2020年12月08日

システム手帳から

僕のブログは、幾つかのジャンルに分けてアップをしています。
その中でも難病に関する大元は、数年前に携帯からクラウドにアップしたものを引っ張ってきています。
だから大元には『昨年の○月…』『昨日は…』なんてアップされています。
それを打ち直してアップするのですが…アップした後に読むと、アレ?あれあれ?みたいなところもあり…m(__)mごめんなさい、読みにくいところも多々あるかと思います。
内容がダブっていることも…許してください…

クラウドにアップする時の携帯には、当時使用していたシステム手帳の情報を入れました。

システム手帳…こだわりがありました。(笑)
何年も使えるモノという意識があったのと、今のように携帯電話がこんなにも便利に使える時代がくるなんて全く予想もしていなかったので高くても自分が使いやすくテンションが上がるモノを選んでいました。中身を変えられますしね。
そうそう買い替えるモノでもないのですが、7年ほど前に今あるシステム手帳に何年か振りに買い替えました。

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このシステム手帳は、この業界に初めて入った法人の時に購入をしており、その後の相次ぐ転職にも付き合ってくれています。
言わば、僕の気持ちの記録にもなってくれています。

中身が溜まると保存用の軽くて安いプラスティック製の表紙に移します。
住所録などは書き直す必要もなく、そのまま残しておきます。
"入院時の日記"…なーんて、とても呼べないようなちょっとした記録を殴り書きしたのもシステム手帳に書き留めていました。
それと都度気になったことを一言や単語だけでも書いておくと、書いた時期から内容が想像がつきます。
その時の感情が一瞬でよみがえり怒ってみたり、気持ちがゆるんだり、恥ずかしくなったり様々です。

そんな中でも病気のことは、時々で変化が多く…変化とは僕の気持ちもそうですが、医療の変化もあり環境の変化もありで、時系列を整理することが可能です。
成長する息子との関係性は自分ではそれほど意識せず過ごしていましたが、システム手帳を見て思い出すと無茶ぶりが伺えます。

中学生になる春休み、一人息子にある宣言をします。
今日から大人扱いをする
好きなように行動していい
何かあれば相談するように
大人には秘密があるもの
全てを話する必要はない
ヘマをしたら自分で頑張ってみる
頑張ってもダメな時はお父さんが代わる
中途半端に行動をしない
『今』が人生で一番早い瞬間
いつでも始めた時が自分の人生で一番最初の時
反省はしても後悔はするな
これで…いいのか?本当にこれでいいのか~?
タバコも酒も興味があるならリスクを考えて自己責任で。
そこに正義があるのならケンカも必要。
幸か不幸か、息子に反抗期と呼べる時期はなかったです。
悔しくて泣いている息子はたまに見ました。余計な詮索はしませんでした。
そんなことも昨日のことのように思い出せるシステム手帳は素晴らしいです。

えっ?何なに?…今?今ですか?…システム手帳はどうしてるかって?
キレイなオレンジ色なので部屋のオブジェに…
だーって~!
今の法人に入る時に面接で「携帯の機能を使うとシステム手帳要らずで身軽になりますよ~」とは今の若い上司の言葉。
あのさ…痛いところを突いてくるな…
悔しいジャンさ!誰かに出来ることは自分にも出来るはず!
どんな時も肌身離さず持ち歩いたシステム手帳をエイヤッ!で家に置いて出勤する…
パンツを穿き忘れた気分…パンツを穿き忘れたことなんかないけど…違和感しかない…
携帯が壊れたら…クラウドにアップしておけばいいんでしょ…
やるよ…ぅう~ん気持ち悪いよー!
愛すべき息子にも言われる、クラウドは便利だよ…
システム手帳を捨てて携帯に頼ることが正解かどうかは別として、僕はシステム手帳を持ち歩かなくなりました。
その代わりに仕事用のカバンの中にiPad mini が居座っています。
コレまた便利なのよ~奥さん!使ってごらんあそばせ~!
罰ゲームのような携帯の小さな画面からの解放…ステキ!
このまま、モシモシ?が出来たら最高!
え?そんな大きいのは恥ずかしい?
皆んなでiPadやタブレットでモシモシしてたら恥ずかしくない!…はず!多分…
その時僕は…もう一つの携帯、ガラケーでモシモシするから大丈夫さー!

