「こちらに帰るのは久し振りですね、
「……ええ。本社に近い方が便利だから、仕方ないわね」
「ええ、そうですね」
冷たい眼差しと声を向ける達也に、玄関で兄妹を出迎えた小百合という女性がその小柄な体をピクッと震わせてそう答えた。自分達に無許可で家に上がり込んだことを咎めない程度には顔見知りなようだが、交わされる会話は実に義務的でそこには感情が一切含まれていない。
彼女のフルネームは、司波小百合。FLTで研究員をしていたときに司波龍郎と出会い恋人となったが、彼が四葉深夜と結婚することになった後も愛人として交際を続け、2年ほど前に龍郎と深夜が離婚したことで念願叶って正式に彼の後妻となった。ちなみに現在は研究職を離れ、本社の管理部門に異動している。
離婚の際に達也と深雪の親権は(実情はどうであれ)龍郎が取得しているので、つまり彼女は2人にとって義理の母となるが、だからといってそんな簡単に親しくなれるものではなかった。経緯が経緯なので、それも致し方ないだろう。
それに小百合の方も、兄妹に歩み寄る意思は無かった。たとえ彼女が家に来たとしても、彼女が寝泊まりできる部屋も寝具もこちらには無い。そもそも龍郎と結婚して以来ずっと彼と2人で住んでおり、住民登録がこちらにあるだけで一度も住んだことがない。先程の会話は、それを分かったうえでのものだった。
「お兄様、すぐに夕食のお支度をします。何か召し上がりたいものはありますか?」
少し落ち着きを取り戻したらしい深雪は、小百合には目もくれずに達也へと向き直った。どうやら彼女の中で、そのような対処をすることに決めたようだ。
「おまえの作るものなら何でも。急がないから着替えておいで」
「分かりました。着替えの方も何かリクエストがお有りでしたら、深雪はどのような格好でも致しますよ」
「こらっ、調子に乗り過ぎだ」
軽く小突くフリをする達也に深雪は首を竦め、軽やかな足取りで2階へと上がっていった。
「では、お話を伺いましょうか」
そうして深雪の姿が見えなくなった途端、達也は小百合にそう呼び掛けてリビングへと足を進めた。席に促す素振りが一切無い彼に小百合は戸惑うが、彼がソファーに腰を下ろしたことでようやくその正面へと歩き始め、そこに座る。
「……相変わらず、あなた達は私のことが気に入らないのね」
「深雪はそうでしょうね。自分が生まれる前から愛人関係だったんですから、多感な年頃の深雪が嫌悪感を抱いたとしても不思議ではありません」
「達也さん、あなたはどうなのかしら?」
「俺は別に何も。
「……そう」
小百合がそのまま黙り込んでしまったことで、達也は軽い苛立ちを覚えた。深雪が席を外している間に、さっさと用件を済ませてしまいたい。
「それで、用件は何ですか?」
「……単刀直入に言うわ。あなたに本社の研究室を手伝ってほしいの。できれば高校を中退して」
「お断りします。深雪が一高生でいる間は俺も一高の生徒である方が、何かあったときに色々と都合が良いので」
「……あなたが進学しなければ、別のガーディアンが手配されたはずでしょう?」
「深雪の護衛に限って言えば、自分以上の適任はいませんので」
既に何度も行われたその遣り取りに、小百合は演技でない溜息を吐いた。
「……あなたのような優秀な人材を遊ばせておく余裕は、うちの会社には無いんだけれど?」
「遊んでいる、とは心外ですね。先日、USNAの海兵隊から飛行デバイスの注文が大量にありましたよね? あれだけでも、昨年度の利益の20パーセントにはなったと記憶しているのですが」
「…………」
挑発的とも取れる達也の言葉に、小百合は悔しそうな表情を浮かべた。彼の言葉は紛れもない事実であり、反論の余地は無かった。
そもそも魔法工学関連の部品メーカーだったFLTをCAD完成品メーカーとして一躍有名にする立役者となったのが、達也の開発したシルバー・モデルだ。特に今回の飛行デバイスは『FLTを特化型CADメーカーとして世界トップレベルに押し上げる』と予想するアナリストもいるほどの画期的な新商品であり、元々研究員だったがいまいち成果を上げられず管理職に異動した彼女からしたら嫉妬せずにはいられないだろう。
「……ならばせめて、こちらの用件は引き受けてもらうわ」
