結論から書くと、“有志同盟”と名乗る一部生徒による放送室占拠事件は、さほど時間も掛からずに終結した。立て籠もりメンバーの1人である壬生紗耶香と連絡先を交換していたしんのすけが橋渡しとなり、彼らを穏便に部屋から出すことに成功したからである。
むしろ騒動の本番は、ここからだった。
確かに説得の際に彼らの要求する“交渉”には応じると言ったが、彼らが起こした今回の騒ぎを容認することはできない。これを許してしまっては、自分達の主張を通すためにルールを無視した強引な手段を取ることが横行してしまう。よって風紀委員は彼らを取り押さえようとしたのだが、あろう事か生徒会長である真由美がそれを止めてしまったのである。
どうやら彼女は学校側と話し合い、今回の騒動に対する措置を生徒会に委ねることを了承してもらったらしい。結局彼らは見逃され、真由美との交渉に息巻く姿を風紀委員達が見送ることでその場はお開きとなった。
そして、それから数時間後。
有志同盟との交渉を終えた真由美が生徒会室に集めたのは、風紀委員長の渡辺摩利と、部活連会頭の十文字克人。ここまでは生徒自治のトップということで理解できるが、なぜかここに1年生でしかないはずの司波達也と司波深雪、そしてどこか上の空な野原しんのすけも含まれているとなると、どうにも真由美自身の私情が含まれている気がしてならない。
しかし達也のそんな疑惑は、真由美の口から飛び出した言葉によって掻き消された。
「――公開討論会?」
オウム返しに尋ねた達也に、真由美はニコリと笑って頷いた。
「さっき話したあの子達、一科生と二科生の平等な待遇を要求するのは良いけど、具体的に何をどうしろっていうのはよく考えてなかったみたいでね。むしろ生徒会の方で考えろってスタンスだったのよ。それで結局押し問答みたいになっちゃってね、最終的に明後日の放課後に講堂で公開討論会をすることで手を打ったの」
「明後日の放課後とは、これまた随分と急ですね……」
達也は驚きを口にしたが、それは討論会の日時に対してであって、討論会そのものについてはそれほどでもなかった。相手を引っ張り出して分かりやすく正面対決に持ち込むことが、一番手っ取り早く事態を終息へと導く方法であることには同意であるからだ。
しかしそれでも、明後日の放課後というのはかなり急だ。ゲリラ活動をする相手に時間的余裕を与えないという考えは理解できるが、その分こちらも対策を練る時間が取れないはずだ。
「それについては心配無いわ。こちらから討論会に参加するのは、私1人だけだから。打合せ不足で小さな食い違いを起こして、そこから印象操作で感情論に持ち込まれる方が厄介だものね」
「……つまり会長は、ロジカルな論争なら負けるつもりは無いと?」
「それも無くはないけど、もしあの子達が私を言い負かすだけのしっかりした根拠を持っているのなら、これからの学校運営にそれを取り入れればいいだけの話だしね」
むしろ真由美は自分が論破されることを望んでいるのでは、と彼女の話を聞いていた達也は思ったのだが、それはあまりにも穿ちすぎだろうか。
と、それまで穏やかな雰囲気だった真由美が、ふと表情を引き締めて雰囲気を鋭くした。
「ちなみにこの公開討論会は、基本的に生徒達には“全員参加”を呼び掛けるつもりよ。1ヶ所に集めておいた方が、
「――――!」
そして彼女のその言葉を聞いた途端、達也も深雪も摩利も克人も、彼女と同じように何かを覚悟するような緊迫した雰囲気へと変貌を遂げた。
そんな彼らの雰囲気の変化について行けていないのは、1人だけ。
「えっ? 万が一のときって?」
戸惑う様子で全員を見渡しながら尋ねるしんのすけに、真由美は一瞬だけクスリと苦笑いを浮かべ、そしてすぐさま再び表情を引き締めてその質問に答える。
