長く生きていれば、人に言えない秘密の一つや二つあるもんだと思います
と同時に、謝らなけらばならなかったのにそのままの事って無いですか?
それが自分よりも年上で高齢だとしたら…
変わってしまった母も、その頃には実家には居なくなっていた
夫婦仲は決して悪くなかった両親だったが、母は仕事が大好きで仕事場に近い所にマンションを購入し別に住んでいた
道路の拡張計画に該当してしまった母のマンション…保証は、他に住む場所がある母には不利との理由で離婚
何とも呆気ないもんである
親父に話を聞くと、生きていてくれてるだけでいいんだよと静かに話す
それ程までに母がやりたかった仕事とは…服を売る事である
ある有名なデザイナーさんの服を日本一売る人で、坪単価売上げでも日本で3位になり商業雑誌にも載ったほど
地元新聞のコラム欄でインタビューを受けた内容が掲載されている切り抜きを、親父から見せてもらった事もある
仕事人としては素晴らしいのだろうが、それを認められるようになったのは僕が結婚をして子供が出来た頃だった
僕が一緒に暮らしていた頃は、母親らしい事は一切してもらった事がない
料理、洗濯、掃除、もちろん母の手作り弁当など一度も食べた事がない
高校受験の当日でさえ起きてこなかった
たまに気が向くとガスオーブンでクルミの入ったケーキのような固いパンのようなモノを焼いてくれた
それがヒドく美味しかった
小学校時代は6年間学級委員長をやり、運動会では応援団長、スポーツなら何でもこなし誰からも負けないように頑張った
理由はたった一つ
『母から褒めてもらいたい…』
それだけだった
それは中学でも続いたが、これから高校生活が始まるという春休みに僕は事故前の優しい母を探すのを止めた
悪事ばかりで学校から何度も呼び出し、来てくれるのはいつも親父
チンピラとのケンカでパクられて警察に迎えに来てくれるのも親父
夜中にグッスリ眠っている時に何かが飛んできて強烈な痛みで起きると、母が仁王立ちで
『ニサなの死んでしまえ!生まねげばいがっだ!』
と叫んで部屋から出て行くのをボーッとして見ていた
部屋には飛んできた分厚い電話帳
思い切り頭を蹴られた事もあった
我に返りぉオーッ!っとかかっていこうとすると決まって親父が止めに入った
『何で母親らしい事もしねーヤツからそんな事をいわれなきゃなんねーんだよ!親父も何で文句言わねーんだよ!頭にこねーのかよ!』
こんな時でも決まって親父は
『生きててくれてるだけでいいんだよ』
本気を出せば振り解ける親父だったが、母親役も常にこなし毎日弁当を5年間も作ってくれた親父に反発する権限など僕にはある訳なかった
こんな事が幾度となくあった
母の優しさは、あの赤い雪に姿を変えて無くなってしまったのだろうか?
風の便りでは元気にしているらしい
住んでいたマンションからも引っ越したようで、年賀状も届くことなく戻ってくるようになって何年も経つ。
最後に電話で話をしたのは、そう20年近く前の検査入院の時…
『厄介な病気にかかってるらしくて…』
『病気だったら早く治さないと!忙しいから電話切るぞ!』
と一方的に切れた
これが最後でそれっきりの、今
だから今でも僕が難病だなんて事も知らない
最後に会ったのはそれより2年前の冬
山形でも珍しいほどによく雪が降る年だった
まだ幼稚園児だった息子と女房との新しい僕の家族で母のマンションに遊びに行った帰りに、車の屋根に30センチもの真っ白な雪が積もっていたのを覚えている
本当は、僕は母に謝りたいんだと思う
雪が沢山降っていたあの日…買い物に行こうなんて言って、ゴメン…と
今まで一度も謝った事などない
そして母は、たったの一度もあの日の僕を責めたりした事がない
親父も…
あの日…僕の人生が変わったのではなく、僕が周りの人達の人生を変えてしまったのだと思う
一生忘れられない…
忘れちゃいけない…
赤い雪
山口 淳より