2022.02.27

ヒトラーの要望で日仏を往復した「潜水艦乗組員」を待ち受けた“過酷な運命”

2ヵ月間無寄港、海底6万3千キロの旅
神立 尚紀 プロフィール

食べるものがなくて困った…

入港後まもなく、桑島さんは内野艦長から、電波兵器の講習に参加する意思を問われ、興味のある事柄だったので、即座に参加を希望した。

「保養所として使われていた、シャトーヌフのフランス貴族の城館で数日間、骨休みして、通信科の下士官兵3名、Uボートの回航員51名とともに、ブレストを汽車で出発、パリで何日か過ごしました。艦長以下、大尉以上の士官はベルリンに招待され、デーニッツ海軍総司令長官と面会したそうです。

パリでの宿泊先は、リッツホテルでした。ベルサイユ宮殿、凱旋門、ノートルダム寺院、ナポレオンの墓、セーヌ川、夜はカジノ・ド・パリ……。見るものすべてがめずらしかったですが、シャンゼリゼ通りなんかでも、そのときはひっそり閑としていて、静かな街だなあ、と思いました。前年に伊三十潜が来たときには、どこに行っても軍艦マーチが流れていたそうですが、このときはそんなこともありません。この1年で、ドイツも相当、戦況が悪化していたんでしょう。

シャトーヌフでの日独親善交歓会
パリ・エッフェル塔をバックに。軍服姿左から2人めが桑島さん。写っているのは電波兵器講習員と、呂五百一潜(Uボート)回航員で、このうちのほとんどは昭和19年、呂五百一潜とともに大西洋で戦死した

パリ見物のあと、ドイツのキール軍港へUボートを受け取りに行く回航員たちと分かれ、ドイツ駐在の前伊八潜艦長・江見哲四郎中佐、松井登兵機関中佐の引率で、ブリュッセルを経由して、ベルギー北岸のオステンドにあるドイツ軍電波兵器学校に向かいました」

オステンドでは、約3週間にわたって、ドイツ側から譲渡される電波探信儀(レーダー)の構造や取扱方法を学んだ。オステンドは、ちょうどドイツへ空襲に向かう連合軍機の通り道にあたり、空襲警報が発令され、敵機が頭上を飛ぶのは日常のことだった。海岸にはトーチカがいくつも据えてあって、最新式のいかにも性能がよさそうな銃が、海岸線を睨んでいた。

「木造の小さなホテルを宿舎にしましたが、戦時下で食べるものがなくて困りました。朝は黒パンにコーヒー色をした味のない飲み物、バターなんてめったにつかない。昼は、深皿に洋風の極端に肉の少ない肉じゃがのような料理だけ、夕方はなんだったか、とにかくお腹がすいて困りました。夕方、勉強が終わったあと町に出てみたけど、八百屋にも少しの野菜があるだけ。玉ねぎを買って帰り、宿舎で生のままかじって空腹をしのぎました」

桑島さんがオステンドで講習を受けていた9月8日、イタリアが連合国に降伏。日独伊三国同盟の一角がくずれた。

「ドイツの軍人はみな、イタリアは弱いんだと悪口を言ってましたね。けれども駐独武官の誰かが、こっそり私に、『ドイツはヨーロッパの嫌われ者ですよ』と耳打ちしてくれて、それが強く印象に残りました。それまでドイツには憧れこそすれ、マイナスの知識もイメージも持っていませんでしたから……」

 

講習を終えた桑島さん一行は、帰りもパリに立ち寄り、デパートで買い物などをして、ビスケー湾の奥に位置するミミザン対空機銃学校で講習を受けてきた砲術長・大竹寿一中尉の一行と合流、ブレストに戻った。

ブンカーに係留された伊八潜は、桑島さんの留守中にドイツ海軍の手で必要な補修を終え、輸送物資を積み込んで、帰国の準備を整えていた。ドイツ軍の誇る20ミリ4連装対空機銃は、艦の司令塔後方の甲板上に装備され、持ち帰られることになった。前回の伊三十潜は、ドイツ軍艦色のライトグレーに塗り替えられたが、伊八潜は日本の潜水艦の黒い塗色のままだった。

搭載物件はすでに梱包されていて、その詳細について桑島さんは知る由もなかったが、残された目録によると、電波探信儀やその図面、ダイムラーベンツ製高速艇用発動機とその図面、エリコン20ミリ機銃120挺、急降下爆撃照準器、レントゲン検査装置、医薬品、ボールベアリングなど56件におよぶ物件が搭載され、日本に運ばれることになっていた。しかし、カメラや洋服地など、伊三十潜のときのような乗組員個々への土産物はなく、ただワイン一箱が餞別に届けられただけだった。

伊八潜は、帰国する横井少将ら日本人10名と、駐日大使館に赴任する4名のドイツ人便乗者を乗せ、10月5日、潜航試験を装ってひそかにブレストを出港した。

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