2020年11月06日

望んでいたのは普通の生活
普通に仕事をしたり
普通に家族と暮らし
普通に仲間と集まる

ささやかな夢が一変
なんで僕が難病に…

普通に通勤もままならず
普通に仕事もこなせずに
普通の生活が程遠くなる
こんなはずじゃなかった
僕の普通の生活は何処へ

こんなはずじゃなかった
人から言われると傷つき
憤りと絶望に包まれてく
そっか…
迷惑ばかりかけてごめん
こんな僕でごめんなさい
…ごめんなさい

病気を受け入れられず
周りを不幸にしている
自分自身が…嫌になる

でも普通って何?
何なんだろ?

同じ苦しむ仲間ができる
ちょっとした新しい勇気
独りでは苦しいことでも
仲間がいたら力になれる

生きる力
言葉は要らない
貴方の存在があれば…
それだけでいい

夢をありがとう


山口 淳より

2020年11月04日

許すって…

僕ら障害福祉の仕事の中で、
利用者との面談
というのがあります

面談をする理由は色々ですが、
その人に合わせて、
その人が話をしたいことを
聞くこともあります


例えばこんな話がありました
『小さい時から同級生にも、下級生にも、悪口を言われたり、突然殴られたり、蹴られたり、給食にツバを入れられたり、枯葉を口に入れられたり、仲間外れにされたりしてきたけど、
なんでか分かりません…』

こんな話を
急に皆さんがする訳がありません

こんな話は
誰にも言いたくありません

出来れば隠しておきたい…
一生、思い出したくない…

ある意味、
諦めているところがあります

関わって数ヶ月…1年…数年…かかって
出てくる話が
ほとんどです


でもどこかで、
悔しい!
その思いは
消えてはいないのです

だから
聞いてくれる人がいれば、
話をしたいのです

聞いてくれる
仲間がいなかっただけ

悔しかったことって…
本当に悔しかったことって…
忘れられないものです


涙を流しながら訴えてきます

時には、
コップを投げ割り、
テーブルを叩き、
イスを蹴飛ばし、
壁を叩き、
身体中で
自分の思いを表現してきます

まるでその時のことが今!
僕がしたことのように
激しく訴えかけてきます

それでいいんです
それこそが僕が望んでいること
本音をぶつけてきてくれることが、
何より嬉しい

障害を持った多くの人達は、
気を遣いながら、
怒られないように、
周りの人達の顔色をうかがいながら、
良い子で
生きています

また
嫌な思い出の
再現をしたくないから…


僕からは、
『許してあげられないかな…許してほしいなぁ…』
と伝えます

反応は様々…

そんな中、大抵は
自分も悪かったんだ…と
話を続けてきます

それは泣いた直後だったり、
暴れた次の日だったり

どうして?

友達だけじゃなく、
僕も(私も)追っかけた
ツバを吐き返した
悪口も言った
内履きを隠したりもした
だから
またされちゃったんだと思う

何か吹っ切れた良い顔で
話をしてくる瞬間があります

彼らの多くは
とてもピュアです

『ありがとう 許してくれて、ありがとう』
決まって僕は
同じ言葉を口にします


彼らはイジメた相手を許すことで
自分を許し
解放された
のだと思います
一回りも二回りも
大きくなって見えます

素晴らしい!


山口 淳より

赤い雪4

長く生きていれば、人に言えない秘密の一つや二つあるもんだと思います
と同時に、謝らなけらばならなかったのにそのままの事って無いですか?
それが自分よりも年上で高齢だとしたら…

変わってしまった母も、その頃には実家には居なくなっていた
夫婦仲は決して悪くなかった両親だったが、母は仕事が大好きで仕事場に近い所にマンションを購入し別に住んでいた
道路の拡張計画に該当してしまった母のマンション…保証は、他に住む場所がある母には不利との理由で離婚
何とも呆気ないもんである

親父に話を聞くと、生きていてくれてるだけでいいんだよと静かに話す

それ程までに母がやりたかった仕事とは…服を売る事である
ある有名なデザイナーさんの服を日本一売る人で、坪単価売上げでも日本で3位になり商業雑誌にも載ったほど
地元新聞のコラム欄でインタビューを受けた内容が掲載されている切り抜きを、親父から見せてもらった事もある

仕事人としては素晴らしいのだろうが、それを認められるようになったのは僕が結婚をして子供が出来た頃だった
僕が一緒に暮らしていた頃は、母親らしい事は一切してもらった事がない
料理、洗濯、掃除、もちろん母の手作り弁当など一度も食べた事がない
高校受験の当日でさえ起きてこなかった
たまに気が向くとガスオーブンでクルミの入ったケーキのような固いパンのようなモノを焼いてくれた
それがヒドく美味しかった