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山口 淳より

病気の記録と記憶7(6は…5と同じ内容だった…) 難病(重症筋無力症)

ステロイド
一度は見聞きし、実際に使用している方も多いのではなかろうか
錠剤 液体 塗り薬 形を変え名称も変えては多様に使われている
僕のは1錠で5mg 現実には医療の場面では1mg単位で微調整を必要とする
真ん中に筋があり半分にしたステロイドを2日に1度、大事に服用している方もいらっしゃる
僕は5mgを3錠が合っていた

ステロイド=免疫抑制剤
読んで字の如く、自己免疫力を抑えるのが効能である
故に外部からの感染等には抵抗力が弱くなってしまう
一般的に長期服用の外来で出せる量としては、6錠迄と言われている
年齢や生活状況、その他により多少の増減はあるものの僕はそう教えられた

この上限ギリギリの量を僕は7年間、服用し続けた
強くてよく効く薬ほど副作用が厳しい
数年前に2回目の入院した時の血糖値は、実に500~600であった
一日中、ずーっとこの数値
ステロイド性糖尿病と診断された…いや、診断させた
その時の入院後に意地を張り、血糖値を100弱まで下げた

計算が合わないではないか!とご指摘の声も聞こえてきそうだが、7年経って良くなってステロイド量が減った訳ではない
治験を受けた薬が国から認可され、半分の3錠迄減ったのである
減ったのに糖尿病?
昨年1回目の入院は、精神的にも肉体的にも疲れ果てあらゆる症状が出てしまいガンマグロブリンとかいう点滴治療を受けた
小ぶりな瓶に入っていて1滴テーブルに落ちるただけで表面張力したまま固まるほどに粘着性が高い薬を、点滴5本を連続で合わせながら1日で10時間から12時間、3瓶を3日間かけて落とした
退院後、ステロイドは6錠迄また上げられた
それまでのステロイドの服用と増量した分で3ヶ月後の再入院となった

ガンマグロブリンの副作用もヒドく、掌が水膨れになり破けボロボロになりながら痛みと痒みと一緒に一皮剥けた

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その副作用は退院後1ヶ月が経過した後に出てきた
その時も一騒動あったのだか、又の機会に…
よくよく考えてみれば、治験を受けて服用していた薬があったにも関わらずステロイドは元の6錠に逆戻り
尚更副作用は厳しくなる訳である
治験の薬も免疫抑制剤
抵抗力が極めて低くなっていた

治験は日本全国で50人を募ったが、実際にはその半分の25人しか集まらなかった
その治験では本物と偽物の薬があり、服用後の差を比べられる
誰が本物で誰が偽物かは、ドクターにも知らされない仕組みの中で行われる
僕は…プラセボと呼ばれる偽物があてがわれた
ところが病は気からとはよく言ったもんで、実は中身はウドン粉なのになんか新しい薬が効いているかのような錯覚に陥りステロイドをどんどん減らしついには、症状のオンパレードとなった
本来は入院と言われていたが、生活があるのでと拒否をした
それだけに認可され服用出来るようになった時には大喜びし、今でも思い入れのある薬となっている プログラフという薬である

僕はB型肝炎も潜伏していたらしく、徐々に肝臓の数値も悪くなっていた
現在の僕のドクターが血液の検査結果を元に消化器内科のドクターへ相談したところ、即入院で、このまま帰せるレベルではないと言われ僕の携帯へ入院依頼の連絡がきた
後にこの消化器内科のドクター4人と大喧嘩となるが、これも又いずれ

その頃の僕の生活は、週に1日でも自宅で過ごせたらマシな方
そのほとんどは、仕事先であるグループホームで生活をしていた
知的・精神に障がいを持った人達の生活を支える職員、これが僕の仕事
正直、仕事と思った事は余りなく、人付き合いと思っている
僕の担当するホームには、軽い障がいの方ばかりが住んでいた
軽いからこそ何をするか判断がつかない、突発性もあり行動が派手である
執行猶予つきの方も住んでいた
安心・安定した生活を送るにはどうしたらいい?利用者に尋ねる
出た答えは、僕が一緒に生活をする事だった
OK~!


