第3話 大変な食事

 裡辺地方は法泉県、その沿岸……湾内に面する燦月区の街、桜花町。そこにある民間退魔師事務所……天城民間退魔師事務所では、騒ぎが起きていた。


「全くこの子は!」


 天城民間退魔師事務所所長──代表取締役社長であり、経営者──の天城美紀あまぎみきが犬の尻尾を逆立たせ、部下に檄を飛ばす。


「手足を縛って、あと開口器はめて。でも気をつけて、今の揚羽は人も妖平等に食肉よ」


 鎮静剤から解き放たれた揚羽は激しく威嚇し、唸り、吠えながら暴れていた。それを数人がかりでソファベッドに押さえつけて、頑丈なワイヤーロープで手足を縛り上げる。


「ぐっ、ギギッ……!」


「ちょっと揚羽さん、手足千切れますって!」


 ワイヤーが食い込んだ彼の手足は赤黒く変色し、鬱血していた。今にもそのままぶっつり張り裂けて千切れ飛んで行きそうである。


「どうにもならないわね。食わせるしかない」


 美紀がクラムに紙袋を投げ渡した。彼女は頷いて、中身を取り出す。ラッピングされた赤い肉……揚羽の食料である人肉だ。


 クラムはそれを剥がして自らの口に入れ、ぐちゃぐちゃに咀嚼する。ペースト状にしたそれを、揚羽の開口器で開けられた口へ流し込んだ。


「グゥゥゥゥウウウウァアアアアアッ!! アァアアッ、ガァッ! ぐっ……ゥう……」


 継続し、口移しで肉を与えた。揚羽は最初こそ貪るように飲み込んでいたが、次第に理性が戻ると悲鳴をあげ始める。


「あぁっ、がぁああああっ!! あーッ!! ぎぃぃいいいいっ!」


 筋力の低下、赤い目の喪失。恐らくは正常に戻っている思考──多分、暴走状態ではない。飢餓は消えているだろう。


「揚羽さん、規定量は食べてください。ちなみにどれくらい食べてなかったんですか。二日? 四日? 一週間?」


 揚羽は首を振る。クラムが恐る恐る聞いた「では、半月ですか?」という問いに頷いた。美紀が頭を抱える。


「吸血鬼……特にドラキュラクラスは一日最低四〇〇グラムは食べないといけないのよ。それを半月……。クラム、食べさせなさい」


「はい」


 口に肉を入れて噛み砕く。喉が蠢いて、クラムの目が嗜虐的な色を湛えて揚羽を見下ろす。うっすらと微笑みながら彼女は揚羽に顔を近づけて、どろどろにした人肉をこちらへ流し込んできた。揚羽の言葉にならない「やめろ」という叫びがクラムには聞こえていた。だからこそやめない。嗜虐心と、手のかかる弟へ向ける可愛い子、という思いから次々に肉を噛み砕く。特別、彼女は人肉への忌避感はない。竜に食人文化はないが、しないわけではない。人と同じで、菜食主義とかそういう思想に近いものなのだ。竜族全体には人を主食にする思想こそないが、中には……一族によっては、そういう人肉嗜好の竜たちはいるかもしれない。


 揚羽の筋力は常人のそれを大きく超える。一般には悪鬼とされ駆逐対象となる吸血鬼を、善鬼として扱う異例中の異例が彼だ。単純に力で組み伏せられる種族が限られる中、数少ない上位種族が竜族だった。単なる殴り合いではクラムくらいしか揚羽には勝てない。もっとも、そこに技量などが絡めば美紀や他の所員でも叶うのだが……手っ取り早いのはクラムだし、なにより種として近しいのでくっつけておいても互いに心を許し、扱いやすい間柄だろうという認識だ。


「はいはい揚羽さん、最後の一口ですからね。これ食べたらお風呂行きましょうね」


 女性の手らしき部位の肉片を口に突っ込んで、ごりごり噛み砕くクラム。大半の人間と妖にしてみたら異常にも程がある光景だ。だが揚羽を雇う上で覚悟していたし、もともとこの事務所は裏の組織だった。こういった汚れ仕事には、足を洗いつつあるとは言え慣れている。今の時代、綺麗事だけで会社運営はできない。


 クラムが揚羽に肉を流し込んで、彼は手足をばたつかせてのたうち回るが開口器のせいで飲み込むことしかできない。無理に吐き出そうとして喉に詰まらせたことは過去に何度もあり、窒息の苦しみを彼は味わっている。一度、それで本当に自発呼吸が止まったのでなおさら学習しているだろう。


「ちゃんと飲み込んでくださいね。ほら、私のよだれって魔法の調味料でしょう。美味しかったですよね、お肉」


 揚羽は怒りを露わにクラムを睨んでいた。彼女は平然とその視線を受け止めて、うっとりとした顔で微笑む。クラムの方が、精神的な面ではヤバい。美紀はそれを知っていた。彼女は幼い頃に家族を……一族を竜狩りに虐殺された過去があり、その際可愛がっていた弟を、……、目の前で男たちによって最愛の弟が陵辱され、焼かれるという悲惨な拷問を加えられた。


 彼女が揚羽に向けるシンパシーはドラキュラの血を引くと表現されるほどに高位の吸血鬼だからというだけでなく、どこか生意気な口調などを失った弟に重ね合わせているのかもしれない。


