殛威たる吼戒のストリゴヰ
RRRRaika
【壱】王の末裔
第1話 薄闇の中で
ヘドロのタコたちの死体が廃墟に転々としていた。右腕を生々しい有機的なフォルムである異形の剣へと変えた女は、肉がこそげ落ちた右足を引き摺りながらビルの中を歩く。五階建ての雑居ビルは、そのテナントのワンフロアひとつひとつが凄惨な有様に変じていた。
ふぅーっ、と荒い息がこぼれ、女はパンパンに膨れ上がった腹を見下ろす。そろそろ産まれる頃だ。
吐き気を催してその場に頽れた女の股からどろどろと赤黒い液体がこぼれる。震える肩は痛みに耐えているようにも、笑っているようにも受け取れた。そして恐らくはその両方が意味合いとしては正しいのだろう。
蜘蛛の子供がそうするように、女の胎内にいた赤ん坊が彼女の腹の中を食い荒らしていた。さっきのは破水ではない。溢れたのは羊水ではなく血で、出血はそれが理由だ。腹の中身を食い破られる激痛。しかしこの世界に一矢報いる尖兵を生み出している愉悦。
異質な悪鬼を喰らい、その悪意を溜め込んだ。その悪意で孕んだ。女の邪念とさまざまな悪意が結びついて着床した『落胤』たちは母体の腹をとうとう破った。彼女は「ごぼっ、がぼぼっ」と大きく喀血。血の海に沈み、意識を手放しそうになりながらも笑っていた。痙攣しながら、肉体を食い荒らされながら。
滅べ、滅べ。全部全部全部、なくなっちまえ。私を愛さないこの世界を私が愛する必要なんてない。私を殺す世界を生かす理由もない。これは、しごく真っ当で正当な復讐だ。
そうした生まれた一体のバケモノが、どろどろした塊が触手を伸ばして母体の骨を拾う。それは肋骨だ。手に取り、砕いて口に入れる。
「僕はカイン」
その顔が、端正な少年のそれへ。バケモノでしかなかった異形が人の形になる。
「最初の殺人者」
×
「っていうことがあったんですよね」
夕暮れどきを過ぎ、宵の闇が迫る時間帯。外はネオンやらLED電灯で着飾られ、夜の街は毒々しさと煌びやかさを混ぜこぜにした色っぽい化粧を施していた。そんな薄ら闇にひそんでいる街の、それこそどこにでもあるような小汚い定食屋の小上がりで
「そんなの俺の知ったことじゃない」
一人は黒髪の少年。目はブラウンで、純和風な顔立ち。高校一年か二年ほどの、中肉中背……というには、やや筋肉質な体つき。肌は青白く、不健康に見えるが食べっぷりは普通の男子だ。よく食べている子供で、レンゲに天津飯を掬って大きく一口で食べている。その様子はどこからどうみても人間の男子だが……異様な雰囲気だ。鋭い爪を隠して小鳥のふりをしている猛禽類のような、そんな感じがする。あるいは、もっと適切に言うとしたら羊に化けた狼、だろうか。
「でも物騒ですよね」
もう一人は青い髪の女。海外の人種だろう。ぱっちりとした大きな目は薄紫色で、髪の毛共々現実味が薄い色合いである。百歩譲って髪と目がハイカラなアイテムで色付けされただけにしろ、体の肉感的なラインや顔立ちはどう見ても欧米のそれだ。けれどそれらが天性のものかもと思う理由は、彼女が百鬼であること。竜の特徴である紫の角と翼の骨、同じく紫紺の鱗を持つ尻尾が生えていた。翼膜と尻尾の蛇腹はクリーム色で、色合い的なことだけを言えばサキュバスっぽくもある。老いてなお、老夫はその魅力的な体から目を離せない。
「『
老夫婦は顔を見合わせる。黒羊の品種が珍しくない……というのは、それこそ話題としても珍しくないだろう。取り立てて話すことでもないと思う。
「『
今度は数が少ない品種が出てきた。羊飼いなのだろうか、この二人は。確かにこの
