柾花音なのかもしれない。

猫の換毛期と戦っている

自分のCDが知ってるお店で流れる世界線に転生した柾花音の話【まかのんソングス~じぇいぽっぷ~】

華やかな手書きPOPの前に突っ立つ私から最初に出てきた言葉は、

「おあ…すごい…」

だった。

 

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誕生日からピッタリ1ヶ月後となる今日9月29日は、「まかのんソングス~じぇいぽっぷ~」の発売日だ。
ついにこの日が…と感慨深くなるところだが、とはいえこれを書いているのはフラゲ日である前日の28日なので、そこはご了承いただきたい。

 

さて、せっかく店舗名とメッセージを書いたポスターを届けたり、店内展示にサインをしたりと嬉しいバタバタの続く日だというのに、能天気にもツムツムをしながら電車に揺られていた頃の私は、正直まだ半信半疑だった。
ツムツムには大変失礼な話ではあるが、未だにツムツムのヘビーユーザーだと話せば周りには結構驚かれる。もう令和ですよとか時が止まってるとか、散々好き勝手に言ってくれる訳だが、実際自分のCDを目前にした時の私もその位フリーズしていた。

 

自分の背丈より高い場所に置かれている、ヴィレヴァン特有のあたたかみ溢れる店員さんの手描きイラストを見ながら、面食らった私は「明日起きた時に全部無くなっていたらどうしよう」などとぼんやり考える。

 

ブログや生配信などで柾の話を聞いた事がある人は何となく想像がつくかもしれないが、私は自分が何かをして、それが形になった時、何故かぼけーっとしてしまうタイプらしい。
スーパーネガティブ人間とは難儀なもので、問題を抱えてる時や悩んでいる時、頑張らなきゃと焦っている時は何となくだが"自分は柾花音である"という認識が確かにあるし、実際そんな日ばかりなのだが、いざこうして形になってみちゃうと、口から出るのは実感のない、人生ってすごいなー。みたいな深いんだか浅いんだかよく分からない小並感(死語…?)の連続だ。

 

自分を人生経験の豊富なオンナだと思ったことは無いが、それでも幼少期から決して平らでは無かった柾花音ライフの中で、手放しで人生ってすごいと思える日が来たことに満21歳の私は大変驚いている。何となくこれは、恐らくこれから数十年と生き長らえてく上で、割と真理に近いものな気がする。たぶん、嬉しいことも悲しいことも含めて、これからも人生ってすごいの連続なのだ。

 


さて、そんな浅い哲学は置いておいて、ついにCDと対面した私は、明日起きた時に全てが夢オチにならぬよう、しっかりと手書きのPOPを書いてきた。

 

バックヤードに通され、いつもヴィレヴァンで見ていた例の黄色いポップと、これがコピックかと思う位種類のありそうな大量のペン(実際はコピックではなく、ケロッピーみたいな名前のやつだった)を渡され、サインとか書いてくださいと言われる。
すごい。紙、割と大きい。さっき柾のコーナーで見たPOPよりも大きい。

 

さすがになにも参考がないのは怖いので、
「お手本とかってありますか!」とか「みんなどんなこと書いてますか!?」とか、「ヴィレヴァンっぽくしたいんですけど何色がオススメですか!?」などと店員さんを質問攻めにしてしまった。
あまりの慌てように困ったように笑われたものの、優しいお姉さんによるヴィレヴァンっぽさ講座を受け、所謂スタンダードセットである黒と赤をチョイス。その後は意外と早く書き終わった。

 

最近学んだことだが、こういう作業において1番大切なのは開き直る技術である。
たった1年半ほどの柾花音としての人生の中でも、色んなものにサインをしてきたし、メッセージを書いてきた。その度に誤字ったり、字がぐにゃってなっちゃったり、ペンが出なくなったりと、もうそれは様々なアクシデントがあったのだが、段々と結局は開き直るしかないのだと分かってくる。

昔のアニメのヒロインたちが挙って、てへっと言いながら揃いも揃って舌を出していたのは、自分のミスをいつまでも引きずっていても仕方がないと悟っていたからなのかもしれない。

 

 

上記の通り結局てへっの世界でしかないので、何かを書く時は思い切っていくのが柾流なのだが、タワーレコード渋谷店に伺った際「渋谷」の字を誤字っていると後から気付いてしまったときは、さすがにてへっではいかなかったので、急いで電車で戻って書き直した。