「今までは水面下で工作員を増やすだけだった有志同盟が、放送室を占拠するという強引な手段を取ってまで自分達の存在を主張し、私達との交渉の場を求めてきた。つまりここに来て、有志同盟――つまりその背後に潜む組織の中で方針が転換したということよ。多分今後は、より過激な手段で攻めてくるでしょうね」
「そんなタイミングで公開討論会が開催されるとなれば、奴らだって黙っていないだろう。おそらくこの討論会を狙って何か仕掛けてくるに違いない、と考えておくべきだろうな。今回の討論会を2日後に設定したのは、討論そのものに対する準備だけでなく、そういった武力行使に対する準備期間を与えない、という意味も含まれている。――ということだな、真由美?」
真由美の言葉を引き継いで説明をした摩利が確認の意を込めて彼女に視線を向けると、彼女は満足そうに笑みを浮かべて深く頷いた。
するとそれを聞いていたしんのすけの表情に、明らかな恐怖の色が浮かび上がった。高周波ブレードを目の前にしたときも一切動揺を見せなかった彼が見せたそれは、ここにいる誰もが初めて見たものであり、現に達也は驚きと共にほんの少しだけ目を見開いた。
「そ、それって、もしかしたら怖い人達がこの学校を襲ってくるかもしれないってこと?」
「もちろん実際に相手がどんな手段で来るかは分からないし、そもそも本当にその日を狙って来るかも分からない。だが可能性がある以上、警戒しておくに越したことはない」
腕を組んでどっしりと構えながらそう口にする克人に、それでもしんのすけの恐怖が和らぐことは無かった。
「でも、もし怖い人達が来たらその人達と戦うってことでしょ? そんなの危ないゾ!」
「確かに、もし学校内で戦闘行為が発生すれば、まったくの無傷というわけにもいかないでしょうね。でもこの学校に勤めている先生方は、日本でも屈指の優秀な魔法師ばかりなの。もちろん研究職しかやってこなかった先生も中にはいるけど、実戦経験豊富な現場で鍛えられた先生も数多くいるわ」
「さらに付け加えるならば、このような有事の際におけるシミュレーションは複数パターン想定され、定期的に訓練も行われている。政治的にも重要な役割を果たす魔法師を育成する教育機関というだけあって、普段からそのような事態に対して備えは欠かしていない」
「それに自慢じゃないが、我々だってそれなりに経験は積んでいる。そこら辺の奴らにはそうそう遅れを取らないというところを見せてやろう」
摩利の発言は、けっして世間知らずの子供が増長しているのではない。ここに揃っている“三巨頭”は既に国際A級ライセンスに相当するほどの実力だと目されており、それ以外の生徒も風紀委員のメンバーを筆頭にプロの魔法師にも引けを取らない実戦経験を持つ生徒が数多く在籍している。それこそテレビのコメンテーターや専門家から、下手な小国の軍隊よりも大きな軍事力を備えていると評されることもあるほどだ。
「でもでも、ケガしちゃうかもしれないでしょ! 学校だって壊れちゃうかもしれないし! 警察の人とかに任せることはできないの?」
「……今回は厳しいものがあるな。おそらく“ブランシュ”が裏で糸を引いていることは推測できるが、断定ではないし、現時点では奴らのアジトも判明していない。襲撃が行われるであろう明後日までに調査を終え、奴らを摘発するのはおそらく無理だろう」
「……それってつまり、そいつらのアジトを見つけて、しかもオラ達の学校を襲おうとしているってのが分かればオッケーってこと?」
「……まぁ、そうなるが」
克人の返事は字面こそ肯定的ではあるが、その声に含まれているのはどこまでも否定的なニュアンスだった。それができれば苦労はしない、という意思がありありと見て取れる。真由美も摩利も実に残念そうな表情を浮かべている辺り、彼と同意見だろう。
普段とはまるで違う反応を見せ続けるしんのすけに、摩利が気遣うような声色で話し掛ける。