そのような感情を呑み込んで、小百合がハンドバッグから大きめの宝石箱を取り出した。
慎重な手つきで蓋を開けると、中には赤味を帯びた半透明の玉が1つあった。
「……これは、
達也の言う“レリック”とは、魔法的な性質を秘めるオーパーツを意味している。人工物とも自然物とも断定できない物質に対してはこの定義に当て嵌まり、例えばキャスト・ジャミング効果を持つアンティナイトもレリックに分類される。
「達也さんには、このレリックの解析をお願いするわ」
「……どこで出土されたんですか?」
「知らないわ」
「成程、国防軍絡みですか」
非外資系としてトップクラスの技術を持つメーカーとして、FLTは軍関係の仕事を受諾することも多い。なので達也も、ここまでは予想の範囲内だった。
「まさかとは思いますが、瓊勾玉の複製を請け負ってたりはしてませんよね?」
達也の言葉に、小百合は明らかに動揺を見せた。
それで色々と察した達也が、呆れから来る深い溜息を吐いた。
「……現代技術で複製することが難しいから、レリックに分類されるのですが?」
本来オーパーツとは
「国防軍からの強い要請を、私達が断れるわけがないでしょう」
絶対的に人口の少ない魔法師を相手に商売を続けていられるのは、国による全面的なバックアップに依るところが大きい。“魔法を振興する”という政策上高価にするわけにはいかず、国からの補助金が不可欠となるからだ。だからこそ、FLTを始めとした魔法工学関係の企業は政府に逆らうことができない。
唯一逆らえるとすれば、酢乙女ホールディングスの“酢乙女魔工製作所”くらいだろう。たとえ国からの補助金を打ち切られたとしてもグループ全体の潤沢な資金でいくらでも補填できるし、むしろ下手に魔法関係の事業から撤退される方が国にとってのダメージが大きい。酢乙女家の事業によって生計が成り立っている魔法師がそれだけ多く、またエンタメ事業などによって魔法師に対する世間からの悪感情が緩和される効果がそれだけ大きいからだ。
閑話休題。
「しかし国防軍といえども、レリックと呼ばれる所以は知っているでしょう。なぜそんな無茶な要求を?」
達也の問い掛けに小百合が答えるまで、1呼吸以上の間があった。
「瓊勾玉には、魔法式を保存する機能があるそうよ」
「……それは実証されてるのですか?」
如何にも胡散臭そうだ、という態度でいられたのは、達也が持ち前の演技力を総動員したからだった。その甲斐あって、自分がレリックに強く興味を惹かれていることを彼女が気づいた様子は無かった。
「まだ仮説の段階だけど、軍を動かすには充分な観測結果が出ているわ」
もしそれが事実だとしたら、確かに軍としては無視できないだろう。魔法を保存するシステムが確立すれば、半永久的な魔法装置を開発することもできるし、魔法師のいない部隊に魔法兵器を配備することもできる。
そして何より、達也の目指す“常駐型重力制御魔法式熱核融合炉”の実現にも大きく貢献する。
「しかし今のFLTの業績を考えれば、敢えて火中の栗を拾う必要は無いと思いますが」
「すでに賽は投げられているわ」
「何の勝算も無く、ですか?」
「いいえ、勝算ならあるわ。達也さんの魔法ならば、解析は可能よ」
小百合の本音が見え見えの言葉に、達也はフッと鼻で笑ってしまった。つまり必要としているのは達也の頭脳ではなく、彼の“異能”のようだ。いつものように。
「複製できる保証はありませんが、どうしてもと言うなら第三課にサンプルを回しておいてください。あそこなら、俺も頻繁に顔を出すので」
「そ、それは……」
達也の目的はあくまで魔法式の保存機能であって、瓊勾玉の複製など二の次だった。故に本社の研究員に振り回されるような事態は避けたいし、本社の研究室ではスケジュールを自由に組めないので都合が悪い。
しかし第三課に研究の手綱を握らせるのは、小百合にとって都合が悪かった。といっても、研究そのものに対する都合ではない。単純に『これ以上第三課ばかり成果を上げさせるわけにはいかない』という派閥争い、そして更には『これ以上達也に発言力を持たせたくない』という個人的感情に基づくものだった。
「それとも、そのサンプルをお預かりしておきましょうか?」
