2020年12月01日

リッターチョコレート!ストロベリー味!うまーっ!食べたら…

リッターチョコレート(^^)
ドイツのチョコレートなんですって!
僕は利用者さんから教えていただきました。
はい、この歳まで食べたことがなかったです。

レーズンナッツ…初体験でした。
…うまっ!うまっ!うまーっ!
1枚完食しました。(笑)

昨日、『お疲れ様でーす』の声と一緒にリッターチョコレートのストロベリーと初対面をしました。
なーんと優しいピンク色のパッケージなんでしょう!
…美しい!まじまじと眺める。
裏返して見て、横からも見て…四方八方から充分に眺める。
そっと、そーっと、優しくオープン…
あの最近知ったチョコレートの匂いの中に、ほのかに香るストロベリー。
充分に匂いを楽しんでから、割る。
正確に割れなかったうちの一番小さいのを手に取る。
疲れ切った身体に、その小さな一欠片を入れる。
…ぅほーっ!
…「シャリッ」
…ん~ん…!
言葉にならない最大の称賛!
ス•テ•キ…な味!
ドライストロベリーがシャリッと食感を楽しませてくれます。

半分、頑張って半分で止めました。
だって…
次の日に一日中ずーっとトイレが近くなるから!
はい…糖尿病だとそうなるらしいです。
今日も朝から…(^^)
それでもリッターチョコレートとの出会いは、僕には新鮮で離れられないモノになりそうです。
この利用者は僕にエクセルも教えてくれました。
どっちが世話になってんだか、もう!
あ…僕のことでした


山口 淳より
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利用者さんの発熱外来通院付き添いと、それまでの大変だった経緯について

昨日、利用者の通院付き添いをしてきました。
日曜日の朝から発熱を確認、様子観察をしていました。
37℃を境にいったりきたり…早々に月曜日はお休みの連絡を入れました。

昨日は僕の通院日でもあり午前中に病院に。
診察が終わった後にホームに連絡を入れると、37℃台をキープしているとのこと。
その後に石神井公園で人に会う約束をごめんなさいをして、急いでホームに向かいました。

着いたら直近で測ったのは38.6℃。
東京都の発熱相談センターに相談の連絡。
その辺りを、今朝法人全体にアップしたメールをコピー&ペーストで書き記します。
読んでくださっている皆さまの少しでもお役に立てればと思います。


関係者各位

おはようございます。
昨日、通院をしてきました。
長くなりますが今後、管理者、ホーム長の判断の参考になればと報告をいたします。

本人
喉が赤い、手で首回りをさわると腫れを確認できることから何かしらの菌に侵されていると確認する
薬を処方(抗生物質と痛み止め)、服用して診察日から数えて72時間様子観察
その間、少なくとも朝晩の2回は検温を実施
薬を服用しながら経過観察時間を過ぎても熱が下がらない場合は、同病院に電話連絡
PCR検査ができるように準備をしておく

病院側
発熱外来は、通常の診察時間を避けて行なっている
発熱外来で通院してこられる方には、分単位で来院していただく(待合室で重ならないよう配慮)
PCR検査を実施するには、大きい病院と違い別の入り口、別の廊下、別室を設けることができない
外に検査用のテントを設置しようとしたが、近隣の大反対にあい別の場所に作ってある

インフルエンザ検査について
インフルエンザの検査中にクシャミをされた場合、もしコロナだったらと仮定をする必要性があり室内全部の消毒殺菌洗浄が必要となるので通常の診察室では実施をしていない
目安としては、インフルエンザは咳から、コロナは熱から、との判断をすることを参考に

現在までの経過について
主にPCR検査は、大きな病院でないと実施していません。
昨日通院した病院に辿り着くまでに、最初の発熱相談センターに連絡を入れてから実に2時間半以上かかっています。
発熱相談センターから教えてもらった病院が全て、受け入れを実施している訳でもないようです。
初めに連絡を入れた病院からは、断られました。
対象者が障害者だったからなのか、理由は一切言わなかったです。
その病院から大きな町田市民病院を紹介されたのですが、皆さんご存知の通り町のお医者さんからの紹介状がなければ診察してもらうことができません。
俗に言う『たらい回し』でした。
町田市民病院からは、困っているならと保健所に相談をすることを勧められた位で紹介状のない人の受け入れ拒否は変わることはありませんでした。
町田の保健所に電話をしても、全く役に立ちませんでした。
発熱相談センター以外で受け入れてくれそうな病院を紹介してくれるだけでした。
結局は自分の判断で、発熱相談センターから教えていただいたもう一つの病院に連絡を入れ運良く快く受け入れてくれて昨日の診察に繋がっています。