「……大丈夫か、しんちゃん? 何だったら、しんちゃんは今回の作戦から離れてもらっても構わないぞ? いくら風紀委員とはいえ、実戦経験の不足でいざというときに動けなくなってしまっては――」
「摩利ちゃん。ちょっと電話しても良い?」
「へっ? えっと、まぁ別に構わないが、できれば今話している内容は口外してくれるなよ?」
突然の頼みに戸惑いながらも了承した摩利に、しんのすけはお礼の言葉もそこそこにさっそく携帯端末を取り出した。
そうしてどこかへと電話を掛ける彼を、全員が怪訝半分、興味半分で眺めている。
5人の視線を浴びながら、その電話が繋がった。
「おっ、もしもし、“お色気”のお姉さん?」
「――――!」
「…………?」
その人物を形容しているのか、あるいは何かの暗号なのか、そんな判断に困る単語がしんのすけの口から飛び出したその瞬間、驚愕と困惑とで反応が真っ二つに分かれた。
ちなみに前者が達也・真由美・克人で、後者は深雪・摩利である。
「お姉さんと
「…………」
相手の声が聞こえないので、2人が具体的にどんな会話を交わしているのかは分からない。しかしこのタイミングでの通話、そしてしんのすけが何か情報を握っており、それを自分達に話しても良いか情報の提供元に許可を貰おうとしていることだけは理解できた。
しんのすけ以外の5人が無言で顔を見合わせ、部屋の空気が徐々に緊張感で包まれていく中、しんのすけと電話の相手との会話が続く。
「皆オラの友達だから、内緒の話をしても大丈夫だと思うゾ。――おっ、今? うん、一緒にいるゾ。一緒にお話ししたい?」
「――――!」
一緒にお話、の辺りで真由美の肩がピクンと跳ねた。
しかしそれに気づかないしんのすけは、「ちょっと待ってて」と言ってから一旦電話を中断し、画面を何回かタップしてからそれをテーブルに置いた。おそらく全員に電話の声が聞こえるようにしたのだろうと勘づいた達也たちは、無意識の内にそれぞれの席で身を乗り出して相手の第一声を待つ。
そうして聞こえてきたのは、
『しんちゃんのお友達の皆さん、聞こえるかしら? 私は“SML”の一員で、コードネーム“お色気”という者よ』
「――――!」
「…………?」
声色からして成人女性と思われるゲストの登場に、達也、真由美、克人の3人が改めて口を引き結んだ。
しかし彼女が名乗った組織に聞き覚えの無い深雪、摩利は相変わらずの困惑顔を浮かべている。
「あの、申し訳ございません……。その“SML”というのは……?」
「あぁ、深雪さんが知らなくても無理はないわ。“SML”というのは国連直属の秘密組織で、国際的な犯罪組織に対する諜報活動と取締りを主な任務内容にしているの。国籍も人種も、さらには魔法師と非魔法師の区別無く様々な諜報員が在籍しているらしいけど、国連の組織の中でもかなり独立性の強い組織だからか、ほとんど噂が出回らないのよね」
余談だが“SML”というのは“
ちなみに真由美の説明を黙って聞いている達也も、この組織の存在を知ったのはごく最近のことだ。しんのすけのことを真夜から聞いて以来、自身の持つ様々なコネを駆使して色々と調べた結果、その組織の存在に辿り着いたのである。
――その組織のメンバーの中に、例の時間のループに囚われていた者がいたらしいことまでは突き止めた。まさかその人物が彼女だというのか……? そしてそんな彼女と自由に連絡を取れるほどの関わりを持つしんのすけ……。まだまだ調査が必要だな。
内心そんなことを考えている達也をよそに、事態は進んでいく。
『突然で申し訳ないんだけど、みんなそれぞれ簡単に自己紹介してもらえるかしら?』
「国立魔法大学付属第一高校3年、部活連会頭の十文字克人です」
「――――! 同じく3年、生徒会長の七草真由美です」
「……っと、同じく3年、風紀委員長の渡辺摩利です」