「どうでもいいけど……俺は関わらないぞ。サービス残業もサービス労働もごめんだ。びた一文にもならない仕事なんてしない」
「ドライですねえ。なんのために退──」
「バイト、な。清掃員の」
「えっ、あ、ああ。羊小屋のですよね。ほんと、お金稼ぎって面倒です」
老夫婦は羊小屋の清掃だなんてバイト、それこそ儲からないのでは? と思った。しかし高校生カップルが揃って真面目にバイトとは、昨今の若い子にしては勤労精神があるな、と感心した。食べ盛りだろうとご飯を大盛りにしてよかった、と思う。が、彼らは初めてこの店に来たのか、転校生か……地元の子供ではないのは確かだ。地域に根付く仕事をしてきたからこそ、ここらの子供には詳しい。何丁目のハナタレ息子の次男坊に嫁ができた、というような話まで全て記憶している。
少年は頼んだ天津飯と唐揚げのセットを平らげ、手を合わせて「ご馳走様」と口にする。竜の少女はとっくに生姜焼き定食を食べ終えており、食後のデザートに追加で頼んでいたカステラまで完食していた。老婦人は自分も若い頃はあんな体でブイブイ言わせてたなあ、と過去を懐かしむ。その末に色々あったが、けれどいい旦那を見つけられたし、子供も立派に巣立った。些細な幸せだが、今のご時世それだけでも十分に恵まれていることは自覚していた。昨今の目を覆うような悲惨な事件は、正直テレビで流すべきかわからないと思うほどであり、それが理由でこの店にはテレビもラジオもなく、古臭い、老夫が昔歌っていたフォークソングをCDに焼いて、プレイヤーでリピート再生していた。
「じゃ、ごちそーさまです!」
「しれっと俺が出す流れ作りやがって……」
注文表を手に、少年が子供が持つにしては随分と高そうな財布からお金を取り出すのを、老夫婦は最近の子の金銭感覚はよくわからんな、と思いながら見ていた。
×
店から出た少年──
「なんですか、不服そうな顔して」
「別に」
青い少女──クラムが乗り込んだのはメタリックブルーのセダン。運転手は彼女だ。成人年齢の引き下げがある時期を境に加速度的に進み、今や十五歳で成人。一周回って昔の元服へ逆戻りだ。おまけに、男女平等で十五で成人である。高校の校則次第では、在学中でも十五歳以上なら飲酒喫煙が可能。この辺りについては結構白熱した議論──という名目の利権争い──があったらしい。どうせ汚い話だと揚羽は頭ごなしに決めつけていた。政治家と汚いを等号で結びつけるのは、若者なら誰しもが通る道だろう。クラムはそう思っていて、そしてそういう世代には黙っておくべき領域があることも理解していた。繊細な年頃の際に、彼らが大切なプライベートを侵害すると取り返しのつかないことになる。それは、今も昔も、これからも変わらないだろう。
揚羽は助手席に座ってエアコンの吐き出し口を自分に向けた。六月下旬の梅雨前線が停滞している八洲列島は蒸し暑く、昼も夜も蒸し風呂の中で焼かれているような気分にさせられていた。さながら、罪人になって地獄の世界へ体験学習しに行っているような感覚になる。
「あっ、こら」
「お前らは暑さには強いんだろ」
「あのですね、だからって暑くないわけじゃないんですよ」
成人年齢の引き下げに伴う権利申請の若年齢化。自動車免許の交付もまたそうだ。とはいえ、中学生は原チャリも禁止。その辺りはあまり変化がないのだ。強いて言えば大型自動二輪をはじめ、自動車免許の取得年齢が下がったくらいだろう。
「あ、ひょっとして脱いでくれってことですか? いやんもうそういうことならもっと早く言って──寒っ、急に角度変えないでください」
「なら脱ぐな腐れ爬虫類」