「いつまでもごもごしてるんですか、もう。ほら、ごっくん」


 開口器を外して、クラムは揚羽の顎を閉ざした。鼻を摘んで、呼吸を止めさせる。周りの所員がクラムを止めようとしたが、彼女の尻尾がゆらめくと手を引っ込める。竜族の膂力で顎を抑えられた揚羽はのたうつが、クラムが抑えこんんで制圧する。


「んっぐ……んっ……」


「いい子。ご馳走様は?」


 顎から手をどけたクラムを、揚羽の拳が襲う。クラムの頬に拳がめり込んだが、彼女はびくともしない。


「ふざけるな」


「大真面目です。揚羽さん、食事をしてください」


「人を……、人を喰ってのか」


 美紀は口を挟もうとして、やめた。ここはあの二人の問題だろう。


「ええ、そうです。あなたは吸血鬼ですから。並の吸血鬼であれば血を吸うだけでいいのでしょうけれど、ドラキュラクラスはそうもいかないです」


「悪鬼を殺すのと人間を食うのは違うだろ。大喜びで人を喰っていいわけが──」


「人間様は動物が好きですよね。犬を飼ったり、猫を飼育したり。動物が大好きですよね」


 クラムが所内の水槽の傍へ歩いていく。泳ぎ回る熱帯魚を見て、言った。脈絡のない言葉に揚羽は疑問を抱きつつも黙っていた。


「毛皮が好き。狩るのが好き。食べるのが好き。でも、可愛がる。……何が違うんです? 人間が愛おしい、憎らしいが美しい。その営みは尊い。でも美味しいから食べる。……人間が牛や豚をそう扱うのと同じで、私たちにとって人なんてそんなものでしょう」


「違う」


「論理が伴わない否定はただの拒絶です。同時に、こちらの弁舌が正しいと認めたが故に、それを否定できない現実から逃げているだけですよ」


「だま──」


「黙りません。そもそも揚羽さんがしっかりと支給されている肉を食べていればこうはならなかった。最悪のケースですが、あの場に私がいなかったら、揚羽さんは暴走したままそこらじゅうの人間を襲っていました。さあ、何百人が揚羽さんの胃袋に消えるでしょうか」


「やめろ!!」


「やめてほしいですか? なら私のいうことを聞いてくださいよ。食事をしっかりして、いい子にする。それだけです。残さず食べる、命に感謝して食べる、それだけです。ただそれだけで食事は楽になりますし、諸々の擦り合わせだってうまく行きますよ」


 脂汗が滲んだ顔で揚羽がクラムを、それこそ親の仇であるかのように睨め付ける。


「黙って欲しいのなら、結果を出してくださいね。ああ、私に精液を出してもらうことはお気軽にどうぞ。ほんとにいつでもどんな場所でも構いませんよ。いつなんどきでもお待ちしてます」


 ふざけやがって、と揚羽は吐き捨て、傍のゴミ箱を蹴飛ばして出ていった。多分、シャワー室に向かったのだろう。美紀は毎度毎度大戦争になる揚羽の食事にため息をつく。


「誰か、あの子の着替えを持って行ってあげて。あと、給湯器のスイッチも入れてあげて」


「所長、あいつに甘くない?」


 化け猫の所員がそう言ってきた。若い青年で、顔立ちは可愛らしい。小柄なことも相まって、オレンジ色の猫、のようなマスコット的な扱いを受ける子だ。


「訳ありだから。あなたたちだって、落ち着くまではああだったでしょうに」


「う……ふ、ふ……。ま、まあ……魔女の、わたっ、私にして……みたら……きゅっ、吸血鬼は……高貴な……いっ、一族で……。たいっ、切に……し、しなきゃ、って……」


 吃音症の紫色の髪をした大きな女がおどおどしながらそう言った。魔女の一族である女性だ。確かに吸血鬼は危険な種族であると同時に、その大半が高貴な生まれである者たちだ。祖先とされるドラキュラは、ワラキアという一国の王であったヴラド三世といえばその名を伝えやすいか。


桐乃きりの、イヴァ、揚羽とは仲良くしてあげて。あの子も、あなたたちと同じなんだから」


 桐乃と呼ばれた化け猫は「けっ」と吐き捨てて去っていった。イヴァという魔女は「きっ、着替え……持って、き、きます……」と事務室を出ていく。


「それからクラム、いじめすぎ」


「すみません。可愛かったから、つい……」


 てへ、というように笑うクラム。彼女は今まで異性に興味などなかったが、数年前に揚羽を拾ってきてからはぴったりひっついて離れない。それこそ、冗談抜きで婚姻届を持ってきたことまであるほどだ。確かに妖怪は、同じ種族や近縁種に魅力を感じ、番になるのが大半である。ドラキュラはドラゴンの息子とされるように、竜族と吸血鬼は古くから協力関係にあったとされていた。竜、人狼、吸血鬼……この三種族は、西洋種族の代表格であり、代表たらしめる連携網をいまだに持っているのである。


「揚羽さんはちょっと頑なですね。食べることも嫌いなら、人間とは仲良くしようともしない。そうする資格がないと、自分で決めつけているような感じです」


「小さい頃のトラウマでしょうね」


 美紀はパンツスタイルのスーツのポケットからタバコを取り出し、一本咥える。


「桐乃、あなた盗み聞きするくらいなら揚羽のお話聞いてあげなさいよ」


「うっせー!」


 猫め、と美紀は目頭を揉む。


「吸血鬼って多淫で知られますが、なんで揚羽さんは私にこれっぽちも興味を向けないんでしょうねえ……」


 という、どこかズレたことをクラムがぼやいていた。

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