山口 淳より

PCR検査 利用者さんが受けました

先週の日曜日に発熱者があり発熱外来を受けたけど、検査は一切なし。
昨日の朝6時過ぎに夜勤者からメールと電話。
別の利用者が37.4℃…。
だから~…なんかこんなのを予想できてたっていうか、心配してた通りになったジャンよー!ぅて感じでいっぱい…朝からもう!

別の利用者はお母さま付き添いで歯医者に行くって言ってたなぁ…
もう仕事してる利用者も…
あー出かけちゃっただろうなぁって利用者も…
思い付く度に通勤途中の車を停めて、電話をしながらホームに向かいました

発熱の利用者は、僕よりも一回り大きくガッチリしたガテン系。元、料理人。
ノックをすると努めて明るく返事をされ笑顔でドアを開けてくれる方です。
それが昨日は返事のみ。
名前を呼ぶと「開いてるよー」と。
開けるよ~!失礼しまーす。…あら、珍しく布団に包まってる。初めて見る光景だし。
体調を聞きながら検温。体温計を口にくわえようとするのを、違う違う脇だよ脇なんて言いながら対応。
「大丈夫だよ」「うん、フツー」
明らかに目付きも顔の強ばりもいつもとは違っている。
そっか、うんうん、わかった、飲み物…あるね、どーするか考えるから横になってようか。眠れるようなら…なんて声かけをしました。

この間お世話になった病院に連絡…電話に出た人はこの間の人とは違うおばちゃん…話を被せてきて喋りにくい印象。ちゃんと最後まで喋れないって凄く嫌な気分…特にこんな時には。イヤ~な予感…。
14:30から発熱外来の予約を入れてもらったよーと伝えに行くも…返事なし。少しだけ開けて見ると、さっきの状態のままグーグー寝てる。いやぁ珍しい!相当良くないんだなが判る瞬間。

さて、他の人たちはどうすんべ?
歯医者通院は止めてもらったし…一人でもホーム内の人数を減らそう!お母さまに実家帰省のご相談。快くお受けいただく。
仕事に行っちゃった利用者の勤務先の所長や日中活動先の担当の方に連絡。今日は帰らせていただくことにする。
皆さんから言われたのは、「連絡をもらって良かった!」だった。
そうだよな。
オイラも初めてのことで基準が判らないし手探り。そんな時に言われた一言は嬉しかった。
スーパー日勤者から「日中活動をやってた時だったら、どうしてほしかったか」と言われたのを思い出しての行動だった。さすがだわ!

アレコレ、アチコチ連絡をしていて気がついたことがある。夜勤者が別のホームも兼任しているんだった!
僕のホームだけの問題じゃないから法人判断が必要と全体メールを打ち、送る。
…トンチンカンな返事…何コレ?
僕が、さもクレームを言ってるかのような回答。
使えない…
こんなやり取りをやってる場合じゃないんだよ!ホント現場を知らない…人って、死ぬんだよ!放っておこ…
夜勤者には、自分で判断しなくていいようにしておくからさ、夕方までには明日のことをどうするかメールするから安心してて、と伝えてあがっていただいた
もう一つの勤務先の管理者と電話で相談…話が早い!終了。

その間にも仕事場から帰ってくる利用者のお迎え、事情説明…簡単ではない(笑)が実施せねば理解を得られない。ごめんねを繰り返しながら説明。落ち着くや否や新たな不安の相談…これらは手を抜けない。今後の信頼関係につながるから丁寧に。と言っている間にも事務所の電話が鳴り携帯が鳴る。相手先を見てスルーして利用者対応。これが僕の仕事。

時計を見て、あらビックリ!もうお昼。昼飯、どうしよっかな…もちろん僕のではなく買いに行けない利用者さんのことー。

こんな状態でも、一つ前の法人の時よりもずっと楽。10分の1でしかない。前は分単位で動いていたからまだまだ余裕がある。
とは言え、通院の間は職員は留守になる今日…参ったなぁ…
こんな時に気が利く本部なら、誰か来るんだけど。そんな淡い期待も叶うわけもなく。
そーんな時に!スーパー日勤者からメール。
「もう家に帰ってきたから、これからなら行けます。管理者の許可がないとホームには入れないので…」
もう~~~つーと言えばプーなんだから~!
お願いします!