小学校時代は6年間学級委員長をやり、運動会では応援団長、スポーツなら何でもこなし誰からも負けないように頑張った
理由はたった一つ
『母から褒めてもらいたい…』
それだけだった
それは中学でも続いたが、これから高校生活が始まるという春休みに僕は事故前の優しい母を探すのを止めた
悪事ばかりで学校から何度も呼び出し、来てくれるのはいつも親父
チンピラとのケンカでパクられて警察に迎えに来てくれるのも親父
夜中にグッスリ眠っている時に何かが飛んできて強烈な痛みで起きると、母が仁王立ちで
『ニサなの死んでしまえ!生まねげばいがっだ!』
と叫んで部屋から出て行くのをボーッとして見ていた
部屋には飛んできた分厚い電話帳
思い切り頭を蹴られた事もあった
我に返りぉオーッ!っとかかっていこうとすると決まって親父が止めに入った
『何で母親らしい事もしねーヤツからそんな事をいわれなきゃなんねーんだよ!親父も何で文句言わねーんだよ!頭にこねーのかよ!』
こんな時でも決まって親父は
『生きててくれてるだけでいいんだよ』
本気を出せば振り解ける親父だったが、母親役も常にこなし毎日弁当を5年間も作ってくれた親父に反発する権限など僕にはある訳なかった
こんな事が幾度となくあった
母の優しさは、あの赤い雪に姿を変えて無くなってしまったのだろうか?

風の便りでは元気にしているらしい
住んでいたマンションからも引っ越したようで、年賀状も届くことなく戻ってくるようになって何年も経つ。
最後に電話で話をしたのは、そう20年近く前の検査入院の時…
『厄介な病気にかかってるらしくて…』
『病気だったら早く治さないと!忙しいから電話切るぞ!』
と一方的に切れた
これが最後でそれっきりの、今
だから今でも僕が難病だなんて事も知らない

最後に会ったのはそれより2年前の冬
山形でも珍しいほどによく雪が降る年だった
まだ幼稚園児だった息子と女房との新しい僕の家族で母のマンションに遊びに行った帰りに、車の屋根に30センチもの真っ白な雪が積もっていたのを覚えている


本当は、僕は母に謝りたいんだと思う
雪が沢山降っていたあの日…買い物に行こうなんて言って、ゴメン…と
今まで一度も謝った事などない
そして母は、たったの一度もあの日の僕を責めたりした事がない
親父も…

あの日…僕の人生が変わったのではなく、僕が周りの人達の人生を変えてしまったのだと思う

一生忘れられない…
忘れちゃいけない…
赤い雪


山口 淳より

赤い雪3

霊って、信じますか?
答えが両極に分かれる質問かと思います
信じるか信じないかはあなた次第って何かのTV番組のタイトルのようですが…

僕は一人っ子
でも、独りっ子ではなかった
気がつくといつも側に、女の子がいた
顔はよく見えないがオカッパ頭に白いブラウス 赤い肩ひもの付いたスカートに黒のエナメル靴…そう!ちびまる子ちゃんがTVに出てきた時にちょっとビックリした記憶がある

いつも一緒に遊んでいた
オヤツは必ず半分こ
飲み物も少しだけ残して分けた
優しい母は笑って見ていた
でも、事故以降の母はそれを叱った
僕は変わってしまった母が怖いのと説明をしきれなくて、女の子に謝りながら分ける事なく全部を食べて飲むようになった

行きはスクールバスで帰りは路線バスの通学だった僕の学校は、お嬢ちゃんお坊っちゃん学校
よく分からない選挙とかの時期になると、何人かの同級生のお父さんの笑った顔写真が大きく貼られていた
通学途中、何故かいつもと違う遠回りの方向のバスに乗ろうとしたり、ワザと1本遅いバスに乗ると決まって僕が乗るはずだったバスが事故を起こしていた
女の子が教えてくれた

何より一番不思議なのは、母の右手を強く握り締めて歩いていたはずなのに…なぜ母だけが車にぶつかり飛ばされたのか
母の手を握り締めていたのなら僕も引きずられたり飛ばされててもおかしくないはずだったのに、僕は擦り傷一つ無かった