店員さんもマネージャーもマジでごめんなさい。

事実昨日の柾はそれは大変テンパっていたらしく、「渋谷」の字を直しても尚後から読み直すと肩書き等色々おかしい点が見つかるのだが、てへってしておくのでそこら辺はご愛嬌って事にしておいて欲しい。

 

ちなみに、タワーレコードに足を運ぶ際、柾のCD目当てのみんなには注意して欲しいのだが、まかのんソングスがおいてあるのは今のところ「J-POP」のコーナーである。
Vtuberのコーナーに数枚おいてある事も一応あるそうなのだが、渋谷店や新宿店のサインやメッセージはあくまでも邦楽扱いなので気をつけて欲しい。宜しく頼むぜ諸君。

 

また、タワーレコードの新宿店にある特典のポストカードにはメッセージを書かせて貰った。
全部違うメッセージが書いてあるので、よかったら手に入れて欲しい。
ちなみに、マネージャーには「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている…みたいな事書いてるね」と笑われた。そんなに怖いことは書いてない、と思う。

 

別の特典にも少しずつサインをして行けたらいいな…と思っているので、実現したらTwitter等で報告するね。

 


さて!そんな感じで無事、柾花音2st(ndとも言う)アルバム、販売開始いたしました!!!
正直POPや、特設コーナーなるものが出来るとは思っていなかったから、本当にびっくり…!

 

VVさんに関しては、恐らく取扱店舗についての案内がれこーず公式から出ると思います。

VVさんの店舗Twitterの方でツイートしてくださっている場合もあるみたいなので、そちらも是非チェックしてみて欲しい。店員さんが書いて下さったPOPがめちゃめちゃ可愛いです。

 


また、CD発売を記念して…
リリイベの開催が決定いたしました!!!!!

 

【柾花音 まかのんソングス~じぇいぽっぷ~ リリース記念ライブ】

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https://open-mic.zaiko.io/_item/343139

 

なんと、プレミアムチケットをご購入いただくと、1on1トークでの生サイン会がついてきます!!!

随時zaikoの概要追加されていくみたいなんだけど、オンラインで君たちとお話しながら、みんなの名前とサインが書けちゃうみたいです。

 

直接お礼が言いたいという柾の長年の夢がようやく叶いました!!念願でした、これを本当に夢見てた、嬉しすぎる!!!!

 

上手く喋れるかなとか、何話そうとか、緊張するとか、色々あると思います…!けど、そこら辺は柾にお任せ下さい!
もうとにかくありがとうを言わせて欲しいので、良かったら遊びに来てね!!!

 


この間アニソンカバーアルバムが発売されたばかりなのに、ライブがあって、第2弾でCDが発売されて、楽しいこと尽くしの一年だ。
相変わらず楽しい頑張ろう楽しいで一生懸命な私だが、そんな余裕のない所も一緒に、これからも見守っていただけたらなと思う。

 

一年だ。とはいったものの、リリイベもあるし、そこから先の予定も、まだたぶん、きっとあると思う。
そして来年もまた、楽しい予定があるはずだ。


これを書きながら思ったのだけれど、何かが終わった時にぼけーっとしてしまうのは、きっと幸せボケなんだろうなーと思う。てへっ。

【#柾花音2days を終えて】2daysライブなんて絶対ヤバいと思ってたのに、終わってみれば後3日位やりたかったな。

(2021/08/30 07:28)

 


人生初の2daysライブをした。人生で1番歌って喋った2日間だった。

正直、記憶が消えたんじゃないかと思うくらいぼーっとしている。

 


いや、決して両手放しで記憶を吹っ飛ばせるほど順風満帆に終わった訳では無かったし、アドレナリンでかき消されてはいるものの頑張って記憶を辿ろうとすれば、嬉しい事も悔しい事もじわじわと出てくるのかもしれない。

色んな人の努力と、必死さと歯がゆさと、何としてでも成功させたいと言う思いがあって、2日間を終えられた事は間違いないだろう。

 


最後まで盛り上げてくださったみんなは勿論、最後まで一緒に頑張ってくれたスタッフさんやメンバーの方々には心の底からお礼を言いたい。

とんでもなく熱かった。改めて、#柾花音2days 本当に本当にありがとうございました。

 


https://zaiko.io/event/341736

f:id:kanon_masaki:20210830125828j:image

 

 

