「映画『カセットテープ・ダイアリーズ』をより楽しむための音楽ガイド」(高橋芳朗の洋楽コラム)
音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/07/03)
「本日公開! 映画『カセットテープ・ダイアリーズ』をより楽しむための音楽ガイド」
高橋:今日はこんなテーマでお送りいたします。「本日公開! 映画『カセットテープ・ダイアリーズ』をより楽しむための音楽ガイド」。
映画の劇中で使われている音楽を解説するシリーズ、今回取り上げるのは本日公開のイギリス映画『カセットテープ・ダイアリーズ』です。
スー:これ、気になってました! 1987年の話なんだね。
高橋:そうなんですよ。さっそく映画の概要を紹介しましょう。1987年、閉塞感が高まるサッチャー政権下のイギリスを舞台に、保守的な家庭で育ったパキスタン移民の少年ジャベドがブルース・スプリングスティーンの音楽に影響を受けながら成長していく姿を爽やかに描いた青春音楽ドラマ。パキスタンに生まれイギリスでジャーナリストとして活躍するサルフランズ・マンズールの回顧録が原作。監督は『ベッカムに恋して』などで知られるロンドン生まれインド系の女性監督グリンダ・チャーダ。
これはもう王道の青春映画ですね。特に十代のころ、将来への不安を抱えて鬱屈とした日々を過ごしていたとき音楽に救われた経験がある人……音楽に限らず、映画や漫画、なんでもいいのかもしれませんが、そういう経験がある人であれば確実に楽しめる映画だと思います。
ただ、王道な青春映画の魅力をもちながらもこの映画が独特なのが、映画全編にわたってブルース・スプリングスティーンの音楽が使われていること。かつ、ブルース・スプリングスティーンの音楽を使ったミュージカル調の演出を随所に取り入れていることです。そうそう、ブルース・スプリングスティーンといえば堀井さんが大好きな浜田省吾さんのルーツとして知られていますよね。ルーツオブ浜省。
堀井:そうですよね、はい。
高橋:主人公のジャベドはブルース・スプリングスティーンの音楽に導かれて先が見えなかった人生に希望を見出していくんですけど、結果的にこの映画は1984年のアメリカ大統領選でロナルド・レーガンがスプリングスティーンの「Born in The U.S.A.」を愛国精神高揚のプロパガンダとして選挙キャンペーンに使用したことで広まった誤解、スプリングスティーンの実像と大きく掛け離れたマッチョな愛国者的なパブリックイメージを払拭する絶好の機会になると思います。
スー:やりがちな選挙キャンペーンの音楽選曲ミスだよね。
高橋:いまもトランプ大統領がローリング・ストーンズの楽曲をバンドに無断で使用して大問題になっていますよね。
そんなブルース・スプリングスティーンの正しい姿を伝えている映画であるということを踏まえて、まず一曲目に聴いてもらいたいのがスプリングスティーンの名盤『Born to Run』のタイトル曲でロック史上最も偉大な曲のひとつ「Born to Run」です。1975年の作品。
当然この曲が流れるシーンは映画のハイライトになっています。「Born to Run」はサビの「俺たち行き場を失った根無し草は走り続ける運命に生まれてきたんだ」という歌詞が有名ですが、まさに主人公のジャベドはこの歌に自分を重ね合わせてなんの希望ももてない街から出ていくことを決意します。
この「Born to Run」にわかりやすいと思うんですけど、ブルース・スプリングスティーンは一貫して庶民に寄り添ったロックを歌い続けているアーティストなんですよ。
スー:労働者の歌ですよね。
高橋:まさにまさに。劇中にも「スプリングスティーンは現実離れした歌は歌わない。みんながよく知ってる事柄を歌うライフサイズの男なんだ」というセリフがあるんですけど、本当にその通りで。だからこそ、ロンドン郊外の小さな街で暮らすパキスタン移民の少年でも遠く離れたニュージャージー生まれのスプリングスティーンの歌に自分を見い出すことができるんです。彼がどんづまりの人生に光を見せてくれる歌を歌い続けていたことが、この映画を見ればよくわかると思います。
M1 Born to Run / Bruce Springsteen
高橋:この『カセットテープ・ダイアリーズ』、王道な青春映画でありながら特異な点がブルース・スプリングスティーンの音楽を大々的に使用していることに加えてもうひとつあります。それは1980年代当時、サッチャー政権下のイギリスで不況の煽りから台頭していた移民排斥運動や排外主義が物語に大きな影を落としていることです。人種差別を結構生々しく描いている映画なんですよ。
そういった『カセットテープ・ダイアリーズ』の時代背景は、ちょうど4月に日本公開された音楽ドキュメンタリー映画『白い暴動』を見ると理解が深まると思います。
スー:時代背景としてより立体的に見られるっていうことですね。