「――結構よ! あなたに頼ろうとしたのが間違いだったようね!」
達也の提案は言葉に詰まった小百合への助け舟のつもりだったのだが、結果的にそれで癇癪を起こした彼女は瓊勾玉の入った宝石箱を鞄にしまうとその場で立ち上がった。
「貴重品をお持ちだ、駅まで送りましょうか?」
「必要ありません。コミューターがありますので」
「そうですか、お気をつけて」
気を悪くした様子を一切見せない達也の慇懃な態度に、小百合はますます腹を立てて乱暴な足取りで玄関へと歩いていった。そしてそのままの勢いでドアを開けて出ていくのが、リビングの壁越しでも手に取るようによく分かった。
だからだろう、小百合が出ていったその直後を見計らったかのように、オールインワンのキャミソールワンピース姿の深雪が恐る恐る階段を下りてきたとしても何ら不思議は無かった。
「あの、お兄様……。子供じみた真似をして、申し訳ございません」
おそらく先程の小百合への態度を恥ずかしがっているのだろう、剥き出しの腕や肩、うなじの辺りをほんのり紅く染める深雪に、達也はニコリと微笑むだけでお叱りの言葉は無かった。
その代わり、達也は首からネクタイを抜いて深雪に手渡しながら玄関へと歩いていく。それで察したのか、深雪はコート掛けから達也のブルゾンを手に取った。
「……お出掛けに、なるのですか?」
「あぁ。――危機管理意識の低いあの人を、ちょっとフォローしてくる」
* * *
――やってしまった……。
自動運転のコミューターの中で、小百合は後悔と自責の念に駆られていた。管理部門に移ってから折衝事は日常茶飯事のはずなのに、達也を前にすると平静を保てなくなってしまう。
それは彼が憎きあの女性の息子であり、技術者として自分よりも遥かに高みにいる才能と実績、そして全てを見透かそうとしているかのようなあの視線が原因だった。最後に関しては自分達が彼を道具としか見ていないという感情が作り出した鏡像なのだが、さすがに彼女もそこまでは気づいていない。
とはいえ、自分が癇癪を起こしたせいで彼の協力を得るのが難しくなってしまった、ということは彼女にも分かっている。だからこそ彼女はこうして落ち込んでいるのであり、彼女は大きな溜息を吐いて窓の外へと視線を向けた。
と、まだそれほど遅い時間でもないのに、周りに車の姿がまったく無いことに気がついた。コミューターのパネルに交通情報を映し出してみると、故障車を避けるために迂回路を通っている旨が知らされ、小百合はホッとしたように座席に深く座り直した。
すると今度は、背後から管制下に無い自走車が接近していることを知らせるアラームが鳴り響いた。しかし小百合は、この時代にもドライブを趣味とする人が少なからず存在しており、そういう人物は自分の車に交通管制システムの干渉を拒否する改造を施していることも珍しくないことを知っていた。
よって今回もその類だろうと思い、彼女は耳障りなアラームの音を切った。少し経って、黒いワゴンタイプの車が後ろから小百合の乗るコミューターを追い越していく。
そしてその車は突如ドリフトをして反転すると、コミューターの行く手を遮るように割り込んできた。
「なっ――」
小百合が悲鳴をあげる暇も無く、コミューターの衝突回避システムが作動し、減速しながら街路樹へと突っ込んでいった。もちろんエアバッグが作動しているので、乗っている小百合に怪我はまったくない。
しかしその車から男が2人降りてきてこちらに向かってきているという状況に、小百合はそれどころではなかった。1人の手に銃が握られているのを見てしまえば尚更である。
「さっさと降りろ。抵抗すれば――」
「おぉっ! 凄い勢いで突っ込んでたけど大丈夫っ!?」
「――――!」
突然背後から声を掛けられ、男達は驚愕の表情を浮かべた。人払いの魔法を周囲に掛けているにも拘わらず、という状況が彼らの焦りを更に加速させる。
勢いよく後ろを振り返ると、魔法科高校の制服の上から真っ赤なスカジャンを羽織る少年がこちらに走ってきているのが見えた。男達は知らないが、そのスカジャンは“カンタムロボ”というアニメに登場する主人公・山田ジョンをモチーフとしたものである。