さて、シャワーも浴びてパジャマに着替えても相変わらず目がバッチバチなので、頑張って記憶を辿って色々話してみたいと思う。

明日以降の自分のためにも今日お酒を飲むのは控えるが、帰りにハイテンションのままノリで買ったつまみがあるので準備は万端だ。

なんとか目を瞑ってこれを明日に回さないのは、目が覚めたらどうせ無限反省編が始まるからである。当然一夜寝た程度で収まる興奮では無いのだが、こういうのはアツアツホヤホヤ(?)の内に話した方が精神的にいいと思うのだ。

 

 

 

思えば、8月頭の初リハーサルから既にめちゃめちゃ熱かった。

雨の中ガンダッシュでスタジオに向かい、お久しぶりの大和田さんと和音さんと、初めましての北村さんとまぁびぃさんにご挨拶をして、柾花音初めてのバンドサウンドとご対面。

 


初っ端からそれはとてつもない完成度で正直震え上がった。あれ?柾が入る数時間前に初めて音合わせたばっかりですよね…?えっ…もう出来上がってるの?やっば……と素人並感で圧倒されていたら、慣れないバンドの音圧に身体が耐えきれず、すぐに喉をやった。

このヤバ過ぎる失敗は発声を細かく見直すきっかけになったので、とてもいい経験だったと思う。

 


そこから回を重ねる毎に、私の耳でも分かるほどに演奏も音もどんどんアップグレードされていく様は本当に圧巻の一言である。

しかも何がすごいって、

 


「ここのジャッジャージャの所あるじゃん」

「うんうん」

「ジャッの所のキーボードもう少し○△□◎×(専門的過ぎて何を言ってるかは分からない)が欲しいんだよね」

「あー了解」

 


的な。(※セリフはイメージです)

傍から見れば「あれ取って」だけで全てが通じる熟年夫婦の様なやり取りをしながら、着実に1つ前のテイクよりもかっこよくなっていくのだ。私は圧倒的力の前に笑うことしか出来なかった。

 


例え意味は分からなくとも、どのやり取りを取っても、初めてバンドと歌う私にとってはどれも新鮮で楽しい。

じーっと飼い主を見つめたまま、何を言ってるか多分理解していないにも関わらず、何故かずっと尻尾を振り続ける犬みたいになっていた。音音音楽楽楽楽楽楽楽歌歌歌歌みたいな脳内メーカーのまま、ただただプロ達の阿吽の呼吸を眺める。とても幸せだった、最高。

 


それでも演奏が終わって楽器を置いたら、

https://youtu.be/7tiEgCabZzg

みんなこうなっちゃうんだから、やっぱ強キャラっつーのはこうでなきゃなあ!!って1人で盛り上がっていた。

普段人当たりとノリのいい、どこか緩い雰囲気の人達ほど、色々と変態な業界である。それを肌で感じた、本当にすごかったな。

 

 

 

今回のライブで一番困ったのは、バンドサウンドに耐えうる身体を、残り1ヶ月も無い本番までに作らなければいけない事だ。ステージではイヤモニもあるので直に聞く音とは全く勝手が違うものの、それでも初めて聞くバンドの音はやっぱり圧が半端でない。

 


しょぼくれてる暇はないと、いつもお世話になっているボイトレの先生に相談して、急ピッチで調整をしなんとか難を逃れた。何とかそれっぽくなってきたのは8月中旬だったので、正直結構ギリギリではあったのだが、調整どころか今までよりも格段に歌いやすくなったのでやっぱりプロの凄さをここでも痛感する事となる。先生本当にありがとうございました。まだまだ精進しなきゃ。

 

 

 

いざ本番が始まれば、それはそれは酷いもので、とちったり噛んだり踏んだり蹴ったりではあった…

 


とは思うものの、正直楽し過ぎて全部飛んでしまった。

色々含めて全部楽しかったし、生ならではって感じで、どんな要素も熱さに変わるのが空気感で分かった。

 

 

 

冷静になってしっかり思い返そうとすれば、良かった所も悪かった所もわんさか出てくる。

 


あー走っちゃったなとか、あそこブレたし裏返ったなとか、あそこはバンドに合わせてキメるとこだったのにとか、ここ1日目の方が良かったとか、もっと言葉ハッキリ出すべきだったとか。ノリで行ったら誤ってオク上にしてしまって焦ったとか。何より2日目泣かなきゃよかった!!!!とか。