発熱外来、今回はなぜか検査をしましょうとなった。
PCR検査。
3階の非常口から階下の屋根になる場所にテントを建てて、ドクターと看護師一人が完全防護服で対応…TVで見た風景。
インフルエンザの検査と同じで鼻の奥に突っ込む。…い、痛そう…こっちの目が細くなってしまう…
「15分位待っててください」へっ?先生、もう結果が出るんですか?「ハイ」と。だったら、この間の時もやってくれたらよかったのに~!
まぁまぁ…有料駐車場に停めた車の中で待つ。
…電話!………陰性でした。
ドクターの判断でインフルエンザの検査もやってくれて両方ともに陰性でした。
全身の力が抜けて屁が出そうになりました。でも、そんなもんです。

本人を車に残して僕だけ病院に戻りドクターから説明、処方箋をもらって支払いを済ませてホームへ。長い一日の戦いが一段落。
後は本人をホームで降ろして…日曜日から入ってきた利用者が絡んできて、今じゃないだろと思いながらも相手して薬局に行って…はぁーっ…お薬手帳を戻してもらうのを忘れた…病院に電話…ホームまで届けてくれるって、なんと優しい~!ホームに来てくれた方はマリア様のように清潔で美しくスタイルもよくソバージュがお似合いの笑顔がステキな女性でした。年齢はそこそこいっていらっしゃるのでしょうが、元々同年代にしか興味のない僕には女神様のように映りました!たまにこんなご褒美も、いいじゃないですか。

午前中に電話連絡をした数だけまた、電話です(笑)でも明るい報告なので皆さんから、良かったですね!と。
結局落ち着いた時間は21時…もう帰ろ…スーパー日勤者にお礼の電話だけしよっと。
電話をしている時に彼女に言われた。
「乾いた咳が出ていますね」
そう言えば…喉が痛いことを一度ホームに戻った時に言おうと思っていたのに、絡んできた利用者対応で忘れてたわ。
嫌な感じのまま帰宅。一晩寝てコレを打っている今も、乾いた咳をしながら…


山口 淳

2020年12月07日

愛って…幸せって…

コレを読んでくださっている皆さんは、
家庭でどのようなお立場なのでしょう?

僕と同じお父さん、お母さん、
おじいちゃん、おばあちゃん、
婚約中、恋愛中、恋の準備中、
色んな理由で今は一人…

それぞれの立場で
生きていらっしゃると思います。


今、幸せですか?


奥さんの結婚式に、
僕は出席をしました。

僕の結婚式に、
奥さんが出席をしてくれています。

僕の目の前で、
前の旦那の子の命を宿し、
日に日にお腹が成長し、
平成元年に無事、
産まれます。

奥さんの実家に、
前の旦那と一緒に
赤ちゃんを見にも行きました。
メッチャ可愛い女の子でした。

実家が僕の高校の母校の裏門近くで、
驚いた記憶があります。


そう…
実家のお父さんもお母さんも弟さんも、
なんか見たことあんなぁーって
奥さんの結婚式の時から思っていたのですが
口には出さずにいました。
この辺りもまたの機会に話をしますね!


ヒョンな事から
お互いに離婚をします。

それは、
どんな恋愛ドラマよりも
熱く、
激しく、
険しいものでした。


僕はその子を育てる覚悟をしていましたが…

ある日、
離婚を前提に
実家に戻っていた奥さんの所に
前の旦那と両親が来て
力ずくで子供を奪っていったと
言われました。

気の強い奥さんは、
ただ指をくわえて見ているはずもなく
「私を振り落としてから行けー!」
と大声で叫び
車のボンネットに飛び上がったけど、
実家の人達からなだめられたと
教えられました。