個人的な感想
これだけ世の中がコロナ、コロナと騒いでいる割にはシステムがシッカリ出来ていないことに驚かされます。
昨日は私は公休日でしたので、皆さんご存知のスーパー日勤者が元々勤務でホームに居て2人体制が自然とできました。
○○さんは、この道20年のベテランです。
お互いに言わなくとも、○○さんの動きを見落とさない支援が出来ます。
出てこない時には、何かしら理由を考えて訪室し検温を実施しました。
初めてのことなので何事も常に2人で相談しながら進め、役割分担をしながら対応しました。
そんな中、夜勤者からまさかの当日欠勤の連絡もあり夜勤者の手配もありました。
そのうち他の利用者も帰ってきます。
○○さんも洗面所で手洗いや歯磨きもします。その都度、他の利用者の使用を止めて消毒殺菌を実施します。
全ての利用者の動きを、いつもとは違った視点で見ることはかなりの困難でした。
ちなみに○○さんの部屋は1階で、職員室から本人の動きは見て取れます。
こんな状況の中、2人でやってもまだ足りない状態でした。
急遽お願いした夜勤者は、20時からの入りでした。
私が通院付き添いや薬局に行っている間は、○○さん本人が居ない中を○○さんが一人で支援をしています。


これが障害者福祉施設グループホームで、今起きている現実です。
一般家庭と、何ら変わりがないと思われます。
先ずは、関わる皆さんの健康と平常心と愛を…。


山口 淳より

2020年11月17日

ちょっと一服… 今年の夏に分かったこと3

今日で担当を代えてもらおうと思っていた
神経内科のドクターが、
僕寄りの考え方を言ってきたり、
期待していた言葉や表現をしてきたり…
結局、チェンジ!は言わないできた

胸腺摘出手術は
全く考えていないと
断言してきた
僕の意見は全く言ってない
やるならもっと早い時期だったよな?と

今回の心臓の検査結果を見て
先生はどう思った?
飾り言葉は要らないから、
『よく生きてんなぁ…コイツ』と思った?
と聞くと、
『今まで何もなく生きてこられて、ラッキーだったとしか言いようがない』
と素直に言ってくれた
これで全てを許す気になった

たださ、
これからの事を考えたら…ねぇ!とも

そこは〇先生と相談するわと言って、
それ以上の意見は求めなかった


『突然死した人の原因』を探ると、
僕のような心臓の奇形が見られたという
本来過去形のことが、
今回のCT検査で
現在進行形で判ってしまった、というのが一番良い表現のよう

それも
2つの奇形が
僕一人の心臓に…

だからもちろんのこと、
治療方法もなく、
薬もなく、
突然死が起きる時期が遅ければよい、
としか言いようがない
運任せという、医療では
有り得ない状態が、今…

日照り続きの雨乞いみたいな感じ?
違うかー!

恐らく、
とんでもないババを引いてしまった
ということなのだと思われる


今日は、
心電図と超音波の検査を受けてきた

今更…
とは思ったが、
心臓に妙な負担をかけない事も必要かと、
気持ちを入れ替えて受けてきた

結果が3日、〇先生からある

どうりで、
この間のCT検査の結果を知らされる時には、
インターンが一人も居なかった訳だ…
前は6人も居たのに…
後からその理由が分かった


今日は、
ぶつけた僕の感情の原因が、
多分そうなのかな?から、
やっぱりそうなんだね!に
変わった日だった

僕の、
前兆なしの
爆弾を抱えた
心臓…

可愛くも思えたり、
こんな心臓要らねー!とも思えたり、
なんで俺ばっかりさ…
難病抱えて頑張って生きてんのに
副作用での病気が次々ととか言われたり、
心臓の奇形でいつ死ぬか判らない…
と言われなきゃいけないのよ…