「国立魔法大学付属第一高校1年、風紀委員の司波達也です」
「同じく1年、生徒会書記の司波深雪です」
真っ先に驚愕から回復した克人を筆頭に全員が自己紹介を終えると、お色気と名乗る女性は電話の向こう側で『ふむふむ、成程ねぇ』と意味ありげな呟きをした。おそらくだが、こちらにも聞こえるようにわざと声を大きくしていると思われる。
『入学してまだ1ヶ月も経っていないのに、既に十師族が2人も接触してきたというわけね。本当にしんちゃんって“嵐を呼ぶ幼稚園児”――あっと、今はもう高校生だったわね』
「…………」
克人も真由美も何も言わず、お色気の言葉をただ黙って聞いていた。それを見ていた達也は、特に真由美の方から、まるで裁判を受ける被告人が裁判長からの判決を待ち構えているかのような印象を受けた。
『まぁ、しんちゃんがあなた達を“友達”と言ったってことは、それなりに信頼関係があると見て構わないってことよね。しんちゃん、相変わらず綺麗なお姉さんには弱いけど、それが絡まなかったら本能的に人を見分ける目には長けてるわけだし』
そしてお色気のこの言葉で、その緊張感が少しだけ和らいだ、気がした。
『結論から言うと、ブランシュの日本支部については私達もかなり前からマークしてたわ。念入りに情報を仕入れて奴らの実態を暴いてから、一気に摘発するつもりだったの』
まぁ色々と予定は狂っちゃったけど、とお色気はそう呟いてから、これまで自分達が調べ上げた情報の“一部”を話し始めた。
一高内にて工作員を増やしつつある“エガリテ”のリーダーは、剣道部部長の司甲。彼の旧姓は“鴨野”といい、陰陽師の大家である“賀茂家”の傍系である鴨野家の出身だ。彼の近親者には魔法的な因子は発見されておらず、彼の“眼”は先祖返りと考えられる。
そして彼の母親の再婚相手の連れ子、つまり義理の兄に
ちなみに、その一が使用する魔法についても既に色々調べている。詳しい系統や仕組みについては不明だが、どうやら彼はマインドコントロールに似た効果をもたらす魔法を会得しているようであり、甲を始めとしたメンバーの何割かは彼による洗脳を受けているらしい。
「洗脳ですって! そんなやり方で生徒達をむりやり仲間に仕立て上げるなんて……!」
『洗脳とはいっても、初めから存在しない感情をゼロから作り出すのは至難の業よ。おそらく元々学校や自分の境遇に対して持っていた不満を増幅させた、と考えるのが自然でしょうね。でもまぁ、それについては後で議論するとして、問題は今の奴らの動きよ』
「今の奴らの動き、とは?」
克人の疑問に、お色気はどこかうんざりしたような声でこう答えた。
『この数時間の間で、エガリテ、そしてブランシュの奴らが一気に慌ただしくなった。あなた達、明後日の放課後に討論会をする予定でしょ? あなた達の睨んだ通り、奴らはその討論会を狙って武装襲撃をかますつもりらしいわよ』
「――――!」
想定していたとはいえ、こうして実際にその動きがあることを伝えられたことで、部屋の空気が一気に緊張感を増した。
『奴らの目的は、学外には持出禁止となっている最先端の魔法研究資料よ。おそらく襲撃の混乱に乗じて、どこかの情報端末からその資料を抜き取ろうって寸法ね。魔法による差別の撤廃を謳っている組織がなんで最先端の魔法研究資料を必要としているのか、なんて疑問はこの際置いておきましょう』
「横から失礼します。質問をしても宜しいでしょうか?」
『その声は確か、司波達也くんね。どうぞ』
「そこまでリアルタイムで奴らの動向を把握できるということは、もしかして奴らのアジトは既に割れているということですか?」
『えぇ、その通りよ』
何の気概も無くあっさりと言ってのけるお色気に、質問をした達也だけでなく、しんのすけを除く全員が大なり小なり目を見開いて驚きを顕わにした。
