我々がここを何とかする。そうすれば…
人の気配が一切消えた空間からは、本来そこにあるはずの音が消えていた。
山ならば山なりの、里ならば里なりの、街には街の音がある。しかし、ここにはそのいずれの音も無かったのだ。住宅地、道路、駅前。繁華街に近づき建物の数が増えても、それに全く比例しない不自然な静けさが続く。歩くたびに、言いようのない違和感に襲われた。
放射線量が比較的高く「帰還困難区域」とされた場所は、許可証無しでみだりに入ることが出来なくなっていた。
帰還困難区域に繋がる入口一つひとつの全てにはバリケードが延々と取り付けられ、国境線のように分断されている。その無機質な光景に、音だけでなく、まるで色彩までもが街から奪われてしまったかのような錯覚すら覚えた。
色褪せた街並みとは対照的に、いたるところで我が物顔に伸びる無神経なツル草。八つ当たりでしかないのに、やたらと目に障って無性に腹が立った。街を呑み込もうとするそれら全てを、今すぐ乱暴に薙ぎ払いたかった。
原発事故後のこうした現状が深く目に焼き付いて離れないからこそ、私は原子力災害によって突然理不尽に奪われた故郷を、失地を、少しでも人の手に奪い返そうと足掻き続けてきた。
「音」と「色彩」を取り戻し、この風景を変えたいと強く願ってきたのだ。たとえ「無駄だ」と嘲笑されようとも。
「まずは下水とか、たぶん色々濃くなってる所?をどうにか除染とかして片付けなきゃ、みんな戻ってこれないっしょ。でもオレは放射能、別に怖くないからねー。いくらでもやって見せますって!」
「トモさんもさ、サポートよろしく頼んます!」
慣れた手つきで煙草に火を付けながら、ヤンチャさが先立つ若い仕事相手がおどけてみせる。
「じゃあ、こっちにも1本くれよ。もしものときは骨を拾ってやるから」などと返すと、「光栄ッス!」と煙草を差し出した後に「げ、最後の1本だった。…まあ、しゃあねぇな。骨拾ってもらわないとだしな」などと言いつつ、空になったマールボロの赤箱をくしゃっと潰してニカッと笑った。
今はもう煙草を一切吸わなくなって久しいが、ああいう戦友?(と呼ぶべきなのだろうか)との他愛もない軽口と共に現場でときどき吸う煙草は、いつも以上に旨く感じたものだった。
それから何度双葉郡内に入っても、なかなか人の気配は増えなかった。しかし、やがて除染が進むにつれて次第に工事の音が、復興の槌音が広く聞こえるようにもなったことが嬉しかった。
普通の人には煩いと感じられたであろう重機の音や行き交う大型ダンプさえ、災害に抗う人々からの反撃の狼煙や咆哮のように思えて頼もしかった。まずは、我々がここを何とかする。そうすれば普通の住民もきっと、いつか戻ってこられる。そう信じるしかなかった。