死ぬ死ぬってさ…
と思わせてくれている僕の
心臓


余程メンタルが強くなきゃ、
生きていけない(笑)

そんなに強い訳ないジャンかよ…

人には…
他の人には最もらしい事を言うけど
自分の事となると…

そんな無理させないでよ…
神様…

という感じだった


山口 淳より

ちょっと一服… 今年の夏に分かったこと2

色んなことがあり過ぎて
忘れていたことがある

第4頸椎と第5頸椎の間に
突出している軟骨があり、
髄膜を押している

一番最近では、
5年前に全身に電流が走り
動けなくなっている

二十歳位からあった
これが悪さをすれば…
神経に障るようになれば…
動けなくなる

これも
爆弾!
と言われていたのを思い出した


重症筋無力症
右冠動脈起始異常
心筋ブリッジ
第4第5頸椎間の軟骨突出
ステロイド性糖尿病
骨粗鬆症
ここまでは確実に
逃げられない事が
判っている


ネットで調べて判ったこと…
いや正確には
判ってはいない
書いてあったことである

冠動脈起始異常とは
運動中に突然死を起こす心疾患として,
肥大型心筋症と冠動脈の
先天的異常(冠動脈起始異常など) がある

冠動脈起始異常はまれであるが,
運動時の突然死の原因としては大切である。
冠動脈起始異常の典型は、
左右の冠動脈の片方が
大動脈以外(通常は肺動 脈)から起始する疾患である。
左冠動脈肺動脈起始症(Brand-White-Garland症候群の名前でも知られている)がよく知られている。
この疾患では、
大動脈から右冠動脈へと流入した酸素飽和度の高い血流は,
左冠動脈を通じて肺動脈へ流出してしまう。

左冠動脈の支配領域(酸素をもらうべき心筋)には, 酸素が使われてしまった右冠動脈の流れが通り過ぎるだけになるため,この領域の心筋は慢性の酸素不足となり,心筋梗塞になる。



突然死とは、
それまで健康的に日常生活を送っていた人が、急速な経過で死に至ることを指す。

不整脈など心臓に生じた異常や、
脳血管疾患などが原因となり
起こることがある。

原因
突然死は成人の場合、
心筋梗塞や不整脈といった
心臓に生じた異常を原因として
発症することが多い。

ふぅ~ん…


山口 淳より

ちょっと一服… 今年の夏に分かったこと1

いつ頃からだったろうか…
血圧が200を超え、
上が255
下が150の時点で
ドクターに相談をした

ステントを入れて検査するには入院…
無理!
造影剤を入れてCT検査を受けることになる

その検査日は
僕の誕生日…

別に意識していた訳ではないのだが、
その日くらいしか
休みが取れなかった

とんだ誕生日となった


心臓CT検査結果
造影剤を入れてCT検査を受けた結果、

右冠動脈起始異常
心筋ブリッジ

の2つが判明
双方とも
先天性のモノらしいが、
稀らしい

特に右冠動脈起始異常は、
突然死がついて回る

心筋ブリッジは、
心臓の筋肉に血管が通っていて
心臓がバクバクなると
血管も揺さぶられる事になる

バクバクが早くなれば、
自ずと危険な状態になる

顔色が急変したり、
いかにも体調がおかしいとなったら
悩むよりも
救急車を呼ぶようにと
息子が言われていた



こんなのさ…
CT検査なんかしたから判った事であって、
知らなくてよかったんじゃない?
と思った

余計なことをしやがって!


24日、超音波検査と心電図検査を受ける予定
25日、自分のドクターへ報告

25日の朝から
天敵のステロイドを排除し、
服用しない予定である事を
循環器内科の医者に伝える

それは
死に極端に近づくから
止めてほしいと言われた

じゃあ、どうせいと言うんじゃ!


