プロフィールとかちゃんと書いたことなかったので僕の自己紹介を書いてみようと思います。
はっきり言ってこれを書くことで僕にはメリットほぼないと思います、むしろデメリットのほうがあるかも。
それでもネトゲやツイッターで自己を偽るのが嫌になったというか、僕は正直者なので嘘が嫌いなんです。
だから隠し事なく書きます、これも何か後で見直して役に立てばいいのですが・・・
別に覚えてもらう必要はないですが僕は1985年12月9日に産まれました。ということは今年で33歳になりますね。
両親は共働き、僕の世話は祖母がほとんど見ているという状態でしたね。
幼い頃の記憶なのであいまいになりますが僕は祖母にほとんど褒められたことがないです。
そして人と会うときよく祖母が言っていた言葉は「この子なんにもできへんから」です。
人とコミュニケーションを取る時は必ずと言っていいほど祖母が仲介役として入ってきました。
1対1で人と喋ったことは幼稚園に入るまでなかったかもしれません。
幼稚園ではその辺の弱さが露呈してあまり友達ができなかったように思います。
それでもまだ僕と仲良くしてくれる優しい奴はいましたね。
小学生になってやっと祖母の手を少し離れて多少まともな子供になったと思います。
3年生のときにはなんとクラスでもそこそこかわいい女の子に告白されたこともありました、多分僕の人生の絶頂でしょうねw
しかし小学6年生頃からでしょうか、誰にでも訪れる思春期ですが僕にとっては病魔のように心をむしばんでいきました。
まず新しい友達ができなくなりました、小さい頃のツケがきたのかもしれません。
友達の友達でもまともに話すことができずに友達がトイレに行ったとき無言で気まずかったのが今でも思い出されます。
中学校に入って友達の半分くらいは違う学校に行くことになり寂しい思いでした。
しかし中1の頃は一生の仲間と思えるくらいの友達ができ学校も楽しく過ごせました。
中でもTくんの家には100回以上は遊びに出かけたと思います。
でも確実に思春期という名の病魔は進行してました。
中2になり仲のいい友達はほぼ違うクラスになり、いわゆるイケてるグループからは遠い存在、まぁイケてないグループでしたね。
それでも少数の友達がいたのでなんとかやってられました。
中3になり中1の頃に大親友だった奴らがほぼ同じクラスになりました・・・僕を除いて
中3になるころには僕は新しい友達の作り方を忘れていました、話しかけてもし話が弾まなかったら・・・とか考えて傷つく恐れがあるなら最初からやめておこうという考えになってしまっていました。
休み時間はその大親友のクラスへ行って仲良くしてましたがクラスでは完全に孤立していました。
そのクラスはいわゆるイケてる奴が大多数を占めていてあっという間にもうクラスにおける各々の立ち位置みたいなのができていました。
その中で僕の立ち位置は空気、悪ければからかいの対象でした。それでも我慢して通学していました。
しかしなんて言いますか、こいつをどれだけいじったりいじめられるかみたいなマウントとりの対象にされることが増えてきました。
今思えば大したことないいじめでしたが当時の僕は孤立して、また父親が毎夜酔っぱらって帰ってきて仕事がもうあかんかもしれん~と泣き言を言っていたのもあってかなり精神的に参ってしまいました。
そして決定的なのが修学旅行でした。
嫌がらせもされますが人とまともに友好的な会話をすることなく僕の修学旅行は終わりました。
学校に居場所がないと感じた僕はついに登校拒否になりました。
そこからはとても早く時間が流れていったように思います。
一応校長先生が家まできて卒業という形で証書を受け取りましたが、そうなんです、僕は義務教育すらまともに受けられなかった中卒なんです。
そこからはほとんどヒキこもりニートでした。
17歳くらいの頃、1回くらいは働いてみるかと思い立ち工場のライン作業のバイトをしたことがあります。
面接では人と話すことすら珍しいくらいだったので終始挙動不審でした。よく受かったなぁと思い返します。
しかしそこでも僕は誰とも仲良くなれませんでした。
それどころか力仕事を任されていたんですがあまりに大量の汗をかいているので注意され、ライン作業のほうに移されました。
そのときのイラついた口調で言われた「これスムーズにできなかったらやめてもらうからな!」という言葉は今でも覚えています。
結局10日くらいでバックレてしまいました、僕は相当豆腐メンタルみたいです。
それでまた引きこもりニートに戻り時だけが過ぎていくんですが、・・・これは書くと特定される恐れがあるかもですが、まぁいいや。
当時、ニートをなんとか3か月で就労させるようにしようという若者自立塾という施設がありました。
僕は22歳くらいの頃に父親に勧められそこに入りました。
そこでは毎朝6:30には起床して朝食を食べた後は施設の掃除、そしてカリキュラムを受けるというものでした。
寮生活だったので洗濯などの身の回りの世話も自分でやったのも記憶しています。
そこでの生活はまさに思い返しても僕の青春だったと思います。
そこでは諸事情で買えなくなったりそこで飼育されている犬がおり毎朝と毎夕犬の散歩もしました。
そして何よりそこに来る人というのは僕と同じ傷や悩みを持っている方なので孤立することなくむしろすごくいい関係を築けたと思います。
僕の時は通常3か月なんですが試験的にもう3か月伸ばしてみようか?という時期だったので6か月間寝食をともにしました。
僕が人生で一番イキイキしていたときかもしれません、そこでのゴールは就労だったのでまだ僕には抵抗がありましたがそれでもすごく楽しい時間でした。
一緒に犬の散歩をしたり少林寺拳法を学んだりトランプをしたりバトミントンもしたりしました。
しかし楽しい時間はあっという間に終わりました。
ここを卒業するとき働くか、何かをするかと選択を迫られるのですが僕はまだ自動車免許を持ってなかったので合宿で免許を取りに行くということで話がいったん決まりました。
合宿免許ではまた孤立するんですが、まぁ陽キャと呼ばれる方は女の子と遊ぶのに夢中で僕の相手をする暇なんてなさそうでした。(よかった)
でも免許はとれたんですが結局僕は働けませんでした。
今はまだマシになりましたが求人誌を眺めていると目まいがしてきましたし過去の人間関係がトラウマになって一歩が踏み出せなかったです。
それでも父の友人のところで掃除の仕事をしたこともありましたがすぐに病院送りになりました(精神科)
思い返せば思い返すほど僕って人間は社会で生きていくのに向いてない人間に思えますね。
鬱病になってから30キロ太ったし何もやる気がでなくて1日寝たきりとかしょっちゅうです。
まとめると僕は、33歳の無職ヒキニートの鬱病です。
・・・ゲームに例えるとなんでしょうか、中盤そこそこまでLvが上がってるのにいまだにホイミしか使えない僧侶でしょうか。
こんな僧侶誰がPTに入れたいと思うんでしょう?少なくとも僕は入れたくないです。
僕が死にたいと思うのも少しは理解してもらえたかもしれません。僕はここまで詰んでるんです。
長くなりましたがこれが僕という人間です。
最後まで見てくださった方いたらありがとうございます、またに~