「何か弁明はあるかしら」
午前八時。
オレは対面に座ってから、何のことかと
「……まるでオレが罪に問われているみたいだな、その言い方だと」
茶化しても、彼女は表情を変えない。
「あなた、こうなることが分かっていたでしょう」
「こうなることと言うと……この現状のことを言っているのか?」
「当然でしょう。他に何があるのかしら。だからあなたは私の勝率をあんなにも低く設定した。違う?」
眼光がより強く、より鋭くなる。
並の人間が相対したら震えるだろうな……。
そんな感想を他人事のように抱きながら、オレは注文を聞きに来たスタッフに、適当な軽食を頼んだ。
ホットドッグとホットコーヒーのセットがすぐに運ばれてきた。とても美味しそうだ。
「いただきます」
オレが熱い液体を飲んでいる間にも、彼女からの言及は続く。
「……真面目に聞きなさい」
「真面目に聞いているさ。だから言うが、オレもこうなるとは思っていなかった」
「
堀北は一刀両断する。
ストローでグラスの中をかき混ぜながら、オレは、さてどうしたものかと思い悩む。
彼女はさらに非難する。
「試験が始まる前に、私はあなたと
「もちろん嘘じゃないさ。オレと龍園の間にはもう何もない。事実、オレたちはあの一件以降一度も会ってもいないし、連絡も取り合っていない」
「なら綾小路くん。あなたは全くの無関係だと?」
「さあ……どうだろうな」
言葉を濁らせるが、堀北相手に通じるはずもない。
「全くの無関係とは言えないだろうな。だが堀北、再三言うが、全てを知っていたわけじゃない」
「でしょうね。なら教えなさい。あなたが知っていること全てを」
「オレが知っているのは、お前も知っていることだ。すなわち、龍園の『敵戦宣告』のみ。オレは龍園がその準備をしているのを知っていた」
「そのうえであなたは何もしなかったのね。私に相談をすることもしなかった」
空になった皿を、店員を呼んで片付けさせる。
「綾小路くん、あなたなら容易に推測出来たはずよ」
「買い被りだな。何回も言っているが、龍園の行動は完全に予想外だった」
いや、これだと語弊があるか。
龍園の行動ではなく、Cクラスの行動だと言った方が良いだろう。
「仮にお前に警告していたとして、堀北、お前に何が出来た? 奴は用意周到に水面下で動いていた。パフォーマンスを入れながらな。お前は何が出来たんだ?」
「それは……けど、心構えは違っていたはずよ」
「そうだな。だがそれだけだ。お前は何も出来はしなかった」
堀北から、憤怒が、敵意が送られてくる。
凄まじい激情だ。
こんなにも感情を剥き出しにしている彼女は初めて見た。恐らくは、彼女の兄も滅多に見たことがないのではないだろうか。
「綾小路くん、あなたはいつだってそうね。あなたはいつだって、自分のことしか考えていない。周りの人間などどうでも良いのでしょう」
堀北はさらに言葉を続ける。
「『暴力事件』の時もそう。無人島試験の時もそう。そして今回の干支試験だって。綾小路くん、あなたは入学式の日、私に『事なかれ主義者』だと自分を表現したわよね。覚えているかしら」
「ああ、確かにオレはそう言った」
あの日あったことは全て余すことなく覚えている。その中でも堀北との邂逅はかなり印象深い。
「あの時はすんなりと言葉を受け入れた。いいえ、受け入れてしまった。でも今は違う。矛盾よ。事なかれ主義という信条を掲げているひとの行動じゃないわ」
「ならオレは何なんだ?」
純粋に気になったので聞いてみると、堀北は即答した。
「断言しましょう。あなたは『事なかれ主義者』じゃない。ただの『傍観者』よ」
『傍観者』という言葉は、意外にもすんなりとオレの胸の内に溶け込んだ。
オレは甘んじて堀北の糾弾を受け入れる。
「はっきり言いましょう。綾小路くん、私はもう、あなたの暗躍を見逃すことは出来ないわ」
「……そうか。ならどうする? オレをクラスメイトの前で吊し上げるか?」
それならそれで構わない。
──同時にオレは、自分が何も変わっていないのだと自覚する。
結局、いくら『外側』が変わったように見えても、オレの分厚く、光の灯らない『内側』は変わらない。闇に覆われた心が晴れることはない。
本当に、自嘲してしまう。変わらない、変わることが出来ない自分に。
ところが、