山口 淳より

2020年11月07日

病気の記録と記憶5 難病(重症筋無力症)

暫くして、こんな個室があるんだ…同じ病棟内の一室に招き入れられた
そこには2つのイスと点滴棒に生理食塩水 その先には別の薬と思われる液体の入った注射器 それとビデオカメラ
必要最低最大のものが用意されていた
『撮影を開始します これから点滴をします 中は普通の点滴の液体です そこにテンシロン液を投入します その経過を撮影させていただきますのでよろしくお願いします それでは撮影を始めたいと思います…隣の看護師と何か喋ってください…』
一番苦手なパターン…
他愛ない話?え、なに?こういう時って何を話せばいいの?ご出身は?焼津?ご両親は元気?
『もう少し長く話をしてもらっていいですか?』
喋りにくいから短い言葉になっていたが、それでは意味がないという事である
質問はダメか…なら自分のことを…喋りにくいからアゴを上げてゆっくりと聞き取りやすいように気を遣って…
『ほふわ、ふまあたをふゅっひんへ…』
テロップ…[ぼくは、山形の出身で…]
『1cc投入します』
すると、針の刺してある腕の箇所から首の方へ熱いモノが急速に…
『ほふわ、ふまあたをふゅっひんへ…ふほーツが大好きで…あ、あれ?あ、熱い、熱くなってきた!あ!喋れてる!喋れるよ、先生!先生!薬あんジャン!治す薬!あるじゃないですか!やったー!何言ってたのよ先生!』
変化は一瞬だった
1ccずつ、もう2回続けられた
僕の意見は一つも受け入れられていなかった
『検査結果は陽性、平成15年2月20日 撮影を終了します』
自分の感情とは真逆の冷静な態度と、淡々とビデオカメラに話すドクターを僕は不思議そうに眺めていた
『…先生?…なして?』
『テンシロン液に反応の確認が出来たという事は残念ながら私が以前から仮定してきた病気に間違いないという事です』
『で、でもさ…今こうして治ったよね?治るじゃない…違うの?なに?わかんない!』
『今のテンシロン液は根本的に治す薬ではなく、言わば臭いモノに蓋をする薬で15分程で元に戻ってしまいます それと本来は先に話しておかなければならない事だったのですが、テンシロン液の副作用はかなりキツイです 強烈な腹痛や頭痛に悩まされます 我慢出来ずに屋上から飛び降りてしまった患者さんも、過去には何人かいらした程です 心配なのでこれから24時間、看護師を交代で必ず1人は付きっ切りにさせていただきます』
まだ自分の身に副作用が起きていないから…と自分に理由をつけて安心を探していた
もしかしたら…
俺だけ副作用になんか…
既にポコポコ鳴り出しているお腹を、走った後の炭酸ジュースのせいと思い込み否定し続けた
しかしそれも生理現象には勝てずトイレへと駆け込んだ
普段なら出せばスッキリするはずなのに、まだ痛い
もう少し踏ん張って…も、出ない
出ないのに痛い…どうしよう…頭も痛くなってくる
『大丈夫ですか?』
ドアの直ぐ裏から声が聞こえた さっきの看護師…
まだ1年目の若い看護師さんの声に恥ずかしさと焦りで、大丈夫だから
『アッチ行ってていいよ』と精一杯の平静を装い答える
『でも側から離れないよう言わてますので…すみません…』と申し訳なさそうに声をかけてくれていた
その時は正直、なんでい!ウザって~なぁ…としか思わなかった
トイレの便座ってそうそう長くは座っていられないもので少ししてトイレの個室から出た
『良かったですぅ無事で!』
何をもって無事だとか言ってるのか分からなかったが何故か…ハイと答えていた

それから翌日の夕方まで頭痛が続き、ほとんど眠れなかった
ウトウトとはしても今度はお腹が痛くてトイレに駆け込むの繰り返しだった
当然、何も出ない
飛び降りたくなる気持ち…それがよく分かった そのぐらいの痛みである
これまでに経験した事のない排泄の欲求の痛さだった
これで病気を受け入れざるを得ない状況となった
逃げ道はなくなった



病院の敷地内にある難病研究センターへ出向き訳を話してありったけの資料をコピーしていただいた
ありったけの…全部で4枚…少ね…
その紙を持ち人が多い外来のイスへ座り読んでみた 直ぐに読み終えた 幾らも書いてないのである それでも涙が込み上げてきた 僕には残酷な事ばかりが並んでいた
咄嗟に病室に戻り珍しくカーテンを閉めながら
『覗かないでよ~』と明るく伝えた
相当久し振りで泣いた 本気で泣いた この世の終わりかと思い泣いた泣いた泣いた…
泣くの…嫌だな
人混みの中じゃそうそう泣けないから…
そんな思いから外来のイスを選んだのだがタイムラグを作っただけにすぎなかった

