人の息吹と営みが戻ってきた
それから時は流れて2021年。
「請戸港(双葉郡浪江町の漁港)水揚げの釜揚げシラス丼!シラスかけ放題ですよ!」
「申し訳ありません!地魚のお寿司、本日分は売り切れました。」
双葉郡北端の浪江町では、復興拠点となった「道の駅なみえ」が人気を博していている。レストランには地元浪江の地魚や名物B級グルメなみえ焼きそばを食べようと並ぶ人の大行列で、中には子供連れの家族も多い。直売所も地域の農作物や名産品を買おうとする人で溢れかえっていた。
福島の魚介類や農作物は、人々の根気強い努力によって安全性が充分に証明できている。仮にこの場で「福島第一原発の湾岸のすぐ外側で獲れた近海モノの寿司」が提供されたとしても、大喜びで食べる人ばかりだっただろう。
ここには、原発事故直後には想像も出来なかった「光」が、人の息吹と営みが戻ってきていた。
双葉郡では北部の「道の駅なみえ」の盛況のみならず、南部の楢葉町にある「道の駅ならは」も再開されて連日大いに賑わっている。楢葉町と広野町にまたがり、かつては廃炉作業の最前線基地にされていたJヴィレッジは元の日本屈指のサッカートレーニングセンターとしての姿を取り戻した。富岡町では桜の時期に夜ノ森で「富岡桜まつり」が再開され、福島第一原発が立地する大熊町にも、西側の大川原地区を中心に住民が戻り始めている。
もちろん、これは未だ課題が山積し「明暗がハッキリ分かれている」双葉郡にとって、ほんの上澄みに等しいのかもしれない。それでも「暗」ばかりがどこまでも広がっていた絶望の中に、11年で「明」を無理矢理ねじ込んででも希望を生み出し、原子力災害に奪われた「失地」を取り戻した意味は決して小さくない。
原発事故から繰り返された理不尽に多くの痛みと無念を抱えつつ、それでも11年かけて灯したこの種火を、現場で戦ったあの日々を、同じ11年間この地の復興を侮辱・嘲笑して忌み嫌い続けた挙句、「原発事故はまだ終わっていない」などと訳知り顔で繰り返すだけの人々に消させる訳にはいかないのだ。
たとえ今は「無理」に見えることでも、きっと不可能ではない。「失地」は人の手に必ず取り戻せる。この11年がそうであったように──。
「今日は名物のホッキメシもありますよー!おすすめですよ。いかがですかー?」
不意に聞こえてきた言葉に、私はハッとして思わず振り返った。
(※本記事は、3月18日発売予定の『「正しさ」の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か』より一部を抜粋したものです)