そして、訳分からないくらい楽しかったとか、あそこのシャウト気持ちよかったとか、最後まで会場を湧かせよう!とバンドメンバーと一体になる感覚が言葉では表しようのない多幸感だったとか、それを見て同じように盛り上がってるみんなを見るのが最高過ぎて堪らない事とか。

こんな達成感やこんな反省点が生まれることも、どれもこれも生のライブならではだ。

朝7時の今思い返しても、胸に熱いものが込み上げる。

 

 

 

1つ裏話を上げるとすれば、一日目のカプチーノの冒頭アカペラ部分は、休憩明け直前に決まった演出である。


思わぬアクシデントが起こり、予定より早い15分休憩が差し込まれたのだが、その間に本当なら前の曲から移行する予定だったカプチーノの冒頭をどうするかの話し合いが始まり。その際、頭がぐるんぐるんでハイになっていた私の「あっ…アカペラはどうですか!」という、今思えば思い切った提案の末、急遽ああいう形になったのだった。

メンバーがすぐに「いいね、そうしよう!」と言ってくれたことが嬉しかったし、生演奏ならではの演出に加われた気がして、ふふんって気持ちだ。とても緊張したけど楽しかった。

 

 

 

そして、今回のライブではキーボード担当の田中和音さんが作曲してくださった、オリジナルソング2曲を初披露した。

詳細は正式発表の時に取っておきたいので今回は手短に済ますけれど、みんなにも気に入って貰えたみたいで本当に嬉しい。

 


特にみんなと歌える「ラララ…」の部分はお気に入りだ。

これは余談だが、ラララの説明の時に「難しい歌詞だ…覚えられるかな…」というコメントを見た時は危うく笑っちゃって歌どころじゃ無くなるところだった。よく耐えたと思う。書いた人は反省して欲しい。

 

 

 

今日帰ってからやっと落ち着いてコメントを見れたけれど、本当にみんな楽しんでくれていて演者冥利に尽きると言うか、本当に胸がいっぱいだ。

言いたいことは2日目のラストMCで出し切ったつもりなのでここでは省くが、心の底からこの2日間を迎えられて良かったと思う。間違いなく、人生で1番幸せな時間だった。

 


改めて、#柾花音2days 本当に本当にありがとうございました。

トラブル等もありみんなには大変ご不便をおかけしました。いっぱいいっぱいお待たせしてごめんね。

 


それでも2日間、最後まで付き合ってくれてありがとう!!

またあの幸せで最高にハイな時間を君たちと過ごす為に、21歳の一年も頑張っていきたいと思います。早くリアルライブでラララ出来ますように!

これからも柾にお付き合い下さい。宜しくお願いいたします。

 

 

 

アーカイブはまだ見られるので、ぜひぜひ沢山みてね。

 

【柾花音 Summer & Birthday Live 2021】

https://zaiko.io/event/341736

 


いつか機会があれば、ライブの同時視聴とか出来たら面白いなと思う。何日か経った後に録画を見る勇気があったらだけど…。

 


個人的柾のここ聞いて!は、1日目のvinylラスサビシャウトとオリジナル、2日目必死過ぎて終わったあと暫く肩で息してたunravelとファイトです!よろしくおねがいします!調子乗ってるけど明日は多分反省会です!!

今寝れそうなので寝ますおやすみなさい!!!

「世のアーティスト、至る所から己の声が流れてくるのに冷静すぎ問題」について。

(2021.06.02)

 

 

青天の霹靂。自分のアルバムが出た。

 

私は、誰かが自分の歌ったアルバムのジャケットを嬉しそうにツイートしている様を、まるで他人事のように、鯉みたいに口をぱくぱくさせて見ていた。
見ていて、そして自分のことだと分かった時、これはやばいぞと思った。

 

念の為に言っておくが、これは別に私の知らぬ間に勝手にアルバムが出てたとか、そういう話では決してない。ただ、たった20そこらの娘が経験するにはちょっと刺激的すぎたのだ。
だって…だって……

 


だって!!自分の歌うアルバムが出たのだから!!!!