病気を受け入れても、何か治す方法があるんじゃないか?ずっと考えていた それは退院してからもずっと続いた
サッカーチームの子供達の親御さんで、製薬会社に勤めている方が3人いらしたので情報をいただきたいとお願いをした
人伝で東大病院にも行った
その結果、医療の世界でも、製薬業界でも、見放された病気なのだと痛感した
医療の世界では興味がなくなった病気
製薬業界では少ない患者に対して研究するメリットがない病気
どこでも研究開発をしていない病気なのだと知る
その事実を知るために右往左往してジタバタしていたのか…わざわざ確認する為に…自分の病気を呪った

退院した次の日は土曜日で子供達と一緒にボールを追いかけて走った
事実を忘れたかったのだと思う


山口 淳より

病気の記録と記憶4 難病(重症筋無力症)

一瞬でナースステーションの中が、凍りついた
『ふぇふっしほふっふぇすっと!はって!』
テロップを入れるとしたら…
『テンシロンテスト!やって!』
その前のは『喋れない!』
入院時に言われていた検査の事である

奥から当直のドクターが出てきて
『色んな検査からMGに間違いないって結果は出てますから…』と検査をやりたがらなかった
咄嗟に履いていたスリッパを手に取り、ナースステーションのカウンターをパーン!と叩きつけていた
この騒ぎに病棟内の動ける患者さんが集まってきて、後から警備員も来てしまった
手で書く真似をすると、勘のいい看護師さんが紙とボールペンを差し出してくれた
『症状が出たら居るドクターに話をすれば何時でもテンシロンテストが出来るようにしておきますと言われている!これをやらないと自分はMGだなんて受け入れられない!今直ぐやって!』
書き終わるか書き終わらないうちに
『この検査はやった後が大変で…』
2発目のスリッパ…スリッパ…探して見つけて拾い上げて2発目のスリッパが出た
その時に隣の病室に入院していてタバコ仲間、途中から小指が極端に短い…はい、その筋の方が言葉を発してくれた
『やってやれよ~』
その一言で周りに居た沢山の患者さんが
『やってあげて~!』
『先生お願い!』
と声をあげてくれた
朝の洗面所や談話室で挨拶をしていたこともあり、皆んなが後押しをしてくれた 素直にありがたかった 嬉しかった

それでもそのドクターは首を縦に振らなかった
後にこのドクターが大学病院を辞める時に、僕のテンシロンテスト時のビデオを勝手に持ち出しをしてオマケに紛失させていた事を伝えられ担当のドクターと病院側から謝罪をされた
当直のドクターが頑なに嫌がっていたのに検査が出来た理由は?
顔を真っ赤にして激怒していた師長が、恩人であるドクターへ連絡を取って帰宅途中だったのを引き返してくれたからである
『私が責任を持って検査をします 準備しますので少しお待ちください』
ウルトラマン!仮面ライダー!アンパンマン!の登場だった
『おおー!』
患者さん達から歓声と拍手が起こった
僕は筋モンのジイさんをはじめ、皆んなに頭を目一杯下げた 何を言っても言葉にならないので態度で感謝の気持ちを伝えた


山口 淳より

病気の記録と記憶3 難病(重症筋無力症)

生まれて初めての入院は、多種多様の検査を受けまくったが…
筋電図検査
これが一番辛かった
アチコチの筋肉に注射針とは比べ物にならない太さの針を刺し、筋肉疲労の変化を調べる 考えられない場所にまで針を刺す
手足の甲 向こう脛 手足の指…筋肉のある場所ならドコでも刺す
それらを付けられたままベッドに寝かされる
柔道でもやってそうな3人から各部分ごとに押さえ付けられる
右腕、左腕、右足、左足、上半身、下半身…
それを有りったけの力で決まった時間の間中、反発をする
その作業を記憶では3回繰り返し続けた

