これは、昨年のメモから
とても長くて、ごめんなさい
途中、どこで分けたらいいのか判りませんでした
今年25歳になる一人息子がいる
東京理科大に入り、4年生になる時に、慶応大学医学部に外部研究生として移った
本人からは、前々から相談はあった
移る理由を聞いて、愕然となった
『お父ちゃんの病気を治したいんだよ』
いつから考えていたのか、定かではない
『そっか、ありがとう でもドクターも言ってた通りで、日本にはこの病気を研究している人は一人もいないし、薬関係の会社も一つもない ダメを承知でやるんなら…』
感謝の言葉だけでいいものを、余計な事まで言ってしまっていた
『解ってる やってみたいんだ』
自分が同じ歳の頃、何をやってただろうと思い返すと、恥ずかしくなってしまった
自己免疫力で癌を治す
この最先端の研究をしている、その道では名前を知らない人はいないくらいに有名な教授の直近に配属された
その話を僕の主治医に話すと、自分たちも会う事はなかなか出来ない教授という言い方をしていた
実は二つの大学が候補にあり、僕の主治医のところに息子と行き、相談をして決めた
教授に、大学を移ってきた経緯と想いを伝えると、直ぐに僕の病気の担当教授に話をしてくれ、息子を会わせてくれたらしい
大まかな流れは、僕の主治医と同じ内容だったとのこと
主治医から紹介状を書いてもらえたら僕の診察はいつでも受けると言ってくれ、流れに沿った
息子は毎日、癌の組織を培養しては研究に精を出していた
その一方で、僕の病気に関する研究も一人でやっていた
こんな大きな大学でも、僕の病気への研究費は出ていない
やらなければいけない研究に邪魔にならないように気をつけながら、僕の病気の研究を約1年ちょっと続けた
無事、慶応に居ながら理科大を卒業
そのまま、慶応大学医学部の大学院生となった
人は、立派な息子さんでとよく言う
何をもってそう言うのか
単なるブランド志向的な言い方に、閉口する
息子は、高校受験を失敗している
後に失敗して良かったとなるのだが、その時の本人の落ち込みようは、他人には理解し難い
今でも発表当日のメールを覚えている
『ごめん、ダメだった 大学くらいは自分の行きたい学校に行けるようにがんばるので、高校は学費が高い学校だけど、よろしくお願いします』
なかなか気の利いた返信が思いつかなかった
任せておけ!としか返せなかった
桐蔭高校 コチラでは有名な学校が滑り止めだった
落ちた高校は、地元では有名な高校でも、大学進学には今ひとつ…結果良かったのかもしれない
知らない人は、全てが安泰に進んできたかのような誤解をする
大学で研究を進めながら、毎週月曜日の研究発表時には英語でスピーチ、外人さんの研究員もいる
世界のどこかで、重症筋無力症の研究をしている人は、会社はないものか…時間の限り探しては研究をしていた 約一年後…
アメリカに、日本人で研究していそうな人を見つけたらしい
早速、英語でメールを打つ
父親の病気のこと 父親への想い、病気に対しての考え、思い付くありったけの事を伝え送った
結果は…
貴方がここまで辿り着くのに、どれほどの苦労があったか想像がつきます
そして貴方のお父様への愛情がどれほどのものか、素晴らしい
それと貴方のその病気への熱心さは私には伝わります
しかしながら答えは残念な内容です
貴方が心のどこかで想像をしている通り、世界中どこを探しても重症筋無力症を研究している人はおらず、研究している製薬会社も存在しません
理由はいとも簡単、世界的な患者数の少なさがお金を生む事に繋がらないからです
今世の中にある薬が重症筋無力症にも有効なのではないかの提案はあり、今でも行われているのはお父様の治験を受けて認可され使用されている現実と同じものです
貴方が希望する、コチラに来て重症筋無力症の研究は不可能と言わざるを得ません
何故なら重症筋無力症に対する研究費は全く出ていません
貴方が今居る環境と何一つ変わらない場所がココです
貴方がコチラに来る事によるお父様の心配を考えると、貴方は日本に居ることの方が親孝行と思われます
ご期待に応えられず申し訳ございません
なんとも簡潔で、残酷な返信だった、とのこと
この日をもって息子は、大学院生を辞める決意を固めたらしい
辞めるに当たっても、何度か相談があった
このまま残れば博士もとれ、医者にもなれるんだけど、自分の目標がそこではなかったからキッパリと辞めたいと
僕からかけてあげられる言葉は『ありがとう』だけだった
自分の人生の数年間を、我が父親に全力でかけてくれた息子をら誇りに思い、感謝するのみだった
生きる力を誰よりも強く持っている息子は、どんな事をしてでも生きていけると、そう思った
データサイエンスト、少し前までの息子の職業だったが、それも辞めた
これから何を?息子が重荷にならない程度に、楽しませてもらおうと思っている
最高の主治医を失った僕は、重症筋無力症と如何に向き合っていけばいいのだろうか
世界中から治らない病気と、レッテルを貼られてしまった今…
僕は、生きる力を見つけなければならない
この病気だけではなく、治らないのに飲んでいる薬の副作用とも向き合わなければならない
大きなモノの代表は、ステロイドの大量且つ長期間の服用による、ステロイド性糖尿病、骨粗鬆症
ステロイド性糖尿病は本来は、朝2種類、昼夜1回ずつのインスリン注射が必要とドクターから言われているが、僕は完全に拒否した
錠剤の服用で代用させてもらっている
元々は一日に60もの薬を飲んでいたが3年前に薬の見直しの為に4ヶ月入院し20まで減らしていたが、暮れに体調不良から通院したところ、当然ながら入院を勧められたのを拒否して、薬を増やしてもらい30まで戻ってしまった
目もステロイドの副作用で、白内障が進んで見えにくい
骨も何かの拍子に折れ、ヒビが入る
今回生まれて初めて便秘と言われた
理由はステロイドの副作用からくる、腸の動きの悪さからによるもの
テーブルを拭いただけで筋肉痛になり息が上がる
腕をずっと上げているのが辛く、洗濯物干しや洗髪なんかは何度も休憩しながら行う
だから坊主頭が楽なのである
こんなんで障害者のGHの仕事なんて…
いやいや、僕だからこそ皆んなの気持ちを理解できる
これが僕の強みでもある
難病であることが僕の強み
今の時代、難病持ちの僕は、障害を持った彼ら彼女らと同じ側の人間なのです
社会的弱者に、僕も本来は入るのです
でも敢えて支援者の立場を貫き通しているのは、彼らの良き理解者になれたらとの想いから…皆んなはどう思っているのはか別ですが
今、僕が出来ること…
病気でも、
難病でも、
世界中からお前の病気は治らないんだよ!とレッテルを貼られても、
俺らの税金をお前の病気にも使ってんだぞ!と言われても、
お父ちゃんごめんと言われても…
今僕に出来ること…
必要とされるには…
生きててもいいよって言ってもらえるには…
自分が諦めないこと…かな