東電原発事故、トリチウム処理水、新型コロナウイルス、HPVワクチン……事実に基づかない「不安と怒り」が社会を扇動する。
恐ろしいのは危機の本体だけではない。不安と怒りを煽る「情報」が巻き起こす「情報災害」、そしてそれを広げていく「風評加害」だ。
「3.11後の福島」で被災と「風評」の地獄を見た福島在住ジャーナリストが生々しい実体験と共にこの国に蔓延する「正しさ」の嘘を斬る初の著書『「正しさ」の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か』(徳間書店)より、故郷への想いを綴った文章を抜粋してお届けするーー。
恐ろしいのは危機の本体だけではない。不安と怒りを煽る「情報」が巻き起こす「情報災害」、そしてそれを広げていく「風評加害」だ。
「3.11後の福島」で被災と「風評」の地獄を見た福島在住ジャーナリストが生々しい実体験と共にこの国に蔓延する「正しさ」の嘘を斬る初の著書『「正しさ」の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か』(徳間書店)より、故郷への想いを綴った文章を抜粋してお届けするーー。
格別の愛着と想い出がある土地
少しだけ、昔の話をしよう。原発事故から数年が経ち、私が仕事でしばしば避難区域などに立ち入っていた頃のことだ。
南相馬市小高区から南に入った双葉郡内。住民が戻ることが許されていない地域では、地震の影響で崩れたままの屋根瓦やブロック塀、割れたまま放置された窓ガラス、雑草が旺盛に伸びては枯れを繰り返して荒れ果てた藪がどこまでも続いている。
当時建設途中だったと思われる建物は剥き出しのまま風雨に打たれて柱が黒ずみ、朽ちていた。挙句、金融機関のATMには見るも無惨に破壊され、荒らされた形跡まである。
それでも、ここにある全ては人々のかけがえのない暮らしと歴史、そして想いが詰まっていたはずのものだ。断じて「瓦礫」や「ゴミ」などではない。これが、「全住民が避難する」という重い現実である。
これらを目にしても尚、「めざせ復興!」などと安易に言えないことは確かだった。まして年輩の被災者にとっては、長い人生をかけて積み重ねてきたものを再び繰り返す時間など残されてもいない。何をしようと取り返しがつかないものというのも、残念ながら確かに存在するのだ。
ただそれでも当時からしばしば見られていた、簡単にこの地を諦めて絶望を正当化するような揶揄が、事故に抗おうとすることへの嘲笑が、この地で作られた電気の恩恵を当たり前のように受けてきた連中から上から目線で他人事のように飛んでくることは、当時の私にとってすこぶる不快でもあった。
実は、私は元々双葉郡内の出自である。先祖代々の墓もこの地にある。隠すつもりは毛頭ないが、しかしあまり当事者性を前面に出して相手を黙らせる真似もしたくなかったので、積極的に口にはして来なかったのだが。
当然ながら、双葉郡には格別の愛着も想い出もたくさんある。