しかし彼が着ていた制服、そしてその腰に巻かれたベルト型のCADで魔法師だと判断した男達は、即座に片方が真鍮色の指輪を嵌めた手を彼へと向け、もう片方が小百合に向けていた拳銃を彼へと向け直した。その指輪はアンティナイト製であり、1人が魔法防御を無効化する隙にもう1人が仕留めるというのは少人数相手の魔法師への模範的な対抗策だった。
しかしいくら模範的とはいえ、それで常に結果を出せるとは限らない。
「――――!」
まさにアンティナイトからサイオンノイズが発せられる直前、横から突如強烈な光が男達を襲い、彼らは思わず眩しそうに手をかざしてそちらに目を向けた。こちらに向かってくるバイクのヘッドライトが上向きになっており、ちょうど正面にいる男達を照らす形となっていた。
そして男達がそれに気を取られた隙に、先程の少年・しんのすけの振り上げた脚が男の持つ拳銃に当たり、頭上数メートルの高さまで吹っ飛んでいった。それに対して男達が何やら叫んでいたが、しんのすけがその意味を理解するより前に男達が突然悲鳴をあげて横倒しに転がった。
「しんのすけ!」
「おぉっ! 達也くん――」
「そこで身を低くして待機!」
先程のバイクを運転していた達也が走行しながらしんのすけへと呼び掛け、思わず走り寄ろうとしていた彼をその場に留まらせた。現在路上に転がったまま気絶している男達が乗ってきた車に、達也は拳銃型CADの銃口を向けたまま接近していく。
圧縮ボンベ式の水素燃料車に迂闊に攻撃をすると、大爆発を引き起こすことになる。普通は燃焼緩和の安全装置が組み込まれているものだが、取り外されていると考えて然るべきだろう。もっとも、すぐ傍に立ち並ぶ民家への被害を考えれば向こうも強引な手はそう採れないだろう、と達也は考えていた。
結論から言えば、それは一種の油断だった。
ふいに右斜め上より照射された殺意。
達也は半ば反射的に回避行動を取ったが、それでも超音速で飛来する凶弾を躱しきることはできなかった。銃弾が彼の左胸を貫き、その衝撃が彼の体を跳ね飛ばす。
「達也くんっ!」
「俺は平気だ! しんのすけはそこを動くな!」
しかし達也は逆にその衝撃を利用して街路樹まで移動し、焦るしんのすけにそう呼び掛けた。
達也の言葉は、けっして強がりではない。確かに彼の左胸に空いていたはずの穴は、身に着けていた服も含めて跡形も無く消え去っている。それこそ、初めから銃撃など受けていなかったと考えるのが自然なほどに。
これこそが“分解魔法”と並んで達也が生まれつき持っていたもう1つの魔法、“再成魔法”の効果である。
その仕組みは、
もっとも死者を蘇らせるほどに絶対的なものではなく、死体に再成魔法を掛けても傷の無い死体が出来上がるだけだ。ただし、即死の致命傷であっても肉体を再建し血液を循環させることで蘇生する可能性が完全にゼロでない限り、死者を生に呼び戻すことが出来る。
達也は自身が戦闘行動に支障を来たすダメージを受けた場合、自動的に発動して修復するようプログラミングしてある。九校戦で一条将輝による
しかし達也はそれに気を取られること無く、狙撃手の位置を既に探り始めていた。
銃弾の角度と方向、障害物となる建物の配置から、狙撃ポイントをここから1キロほど離れた商業ビル群と当たりを付けた。その距離で人体を貫通、しかも傷が小さかったことから尖頭被甲弾が使われたと推測する。
「達也くん! さっきの人達、どっか行っちゃうゾ!」
「放っておけ! 今はこっちが先だ!」
路上に倒れていた2人組がフワリと浮かび上がり、先程の車に吸い込まれていくのは達也も確認していたが、今は狙撃手を何とかするのが先決と判断して敢えて無視した。
達也は情報分析の能力をフル回転し、自分を貫いた銃弾に付随する情報を読み出していく。絡みつく体液、人体の抵抗、風の影響、重力、発射時のガス圧――。次々と彼の頭に流れ込んでくる情報を精査し、それらを逆算して過去へと遡っていく。
そして銃弾が発射された時点における狙撃手の位置情報を割り出し、それを現在に当て嵌める。
――見つけた。
その狙撃手は、未だに構えを解いていなかった。2射目が来なかったのは、奴から見てコミューターの向こう側にいたしんのすけに狙いを定めるために微調整をしている最中だったからだ。