そしてその隙に乗じて、というわけではないだろうが、しんのすけがお色気に呼び掛ける。
「ねぇ、お色気のお姉さん! そのブラジャーが学校に来る前に捕まえることってできない?」
『ブランシュね。もちろんその予定よ。子供達がたくさんいる学校で戦闘紛いを起こさせるわけにはいかないわ。向こうが急に慌ただしくなったから、こっちも急ピッチで準備してるところ。ちなみに私が、その摘発作戦のリーダーを任されたわ』
「おぉっ、良かった! それじゃ、オラ達が学校で戦わなくても大丈夫だね!」
『えぇ、安心してちょうだい。あなた達も、くれぐれも危ない橋は渡らないでちょうだいね』
確かに現時点で魔法科高校の襲撃計画が判明し、しかもアジトの位置も割れている以上、真由美ら魔法科高校の出る幕は無い。“SML”はこの手の摘発に関してはプロ中のプロであり、このまま任せれば間違いなくブランシュ日本支部は摘発されて消滅することだろう。そうなれば、キナ臭い雰囲気の漂っていた学校にも再び平和が訪れる。
「失礼します、その……お色気さん」
それを充分知ったうえで、真由美はお色気に呼び掛けた。
「そのブランシュの摘発作戦ですが、明後日の我々の討論会が終わるまで待ってはもらえないでしょうか?」
「何――!」
思わず驚きの声をあげた摩利、声こそあげないものの息を呑んだ深雪に対し、達也と克人は予想していたのか随分と落ち着いていた。
『……さっきの話を聞いていたかしら? 子供達を巻き込みたくないから、学校襲撃前に片を付けようと準備しているところなんだけど』
小さな子供に言い聞かせるようにゆっくりと話すお色気の声には、若干の怒気が含まれていた。
しかしそれでも、真由美が怯むことは無かった。
「その心遣いは重々承知しています。しかし我々はただの高校生ではなく、未熟ながらも魔法師のコミュニティに身を置き、常日頃から授業などで魔法の腕を磨いています。そしてそれは、戦闘行為や災害などが発生したときに少しでも動けるようにするためです」
『だからたとえテロリストが学校を襲撃しても、それに対抗するための
「私達の学校を襲撃するには、エガリテに所属している学生だけでは戦力不足です。おそらく、ブランシュからも戦力の一部を寄越すことになるでしょう。つまり、相手の戦力が分散される形となります。しかも襲撃作戦の実行中は、こちらの動向にある程度注意が向けられると考えられます。そちらの摘発作戦にも、少なからず有利に働くと考えます」
『一応の理屈は通る、か。――で? それだけが理由じゃないんでしょう?』
お色気の問い掛けに、真由美は力強く頷いてから口を開いた。
「確かにSMLの皆さんに任せれば、我々が出る幕も無く今回の事件は解決するでしょう。――しかしそれは、
『……どういう意味かしら?』
「ブランシュが摘発されれば、その下部組織であるエガリテも機能しなくなる。しかしそれでは、明後日に予定している討論会も行われなくなってしまいます。先程お色気さんも仰っていたように、奴らが我々に目を付けたのは、自分達の学校や境遇に対する不満や学校制度に起因する差別意識があったからでしょう。それを少しでも取り除かない限り、また似たような奴らが我々を狙ってくると考えられます」
『そのためにも討論会が必要、ということかしら?』
「はい。不幸中の幸いとでも言いましょうか、今回の騒動によって生徒達の間で学校に蔓延る差別意識への関心が高まっています。このタイミングで生徒会長である私が差別撤廃に関する明確な方針を打ち出すことができれば、完全に解決とまではいかなくても改善の切っ掛けにすることができます」
『成程ねぇ……。あなた、随分と可愛らしい見た目をしてるけど、なかなか良い性格をしているじゃない』
お色気のからかいを多分に含んだその言葉に、真由美はニッコリと笑みを浮かべて応えた。テレビ電話ではないので彼女にその笑顔は見えないが、おそらく伝わってはいるだろう。
