盗んだバイクで革ジャン、リーゼント、ロックンロール……昭和の日本に花開き、今なお受け継がれる不良文化とは? 混沌の時代と音楽の関わりについて、シンガーソングライター、音楽評論家の中将タカノリとシンガーソングライター、TikTokerの橋本菜津美が迫ります。
【中将タカノリ(以下「中将」)】 菜津美ちゃんは今28歳ですが、その世代でも周りに不良っていましたか?
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 私は兵庫県川西市の田舎で育ったせいか、周りにはいっぱい自称ワルがいましたね(笑)。バイクで学校に来たり、学校に他校の不良が攻めてきたり……(笑)。
【中将】 なかなかですね(笑)。平成末期でも田舎のほうだとまだまだ昭和な不良文化が残っていたということでしょうか。
日本では1970年代から1980年代にかけて校内暴力や非行が大きな社会問題になりました。それにあわせて音楽、ファッションの面でも独特の不良文化が生まれるのですが、その明確な元祖になったのは矢沢永吉さん、ジョニー大倉さんらによって1972年に結成されたキャロルです。「ファンキー・モンキー・ベイビー」などは今でも有名な曲ですね。
【橋本】 聴いたらわかるんですが、FUNKY MONKEY BΛBY’Sのことしか知りませんでした(笑)。
【中将】 そのあたりはさすがに平成生まれですね(笑)。キャロルはジョニーさんが編み出した革ジャン、リーゼントに日本語のロックンロールというスタイルで一世を風靡しました。「週刊プレイボーイ」などの週刊誌でも彼らのバイク姿のグラビアが掲載され、都会から田舎まで全国津々浦々にキャロルの劣化コピーが出現するようになるわけです。
【橋本】 劣化コピー(笑)。やっぱり当時の不良にとって革ジャンを着るってステータスだったんですか?
【中将】 今よりはるかに高価なものだったし、「これを着ればあのスターに近づける!」みたいな感覚はあったかもしれませんね。
ともあれ1970年代後半にはキャロル的なファッションが長ラン、短ランみたいな変形制服の文化と混ざって、独特の不良ファッションを織り成していきます。それを面白おかしく演出に取り入れて成功したのが横浜銀蝿ですね。代表曲の「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」(1981)の出だしは「今日も元気にドカンをきめたら ヨーラン背負ってリーゼント」……当時の不良のファッションや生活スタイルが「これでもか!」とつめ込まれています。
【橋本】 同じロックンロールだけど、キャロルにくらべるとずいぶんコミカルな印象です。こういう音楽を当時の不良に憧れる中高生が聴いていたんですね!
【中将】 だけど当の横浜銀蝿のみなさんはみんな大学まで行ってるし、ちゃんと勉強もがんばる不良でした。不良文化を客観的に分析してネタにできたからこそ数々のヒット曲を生み出せたのかもしれません。ギターのJohnnyさんが解散後、キングレコードの役員になってAKB48のスーパーバイザーをしていることは有名です。
【橋本】 カッコいい! やっぱり時代を作っていく人って頭が切れるんですね!
【中将】 ロックンロールと言えばツイストですが、まさに不良たちは横浜銀蝿に踊らされていたということですね(笑)。
さて、躍らせると言えば尾崎豊さんの「15の夜」(1983)も多くの不良を躍らせました。ただの無免許運転の窃盗犯の曲なんですけどね(笑)。
【橋本】 15歳はバイクに乗っちゃダメですもんね(笑)。歌詞の内容的に今だったらメジャーレーベルから出すのは難しかったかもしれませんね。
【中将】 「15の夜」や「卒業」を聴いて、ホントにバイク盗んだり校舎の窓ガラス割ったりした不良は多いみたいです。バカなことやって人に迷惑かけてるだけなのに、この曲を繊細ぶったり自己正当化するダシに使ったりする人が多いのはちょっとゲンナリしますね。ちなみに尾崎さんの同級生は「尾崎はバイクを盗んだことがない」と証言しているそうですが(笑)。
【橋本】 ええ子か(笑)。
(※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2022年3月5日放送回より)