素粒子は観測者がいないと存在しないも同然。
これはずいぶん前に実験されて証明されたこと。
部屋に閉じこもって周囲を遮断している人にとって
部屋以外の世界が存在しないように
私たちは 自分が認識している以外の世界は本当に存在しないという。
周りを見なければ それは存在しない。
色即是空
解釈によっては
認識しない世界は存在しないのだから
観たくない世界は見なければいいし
周囲の世界を気にかけなければ 自分には何も起こらない。
その反対に
事象に色をつけているのは 自分自身なのだから
その色を 意識的に変えてしまえば
どんな物事も よきことになる。
ともとれますよね。
認識しない世界は存在しないのなら
田舎でテレビもラジオも無しで生活している自給自足者でさえも
戦争がはじまると いきなり空からの爆撃を受けたりする
というのは どう解釈したらいいのだろう。
そういう人は 違う次元に生きているから 戦争をしている次元の影響を受けないのかな。
ウクライナで起きていることも
それに近いこともあるのではないかな。
まだ脳科学の勉強が足りないのでよく分からないが
脳科学自体が どうよ?と感じることもありまして
目の前の事象は常に断片で起きており
因果で繋がってはいない
それを 人間は 左脳で勝手に過去の出来事を因果というふうに繋ぎ合わせて
物語を作る。
しかし その物語の作り手の主体は見つからない。
らしいよ。
だから この世に因果関係は存在しない。
それを無理やり創り出しているのは 左脳。
という説明をしてくださっている方がいて
よくわからない。
物語の主体が脳科学では発見できないということは?
個人的解釈だと
左脳を動かしている脳細胞の一つ一つが 主体なんじゃないの?
細胞こそに神が内在していて つまりこの神とは 大いなる自己的な。
科学は 神の意識から発展したものでした。
神が存在するなら 自然界はこうであろうという憶測から
観測が始まった。
けれども 現在の科学は すでに神意識からは分断されていて
純粋に観測や計算で成り立っている。
私は常に 神は自分の外にはいないと 信じていて
自分の中にしかいない。
それは 自分を作り出す細胞一つ一つに神性があるから。
細胞が そのまま一つの世界であるから。
60億の世界が自分を作り上げている。
そんなふうに解釈しているのです。
だから 尊い。
だから 人間はすでに集合的無意識を持っていて
そういう意味では 個人的な意識なんていうものは無いのだ
と言われてしまうと そうかな、とも思うけど。
この世はイリュージョンというときにも
主体が無い 自由意志の無い世界というふうにもとれるけど
イリュージョンだからこそ
思うままの世界の様な気もしています。
思うままのようでいて 生まれる前に作られたシナリオに沿ってはいるんだけど。
シナリオを悲観的に続けるか 楽観的に続けるかという違い。
まあ 個人的解釈だから
他人にそうじゃないと説教されても関係ないのですが。
まだまだよく分からない。
こういうことって 人と議論したいわけじゃなくて
考えている過程が好きなの。
ぼやっと こういうこと考えているときに
友人が 「矢沢のえーちゃんがねー」
って言いながら 入り込んでくるそういう穏やかな感じが和む。