第2話 人殺し

 芽黎がれい二六年 六月三十日 水曜日

 裡辺地方 法泉県 燦月さんげつ区 某所の裏路地──


 時間は午前を回っていた。日付を跨いで間もない頃、光が届かない迷路のように入り組んだ裏路地を、一人の少女が泣きながら走っていた。傍には荒い息で左腕を押さえる少年。顔色が悪く、顔の半分に奇妙な亀裂めいた黒い模様が走っていた。少女はしきりに「大丈夫だから」と念仏のように唱えながら、彼を支えて走る。


 クラスで噂になっていた人面犬を見に行こう……そんな都市伝説はどこにでもあって、誰も本気にしていなかったが、それゆえに肝試しのネタとしては最適だった。安全圏から恐怖を飼い慣らし、克服したつもりになるのは安全な国の民の嗜みのようなところがあり、それはこの国においてもそうだった。若い彼らには悪鬼という、業界人がサフォークと呼ぶものの恐ろしさなど、その片鱗についても認識していなかった。


 結論から言えば、人面犬は実在した。そいつが五体いて、こちらの六人組のグループのうち四人を食った。


 少女が躓いて転んで、喘ぐ息を整えながら起きあがろうとする。少年は既に事切れたのか動かない。背後から荒く湿った呼吸。少女はとうとう腰を抜かしてうつ伏せに倒れ、恐怖のあまり失禁した。


 大型犬ほどの体躯と人の顔。男が四つ、女が一つ。爛々と輝く金色の目には、生者への恨みが宿っていた。


 いびつな乱杭歯が少女の肉を引きちぎろうとして、


 乾いた炸裂音。


 九ミリ口径と思しき、どこのカタログにも載っていない専用モデルの拳銃から青い火が吹かれ、超音速で弾丸が飛翔。藍色がかった残光を引っ張って弾丸が激突し、バケモノが悲鳴をあげて下がる。怯えか痛みか、ひるんだところへ拳銃弾が殺到。頭部を砕かれた人面犬はそのまま倒れ、銃を握る黒髪の少年が静かだが響く声で言う。


「邪魔だから失せててくれ」


 少女はバケモノへの恐怖、そして少年への恐怖から、倒れた友人を引っ張ってダストボックスの影に隠れた。随分と落ち着いた声。こういった荒事に慣れている……ひょっとして、ギャングだろうか?


 少年──揚羽は静かに呼吸。妖力の循環系に問題はない。経絡には澱みがなく、体に妙な感覚が沈澱するおかしな感触もなかった。感情の撃発と制御を間違えるなと静かに言い聞かせ、掌に集めた妖力をグリップからその奥のマガジンへ送った。そうして弾丸を生成し、放つ。チェンバーに装填される弾丸。射撃、後退したスライドが一瞬の放熱を済ませて次弾をチャンバーで圧縮。トリガーを引いて、溜め込まれた妖力を刺激して放つ。


 銃声は実銃のそれ。しかし飛び出すのは物理的な弾頭ではなく、妖怪の生命力たる妖力で形を成す妖力弾だ。


 リズミカルな銃声が響き、人面犬が追い詰められていく。少年は耳栓もゴーグルもしていない。素の耳と目で銃声とマズルフラッシュを見聞きし、平然とした顔で次々発砲。裏路地に青いストロボが瞬く。


 赤黒い飛沫があちこちに飛び散って、揚羽は情けも容赦も一切なく敵を『始末』していく。淡々と死刑執行をこなすように、手を止めずに冷徹なまでの洞察で動きを見切って偏差射撃。迫った人面犬の前足の叩きつけを左へ半身下がって回避して、カウンター気味に跳ね上げた左足の蹴りで顎を砕き、姿勢を崩したところへ頭にバースト射撃。三発の弾丸が穿った穴からどろりと血が溢れる。


 最後の一体、女の人面犬は「がえじでぇぇええええ」と嘆きながら尻込みしていた。まだ、悪鬼になって間もない。生きたまま悪鬼になる受肉体は、意志を完全に奪われるまでは地獄だ。そこを通り越せば楽だが……だが、往々にして受肉体には、そうなるに至る経緯が自業自得なケースが大半である。この女も、おぞましいほどの憎悪と怒りを自ら生み出し、精算せず生きていたのだ。結果的になんらかの邪悪に呪われ、堕ちたのだろう。