 


もしこれがミュージカルなら、今ここで軽やかなイントロがなり始め、フルート辺りが心地よく歌入りまでを繋ぎ、低音楽器が待ちきれないと言わんばかりに跳ねたリズムを奏でていたのだろう。知らんけど。私は吹奏楽の経験がない。
そして、大きく息を吸ってこう歌うのだ。
「今日!自分のアルバムが出た!!」と。

 

ここまでで十分お分かり頂けたと思うが、今、私は浮かれている。前回のブログで自己肯定感と向き合っていたとは思えない程の浮かれ様だ。

 

「おい貴様、もう浮かれているのか?ちょっとカバーアルバムを出したくらいで喜んでいるんじゃない。そんなんだからお前はダメなんだ。もっと上を見ろ。お前はちっぽけだぞ馬鹿者」
と思われたそこの貴方ともう一人の私は、もう暫くは黙っていて欲しい。
どうせこのあと否が応でも反省会をするのだから、これを書いている今くらい浮かれたって良いじゃないか。

 

だって想像できる??
自分の歌った曲が何曲も詰まったアルバムが全世界で配信され、それを手に取った人から感想が届き、遂にはランキングだなんだという話が出て、普段使っていた音楽アプリから自分の声が流れてくるのだ。
わかる?ポチって!押したら!!流れるんだぞ!!!?
その上発売前日にはラジオに出て、アルバムを宣伝させて貰うだなんて!!!!!

 

はーーー怖いわーーーーこんなことってあるんだなーーーと熱めの溜息をついて、エゴサをしようとTwitterを開いた。
そして私は、気付いてしまった。

 


「あれ?世のアーティストって、ちょっと冷静すぎないか…?」

 


本日の議題はこれである。
世のアーティスト、至る所から己の声が流れてくるのに冷静すぎ問題。

 

いやそりゃあ、大御所のアーティストさんならもう慣れきったことかもしれないし、まだこんなんじゃ満足出来ないという熱い意思の表れなのかもしれない。

 

でも"カバーアルバム"で"配信"の私ですらこんな感じなのだ。
いざ自分のアルバムが出てみて、一生こんなの慣れそうにないと思うし、満足云々とかは一旦置いておいて、嬉しいもんは嬉しい、と思う。

 

 

それでも世のアーティストさん達は、こんな風に浮かれていないように見えるし、突然嬉しさが込み上げてヒャハハハなんて笑い声を急に上げたりしていないように見える。

 

彼らはとても爽やかに「配信されました」「聞いてくれてありがとう」「これからも宜しくね、大好きだよ」と、シャランランララァ…なんて爽やかイケメンが微笑む時のSEを携えながらツイートしているように見えるのだ!
(※例文・感想全て飽く迄も私個人の妄想です)

 

 

ぎゃーーーうっっそだろ!!なんでそんな冷静なんだ!!!!
と私は絶句したのだが、まあ当然見えているものだけが全てではないわけで。

 

140字フルに使っても気持ちの4割伝えられたら花丸くらいな難しいSNSで、当然ながら全てを見られるわけではないし、
万が一推しがこのテンションで喜び踊り狂っていたとしても、その姿をこの目で見る事はないのだ。ちょっと切ない。

 

もしかすると世のアーティストさん達も、Twitterを見て頬がつるほどにやけたり、全ツイートいいね押したいいいいいと葛藤したり、買ってくれた人がいるであろう全方位にお辞儀をしたくなったりするのだろうか。
君の推しも私の推しも、何かを世に出し、それを誰かに受け取って貰った時は、きっと私のように突然踊り出したくなるような衝動と共に生きているのかもしれない。

 

そう思って、想像して、かなり萌えた。

 

(※全て私の妄想です)

 


さて、そんな私のカバーアルバムが6月2日に配信開始されました。
https://twitter.com/kanon_db/status/1399751290150817804?s=21

既に手に取ってくださった方、聞いて下さり本当にありがとうございます。
有難いことにたくさんの感想をいただいていて、眺めながら本当に踊り出したいくらいアガってます。

 

まだ購入してないという方は、クロスフェードも公開されているので聞いて欲しいし、気に入ってくれたら購入してフルで聞いて貰えると嬉しいです。
https://youtu.be/2dYEU8k49YU

 

前日に出たラジオも、聞いていただいた方本当にありがとうございました。
JOYさん・結さんの進行力に導かれるまま、頭をぐるんぐるんにして話していました。歌に入った瞬間、緊張から解き放たれ蚊みたいに小さい声で絶叫したのが忘れられません。

 

 

宣伝はさておき。

 

改めて、本当に色んな人の力があってこそこうして過ごせている事を実感する数ヶ月だった。たくさん裏で動いてくださる方や、こうして見て聞いてくださる方々も含め、こんなに沢山の方が私の為に時間を使ってくれているのだと思うと、本当にありがたくて、泣きそうな気持ちだ。

 

これが最後ではないし、最後にならないよう頑張らなきゃいけないのも分かってる。
これからももっと上達したいし、かけてもらった時間の分、今以上に頑張りたい。

 

けれど、私はこんなに心地よく頭がチカチカする時間を味わったことがなかった。今くらいはまだ許されそうだし、もう少しだけこれに浸っていたいと思う。

 

 

流石にテンションが高過ぎたのかさっき足をぶつけた。
結構強めに行ったからこれは痣になると思う、でも、痣が消えるまで幸せが続きますように!