『確かにあなたの考えは分かるけど、それでもこちらとしては子供達が大勢いる学校にテロリストが襲撃するって分かってて見過ごすことはできないわ。――しんちゃん、あなたはどう思う?』
お色気が話を振り、それに合わせて全員がしんのすけへと顔を向ける。
名前を呼ばれた本人は、太い眉を眉間に深い皺が刻まれるほどに寄せ、髪を短く切り揃えた頭を抱えて悩ましげに唸り声をあげていた。
「うーん、正直オラにはよく分からないゾ……。そんなに討論会って必要?」
「今回の一件は、元を糺せばこの学校に蔓延していた差別意識につけ込まれて起こったことだ。つまりその差別意識が、我々にとっての“隙”だったと言える。今後も同じようにその隙を突かれ、そしてその結果何かしらのダメージを負った場合、それまで通りに学校を運営していくことは難しくなるだろう」
「そしてそんな事態になれば、日本にある他の8つの魔法科高校にも横槍が入るわ。そうなれば日本での魔法師の育成が滞ってしまい、もしものときに魔法師が動くことができなくなってしまう。最悪、魔法で対抗できない日本はどこかの外国に侵略されてしまう可能性だってあるわ」
「まぁ、さすがに今回の件からそこまで発展する事態にはなかなかならないと思うが、それでも我々に害意を持つ輩に付け入られる隙がある以上、それを排除するに越したことは無いな」
克人、真由美、摩利による説明を聞いて尚、しんのすけの眉間の皺は取れない。
「……ねぇ、達也くんはどう思う?」
「討論会のことを抜きにして考えても、相手の戦力を分散したうえで同時に叩くというのは戦略的にも有効なのは確かだな」
「……でもさ、いくら真由美ちゃんや摩利ちゃん達が強かったとしても、絶対に怪我しないなんて言い切れないでしょ? それに向こうだって、中にはこの学校の人も混じってるんでしょ? その人達は悪い人に操られてるだけなのに、同じ学校の友達同士で戦わなきゃいけないなんて嫌だゾ」
「……成程、優しいのね、しんちゃん」
微笑みを携えて真由美が口にしたその言葉は、皮肉の無い純粋なものだった。
摩利も同じように口元に笑みを浮かべ、それでもしんのすけを説得する。
「もちろん、洗脳されている生徒に対しては極力怪我を負わせないようにするさ。今回の襲撃に関しては我々が誘い出した側面もあるからな、指導やメンタルケアを義務付けることはあっても、罰則を与えるつもりは無いよ」
「……摩利ちゃんは、自分が怪我するかもしれないことが怖くないの?」
「怖くないわけではないさ。しかしアタシは風紀委員長であり、そして1人の魔法師だ。様々な権利を与えられる代わりに、有事の際に動く“義務”がある。――それにしんちゃんだって新入生勧誘期間のときに、壬生紗耶香を守るために戦ったじゃないか。それと同じだよ」
「オラは別に、そんな難しいことなんて考えてなかったゾ。紗耶香ちゃんが危ないって思って、何とかしなきゃって感じで……」
「それで良い。今回はその“守る対象”が広く想像しづらくなっているだけだ、根本的な部分はそれと変わらん」
腕を組みながらどっしりと構えてそう言う克人に、しんのすけは「うーん」と唸りながら考え込む。幼稚園児の頃ならば、風船のように頬が膨らんでいたことだろう。
他の5人は口を挟むことなく、その様子をただ見守っている。
やがて、しんのすけが口を開いた。
「……正直、オラにはよく分からないゾ。でも真由美ちゃん達が必要だって言うんなら、本当に必要なんだって思う。――皆ができるだけ怪我しないように注意するんだよね?」
「あぁ、もちろんだ」
『私の方からも、できるだけサポートはするつもりよ』
お色気からの言葉もあり、しんのすけの決意は固まった。
「よーし、オラ決めた! オラも一緒に戦うゾ!」
「よく言った、しんちゃん!」