高橋:そうなんです。この『白い暴動』は『カセットテープ・ダイアリーズ』の時代設定から約10年前、1978年のサッチャー政権誕生直前のイギリスを舞台にした音楽ドキュメンタリーです。移民排斥を打ち出していた極右政党「ナショナルフロント」と、そのカウンターとして登場した音楽を通して人種差別撤廃を訴えるムーブメント「ロック・アゲインスト・レイシズム」との戦いを描いています。このナショナルフロントは『カセットテープ・ダイアリーズ』の劇中にも出てくるんですけど、なんでも監督のグリンダ・チャーダは当時ロック・アゲインスト・レイシズムのデモに参加したことがあるそうなんです。
そして、このドキュメンタリー『白い暴動』のタイトルはロック・アゲインスト・レイシズムの活動を支持していた当時デビュー間もないパンクバンド、ザ・クラッシュの最初のシングル「White Riot」からきています。
BGM: White Riot / The Clash
この「White Riot」は1976年にイギリスのノッティングヒルで起こった暴動にインスパイされてつくられた曲です。歌詞は「黒人の仲間たちは社会の不公正や不平等と戦っている。俺たち不満を抱えた白人も抗議の声を上げようじゃないか」という内容で。つまり「White Riot」というのはその名の通り「白人による暴動」ということですね。
スー:『白い暴動』の資料に書いてあるんですけど、1976年から1978年ごろにかけての日本がどういう状況だったかというと、ロッキード事件や成田空港の管制塔占拠事件があった時期で。いろいろと激動の時代だったんですね。
高橋:イギリスもそれはまったく同様で。この『白い暴動』でショッキングなのは、そんな当時の世相を受けてエリック・クラプトンやデヴィッド・ボウイ、ロッド・スチュワートといった大物ロックスターがこぞって排外主義を煽るような発言をしているんですよ。反ファシズムを打ち出していたザ・クラッシュはまさにそのカウンター的存在だったわけです。
スー:デヴィッド・ボウイはそうした発言を後悔してのちにいろいろな動きをしていましたよね。
高橋:黒人アーティストの楽曲を積極的にオンエアしようとしないMTVに抗議したりしていましたね。
そして非常に興味深いのが、このザ・クラッシュの中心メンバーだったジョー・ストラマーは先ほどかけたブルース・スプリングスティーンの『Born to Run』のワールドツアーのロンドン公演を見に行っているんですよ。彼はそのライブに触発されて、実際にスプリングスティーンのようなライブを目指すようになるんです。ジョーはスプリングスティーンの影響をすごく受けているんですよ。「彼は本物のミュージシャンだ」なんてコメントもしていたほどで。
一方のブルース・スプリングスティーンも「ジョーは最高のロッカーのひとりだった」と語っていて。2003年の第45回グラミー賞では、その前年に亡くなったジョー・ストラマーの追悼としてザ・クラッシュの代表曲「London Calling」をエルヴィス・コステロやデイヴ・グロールらと共にパフォームしています。自分のライブでもその「London Calling」や「Clamptown」といったザ・クラッシュの楽曲をセットリストに組み込んでいたこともありました。
こうしてブルース・スプリングスティーンとザ・クラッシュ/ジョー・ストラマーが共鳴し合っていたのは、この両方のアーティストのことが好きだったらめちゃくちゃ合点がいくと思うんですよ。お互い常に労働者階級の側に立ち続けたという点でも共通するし、ぐっとくるポイントも似ていると思います。
そんなわけで2曲目はまだザ・クラッシュとしてデビューする前のジョー・ストラマーが客席にいるはずのスプリングスティーンの1975年のロンドン公演のライブアルバム『Hammersmith Odeon, London ’75』から選曲してみました。『カセットテープ・ダイアリーズ』の劇中でも大きくフィーチャーされている曲です。
M2 Thunder Road (Live at the Hammersmith Odeon, London ’75) / Bruce Springsteen
高橋:堀井さん、曲を聴き入っていましたが……この「Thunder Road」に通じる魅力の楽曲が浜省にあるとのことで。
堀井:これは浜省の曲でいくと「家路」ですね。
高橋:なるほど、さすがですね。たいへん参考になりました。では最後、3曲目はこの映画のタイトルにちなんでブルース・スプリングスティーンが1973年にリリースしたデビュー曲「Blinded By The Light」を紹介したいと思います。『カセットテープ・ダイアリーズ』の原題はずばり『Blinded By The Light』なんですけど、この曲と曲名が映画のなかでどういう意味をもっているのか、ネタバレにならない程度に説明しておきますね。