同じ時期の僕の話はまた近いうちに…
僕は今の障害福祉の仕事の、
原点みたいな事があった時代でした。

僕の方は長い長い話になりますので、
あらためてまた…


その子が連れ去られる前から僕は、
二度目の山形を去る予定がありました。

最初に山形を出て
東京で仕事をやっていた時のお客さんから、
一緒に宝石屋さんをやらない?と
声をかけてもらっていました。

東京に居る間にも、この方のご主人様から
自分の会社に来ないか?と
お誘いを受けていました。

結局は僕がこのご夫婦に
不義理を働いて辞めるのですが、
山形脱出は僕らにとっても
大きな節目であったことに
間違いはありませんでした。

一緒に、山形を後にしました。


僕らの子供が授かり、
産まれ、
幸せな日々でした。

その頃には僕は、
土地や建物の登記の仕事をやっていました。
仕事の話…それもまたの機会に…。
それなりに頑張っていましたよ。

息子が小学校に上がって直ぐに、
幼稚園からやっていたサッカーをやります。

地元の小学校のサッカーチームに入り、
僕は興味本位で
グラウンドに見に行ったのがキッカケで
コーチになることを勧められました。

小さい頃からサッカーをやっていたので
嬉しかったのを今でも覚えています。

元々、
子供が好き!
サッカーも好き!
子供のサッカーチームのコーチなんて!

その4年前には
奥さんのナイスタイミングな声かけで
マンションも手に入れることができていたし、
PTAの集まりにも顔を出し
正に怖いもの知らずで
イケイケどんどんの人生!

そんな最中の
難病の告知…でした。


これまでも
幾多の困難を二人で乗り切ってきたんだから…
あやふやな安心は
奥さんの言葉で、
ものの見事に崩れます…

「(難病を抱えての)これからのことを考えると、親から実家に帰ってこいと言われると思って電話をかけたんだけど…そうは言わなかった…」
へぇー、なんて言われたの?
と平静を装って聞くと、
「支えてやんないと!一緒に頑張んないと!って言われた…」
と不服そうに答えた。
最後に、
「こんなはずじゃなかった…」
聞こえるように
ひとりごとを…。


この日を境に、
僕の人生は変わった。

夫婦二人で一緒に居ることが、
こんなに辛いものなのかな?

二人で一緒に居るから尚更、
孤独を感じてしまうなんて…


何とかせねば!


率先して家事を手伝った。
努めて明るく話しかけた。
笑顔を多く振る舞った。
3人でよく出かけた。
思い付くことは、やった。
それは、
病気の症状が出ていても構わずやった。
仕事が忙しかろうが、
サッカーやバスケで
肋骨を折ってもヒビが入っても、
肉離れをおこしても、
なにがあってもやった。
でも…
あれから約20年経った今でも
前のように戻ることはない。


子供が寝た後に
自分からお茶やコーヒーをいれて、
少し話をしない?と言っても
「もう眠いからいい!」
と言われて
準備したモノを捨てることも、
あった。

家族で一緒に暮らしていても、
他人様から見ると
子供と一緒にサッカーやバスケをしに行って
幸せそうと思われ
実際に言葉にされても、
何かが足りない…

そう”愛”が足りない。


愛って…なあに?


夫婦なんてそんなものよ!
乾いた言葉で言われるのも
想定済み。

でも、
イザ!という時、
ここぞ!という時…
タイミングがズレた時の言葉って、
重いと感じる。

なんだかんだ言ったって
今一緒に居るんだから、
いいでしょ!
まだ文句あんの?
私が居なかったら
どうなってたと思ってんのよ!

言われても仕方ないのかな…

僕が原因で
今みたいな貴女になってしまったのなら…

僕が
二人の”愛”を壊して”
幸せ”でなくしてしまったとしたなら…
僕のせいだね…
ごめんなさい。


でもさ、
幸せって…
健康な人にしか与えられないものなの?


全盲で知的の障害を
生まれながらに持った利用者さんから、
僕の作ったご飯が美味しくて幸せ!って
何度も何度も満面の笑みで
言われたこともあった。


幸せって…なあに?


小さい頃から
母親の愛に飢えてきた男は、
この歳になっても
愛に飢えて生きている。


母親の愛も、
家族からの愛も、
受けられない理由は…
僕が原因なのかなぁ…

そんなにそんなに僕は
ダメなヤツなのかなぁ…


歳のせいか、
最近は
涙がよく出る。


愛 飢男こと山口 淳

2020年12月04日

寒い( .. )…坊主頭は特に寒い…

今日は、初めてのフランクリンです!

