2007年08月23日

雑話/昔の上司との再会~20年越しの謝罪(07/8/23)

20年ぶりの再会だった。
先日、「月刊空手道」時代の上司・編集長である東口敏郎氏に会ってきた。東口氏が福昌堂を退社して自らの出版社BABジャパンを設立したのは、1986年秋のことだった。
東口氏の退社によって、部下だった私たち(山田英司や生島裕など)は次世代の「月刊空手道」や「フルコンタクトKARATE」「武術」の新編集長として制作に関わることになった。
この際、ひとつの「誤解」が生まれた。
私は周囲の勧めを断って、創刊したばかりの「フルコンタクトKARATE」ではなく、「月刊空手道」の編集長を希望し、実際その職に収まった(恩人である芦原英幸のアドバイスによるものだった)。
だが、そんな私に福昌堂社長の中村文保は散々と東口氏の悪口を繰り返した。曰わく、
「東口君は小島君を辞めさせないと必ず独裁体制を敷くから会社が危なくなる。そう私に念を押して辞めていった」
「もし『月刊空手道』を小島君に任せたら、極真空手一色にされ、挙げ句に極真会館に乗っ取られてしまうと東口君は心配していた」
「小島君は編集費を横領していたから、小島君にはお金を任せてはいけないと東口君が言っていた」
いま考えれば、東口氏の性格からして、そんなことを言うはずがない。私が福昌堂を離れるときには格闘技・武道団体や格闘技専門出版社に「小島と関係したら福昌堂と縁を切る」といった内容の回状を送付したのが中村文保だ。小心者にしてプライドが高く、そして吝嗇で疑心暗鬼の塊のような人物の言葉を易々と信じた私も愚かだった。あのときの言葉は明らかに東口氏を牽制するのが目的だったに違いない。
ちなみに、そんな中村だから会社は後に倒産し、先祖代々の土地も屋敷もカタに取られ、齢70を超えてアパート暮らしをしながら細々と出版業で返しきれない負債を返しているのだから悲惨なものだ。勿論、私自身も他山の石にしなければならないが…。
いずれにせよ、まだ若くて威勢のよさだけを売り物にしていた私は簡単に中村氏の策略に引っ掛かってしまった。


東口氏が退社して数か月後、たまたま日本武道館で開催された何かの大会で私は東口氏と顔を合わせた。東口氏は以前のように屈託のない笑顔を見せながら私に手を振りながら近づいてきた。だが、中村氏からうまく「洗脳」されていた私はすでに感情的になっていた。
部下を引き連れ、よくは覚えてないが最低でも罵声の1つや2つ浴びせたに違いない。ひょっとしたら襟首を掴んだか膝蹴りでも入れたかもしれない。
それ以降、東口氏と顔を合わせる機会がなかったわけではないが、私の頑なさがずっと東口氏を拒み続けてきた。
しかし…。私は最近思うようになった。
中村氏が私に言った、東口氏の私に対する悪口雑言。果たして本当だったのか? いま頃になって疑問に思うのだから、私も相当愚かである。
数年前、昔の私と東口氏をよく知る人物に会った。お茶を飲みながら当時の話に花が咲いた。そのとき彼は私に言った。
「東口君はね、小島君は福昌堂のスタッフのなかでは最もキレる人間だと随分買っていたよ」
あれ? と思った。
ただ、そのときは仕事の話が主だったため、そのまま東口氏の言葉を忘れていた。


それから約3年が過ぎた。
いま、私と塚本佳子は1994年の大山倍達死去後に勃発した「極真会館分裂騒動」の真実を徹底的に追求したルポルタージュ「大山倍達の遺言」を制作している。
何故、極真会館は分裂しなければならなかったのか?
何故、後継者である松井章圭は圧倒的多数の支部長によって拒絶されなくてはならなかったのか?
大山倍達の通夜から始まる、否、大山総裁の聖路加病院入院から予兆の見えた極真会館分裂騒動を200人を越す証人と資料によって明らかにしていく…。
すでに殆どの取材を終えた私たちは、これらの「声」とデータ、資料をもとに1994年4月26日から今日までの「極真空手界」の推移を綿密に検証してきた。
そこで分かったことは、あまりにも下劣で、バカバカしいほどの「デマ」や「噂」があらゆる原動力だったということである。勿論、「デマ」や「噂」は自然発生的に起きるものではない。必ずその「発信者」が存在する。
それが紛れもない三瓶啓二だった。これについては10人を優に超える証言者がいる。
さらに、「デマ」や「噂」の「発信者」である三瓶に踊らされて「御輿」に乗った者たちも少なくなかった。それが増田章や緑健児など複数の支部長や選手であった。