僕が30台半ばの頃…今思えば病気が分かる少し前に山形に帰省している時のこと
夏恒例の心霊現象のTVを観ている時に何気なく、女の子の存在の話をした
親父は一瞬で血相が変わった
『誰に聞いた?』
僕の話と親父の質問が噛み合っていないことに驚いた
聞けば、僕が生まれる前に女の子がいたらしいのだか母がダメにしてしまったらしい
理由は色々とあり打ちきれないが、次に子供が出来たら産んでくれと頭を下げて頼んで生まれてきたのが僕ということになる
そうだったのか…
その日を境に僕の側から女の子は消えた


山口 淳より

赤い雪2

4歳の頃の衝撃的な記憶って、まるで小説のようです
同じ題名で小学三年生か四年生の時に書いた作文では違った書き方でしたが、何かの賞を頂いた記憶もあります
全く嬉しくなかったですが…

『こいづぁダメだべな、もう』
『まっだ、ちゃこいンボ子いんのになぁ』
頭の上ではこんな会話が飛び交ってた
どんなに喚こうが騒ごうが自由が利かず、周りに人は沢山居るのに孤独だった
辺りが紅色に明るくなると同時に救急車が近づいてきて停まった
何が何でも一緒に乗らなきゃいけない!懸命だったが全く叶わなかった
本家の叔母がやってきて『後から車で病院に連れて行くから』となぐさめられた
何を言われても受け入れられなく、泣くしかなかった

叔母の運転する車に乗り母が運ばれた病院へ着くと、親父が居た
足へピッタリとしがみつき、孤独からの解放に又泣いていたと思う
…実はその先の親父とのやり取りは、ほとんど覚えていない
次に覚えているのは、親父と一緒に手を繋ぎ銀色の鉄の扉が開いた中にはベッドの上から左斜め上方向の僕に向かって上目使いで『大丈夫だがら、アッツさ行ってろな』と優しく話す母と対照的な頭の傷口であった
髪の毛を剃られたそこは、パックリと割れ真っ赤で出血していた
僕は正直、震えて立ってるのがやっとだった

母は三途の河を見たらしい
綺麗なお花畑があり知った顔の人達が、おいで!おいで!としている
イザ行こうと思ったら、間に黒くて大きな河がゴーゴーーと流れている
どうしたもんかと悩んだものの、行ける気がして行こうとした瞬間、
『なんでお前から車にぶつかってったんだ!』
と後ろから聞こえ
『違う!ぶつけられたんだよ!』
と振り向き答えようとした瞬間、戻ったらしい
『おーい!意識が戻ったぞ!』
同じ声の主に説明しようとすると、
『よーく頑張った!あとは大丈夫だからな!よく頑張った!』
と言われ、ようやく落ち着けたとは母からの後からの話である
直ぐに医師から説明を受け、手術前に僕らは最後の優しい母と対面が出来た

事故は、路線バスを無理に追い抜かそうとした普通乗用車が歩道を歩いていた僕達に気付くのが遅れ車道側にいた母を跳ねた
飲酒運転だった
そのせいなのか僕は、未だに酒を美味しく呑めない
酒が呑めない訳ではない
親父は今も呑もうと思えば1升位は平気で呑める
僕も呑めなくはないのだが、いつも正気でいなければという自制がかかり美味しいとは思えない
かなり厳しくなったとは言え、日本は酒にはまだまだ甘い国だと思う
以前お世話になった仕事上のトップも、何年か前までは酒飲んで運転して帰るなんて普通だったからと武勇伝のように語っていた
やってしまった事は仕方がない、ただ恥を知り懺悔をし今後は絶対にやらないことだ

僕が今の母に会えたのは次の日だった
ベッドの上で微笑む母は、何かがいつもと違っていた
何なのかは判らなかったが確実に違っていた
恐る恐る近づき身を寄せるも、委ねきれなかった
それを何となく教えてくれたのも、いつも僕の側にいてくれていた女の子
幼い僕は女の子の存在を不思議とは思わなかった
ただ、誰も気付いていない事は分かっていた

母は出血により身体のほとんどの血液を輸血に頼った
親父は言う、あの事故の時の輸血から変わったと
数年前に僕が入院した時にその話をドクターにすると、輸血でとは医学的には考えにくいものの頭を強く打った時の衝撃でという理由では有り得るとの見解だった

その母親の交通事故で、何が変わった?
親父が…2人になった…


山口 淳より

赤い雪1

小さい時の記憶って、何歳からありますか?