超絶ネガな私がファンを通じて愛することを学びつつある話


「こんな私でもいいか」と口に出すのに、20年ちょいもかかってしまった。

いや、口に出せたのはどう考えてもお酒のお陰だから、20年待ってた甲斐があったと言えるのかもしれない。

 

 

初めまして。

柾花音(まさき かのん)です。


今の事務所であるギャザリングに所属してから1年が経ちました。


今では後輩?(はれらいおん可愛すぎてガチで推せる)もでき、先日無事に告知盛りだくさんの2年目 (【柾花音】い~っぱい告知!【3D生配信】 - YouTube)を迎えたところ。

せっかくの節目なのでなにか書きたいと思いマネージャーに相談した結果、「強い部分でも弱い部分でも、ありのままに感じたことを書いたらいいんだよ」と言ってもらったので、ここ一年を振り返って、大のネガティブを拗らせた私の壮大な自分語りをしてみたいと思う。

最終的には明るい話でしかないんだけど、飽く迄も大ネガを拗らせた人の文章だし、暗い部分も通るので、気分が優れない方や引っ張られやすい方は閲覧を控えて欲しい。

 

 

 

さて、ギャザリングへの所属が正式に発表されたのは2020年4月4日。

今では随分馴染みの深い言葉になってしまった〈 緊急事態宣言 〉なるものがどうやら4月7日から発令されるらしい、と。

大多数の人が、初めての事態に何となく"ヤバさ"だけを感じながらも、実感すらわかずに未知のウイルスに怯えていた時期だった。

 


かくいう私も発表こそ難なく終えたものの、いざ宣言が発令されると、当然収録もそれ以外の仕事もできない。

収録や対面でのお仕事以外は殆どのことがリモートで済みそうな私ですら、あの時はえらい不便だと感じていたのだから、接客業の方や、システムを丸々変えなければならないお仕事の方はもっともっと大変だったのだと思う。

 


今ではあそこまでのロックダウンは無くなったが、1年前は主要な駅にも殆ど人がおらず、店は軒並みやっていない。そんな感じだった。はず。

もう記憶も曖昧だし、随分昔のことのように感じるのが不思議だ。

 


もちろん今でも警戒は続けているし、予防意識は大ありなので、気が緩んでいるってわけじゃないよ。

ここ1年が本当にボリューミー過ぎて。嬉しい方の忘れ方だと思いたい。

 

 

 

思うように動けない中、いつかこのおかしな自体が収束した時に何ができるのか。

それを宿題として考えてきて、会議でスタッフと出し合ってを繰り返す日々が続いたのをよく覚えている。

長電話になるだろうなぁ、といつもより多めに淹れたコーヒーが空になっても、時には毎日0時に設定してあるアラームが鳴り通話アプリが落ちても、話し合いは続いた。

 

 

 

 


今思えば、その頃から私は「やりたい事」ではなくて「できる事」を考えていたように思う。

 


もっと厳密に言えば、あの頃はこんな自分を応援してくれている人達になにかを返さなきゃと、何ができるのかと必死に探していた。

 


何度か話した事があるが、今の事務所から声をかけてもらう前、

年が明ける前の私は、年明けまでこの場にこうして立っている気はなかったのだ。

だから、「今応援し続けてくれている人達に、できる限りの気持ちを返していくぞー!」という心意気こそあれど、いざ"やりたい事"として聞かれると何をしたらいいのか分からなかった。

(とはいえスタミナがE+位しかない人間だったので、全然返されてる感ねーよクソがって人は本当にごめん。出来たら気持ちだけでも受け取って欲しい。)

 


あの頃は、こんな私を好きでいてくれてる人達が「これをやって欲しい」と言ってくれたことを、できる範囲で少しずつでも叶えられたらそれでよかったし、逆に、望まれているはずの事が出来ないのが苦しかった。

 