この「Blinded By The Light」はタイトルをそのまま訳したような「光で目もくらみ」という日本語タイトルがついているんですけど、劇中に主人公のジャベドの「この曲の本当の歌詞の意味を理解していなかった」というセリフがあるように、ちょっと難解な歌詞になっているんですね。
「Blinded By The Light」でブルース・スプリングスティーンがなにを歌っているのかというと、歌詞にこんな一節があります。「ママはいつも言うんだ。太陽を直接見てはだめだよって。でもね、ママ。そこがいいんだ」。そして、そのあとにこんなサビのフレーズが続きます。「光で目がくらんで、夜の闇のなかをどこに向かっているかもわからずに駆け回っている」と。
これはあくまで自分の考えですが、この歌詞の「光」は「夢」のメタファーなのだと思います。つまり、「Blinded By The Light」は夢を追いかけてがむしゃらに突き進んでいる若者の歌なのではないかと。そう考えるとこの歌は、保守的な父親の反対を振り切って家族や故郷を省みずに可能性を求めて街を出て行こうとする主人公のジャベドそのものなんですよね。
ただ、ジャベドはその光のまぶしさ/夢の大きさゆえにとても大切なことを見落としていた事実に「Blinded By The Light」を改めて聴き返すことによって気がつくんです。はたしてジャベドは「光で目がくらんで」なにが見えなくなっていたのか、そして彼が発見するブルース・スプリングスティーンのメッセージの本質とはなんなのか、その答えはぜひ劇場で確認していただきたいと思います。
M3 Blinded By The Light / Bruce Springsteen
高橋:排外主義が台頭していた1987年のイギリスを舞台にしたこの映画、当然監督としてはここ数年世界各国で問題になっている人種差別や経済格差を意識していると思います。実際、劇中にはブレグジットやトランプ政権を連想させるセリフもあるんですね。そういう現在の世界情勢と重なる部分を描いているあたりはいま見てこその映画という気もします。
そしてなにより、ブルース・スプリングスティーンを知らなくても十分楽しむことができる映画です。主人公も最初はスプリングスティーンのことをまったく知らなかったわけですからね。本当に素晴らしい青春映画なのでぜひチェックしてみてください。
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当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。
6月29日(月)
(11:06) Whatcha’ Gonna Do for Me / Average White Band
(11:24) Let This River Flow / Googie & Tom Coppola
(11:36) Let The Love On Through / FCC
(12:12) You’re Young / Mackey Feary Band
(12:22) All I’ve Got to Give / Lemuria
(12:49) My Secret Beach / 高中正義
6月30日(火)
(11:05) Smile / The Peddlers
(11:25) Sunny / Dusty Springfield
(11:36) Big City / Shirley Horn
(12:17) The Sidewinder / Herbie Mann & Tamiko Jones
7月1日(水)
(11:06) More Than This~夜に抱かれて~ / Roxy Music
(11:28) Without You / David Bowie
(11:38) Turn Your Back On Me / Kajagoogoo
(12:12) My Own Way / Duran Duran
(12:24) Only When You Leave~ふたりの絆~ / Spandau Ballet
(12:50) アフリカン・ナイツ / 一風堂
7月2日(木)
(11:05) A Parlba Nao e Chicago / Marcos Valle
(11:37) Nossa Imaginacao / Don Beto
(12:19) Chega Mais / Banda Black Rio
(12:51) Never More feat. Sonia Rosa / 大野雄二
7月3日(金)
(11:07) Rock Steady / Aretha Franklin
(11:36) You Said a Bad Word / Joe Tex
(12:15) The Breakdown / Rufus Thomas