「来世でやり直すんだ」


 揚羽は冷たく言って、血の涙を流す人面犬を射殺した。


 スライドを弾いて、チェンバーを放熱。マガジンリリースを押すと、弾倉が落ちることはないが熱を持ったそれが露出した。あらゆるエネルギーに排熱は欠かせない課題だ。妖力も同様で、機械に流せば機器が熱を持ち、生身に流せば発熱していく。たとえ無限に近い妖力があったとしても、それを扱うデバイスが貧弱では無意味。だから妖術師たちも、剣士たちのように体を鍛えるのだ。肉体というハードウェアを鍛え、処理速度を一定かつ高速に保つために。


「クラム、あの男を見せてくれ」


 いつの間にやら血に濡れた長剣を握っているクラムがそばにいて、彼女は頷いた。


「あっ、待ってよ! 貴紀たかのり、あいつらに噛まれて怪我してて……」


 クラムは構わず貴紀とかいう少年を引っ張って、転がした。病人にすることではないが……揚羽はその少年を見て、もう人間ではないと判断した。


「何か、言い残すことは」


 少年はぜぇぜぇ喘いで、泣きながら懇願する。


「こ……ろ、て。……殺し、て。くる……し、い」


 揚羽は奥歯を噛んで、奥歯が砕けそうになるまで彼の覚悟と尊厳を噛み締めて、それから答える。


「安らかに」


 マガジンを戻し、スライドストップを下げる。少女が悲鳴に近い声音で「やめてぇっ!!」と叫び、それを塗りつぶす銃声が二回響いた。


「あっ……」


鬼痾きあといいまして、彼は悪鬼になりかけていました。あのままでは、あの子も人面犬になっていたでしょう」


 勤めて冷静にクラムがそう説明した。情報を秘匿されている悪鬼を知らないことは、普通だ。故に、唐突にそんなことを言われて理解できる者はまずいない。


「あ、あんたたち……なんなの? 私たち人や妖は、権利で守られてるのよ!」


「ですが私たち退魔師には、必要とあらばその権利を停止・剥奪する特例権限が与えられています」


「い、意味わかんない。……ケーサツ呼ぶから!」


「勝手にしろ」


「この……人殺し!」


 揚羽の表情は変わらない。冷めた目で死体を眺めて、それから銃をしまう。


「後日、国の退魔局から局員が来ます。その時にも言われますけど、守秘義務を破った場合は大きなペナルティが課せられますので気をつけてくださいね」


「あっ、あの……警察ですか?! たった今、ひとっ……人を殺したやつが──っ、ぐ」


 呆れた、と言う顔のクラムが首筋に手刀を叩き込んで黙らせた。それから携帯を拾って、応じる。


「退魔師ですので、ご安心を。現場のポイントは──」


 人殺し。


 揚羽は鼻で嗤う。


 どんな形にしろ、人や妖は力で他者からモノを奪っている。みんな、間接的には殺人犯だ。


 同じ穴の狢だろ、と揚羽は思った。そう、思い込もうとした。


 左胸に嫌な疼痛が走って、頭痛と吐き気が込み上げる。異様な飢餓感が拍車をかけて、揚羽は必死でその場を離れた。その理由に気づいたクラムが上着のコートを揚羽の頭にかぶせる。


 人殺し。


 そうとも。そして同時に、


 揚羽は人喰いのバケモノだった。


「揚羽さん、またお肉を捨てたんですね」


「うぅぅ、る……るる、さイいィ……!」


 コートの下の顔は、兆候はあったが今やもう飢えた狼。あの少女が気圧されたのも無理はない。その状態で、よく怒鳴れたと感心するが極限状態だったのだろう。ああした状態でまともな判断力など期待できるわけもない。


 今の揚羽には、しかしいつもの冷静さなどない。さっきの人殺しの一言でタガが外れ、枷が取れたのだろう。揚羽の人喰いとしての本性が露わになり、クラムは鎮静剤を取り出した。


 圧搾注射式のそれには青い薬剤。針を使わない、圧搾空気で薬液を流し込むそれを揚羽の首に叩きつけて尻のボタンを押した。シリンダーが押し出され、パシュッという乾いた音と共に揚羽の首筋に薬が吸い込まれる。


 赤く変じかけていた揚羽の目がぐるんと回り、彼は昏倒した。


「ふぅ……大変な人と組んじゃいましたけど……。ドラキュラはドラゴンの息子……。であれば、揚羽さんは私と同じ種族と言ってもいいわけですし」


 それに、とクラムは微笑む。


「こんな可愛い子、捨てられませんって。いつ食べましょうねえ……ふふっ」


 ぞくっ、と命の座が疼くのを、クラムは抑えられなかった。スカートの裾、太ももにぬるっとした汁が滴っていた。

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