「竜族の尻尾でついうっかり殴られただけで死ぬのが一般人ですからね、揚羽さん。爬虫類だからと甘く見ないように。なんなら竜の中には神にまでなったのもいるんですよ」
「犬に噛まれて死んだ邪神もいただろ」
「ここはダンウィッチじゃないですから、全くもう。……ほら、シートベルトしてください」
「してるよ。んで、その邪神は短編の……」
「いいですって。私活字見ると寝ちゃうんですよ。そういう話をされても寝ますからね。居眠り運転なんて、一発で免停ですから」
「事故ったらいい弁護士雇ってやる」
クラムが呆れ顔でアクセルを踏んだ。
「それで、真面目な話なんですけど……。どう思うんですか、あの変な噂」
「ヘドロのタコの怪、か? クラーケン伝説がなんで今」
「さあ? でも、今はなんでもありですし」
揚羽はネオンに彩られる夜の街を車窓越しに眺めつつ呟く。人の恐怖が闇を本能的に遠ざける。あの光は恐怖の表れ。弱者の証。そして、弱者ゆえの強さと厚かましさ、そして害悪の化身、その後光だ。
「世相と人心の乱れはサフォーク……
「空の巨人は、多分バハムートですよ」
「あれは竜じゃなくてデカい魚だろ」
「どっちにしろ、雲を貫く大きさですから。イエス・キリスト以外には全容を知られていない百鬼ですね」
車が赤信号で停止。しかし隣の左折レーンから思い切り割り込んできたクーペが信号無視で前進。クラクションの嵐に、揚羽はため息。一瞬見えた運転席には五十代ほどの男がいた。子供でもわかる道交法を大人が破ってどうする、と呆れる。
「何度も言うけど、退魔師は慈善事業じゃないんだ。稼ぎにならないことなんてしない。人助けが大切なのはわかるけどな、自分の面倒を見れない奴が人助けしたって共倒れして二次被害生むだけだろ。素人が災害救助したって、消防や国防軍の邪魔にしかならないのと同じだ」
「その割に、ボランティアって好きじゃないですか、八洲人って」
「偽善者だからな。……でも俺はそんな優しさなんてない。金の亡者だ。昔流行ったエコノミック・アニマルってやつだよ」
クラムが前方を見ながら微笑む。
「肯定的な意見だって聞きましたけど」
「さあな。でも俺は根に持つ。実際、あれから今に至るまで、八洲人は金のことが一番だ。SNSを見てみろ、そこらで男も女も一発数万程度で募集してる。自分の体まで切り身みたいに売る国だぞ。自分の体がたったの数万だ。その程度の価値なんだよ、一般人にとっての自分の体は。なら粉骨砕身汗水垂らして何千万、何億って稼いだ方が最終的な利益は上だろ。下手くそなおっさんの相手して小遣いもらうだけじゃ、限界なんて目に見えてる」
「揚羽さんはやめてくださいね。旦那さんが性病持ちとか困りますし、突然変な人が揚羽さんの子供とか連れてきたら色々面倒ですし、世間体に響きますから、ご近所付き合いに嫌気がさしてその辺焼け野原にしそうです。貞淑な妻の旦那はこの世に一人だけでいいんです」
「誰が誰の旦那だふざけんな」
青信号になり、全身。しかし二〇〇メートルも進まず止まった。
「渋滞だそうです。えっと……」
カーナビのスクリーンをタップするクラム。ホログラフィック・ディスプレイには『accident』のアナウンス。
「さっきの車が事故ったんだ。クソ」
「ルールを守る側が割を食う社会っていうのも、荒廃に拍車をかけてるんですかね。……遠回りになりますけど、いいですよね?」
「ああ」
クラムがクラッチを動かして車を別の車列へ。強引な割り込みだが、事情が事情だ。あとでなんとでもなる。
闇が迫る初夏の街──
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