寒いっすね…

僕の頭は坊主頭です…寒いです…
不良時代に学校の先生から
「坊主にしてこい!」
と怒られても、行って3年返って5年のスーパーリーゼントに3色メッシュを崩さなかった僕です。
それに長ランとハイウエストのバギートップ(笑)
ヤクザ事務所に連れ込まれる訳です。

髪の毛も寂しくなってきたから…それと、洗髪が病気の症状で洗いにくいのです。
で、10年ほど前に坊主頭にしました。
その1ヶ月と11日後にあの東北の大地震でした。
僕の知り合いも女川で民宿をやっていましたが、連絡がつかなくなりました…

明日からは毛糸の帽子を被って行きます(*^^*)
毎年恒例のモモヒキは…もう少し待とうかな!

風邪も、インフルエンザも、何よりコロナも…気をつけましょう!

僕はステロイドを大量に長く飲んでいるので、予防接種は受けられません…( .. )
かかってしまうらしいです。
かかったら…覚悟しなくてはいけない場合も充分に有り得るとドクターに言われています。
コロナのワクチンって、どうなんだろ?
………(><)

ハイハイ!
湿気た話はフランクリンはしません!

おっかしいなぁ…もっと楽しい話をする予定だったのになぁ…何の話だっけ?モモヒキ?いやいや…坊主頭だ!


フランクリンより

仕事場のPCの問題

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この写真の前日の朝、僕の代わりの日勤者からメール…
『PCの画面!どーやったらこうなるんですかぁー!』
?????どーしました?
『ぇえーっ!山口さんじゃないんですかぁー?私はてっきり山口さんからやられたんだと思って、"山口の野郎!やりやかったなぁー!と思ってましたよー!』
思っていることを包み隠さず言ってくれる信用できる方です。
これまでにどれだけ助けてもらったことか。だからこんな会話が成立します。

電話をしました。
いやいや、どういうことですか?
『朝来てPC開けたら画面が逆さまで。(山口から)やられたんだと思って悔しいからそのまま使ったけどカーソルも思い通りに動かすことができずに、いたずらにしてもヒドい!私にはどーにもならん!と思ってメールしましたー!』
僕にはどうしたら画面が逆さまにできるのか分かりません。
僕のPCからリモートで見てみますね。
『今日はもうPC使いませーん!明日来た時に見てみてください』
電話を切りました。
早速見てみると…あれっ?普通だけどなぁ?まぁ、明日見てみよっと。
余り深くは考えませんでした。

翌朝、昨日の電話など忘れていて普段通りにPCを開けると…やりやがったなぁー!でも、誰が?
そう言えばこのまま使ってみたって言ってたなぁとマウスを動かすと僅か2.3秒で超ストレス怒り(ムカッ)
なんだコレ怒り(ムカッ)誰だ怒り(ムカッ)こんなことをしやがったのは怒り(ムカッ)
早速、日勤者に電話。
なに!この画面!
『そーなんですよ~イライラしますよね~』
直しました!調べて直ぐに直しましたが!一体誰が!

去年の11月、そう1年前にも同じような気持ちになったことを思い出しました。
ある夜勤者が勤務に入った明けの朝は、決まってPCの動きが悪く遅く1時間以上かかって直してから仕事に入っていたのを。
もちろん証拠などありませんでしたが。
でもPCのログイン番号を変更して夜勤者には使えないようにしてからは今日まで1年以上、その現象は起きませんでした。
その代わりにこの画面です。

怪しい夜勤者は他にも多々問題がある人だったので話をして、僕のホームからは離れてもらいました。
その最後の勤務の数日前の出来事でした。
今は個人情報漏洩を心配して本部と連絡を取っていますが、今一つ真剣味に欠けます。
以前はホーム玄関の防犯カメラも、気がついたら録画できていなくなったりとロクなことをしないヤツです。
一言…彼はアスペルガーです。
こんな仕事をしているのに、ほとんどの人はそのことに気づかない?判らない?判断できないのです。
アスペルガーに自閉症の支援などできるわけがないことも理解できないのです。
情けない…
何度も説明をしたのに、それでも成長しない人たちに囲まれて障害福祉の仕事をやっている僕です…
だから、この業界は…微妙です…