山形の冬は、寒くて雪が降ります
僕が小さい頃は、一晩で1m積もる事なんか珍しくありませんでした
雪は、何もかもを平等に白くします
4歳の冬…2ヶ月後に幼稚園への通園が決まっていたあの日までは、僕は雪は嫌いじゃありませんでした

その日も、朝から雪が降り続いていた
その雪は一つ一つが大きく、まるで手でちぎった綿が空から降っているかのようだった
キャラメルに付いているオマケ欲しさに『買い物さ行ぐべ!』と駄々をこねた
毛糸屋さんと契約をして家で和裁洋裁をしていた母
『今日なのやめだらいんねが~(今日は行くのは止そう)』となだめるように答える
僕はいつものように、力の限り抵抗する
程なく母は重い腰を上げ、支度する
僕は喜び、今にも出んばかりに急ぐ
急ぐといっても、母から準備してもらうのを待っているだけである

母から編んでもらったボンボリの付いた毛糸の帽子を被らせてもらう
ふかふかしたアノラック、カギ編みの毛糸で繋がった母製手袋、膝まであろうかの長靴…冬の重装備は完璧だった

外は、シンと静まりかえり…寒い
雪は、大きな家も小さな家も、新しい車も古い車も全てを白くする
僕のテンションだけが場違いだった
次から次へと降り続く雪で先がよく見えない
おまけに歩道と車道の境が雪で埋もれて判らない
母から手を繋がれ道路の右端を歩いていた
広いバス通り、いつも母と歩く道に不安はなかった

チャリチャリチャリチャリ…
大きなチェーンの音が後方から聞こえてきていた
いつも町まで乗せてってくれる、大きな路線バスだと振り向かなくても判っていた
少しずつ音が近づいてくる
次第に大きくなる音に少しだけ不安になり母の右手にしがみつく
・・・・・・
規則正しく舞い落ちていた雪が一瞬、乱れた
バスは急停車、知らない車がバスの前方を塞ぐように生垣に突っ込んで止まっていた
そのぶつかった生垣だけが白い世界を壊していた
しがみつくはずの安心の母の右手が…無い
そればかりか母は、消えていた
『ママー!』
力の限り何度も叫んだ、何度も見渡した…見つからない 焦った
とてつもなく長い時間に感じた 不安だった
あ!いた!
ガッポガッポと走りにくい長靴で雪の上を走った
バスを追い抜き、生垣に突っ込んだ車の先に母は寝ていた
昼寝の時になかなか寝付かない僕の隣で、寝たフリをする母に見えた
馬乗りになり叫ぼうとしたその時に、赤い雪が見えた
それは母の頭からみるみる広がっていった
そこに舞い落ちてくる大きな白い雪も直ぐに、赤く染まった
そっと、そっと赤い雪に触れてみる
…温かい
白く冷たいはずの雪が、赤く温かい
何故か、ホッとしていた

汚いからさわるな!
首根っこを掴まれ安心から引き剥がされた


山口 淳より

愛って…

この国は潤いが少なくなり
何もかもが、軽くなってしまったような気がします

見返りを期待するのが恋ならば、一方的に捧げるのが愛…
僕が小さい頃はもっと、
愛に溢れた世の中だったような気がしてなりません…
親子愛も、友情も、ご近所付き合いも…
遠く離れていても、愛で繋がった絆は強かったはず

残忍な事件が多くなっている昨今…
そんなニュースを見聞きしても
不思議と慣れてしまってはいませんか

愛に飢えた男は今…たくさんの愛を植えてもらっています(笑)

10年前…もう10年か…
今の障害福祉の世界に入りました

あの3.11の大震災の時に
2年目でした


この業界…
う~ん( ̄  ̄)…
微妙です…

このことはまた、
別の機会に

元々は
『障害を持った人達の役に立ちたい』
そーんな気持ちで入った
障害福祉

今や…
障害を持った人達から
生きる力をもらって
生きているのが
現実です


愛に飢えた男は、
愛を植えてもらっている男に(笑)

『愛を植えている男』
と書けないあたり、
情けないです…
(,,)ぁぃ…


愛 飢男より

はじめまして(^^)愛に飢えた男で、愛 飢男…あいうえおです

はじめまして(^^)
これを見ていただいていることが既に奇跡です!
ありがとうございます
愛に飢えた男で、愛 飢男…あいうえおです
よろしくお願いいたします

ブログは初めてどころか、Facebook、Twitter、Instagram…全く稼働しておりません
慣れていないので、お叱りよりも励ましでしか耐えることができませぬ…(..)
温かい目で見てやってください

ブログ開設を勧めていただき、こちらを教えていただきましたShimPoさんに感謝申し上げます


愛 飢男より
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僕の波瀾万丈な人生を綴ることで、誰かの何かの役に立てたらこんなに嬉しいことはないです 人に歴史あり…同じであるはずはないけど少しでも誰かの気が楽になるのなら…こんなことを考えています
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