然大丈夫な人ですよね。大丈夫じゃない人の情報が返ってくるはずがないのはわかりきっているのにこれをツイートする意味です。
(すみません本当に大切なことなので口が悪くなっております。)
ですがこういう非常時は自分のツイートがもたらす影響を考えて頂きたい。フォロワーが多い人であればあるほどに。
こういうツイートによって本来必要な情報が埋もれてしまうんです。
心配する気持ちがあるんだったら、不要なツイートは控える。それだけで有益な情報がまわりやすくなるんです。
被災時に情報の重要性をなによりも大きく感じた、ぼく個人の意見です。異論のある方もいるでしょうが、頭の片隅にだけは残しておいて頂きたいことです。
水道が止まっている人は川に水を汲みに行っていました。飲み水としてもですが、トイレを流すことすらできないというのも大きいです。
そして電気が止まっていると給湯器が使えません。つまり水道が無事な家庭でもお湯はでないんです。(我が家はそのパターン。)
3月というのは、東北地方ではまだまだ寒い。
ずっと水シャワー生活でした。(あれおもしろいですね。最初は驚くほど冷たいのに、浴びてると感覚がないというか温かいというか、感じたことのない不思議なものが感じられます。)
ぼく個人が一番つらかったのは、何もしないことを批判されたことです。
例えばボランティアをしろだとか。
ここでは割愛しますが、ぼくも人であるのでね、それなにり”何か”は自分の中で思っていたわけです。つらい感情も多くありました。そこでああだこうだ言われたことが大きなストレスで逆流性食道炎になってしまいました。
ボランティアだとかこういうことの強要ほど酷いことってなかなかないです。こういうのは自らの意志でやるからこそ意味のあることです。
ボランティアに関してはこちらでも書いているのでどうぞご覧ください。
・良いことをしたあとは悪いことをしたくなっちゃうヤバい心理~モラル・ライセンシングを自覚して誘惑に打ち勝とう~
・優しい人ってどんな人?~優しさという幻想~
先ほど「人づて」という言葉が出ましたが、やはり人間は最終的には人の繋がりだとも痛感しました。
顔の広い人ほど得をしていたのです。
うちの伯母もまさしくそうで、そのおこぼれ(支援物資)が我が家まで送られてくるほどでした。
となるとやはり首都直下地震は本当に怖いですよね。人と人との繋がりがない人がめちゃくちゃ多い地域ですから。それこそ犯罪が乱発しそうでしそうで。。。
あと原発がありましたね。
「大量の放射性物質が大気中に放射され」ってなにって、意味がとにかくわかりませんでした。いまならなんとなくわかりますが、放射能の特性なんてまったく知識としてもっていませんでした。当時はまわりの人間もそうでした。
お隣の福島から仙台の我が家まで流れて来てるのかななんてことも思っていました。
放射能を危惧して窓を閉め切っていた家庭もたくさんありました。
正直ぼくも、「放射能あびてるのかな。死ぬのかな。まあこんなことが起きたんだもんな。しょうがないか。」そんな感覚でした。
何も教えてくれないんです。どれくらいの量がもれ、どの地域にどれだけの被害が及ぼされるのか。
ニュースで言ってくれるのは「直ちに影響はない」というこの文言のみ。
すぐ近くでたった数日で1万人近くが死んでいるんです。自分も死ぬんだなという感覚は少なからずどこかで持ちながらその日その日を生きていました。
そこで来るニュースでの「直ちに影響はない」という発言。思い出すだけでもため息です。放射能の性質を知っていればその回答の意味は理解できます。
ですが何も知らない人からすると意味不明以外の何物でもない。
やっぱこの後死ぬかもしれないんだな。と。
不安しかない。
そんな日々。。。
いまの感覚で言うと新型コロナウイルスが横浜港のダイヤモンド・プリンセス号内でパンデミックを起こし、そしてその後日本国内に急速に蔓延していく。その辺りの感覚に近いものだと感じます。あの何もわからずとにかく”死”が忍び寄ってくる感覚です。
今となってはある程度の情報を持つことができるようになり、ワクチンもできました。
つまり何度も言うように大事なのは情報なんです。情報がないことが何よりも恐怖なのです。
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なんやかんやでぼくは生きてくることができました。今こうやってブログを更新することができています。
今でも苦しんでいる人はたくさんいます。ぼくは被害の少なかった側の人間です。思い返すことすらはばかられると言った経験をした方も大勢います。
どうか少しでも何かのお手伝いができればと思います。
東北地方の人間というのは代々、一致団結をして生きて来ている人種です。
地元愛が強い人も多いですし、なにより仲間意識が強い。
ぼく個人としては、だからこそこれくらいの被害で済んだのではないかなと、そうも思っております。
それでは、ご覧いただき、誠にありがとうございました。
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あとはプラスαとして書きます。
☆頑張って
頑張ってと言われることにストレスを感じる人はめちゃくちゃ多いです。(特に東北民。)
当時やたらといろんな地域の人間から「頑張って」と言われまくったからです。
何を頑張るんですか?