終わって病室へ戻る時には疲れ果てていた
手当てをしてもらったはずの箇所からの出血で血まみれだった事にすら気付かずに歩いていた
病院の中で手からも足からも出血をして歩いている患者なんて僕くらい?
たまたますれ違った採血担当のおばちゃんから声をかけてもらい手当てをしてもらった
その時もその後に症状は出なかった
出ていたのかもしれないが自分の中で否定していたのかもしれない

どんなに辛く痛い検査を受けても、難病が自分の病気だと受け入れる事は出来なかった
入院時に、症状が出たら行う検査の説明を受けていたが21時就寝で6時起床の健康的な入院生活では症状は出にくかった
出ていても強いものではなく無理に何かをしなければいけない環境は病院の中にはなかった
この検査が、本人が自覚するのに一番良い検査だと言われていたので作戦を練る
私服に着替え広大な敷地を出て、山肌が剥き出しの人が来ない看護師寮の近くの坂道で朝から何度も走り込んだ

昼御飯の時間になっても症状は出ない
小さい時から健康そのもので、スポーツならなんでも出来た
サッカー バスケ 野球 バレーボール バドミントン 水泳 短距離 駅伝 スキー アイスホッケー体は小さかったが、絶対に負けない気持ちは人一倍強かった
自然と体力もつき…これが良くも悪くも病気の症状を隠してしまうのである
出来ないはずの事も出来ちゃう
でも最近ではある時を境に、突然一気にエンプティになってしまう
症状が出ないことで気落ちしながら病室へ戻る途中ナースステーションの前で、
ドコへ行ってたんですかぁー!と師長が真っ赤になって吠えていた
館内放送で病室に戻るよう何度も繰り返したことを言われた
笑顔で、しーましぇーん!と答えながら午後の作戦を考えていた

結局午後も同じ場所でダッシュの走り込みを続けたが、夕食の時間を過ぎても症状は出なかった
2月の夜は早く、辺りはすでに真っ暗だった
それは自分の居る場所だけでなく、自分の心の中も同様であった
同じ病室の方は皆さん良い人ばかりで、暗い顔のまま帰りたくはなかった
努めて明るく笑顔で戻ると、再び師長が顔を更に真っ赤にして大激怒!
一日中館内一斉放送されて、僕の名前を知らない人はいないだろうと同部屋の皆さんから大笑いされた
心が救われた気持ちだった

食事が済み、明日はどうしようか…そんな時!水の飲みにくさと呂律が回らない自分に気が付いた
舌が存在感を訴えかけてきた
慌ててナースステーションへと走り叫んだ
『はへえない!!!』


山口 淳より

病気の記録と記憶2 難病(重症筋無力症)

重症筋無力症(Myasthenia Gravis;MG)

昭和47年に日本で指定された難病の1つで、未だ解明も完治完快にも至っていない
これだけ多くのスポーツ選手や芸能人がいても例を上げられるのは、今は亡き『萬屋錦之介さん』しかいない

僕がこの病気だと判ったのは約20年前 当時は10万人に1人の発症数であった
30代後半に差し掛かった頃で、息子が小学校1年生
取り敢えずの治療としては、胸を開き 胸骨を外し 胸腺と呼ばれる部分を摘出する事
外科的には大した手術ではないらしいが、患者は社会復帰まで上手くいって最低で1年
手術をしたからといって必ずしも良くなるとは限らなかった
それだけでなく、術後意識が戻らなくなる確率も高かった

要は手術は
良くなるかもしれない、
その後の薬を減らせるかもしれない
その可能性の為のギャンブルだった

それでも当時は手術を受けることがセオリーだった
素直に手術を受けなければとの思いで女房に話をした
ローンはどうするの?の一言で、手術という治療の選択肢は消滅した
ローンを組んで買ったマンションは、まだ3年しか経っていなかった
ぶっ倒れるまでやってやるか!ぶっ倒れたら…その時が僕の人生のおしまいだな
でもその時にはローンは生命保険がおりるから支払いは済むことになっていた

入院時の担当ドクターへ、理由は話さずに手術を受けない選択を告げる
じゃあ病気と闘わないんですね?いつ退院しますか?と言われた
男の若いMG患者は割合が少ない
大学病院としては手術を行い経過観察するにはオイシイ患者であったらしい