そういつも。

私は何もできないのに、できない私からみんなが一生懸命"個性"と言える何かを見出してくれているのだと。

それは歌うことだったし、配信で苦しい程笑うことだったし、ホラーが苦手なことだったし、早口オタクになることだった。他にも、私の個性と呼べる(?)色々な部分は私を見てくれている人から貰ったものだと感じていた。

 


そして、スタミナだけじゃなくスピードもE程しかない私がゆっくりそれを形にするのを、みんなはとても広い心でずっと待ってくれているのだと。そう思っていた。

(強いて言うなら表現することやお芝居は昔から好きだったけれど、「何かやりたい事ある?」という問いに対して「えっ…あ…と…ひょ、表現……?」っていう抽象的過ぎる返事をする勇気はなかった。)

 


だから、とにかく頑張ろう。私は周りの素敵な人達と違って特別出来ることなんて持っていないから。

面白い話も、難しい知識も、否が応でも聞いてしまうような特別な歌声もないから。

プロフィールの特技欄は1番最後に、なんとか無難なものを絞り出して書いてたでしょ。それが自分には何も無いことの1番の答えなんだよ。


こうやって私がうじうじしている間にも、才能のある人はその才能をもっと伸ばすべく努力している。

私はもっともっと頑張らなきゃ、差は開いていく一方だ。貰った分のお返しなんてとても出来なくなっちゃう。

でもそもそも何を頑張ったらいいんだろう。私は何も出来ないのに、何が出来るかも知らないのに。

頑張って頑張って、誠実に打ち込んで、きっとそれでもどうしようもないことだって世の中にはたくさんある。それは分かってる。

それでもあの頃は、いやこれは今もだけど、ただ自分の取り柄を、間違った方向を向いたまま探し続けていたのだ。

 

 

 

こんな話をするとキャラ崩壊だと思う人がいるかもしれないし、こんな私は解釈違いかもしれない。

今初めて自分のあまり好きではない部分をちゃんと人に話していて、正直震えてるし、なんでこんなこと喋ってるんだって混乱し過ぎておぎゃりそう。マジでパニック。今すぐママー😭って泣き出したい。

赤ちゃん帰り間近の、突風の中で綱渡りをしているくらいグラグラの精神を、「もう20歳になった」という命綱だかプライドだかでギリギリ耐えてる。吐きそう。

 


あっっっでも待って下さい!!!!

違うの、違うんです。ここから明るい話になっていくから安心して欲しいし、ここまで読んだなら帰らないで欲しい。

本当にここからなので、もう少しだけ付き合って下さい。

 

 

 

さっきの続き。

さて、とてもじゃないけど「安心しろ!幸せにするから俺についてこーい!」なんてカリスマ性のあることは言えないのに「これからも見守っててくれ」なんて言い続けてるんだから、わがままだなって思う。すごくタチが悪い。

 


でもさ、傍から見てたら分かると思うけど、これめちゃめちゃに負の無限ループなわけ。

この自信のなさからくる自問自答はマジで1番やっちゃいけなくて、これこそ腐ったみかんの方程式ってやつだ。放っておくと他のみかんもダメになってしまう。

 


まあ多分、そうやって20年間自分で自分のみかんをダメにし続けてた結果、出来上がった自己肯定感ゴミゴミモンスターがこの私。

なんだけど、ここ1年でそこから抜け出すヒントを、ファンの人達(と事務所の人達)から得たんじゃないかと私は思っているのだ。

 

 

 

きっかけは、引き出しから物を取り出す時に、ふと目についたファンレターだった。

「結構たくさん溜まったなぁ」と、本当にたまたま全ての手紙を読み返し始めて。

 


その時、私の中でなにかが、ぽっ…と浮いたような感じがしたのだ。

 


それが頑張らなきゃという責任感だったのか、頑張りきれていない自分への罪悪感だったのかは分からないし、

どうして初めて読んだ時ではなく、その時になってなにか別のものを感じたのかも分からない。(当然ファンレターが届いたらすぐに読んでいるし、最初に読む時だって口角取れるんじゃないかってくらいにやにやしながら読んでる。泣くこともある。)

まあ色々、確かに悩んではいたけれど、それは20年間ずっとついてきた悩みだったし。

 


でも確か、その日は低気圧かなにかで朝から体調が悪かった。

 


どんよりとした空気と頭痛に悩まされる中、重たい身体を起こして何かを取るために引き出しを開けたのだ。

それで、手紙を開いて。

少しはやる気もでるかなと、ほんの景気づけに何通か読もうかなー位の気持ちだった。

 


