祖母が食べさせてくれた想い出の味
私は震災後あまり時間が経たない時期から、人がいなくなった双葉郡内を、かつての見知った場所を、許される範囲で何度も歩いた。
もちろん当初はほとんど入れなかった場所ばかりだったが、時間と共に少しずつ行ける場所も増えていった。事故直後に「一度死んだ」つもりの身であったから被曝もあまり怖くはなかったし、故郷に何が起こったのかを死ぬ前に直接目に焼き付けたかったのかも知れない。
「ほら、智裕。オニギリ出来てっがら。食え。」
「遊びさセデッテやっから、やべ。」(遊びに連れて行ってあげるから、おいで)
馴染みの場所を歩くと、不意に昔の記憶がわきあがってくる。今は亡き祖母の声は、この辺りの方言特有の、一般的にはツッケンドンな印象を与えるであろうアクセントと言葉遣いで再生される。
別段、気が荒いわけでも無く、本人としては孫を心底優しく可愛がってくれていたのだろうに、肝心の孫の耳にはあまり優しそうには聞こえなかったりしたものだった。いつか、この辺りの人と話す機会があったら、どうか無骨な言葉に「感じが悪いな」とは思わないで頂きたい。おそらく、そこに悪意は無いのだから。
ところで、祖母が食べさせてくれた(正確には伯母が握ったであろう)オニギリは、しかし、他で目にする一般的な白いオニギリでは無かった。この辺りはホッキ貝を炊き込んだホッキメシが郷土料理なものだから、オニギリにもホッキメシが使われることが多かった。
私は祖母の家でしか出てこない得体の知れない珍妙なご馳走を、いつも訳も判らず美味しく頬張っていたものだった。
「しかし、この辺りで獲れたホッキが再び食べられるのはいつになるのか。もしかすると、二度と食べられないのかも知れないな。」
「今や想い出のホッキメシを他人に出したところで汚物のように忌み嫌われ、侮辱されるのかも知れない。」
変わり果てた目の前の風景に、そんな考えも過ぎる。