「……いいえ、私は何もしない。この学校は実力で生徒の善し悪しを測っているのだから。私にもっと力があれば、あなたの悪行を防ぐことが出来た。けれど私には出来なかった」
「見逃してくれるんだな」
「ええ……癪ではあるけれどね。……綾小路くん、私はもう……あなたを決して頼らない」
「頼らない、か……それはまた奇妙なことを言うな。お前は一度たりとてオレを頼っていないだろう」
オレが勝手に介入してきただけだ。
ところが、彼女は首を横に振り、
「いいえ、違うわ。私は弱くなった。その弱さが、この危機的事態を招いているのよ……」
吐き捨てるかのように堀北は言った。まるで過去の自分を悔やんでいるかのようだ。
こうなることを未然に防げた。そう思い、けれど出来なかった自分を責めているのだろうか。
オレはそんな彼女をじっと見詰める。
「お前が望んでいるのならそうしよう。だが堀北」
「……何かしら」
「今のDクラスじゃAクラスには上がれない。Cクラスにすら勝てないだろう。お前はオレが裏で動いていたことが気に食わないようだが、それとは関係なしに、単純な戦力差で、天地がひっくり返ってもお前たちは勝てない」
「……ええ、そうでしょうね。今の私たちじゃ勝てないわ」
客観的事実を堀北は受け入れた。
状況を冷静に視ることが出来なければ、未来の展望は語れない。大言壮語を口にする愚かな
彼女は目を伏し、黙考する。
そして彼女はおもむろに瞳を覗かせた。意志が込められた、強い輝きだ。
「これまで私は困惑していたわ。
堀北鈴音の独白は続く。
「けれど、分かった。私たった独りで出来ることには限界がある。
「ああ、オレにも居るな」
嘘を吐いたところで意味はない。
これまでの過程で、堀北は
「私は、私は────」
ただの名前のない少女が、いま、オレの目の前で殻を破ろうとしている。自分のこれまでの人生を振り返り、価値観を捨て、
「今までの考え方は改めるわ。私は──私たちは、必ずAクラスで卒業する」
凛と言葉が放たれた。
この数ヶ月間、兆候はいくつもあり、幾度の『試練』は彼女を昇華させるに至った。
入学当初とは一線を画す覇気。
最後に良いものが見れたと、心からそう思う。
同時に。
──堀北鈴音の昇華とはすなわち、オレとの決別を意味している。
堀北は真っ直ぐオレを凝視する。
「綾小路くん、あなたが何をしようとそれは構わないわ。クラス闘争に参加するのも、しないのも、それは個人の自由だもの。ただし、Dクラスの邪魔をするのなら、私は本気であなたを打ち破りに行くわ」
「肝に銘じよう」
「……これで私たちはただの隣人よ」
関係の初期化。そう繕ったところで意味はない。
この時、この瞬間。
オレと堀北は事実上、隣人とは程遠い敵対関係に大きく変わった。
「綾小路くん、私が今からすることもあなたは……」
「オレは?」
「──いいえ、何でもないわ。それじゃあ」
「ああ、じゃあな」
オレたちは決別の挨拶を交わす。
堀北はこちらを振り返ることなく、迷いない足取りで立ち去って行った。
「思ったよりも早かったな……いや、そうでもないか」
自身が歩く『道』を定めたということだ。
オレは思わず苦笑いする。同時に、彼女に憧れた。
運命られたレールを淡々と歩いてきたオレからすれば、『道』を切り開ける者は憧憬の対象だ。嫉妬すら覚えてしまうほどに。
「さて、残りの時間。何をするか……」
今回の干支試験は、生徒全員が一緒に終了を迎えるわけではない。
グループで『裏切り者』が出た時点で、そこのグループは試験終了だ。部屋に集まる必要はないと、運営側からのメールでも伝えられている。つまり、多くの生徒が試験から解放されていることだ。
だがしかし、全体の試験終了ではない。
残っているのは計三匹の獣たち。
討たれない限り干支試験は続く。
特別試験は今日を含めて残り三日。
恐らく、今日はずっとこのまま船上は嵐に包まれるだろう。
各クラスのリーダーは仲間の不安や動揺を
つまり、実質的にはタイムリミットはあと二日ということになる。さらに、明日は休息日だ。
起死回生の挽回──は、
既に龍園率いるCクラスの『勝利』は確定している。
だが『完全勝利』ではない。
最後の
別れ際の堀北の言葉が想起される。昇華した彼女なら、あるいは────。
行動を起こす、その準備期間は明日一日だけ。
「苦いな……」
熱かったコーヒーはすっかりと冷めていた。そしてオレの呟き声は風に溶けていった。