この病気と診断されるまで別の大きな病院にも通った
結局は判らず、実に2年近くの歳月を要した
最後は口腔外科のドクターから紹介された精神科のドアを2週間悩んだ末に自ら叩いた

あなたは世の中から必要とされていないと思いますか?
あなたは家族から大切にされていないと思いますか?
あなたは自分が…
どんな質問にも自分が変なヤツだと思われたくないから消しゴムを借りて何度も書き直す
そろそろいいですか?と提出を急かされ納得しないまま渡すこととなる
提出をしてからも質問を思い出し悩み、、悔やむ
でもドクターはそんなものは全く見てなかった
その精神科のドクターから
『前に通っていた大学病院へ戻ってみませんか?』
の言葉で道が開けた
直ぐに病院の公衆電話から連絡をすると
『出ちゃいましたか…』の言葉と検査入院を勧められた
この人こそが命の恩人で、以前外来で診ていただいたドクター

入院時の担当ドクターからの話を告げこれからの事を相談すると、そんな事を言われたんですか…と
自分が検査入院が終わるまでもその後も責任を持って診ますと言ってくれた


山口 淳より

病気の記録と記憶1 難病(重症筋無力症)

当たり前である事が、当たり前でなくなる恐怖を『パニック』と呼ぶのではなかろうか

吸って~吐いて~と意識しないと呼吸出来ない 自活呼吸が出来ない
気がついたら呼吸をしていなくて息苦しい
睡眠に入ると呼吸への意識が薄れ苦しくて我に返り眠れない

飴を舐めていて舌が筋肉痛になる
舌がほとんど動かず、口の中の食べ物の同じ所だけを噛んでいる
犬のように顔を上下左右に動かして重力で落としながら食べる
だから食事に一時間もかかってしまう
お腹が減っていると無理に早く食べようとして舌を無理やり動かす
舌の動きと噛む動きが合わず舌を思いっきり噛んでしまい口の中が血だらけになる
何を食べても結局は口の中の痛みと血の味になる
一度噛むとまた同じ場所を噛んでしまう
結局口の中の傷はいつまで経っても治らない お腹は年中減っている状態

唾を飲み込めなくなる違和感で口の中の唾をティッシュで拭い取る
せっかく噛んで飲んだモノが今度は喉で止まり飲み込む事も吐き出す事も出来ない
嚥下が上手くできなくなる
ベランダでジャンプをしたりトイレで吐く努力もした
食事は常に、戦いとなる…本当は何より楽しいはずなのに

モノが2つに見え、尚且つ段差がついてしまう
階段の踏み面が菱形に見える
どこをどのくらいの感覚で足を置いたらいいのか判らない
目の動きも追いつかず、視力は秒単位で変化する

洗濯物を干していて腕が重くなり上がらなくなる
洗髪していて腕が重くなり上げていられなくなる だから今の坊主頭が楽である
字を書いていて次第に乱れてくる せっかくの書道三段も役立たず

呂律が回らなくなる
瞼が下がってくる
頭が重くなり顎を上げていられなくなり顎が胸についてしまう
歩いていて腰に力が入らなくなり道端でも座れる場所に力無くストンと落ちてしまう
斜視のようになってしまう
等々…等々…

説明するなら、スマホのバッテリーと似ているかな
朝起きた時には充電されたバッテリーは元気いっぱい
但し今の僕は100%になることはなく、最高でも70%が限界かそれ以下
日中使えばバッテリーは減る
使い過ぎると動かなくなる
僕のバッテリーは午後になると怪しくなる
怪しくなる前にコンビニ弁当を二つくらい食べていた
夕飯を極端に食べられなくなっての反動と恐怖からだった


山口 淳より
プロフィール
愛飢男(山口 淳•フランクリン)ブログさんの画像
愛飢男(山口 淳•フランクリン)ブログ
僕の波瀾万丈な人生を綴ることで、誰かの何かの役に立てたらこんなに嬉しいことはないです 人に歴史あり…同じであるはずはないけど少しでも誰かの気が楽になるのなら…こんなことを考えています
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