現在はNet社会とも言われるほど、情報が洪水のように溢れている。例えばNet掲示板。なかには良識的なものもあるだろう。しかし、多くの掲示板で書かれている情報は殆ど何の裏付けも確証もない「感情」に支配された「噂」や「デマ」だけである。
私はNetを見ない。
だが、最近友人の家高康彦に知らされた。
「小島はヤクザ、暴力団員なんだって? というか夢現舎は『企業舎弟』ということになっているぞ。小島は在日ヤクザであり、そんな人間が作家でいるのはおかしいなんて…情けなくなったよ。あまりにバカバカしくて」
一方、やはり私の長い知人である久留米芦原会館の山田雅彦は言った。
「僕は小島さんのファンだけど、情報過疎地に住んでいるからNetの情報も貴重で…。僕の知る小島さんとNetで噂される小島さんの姿のギャップを総合的に判断してから小島という人間を評価したいんです。でも、そんな掲示板なんて小島さんは無視していればいいんです。精神衛生上よくないから」
アホか! 私は山田の言葉が如何に矛盾をはらんでいるか、その矛盾に気づかない山田が情けなくなった。と同時に無性に腹が立った。「こんなヤツが芦原空手の黒帯を締めているのか!」
私は山田に言った。君が直に接して話す小島が本物にきまっとろうが! 根も葉もない「デマ」や「噂」と自分の眼を比較すること自体がおかしいと。
山田雅彦のようなNetオタクは空手・格闘技実践者にも意外に多い。特に自称実践者ではあるが、汗のかき方も知らない名前だけの黒帯に多い。

ちなみに、私ははっきりと断言しておく。
私はヤクザでも右翼でも企業舎弟でもない。故・梶原一騎氏や真樹日左夫氏のように自分を「擬似ヤクザ」として「コワモテ」を演じるつもりもなければ、それを売り物にするつもりもない。
ただ格闘技・空手界はある意味で「切った張った」の世界でもある。出版界にもなかには胡散臭い会社も少なくない。そういう世界で生きていく以上、「舐められる」ことは「潰される」ことを意味する。
だから私は精一杯、突っ張っているだけだ。組織云々の問題ではない。私は次のような芦原英幸の言葉を心に刻んで生きている。
「嫌われてもいいから舐められちゃいけん」
「軽んじられるくらいならば、脅してでもシメてでも怖れられる方がましじゃけん」
だから、それなりの場所に出るときはそれなりの格好で出て行く。これも生前の芦原先生がしてきたことだ。
こういう生き方をとって、私を「ヤクザ」と呼ぶならいっこうに構わない。だが私は暴力団員でも右翼の構成員でもない。堅気で真っ当な商売や生き方をしているという自負がある。
たしかに私の体には朝鮮半島の血が流れているようだ。確証はない。私の母方の4代程度前の時代だ。私の家庭環境は極めて複雑であり、いまとなれば詳細を調べるのが不可能ではないにせよ困難な状況にある。
また、私の父親は正真正銘の博徒だった。そして私は一時期、在日博徒の梁川組に預けられ育てられた。
小学生の頃から不良というより「少年犯罪者」のような悪事を働いてきた。教護施設にも入れられた。しかし、中学2年から足を洗った私は、猛勉強して県立栃木高校に入り、早稲田大学に進んだ。
いまでも、昔世話になった梁川組の兄貴分とは付き合いがある…。食えないときに私に食わさせてくれたのが梁川だ。なんで相手がヤクザだからといって縁が切れよう。それこそ「筋」が通らぬ話ではないか。松井章圭が恩人である許永中氏を慕って何が悪い。人の道は綺麗事ではすまない「筋」と「義理」があるのだ。

これが小島一志というチンケな人間の全てだ。


情報化社会はときには悪にもなる。「情報」とひとことに言ってもそれは玉石混交だ。
私に対する偏見。極真会館の分裂騒動…。何もかもが「デマ」と「噂」による集団パニックの結果に過ぎない。
そういうことにウンサリし、疲れ果てた私はフッと東口敏郎氏のことを思い出した。私も、何の確証もない、多分中村の悪意による東口氏への誹謗を信じ込んだバカな1人かもしれない。
ならば、一刻も早く東口氏に謝罪しなければならない。
こうして私は東口氏に電話を入れ、口頭で謝罪した。あの…日本武道館での非礼な振る舞いと、最近まで抱き続けてきた東口氏に対する偏見についてである。
そして先日、私は塚本佳子を伴って東口氏が経営するBABジャパンを訪れた。
東口氏は喜んでくれた。
そして、いつしか2人は20年前の関係に戻っていた。私は東口氏を「編集長」と呼び、東口氏は私を「小島君」と呼んでくれた。劣等生だった私には話が尽きないほどの恥ずかしいエピソードがある。そんな話を塚本は黙って微笑みながら聞いていた。
思えば生意気盛りの頃だった。東口氏と些細なことでぶつかりもした。だが、私は東口氏から編集のイロハを学び、文章の基本を習ったのだ。また、時代を遡れば福昌堂との関係も東口氏と出会ったことが縁であり、社員になることを拒む私を熱心に誘ってくれたのも彼だった。
いまの私は、東口氏との知己がなかったら確実に存在していないのだ。

この日の東京は記録的な暑さだった。
私も塚本も体調が思わしくなかった。特に塚本は夏バテと「大山倍達の遺言」執筆へのプレッシャーからか、いつもの元気で溌剌した彼女ではなかった。
しかし、私の気持ちは清々しかった。そして、それは体調の悪い塚本にとっても一種の清涼剤だったに違いない。


(了)

samurai_mugen at 05:26 │clip!単発コラム 

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