2020年12月01日

無責任な言葉と温かい人たち3

お母さんはこの子を一時も目を離すことなく、密着した生活になります。
この子にかかりっきりのお母さんを見て、お父さんとの間に断絶が生じてきます。
お父さんは外に目がいき、アルコールやギャンブルに走ってしまいます。
お母さんはうつ病になります。
兄弟がいれば不登校になります。

お父さんとお母さん、兄弟との間の世帯間で境界線があり、お父さんは男、お母さんは女としてバランス良くいられることが本来は大切なのかもしれません。
これを実践されている素晴らしいご家族の何組かと知り合うこともできています。

あるご家庭のお母さんとよく話をしますが、人として、女性として、魅力のある方です。
笑顔がとっても素敵な方です。よく笑います。
言葉も人柄が滲み出ていて、口下手な僕(笑)が話をしていて気分良くさせてくれる雰囲気を持っています。
天使のような…と思ったら看護師さんでした。
立派なお仕事もされています。
このお母さんの素晴らしいと思えるところは、2人の息子さんからも感じることができます。
本人は自分の意見を言えています。お母さんは本人の意思を尊重しています。
本人は、中学の時に先生から受けた精神的な暴力で心が壊れた経験の方です。
でも今は、自分の意見がシッカリ言えています。親御さんの愛情からでしょう。素晴らしい。
お兄さんのことを誰よりも心配をしている弟さんがいます。
お兄さんから、お前はいいよな普通で!と言われても彼は耐えています。
グループホームの見学にもついてこられました。
本人の、お兄さんのことを、心より心配をしているナイスな弟さんで名高い中学校に通われています。
高校3年生の本人と中学3年生のご兄弟です。
ご主人様は何とおっしゃっていますか?僕の質問に明確に回答をされます。
上手くいっているのは、努力も向上心もあってのこととお見受けします。
夫婦間に会話があって笑顔があるのだと思います。
その辺のありきたりの家庭よりも幸せそうに感じます。

なんとなく…
そんな間もなく生きてこられたのでしょう。
一人の人として見ているから、お母さんは意見は言うけど本人の意思に任せる委ねる決定するを実践。
本人の意思でコケたら、また家族で一緒に悩み考えるをするのでしょう。

クリエイト(創造する、あたらしいものを作り上げること)
コレが出来る人を僕は尊敬します。
障害の有無ではなく、クリエイト出来る人はそうそういないものです。
初めてのことをやるには勇気も必要です。変人扱いもされます。
そのキッカケが、障害を持って生まれた子供だった…生育途中で障害を言われたことだとしたら…
夫婦仲が良いのも…家族が幸せなのも…
もしかしたら…です。

お父さんの立場も難しいとお聞きしたことがあります。
会社で、どこどこの高校に受かった、大学が決まった、有名な会社に就職した、昇進した、結婚した、孫が産まれた、孫が…
会社での話についていけなくなります。
本人の兄弟、姉妹でも障害者が家族にいる事実を相手に知らせることで破談になることもすくなくないようです。
本人への風当たりが強くなります。
本人がいるからと、最初から結婚を考えていない兄弟、姉妹もたくさん見てきました。
自分の幸せを…と声かけをしても本人よりも斜に構えている兄弟、姉妹が多いです。
僕が結婚前に難病が判っていたなら…


山口 淳より

無責任な言葉と温かい人たち2

結婚ってほとんどの場合、多くの人たちに祝福をされます。
幸せに向かっての話なので、反対する人はほとんどなく進みます。
僕は一度、離婚を経験しています。
誰一人、味方はいませんでした。親さえも味方ではなく孤独で辛い闘いでした。

僕の離婚の話はさておき…
幸せな結婚生活が始まると、途端に子供の話が出てきます。
既にお腹にいれば、いつ出産なの?と笑顔の話が尽きません。
なかなか出来ないとそれ相当に言われます。これもまた、辛いです。
妊娠のお知らせに、大抵の人たちは祝福をしてくれます。
事情のある人は、このお知らせから連絡がつかなくなることもあります。
それほどに人生において妊娠は、一大事業です。と同時に、子供という存在は実に尊い存在なのだと思います
順調にお腹の中で育つ命…楽しみの何物でもありません。