そんな軽い気持ちの、しかも2回目かへたするとそれ以上目かの開封だけど、いざ読み始めたら慎重に。

私のために一生懸命書いて届けてくれたであろう文字を、1文字も取りこぼさないようにゆっくりと目で追う。

手紙を読む時は心の中で相槌を打ちながら読むのが柾流だ。

 


うんうんと頷きながら読んで、優しい気持ちでいっぱいになる。

それと同時に私に向けてくれた、こんなに暖かいたくさんの言葉達に見合う存在でいられてるのだろうかと。やるせない気持ちでいっぱいになった。

私は自分の取り柄も分かってないのに、こんなに褒めてもらってもいいのだろうか。

私はまだ、みんなに何も返せてないのに。

 

 

 

いつもまかのんから貰ってばかりで、何も返せていないですが、

 

 

 

目を通して、あ、と。声が出た。

 


あれ、これ私が書いたっけ?いや違う、確かに私に向けて書かれたものだ。

 


びっくりして見返せば、結構な人が同じような事を書いてくれている。

いやなんでよって、なんで君たちが同じこと思ってるの、それは私のセリフだわ取っていくんじゃないよ。

 


もう頭の上をはてなマークとヒヨコが飛び交って、軽くパニックを起こしてた。

 


だってそんなこと君たちが思う必要なんてないのに。もう既にたくさん、色んなものを貰っているのに。

あれ、でも、もしかして、それってみんなも同じように思ってるってこと…?

 


不思議な感覚だった、ぽっ…ってなにかが浮いた。

すっきりとも違う。多分私がネガなのは性格的なものだから、このうじうじした気持ちとは一生お付き合いすることになるんだと思う。

けれど、本当にぽっ…って少しだけ、浮いた感じがしたのだ。

 


なんでこんなに気が付くのに時間がかかったんだろう。

 


「歌ってくれてありがとう」

「ステージに立ってくれてありがとう」

「話してくれてありがとう」

「お知らせしてくれてありがとう」

 

 

思ったことを、話す。感じたままに、歌う。たったそれだけ。

それだけしか出来ていなくても、端から、こんなにも優しい言葉で溢れていたのに。

これ以上ない気持ちを向けてもらっていたのに。

 


私は、私の個性と呼べるような部分は、全部私を見てくれている人から貰ったものだと感じていた。

それは確かにそうなのかもしれない。

 


それでも「みんなが好きだと言ってくれる所を詰め合わせた私」の事くらい、ちょっとくらいは愛してあげても良かったんじゃないだろうか。

才能とか努力とか特技とか、そんな難しい事を考えて泣かなくても、

本当は、自分がただ楽しんでいるだけで、周りにも楽しんで貰えていたのかもしれない。

 


だって本当にそうなのだ。

あとからこれでもかと反省するだけで、歌っている時も、芝居をしている時も、話している時も、ずっとずっと私は楽しくて仕方がなかったのだから。

 


さっきまでぎゅうぎゅうに頭を締め上げていたはずの痛みは、どこかに消えていた。

 

 

 

 


その日の夜。友達とお酒を飲みながら、自己肯定感だなんだの話をした。

 


「こんな私でもいいか」と口に出すのに、20年ちょいもかかってしまった。

いや、口にまで出せたのはどう考えてもお酒のお陰だから、20年待ってた甲斐があったと言えるのかもしれない。

 

 

 

吐いた言葉は自分の耳に返って来る。

母からそう聞いた。だから口からの言葉だけでも、せめて明るいものに。

 


どうしようもないネガな私の、明るい言葉は言霊だ。前向きな言葉も、どうかそうであって欲しいという言霊だ。

私が願いを込めて吐き続けてきた言霊たちが、手紙になって熱を持って返ってきてくれたような気がした。

時には立ち止まってしまう私の背中を押すものとして、時にはしゃがみ込んだ私を引っ張りあげるものとして、もらった言葉が新たな言霊になって、私をまた歩かせてくれるのだと思う。

 

 

 

君たちのおかげでちょっとだけ、自分の事を愛するコツを知ったこの1年。

これからも楽しいことを、みんなと共有していきたいのだ。

そして願わくば、今度は自分の「やりたいこと」を実現できるように。

 


まだまだネガな私だけど、どうか2年目もあたたかく見守っていてください。

 

 

柾 花音