「オラも皆と一緒に、この学校を守るんだゾ! 一高防衛隊、ファイヤー!」
「ファ、ファイヤー?」
『あら、随分と懐かしいわね』
しんのすけの掛け声に摩利が困惑の声をあげ、お色気が笑い交じりでそう言った。
「強い敵に立ち向かっていくとき、オラ達はいつもこうやって叫んでたんだゾ!」
「ふむ、戦意高揚のために声を合わせて叫ぶというのは理に適っているな」
「克人くんもそう思う? それじゃ皆で、せーの――」
「えっ? わ、私達もやるの?」
「ほら、やるぞ真由美。どうやら十文字はなかなか乗り気のようだからな」
「如何しますか、お兄様?」
「……まぁ、別に拒否するほどのものじゃないしな」
気乗りしていない者も何人か見受けられるが、そんなことは無視してしんのすけが力強く拳を握り締めて、大きく息を吸い込んだ。
「一高防衛隊、ファイヤー!」
『ファイヤー!』
「ファイヤー!」
「ファ、ファイヤー!」
「ファイヤー」
「ファイヤー」
「ファイヤー」
おおよそ高校の生徒会室に似つかわしくない掛け声と共に、6人が一斉に拳を突き上げた。
* * *
魔法科高校のすぐ近くにあるその建物は、かつてはバイオ燃料を生産する工場だった。しかしその企業が環境テロリストの隠れ蓑であったことが発覚すると、夜逃げ同然で放置されてしまったのである。しかしそういった奴らのアジトだっただけあってそこらの建物より強固な守りをしており、しかも廃墟ということもあって極端に人の目が行き届きにくい。
その工場の一室である、おそらく元は生産ラインの中核として様々な機械を置いていたであろうだだっ広い部屋に、白衣に長いマフラーに眼鏡という出で立ちの男が立っていた。そして彼の周りには、銃火器で武装した幾人もの男達が彼を守るように一定の距離を空けて取り囲んでいる。
その男こそ、第一高校で起こった一連の騒動を裏で操る首謀者であり、ブランシュ日本支部のリーダーである司一だった。
「諸君、国立魔法大学付属第一高校への工作活動を開始して2年になるが、いよいよ明後日に我々の活動が1つの転換点を迎える。これもひとえに、私の志に賛同し協力してくれた君達の力あってこそだと断言しよう」
演説めいた一の言葉に、周りの人間は一切返事をしなかった。しかし、一が気分を害した様子は無い。そもそも、返事を期待して発せられたものではなかった。
「当日の君達の役割は、先程話した通りだ。皆が各々の役目を理解し、それを果たしてくれれば、必ずこの作戦は成功する。自分達が優秀であると思い上がっている魔法師の連中に、我々が現実を突き付けてやろう」
彼の“独り言”は少々声が大きく、そして大分芝居掛かっていた。多大な時間とコストを掛けた今回の作戦がもう少しで成就することで気分が良くなっている、という見方もできるが、おそらく彼の元々の性格から来ているところが大きいだろう。
そんな彼の言葉を聞くのは、武装している男達だけではなかった。彼らから少し距離を空けて高校生と思われる少年少女も見受けられ、そしてその全員が一様にぼんやりとした表情で俯き加減に耳を傾けている。
そしてその中に、艶のある黒いおかっぱ頭に同色の大きな瞳、そしてそれを囲む赤縁の眼鏡という出で立ちの女子生徒もいた。彼女の右手首には、
「…………」
彼女も他の少年少女と同じように、俯き加減に一の言葉を黙って聞いていた。
「おい、十文字に司波兄妹! 声が小さいぞ!」
「そうよ! 十文字くんがやるっていうから、私も摩利も大声出したのに!」
「むっ、すまない。俺としてはこれでも声を出した方なんだが」
「しんのすけ。叫ぶのは良いが、その“一高防衛隊”というのは何とかならないか?」
「お兄様の前で大声を出すのは、些か恥ずかしいというか……」
『しんちゃん。これはもう1回やる必要があるんじゃないかしら?』
「はい、それじゃもう1回! せーの――」