その日は唐突に

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お久しぶりです。

※以下、日記感覚で書いております。


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2.18の朝

高校時代の親友と会う約束をしていて、出かける準備をしていた。でも、会いたいはずの、大好きな友人との約束なのに、なんだか行動力が湧かなくて、ずるずると出かける支度をしていた。


そういえば電車の時間を調べていなかったと慌てて調べるも、ちょうど電車が出発する時間。遅刻確定。

何やってるんだか、と自分に失望しながら急いで出ようとしたその瞬間。仕事のはずの母が帰ってきた。

1週間ほど前に肺炎で緊急入院していた祖母の容態が悪くなったのだ。

たしかに、数十分前に見知らぬ番号から着信があった。でもたまたま洗面所にいて気づかずそのままだった。

私も同行しようかと提案したが、母からは、とりあえず友人との約束を優先していいと言われ、事細かにLINEを送りあうことを約束し、送り出された。


入院の2日前、祖母宅にいつものように訪問した時、もう二度と祖母の姿を見ることは無いかもしれないと勘が働いた。結局、入院した翌日に荷物を届けに行った際に看護師さんの計らいで数分だけ会うことが出来た。

そんな不快な勘に呼ばれたこともあり、不安の中家を出て、案の定、駅まであと少しのところで忘れ物をし取りに行くはめに。


そんなこんなありながらも、上手いこと乗り換えできて、遅刻せずに親友に会えた。

会えたところでちょうど母から大丈夫そうだという内容のLINEがきたので、とりあえずは安心して友人のと貴重な時間を過ごすことにした。

(祖母はなんども死にかけては自己回復を遂げてるから)


親友と約束していた買い物を果たし、そろそろお昼だねとサイゼリアへ。

注文し、食事が届いたところで母からのLINEに気づき、確認させてもらったら、「容態が急変したから、申し訳ないけど食べたら直ぐに戻ってきて欲しい」と。

親友には直ぐに事情を説明して問題なくOKをもらい、別れるまでの残り数十分、コチラの事情で迷惑をかけるからせめて普通の会話をしてあげたいと話題を振り、話し込んだ。



話しながら、ここで迷いが出た。



・私が駆けつけたところで、いつものように回復してどうにかなっているかもしれない。

このパターンなら、少しでも長く親友と時間を過ごしたい。月一で会いたいねと言いつつ、なかなか予定が合わず、今回は年明けて初だったから。


・どんな状況であれ、母のメンタルも含めて早急に駆けつけてあげたい。

回復の可能性ゼロの危篤のパターンだった場合、例え憎くとも、介護していた人の危篤や死を、そう簡単にうけ入れられるわけが無い。また少しでも役に立てるのであれば…𝐞𝐭𝐜...



結論、私は前者を取った。

普通の会話をしつつ、なるべく早く食べ終わったあと、もう少しだけ友人と居たくて、最後に久々のプリクラを撮りに行った。平日だし混んでもいなかったから。


その後、後日今日の日のリベンジを約束し解散。

急いで電車に乗ろうとするも、目の前で発車。

母からのLINEでは、祖母の容態の悪化具合と、病院までの道のりを指示され、とにかく次に来た電車に乗り、ひたすらどうにか間に合うよう祈りながら、電車が爆走してくれないかなとか思ったり。

久々にパニクってた。



病院の最寄り駅に着く前に、電車の中で母からのLINE。





「間に合わなかった。ごめん。姉妹で看取りました」





信じられなかった。色んな意味で。


自分が間に合わなかったこと。


あの傲慢でワガママで、それでいて自己回復力が異常に高い祖母が、たった今死んだこと。


乗り換えて電車に乗るやいなや報告を受け、自動扉に頭をうちつけた。

そんな、っていう声もたぶん発しちゃったと思う。


とりあえず何とか働かせた頭で思い浮かんだのは、お疲れ様と、母に伝えなくちゃいけないということ。


何十年も前。祖母の恋人だったおじさんが亡くなった時、母は最後まで面倒を一生懸命尽くし、毒親だった祖母には感謝されなかったが、おじさんのお身内から感謝の激励を頂いていた話を聞いていた。だから、祖母が死んだ時には私がその役目を担うのだろうと覚悟していた。

だから、いま、この時こそ、1番頑張った人に、激励しなければならないと。

そして、当事者は周り(今回は私)から言ってあげなきゃ、全てが終わったことも実感できないだろうし。



だから母には「わかった。お疲れ様」とLINEを送った。




その後、最寄り駅について扉が開くギリギリで母に電話をかけ、駅ホームに飛び降り、走りながら、本当に死んだのかと聞いてしまった。



とりあえずタクシーに乗り病院へ。