「死ぬ気で、死ぬ思いで、文字通り死に物狂いで頑張って生きているんですよ。」これに対して頑張ってってなに?と。
これはぼくの主観でもなんでもなく、被災者全体の意見です。
被災者とそれ以外の方との感覚がズレにズレまくってるなというのはひしひしと伝播しておりました。
※ここから地元メディア以外の取材は受けないという方も多くいました。
☆営業開始店舗
電気の復旧に伴い、営業を再開する店舗も少しずつ増えていきました。
「みんなつらかった。みんな苦しかった。」がみんなの心にありました。そう、いまコロナ関連でやってるクーポンなんて本来いらないんです。
みんながみんな、「この人も大変だっただろうな」という意志のもと、サービスしてくれたり、いらないものまで買ったり、とにかく相手の利益はなんだろう困っていることはなんだろう、そこに手助けをするような動きが蔓延していました。そこには優しさしかありませんでした。これが人の繋がりなのだと思いました。
これこそぼくが東北地方、そして仙台を愛して病まない理由なのだと思います。
東京じゃ不可能。いまのコロナをみてわかる通りです。(まあ自体が異なるので比較できないことですけどね。)
人の繋がりは本当に大切ですね。
☆周りの県にどれだけの誤情報が伝達しているか
父親は大学勤務でした。そして時期は3月。入試時期です。
そこにかかってくる電話、「そんな荒野にうちの子を入れるわけがないでしょ!!!!(ブチギレ)」。こんなんばっかりだったそうです。
津波の情報が行き過ぎていて、福島・宮城・岩手のこの3県全てがもう壊滅してるんだと思っている日本国民がたくさんいたようなのです。もう一度言います。日本国民が、です。
どんだけ誤情報出回ってんだよって話です。最初の方に書いた通り、地域によって被害状況が全く違うんです。
それってめちゃくちゃ大事な情報なのに、そこをメディアは伝えてくれてなかったんですよね。
※ちなみにその大学の被害状況は、3キャンパスある中、『一つは数ヶ月休校、一つはちょこちょこ補修、一つはほぼ無傷』でした。ね?思ったほどではないでしょう?
ですが入学希望者の親御さんにはもうほんとに「壊滅した地域」として認識されてしまっていたケースが多かったんですよね。
地域によって全然違うという”情報”は本当に大事。
☆怖い話1
金銭目当てで、夜な夜な怖い事件があったという話を聞きます。報道はされてません。
何かといいますと、指輪です。
津波によって亡くなった方の、指先だけ切り取られている死体が多く見られたということを聞きました。海水によって膨張したり、死後硬直で固まったりとなると指輪も抜けませんから、そこだけ切り取って持ち去ったという話をけっこう聞いたんです。本当かどうかはわかりません。
感覚的に本当な気がするな。。。
☆怖い話2
タコとイカは雑食です。海に飲み込まれた人たちはどうなるか。
エサになりますよね。
当時イカの体内から人の髪の毛がたくさん出てきたという話をよく聞きました。その話が本当ならばきっと人を食べていたからなのでしょう。毛は消化されませんからね。(タコもきっとそうだと思うのですが、聞いたのはほぼほぼイカが大半でした。)
普段の2~3記事分の文字量になってしまいました。ありがとうございました。
みなさまの幸福をお祈り申し上げます。
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