――しんのすけが撃たれなかったのは、単なる“幸運”だった。
いや、もしかしたらそれすらも、酢乙女あいの言うところの“主人公補正”というヤツか。
達也はそんなことを考えながら、CADの引き金を引いた。
ここから1キロ離れたビルの屋上で、1人の人間が悲鳴もあげずに消滅した。
* * *
達也たちがその場を離れたのは、男2人を乗せた車が逃走してから10分ほど経ち、危険は去ったと判断してからのことだった。どうやらしんのすけはコミューターに乗っていたところを偶然通り掛かったらしく、それぞれ元々使っていた乗り物で最寄り駅まで向かった。
そして駅に到着し、小百合をプラットホームまで送った途端、彼女は瓊勾玉が入った箱を強引に達也へと押しつけ、そのまま逃げるようにキャビネットへと乗り込んでいった。随分と青い顔をしていた彼女は、しんのすけに対して自己紹介どころかお礼を言う余裕すら無かった。
仮にも“四葉”の端くれなのだから多少の荒事には耐性があってほしいものだ、と達也は心の中で思いながらそれを見送り、そしてようやくずっと疑問に思っていたことをしんのすけにぶつけた。
「ところでしんのすけ、こんな時間になんでコミューターに乗ってたんだ?」
「それがさ、聞いてよ達也くん! オラん
HARとはHome Automation Robotの略称であり、現代では単身者用の賃貸でも割と標準装備となっている、家庭内の電化製品を一括制御して空調管理や電気錠の開閉、更には料理や洗濯などの家事をも補助するシステムのことである。ほぼ全ての作業が自動化されたそのシステムに完全依存していたしんのすけにとって、HARの故障は急を要する非常事態と言えるだろう。
なので仕方なく夕飯の調達に外へと繰り出した、というのは達也も納得できた。しかしまさかそれによって、あんな命の遣り取りに巻き込まれることになろうとは。
「というか、わざわざコミューターに乗ってまで遠出しなくとも、近くにファミレスかコンビニくらいはあったんじゃないか?」
「まぁ、そうなんだけどね。せっかくだし、最近会ってなかったお知り合いのお店にでも行こうかなって思って。――そうだ、達也くんも一緒に来る? それとも、夕飯もう食べちゃった?」
「……いや、夕飯はまだだが、深雪が家で待ってるからな。俺は自宅に戻るとするよ」
「そう? 大丈夫? さっきの人が達也くんに渡したのって、どう考えてもヤバいヤツでしょ? 家に帰ったところを悪い奴らに狙われるとか無い?」
確かにその可能性も無くはないが、尾行などは達也もすぐに気づくので問題は無い。
とはいえ、達也も何となくこの場で帰るのは躊躇われた。しんのすけがこれから会いに行くという“知り合い”というのが、単純に気になったからである。
「……そうだな。夕飯は食べないが、しんのすけに付き合うことにするか」
「いや~ん、“付き合う”だなんてぇ。達也くんの好意は嬉しいけど、オラは綺麗なお姉さんがタイプだから――」
「そういう意味じゃないからな」
クネクネと腰を動かすしんのすけに、達也の冷静なツッコミが入った。
そんなこんなで、2人は目的地へ向かうことにした。しんのすけは達也のバイクに乗りたがっていたが、生憎と同乗者用のヘルメットは女性用しか無かったので、結局はしんのすけのコミューターに達也が後ろからついていく形となった。
「それじゃ、出発おしんこ――」
「あっ、待ってくれ。深雪に帰りが遅くなると電話を入れなくては」
「……達也くんって案外、深雪ちゃんの尻に敷かれてるよね」
「尻に敷かれてるわけではない。夕飯を作って待っている深雪への配慮だ」
しんのすけの指摘をキッパリと否定しながら、達也は携帯端末を取り出した。
* * *
「着いた着いた、ここだゾ」
第三次世界大戦を経た後でも日本有数の繁華街として賑わいを見せる、新宿。
そこにある雑居ビルの階段を昇った先にあるそれこそが、しんのすけが夕飯を求めて目指していた“知り合い”の経営する店だった。
「…………」
何とも微妙な顔つきの達也が、そのドアの横にある看板に目を遣る。
どぎついピンク色のそれには“スウィングボール”と書かれていた。