ある日いつもの検診で、どこかで聞いたことのあるような『染色体のなんちゃらかんちゃら…』と言われた。
出産をして直ぐに、ドクターや看護師が困った表情で何やら相談をしている光景に出会った方も。
または普通に産まれて育つうちに、ウチの子だけが出来ないと気づくことも。
『告知』から始まります。

多くの方々が、これまでの全ての幸せ(肯定)から、ある日突然の告知(否定)と感じるそうです。
『ショック(不条理で押し潰されそうになること)』を受けます。
思い通りに描いていたモノとは相違してしまいます。
何がいけなかったのか、原因探しをします。
ここでお母さんが素直に正直にお父さんに相談ができる人、独りで自分を責めて抱え込む人に分かれます。
自分の何が…と考え始めることで、体調面も精神面も壊れ始めます。

この子供のことを、一人の人として見てあげられたなら、
「ここから、どう、この子の物語(人生)を続けていくことができるのか、支えてあげたら幸せになれるのか」
親として目一杯の出来ることを考え行動することが出来るようです。
でもそこまで辿り着くのには、かなり多くの感情の過程を経験されています。

告知右矢印1︎ショック右矢印1︎否定右矢印1︎混乱右矢印1︎解放への協調右矢印1︎受容

受容まで真っ直ぐに簡単には辿り着けないと皆さん言われます。
なんで私が…
何度も感情の行き戻りを、繰り返します。
ずっと手放すことなく一日中みているお母さんは、慢性的な悲壮感でいっぱいになります。
こんな場面で離婚…家族崩壊につながる家庭も少なくないようです。


山口 淳より

無責任な言葉と温かい人たち1

僕のいるグループホームには、現在8人が住んでいます。
10人で満床なので、あと2つ…今月中に2人入居予定で今年中に満床予定です。
区分1から区分4まで、年齢もバラバラです。ウチは男性のみです。

同業者で経験の長い方にはお分かりかと思います。
区分が高ければ僕ら支援者は体を動かす仕事が多くなり、老人福祉に似ているところがあります。
もちろん区分が高い方が国から多くのお金が入ってきます。

区分が低ければ楽かというと自分の思う通りに体を動かせる分、行動に予測がつかなくなります。

グループホーム担当で3つの法人を、日中活動(就労継続B型)で1つの法人を経験しています。
何の疑問を持つことなく1つの法人に長くおられる方も少なくありません。
僕は常に、不満と野望を持って法人を離職してきました。
似たような経験をされている仲間も、決して少なくないかと思います。

僕がお世話になってきた障害者福祉の現場のアレコレを、綴っていきたいと思います。
順不同で読みにくいかもしれませんが、出来るだけ判りやすく綴っていきます。
ご興味のある方は是非、お付き合いください。
また障害者のご家族や、その関係者の方々も読んでくだされば嬉しいです。
僕の考えは全てが正しい答えではないと思います。
反面教師でも構いません。何か、何かしら感じるモノがあればと願い、綴ります。


山口 淳より

変更のお知らせです

ハンドルネーム『愛 飢男』でスタートした、こちらのブログ。
ブログを勧めていただいた新保さんから、ご助言をいただきました。

ハンネだけじゃなく、本音で書きたい時もあるのでは?
いつものように、ハッチャケたい時も書きたいのでは?

あるある!そうなんです!
でもね、以前に難病のことを中心にブログをやっていた時に
「じゃあ、アナタがいなくなれば国の税金を、特定疾患に割り振った国のお金が浮かんですね!」
と言われたことがありました。
僕個人だけが攻撃されたのならまだしも、
難病をもって読んでいてくれた方々に申し訳なく思い、閉鎖をしてしまった過去があります。
そのことをお話しすると、新保さんは
「その時は僕が守ってあげるよ!」と。

僕のウルトラマンが登場しましたー!
3分で居なくならないことを祈りまーす


愛 飢男、山口 淳、フランクリンより
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愛飢男(山口 淳•フランクリン)ブログ
僕の波瀾万丈な人生を綴ることで、誰かの何かの役に立てたらこんなに嬉しいことはないです 人に歴史あり…同じであるはずはないけど少しでも誰かの気が楽になるのなら…こんなことを考えています
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